聖域の主
俺自身の能力を考えれば、もし魔物が出ても問題ないのは間違いない。とはいえ得体の知れない森の中に長時間いるのはあまり好ましくない……そんな風に思いつつ、聖域の森へと足を踏み入れた。
もしソフィアが『バードソア』を継続して使っているのならば、魔力を探知してすぐに見つけられると思ったのだが……無理だった。よって魔力が枯渇している可能性が高いと判断。森の中をひたすら探し回るしかなさそうだった。
俺が『バードソア』を使用しとにかく動き回るという手段もあるにはあったが、これだと大雑把にしか周辺を探れない上、ソフィアが声を上げても気付かない可能性が高く、さらに気配探知も鈍くなる。
魔力が枯渇しているとはいえ、近づけば多少なりとも気配はつかめるはず……そう思い、俺は『バードソア』を使わず探し始める。ただ、ソフィアはどこまで行ったのかもわからず、なおかつ森は非常に広いし深い。これは難儀だ……そう思った時、一つ気付いたことがあった。
魔物の気配はする。しかし、襲ってくる気配がない。
「俺の能力を見て警戒しているという様子じゃないな」
どちらかというと侵入してきた俺に興味を示しているといった感じだ。こっちから仕掛けたら間違いなく反撃されるんだろうけど……敵を増やして得をするような状況でもないので、放置だ。
ソフィアの方はどうだろうか。動揺した感情で魔物に監視されていると知ったら、無我夢中で攻撃するかもしれない。嫌な想像をしつつ俺は森の奥へと進んでいく。奥へ行くこと自体正解かどうかもわからないけど……ともかく動くしかない。
気配を探りつつ茂みの中を進む。人の手がほとんど入っていない森であるためか、草もずいぶんと背が伸びている。さらに森に他の場所とは違う独特の気配が存在している――そんな風に思えるのは、ここが聖域だと自覚しているからだろうか。
さすがにガルク自身が出てくるようなことにはならないと思うが、長居していると魔物が襲い掛かってくる可能性は高い。そうなる前に見つけたいところだが――
ふいに、気配がした。俺は即座に立ち止まり周囲を見回す。
「……今のは」
ソフィアの気配ではない。周囲にいる魔物達のものでもない。それは俺のことを遠くから眺めているような、視線に近い気配。
まさか……などと思いつつも、移動を再開。さすがにこの森のリーダーのような存在がいきなり出るとも思えないが――
さらに森の奥へと進むと、先ほどと同じような視線が。これはもしや確定なのかと嫌な予感を抑えることができなかった。
普段足を踏み入れない人間が二人も入って来たことで警戒しているのか。とはいえ周辺の魔物達は動きを見せない。これがずいぶんと奇妙であり、俺は首を傾げてしまう。
ともかく、ソフィアを探さないと……森に入り結構時間が経った時、ふいに森を抜けた。
目の前には霊峰が近づき、直線的に自然の力によって形成された山へ向かう荒れ道が存在している。
「足跡とかは……ないか」
地面を観察しつつ俺は周辺を見回す。歩き回っているのかそれとも一つの場所にいるのか……俺はあきらめずに探そうと思い、再度森の中へ戻ろうとした。
その時、気配を感じ取る……それは、山へと続く荒れ道の横手に存在する森。
ただ、その気配は周辺で監視している魔物のそれとは異質な雰囲気だった。まさか、などと思った矢先、
『――ここに人間が来るとは、珍しいな』
野太く、それでいて勇ましい雰囲気を備えた声が聞こえた。だがその声がどこかエコーがかっているのは……視線を転じると、森の奥から狼が出現するのを目に留めた。
ただ、その大きさは周辺に存在する木々にも届こうかという程のもので、一目見て相当な力を持った魔物であると認識できる。
なおかつ、特徴的なのは白い体毛と、黒い瞳。森の中を歩き回っているのだとしたら汚れの一つあってもおかしくないのに、まったくそうしたものがない。
そして黒い瞳はひどく理性的であり、先ほど声を発したように知性を所持しているのがわかる。
『ここに来るということは、それなりの覚悟があるということか?』
口がまったく動かないまま声を発する――俺は呆然としていたため咄嗟に答えられなかったが、やがて我に返り逆に問い掛ける。
「……あんたは、もしやガルクか?」
『人の間ではそのような名らしいな……いかにも、我がガルクと呼ばれる存在だ』
おいおい……まさかの事態だ。背中から変な汗が出てくる。
想定外も甚だしい。ともかくここは穏便にしないと。
「えっと、この森を訪れたのは、人を探しているんです」
『人?』
「女性なんですけど、彼女が見つかったらすぐに森を脱するつもりで――」
『ふむ……』
ガルクは呟きながら周囲に目を向ける。
『確かに、周囲の同胞の中には迷い込んだ存在を見たという者がいるようだな』
声を発さず意思疎通できるらしい……というかガルク、『バードソア』を駆使するソフィアは目立つはずなのだが、それに気付かず俺の方に気付くというのはどういうことなのか。
「えっと、その人物を見つけたらすぐに――」
『そういう口実で、我の居場所を歩き回るつもりか?』
高圧的な声音だった。気が立っているのは間違いない様子。
『それほどの力を所持する存在。貴様は何者だ?』
……ガルクは、俺の能力を察している? レーフィンだって俺が力を多少なりとも行使しなければ詳しく認識できなかったが……これが、神霊か。
ともかく、相手が警戒しているのは間違いない。ここは低姿勢で――
「いや、本当です。ここまで踏み込んだのは謝ります――」
『どうやら魔王とは無縁の力のようだが……懐柔され、ここに派遣された存在か?』
こっちの主張を聞く気はない様子だぞ……俺の主張より、俺の能力の方が気になって仕方がないということか。
ガルクには俺がどんな風に見えているのか……気になったが、問い掛ける余裕はない。どうにかしないと。
『魔王が放った尖兵か?』
「いや、だから――」
『この森を脅かすのならば、同胞を守るために我も戦わなければならないな』
弁明はまったくできない。ちょっと待ってくれ。このままだと戦うことになるぞ、これ。
結界がなければ魔王とも戦える力を持っていると自負している以上、戦っても勝てそうな気がしないでもない。けど目の前の存在は人間を害するわけではない。魔王との戦いでは静観という立ち位置だが、魔族達へにらみを利かせ多少なりとも警戒心を抱かせているのは間違いないわけで、倒すべき相手ではない。
「あの、俺は女性を救出したらすぐに――」
『貴様のような普通の人間とは異なる侵入者には、手荒な歓迎を行うのが常だ』
俺の言葉を遮り、ガルクは語る。
『貴様の狙い、阻ませてもらおう』
おいおいおいおい、待て――声を上げようとした矢先、ガルクは吠えた。
遠吠え……それが俺に対する威嚇行動だと直感し、硬直してしまう。
『覚悟しろ』
ダメだ。完全にこっちの主張はスルーだ。ガルクから見て俺の存在はイレギュラーであり、こちらの能力を認識したからこその警戒と戦闘の意思……止めることは無理だ。
そういえば、こういう風に相手がこちらの説明を聞かないまま戦闘に突入するような場面って、ゲームでも漫画でもそこかしこに見ることができた展開だ……まさか転生して俺自身が同じような目に遭うとは思わなかった。
そんなどうでもいいことを考えている間にガルクの気配が一気に濃くなる。どうやら戦闘準備完了らしい……俺としては逃げ出したいところだが、ソフィアを探さなければならない以上、それもできない。
レーフィンが来てくれればこの状況もどうにかなるかもしれないが……ガルクが気配を発していても来ないとなると、やはり何かあったのか。
『ゆくぞ』
その時好戦的な言葉と共に、さらに魔力を高めるガルク。俺は小さく息をつき――神霊と、相対することとなった。




