王女と竜
竜の声がした直後、アベルがすぐさま声を上げた。
「周囲を警戒しろ!」
この咆哮は予想していたと思うが……ネフメイザが実は俺達が情報を持っていることを察していて人造竜を差し向けるという可能性もゼロではない。
資料では俺達がいる場所とは異なる地点に竜は襲来するのだが……もし目の前に来たのならやり方を考えなければいけない。
誰もが無言となり……アベルが周囲を警戒しながらゆっくりとした歩調で進んでいく。
俺はここで上空に展開している使い魔に意識を移した。町には既に結構な数の使い魔が潜んでおり、特に城を観察している。見た目、何も変化はない――
そう思った次の瞬間、突如城の一角……庭園とおぼしき場所の地面にヒビが入った。
ゴオッ――地面を砕く音が響き、その奥から現れたのは……紛れもない、人造竜。
翼を持った西洋竜なのだが、体が巨大で空を飛びそうには見えない。ただ威圧感は相当なもので……なおかつ竜の体は真紅。それがまた畏怖を与える。
そして咆哮。先ほどとは比べものにならない雄叫びが町中に響き渡った。
「……来たようだな」
アベルが呟く。ここで俺は彼に言った。
「とにかく進もう。俺が使い魔を通して動きを観察する」
「わかった」
頷いた彼は戦士達へ進むよう号令を掛けた。
さて……俺は使い魔により上空から竜の動きを捕捉する。何より重要なのはヤツがどういう動きをするのか。
一行が進む中で、竜もまた動き出す――翼は大きいが、飛ぶのはさすがに無理だろう。どうするつもりなのか。
刹那、竜が突如屈む……いや、足に力を入れ跳躍する体勢を整えた。
「来る……!」
呟いた直後、竜が跳躍した。足は巨体を飛び上がらせるだけの力を持っている……そう認識すると同時に、肉眼で竜を視界に入れることができ、戦士達が喚声を上げた。
当該の竜の行き先は――俺達から見て左手。それが隕石でも降ってくるかのように飛来し――帝都全体を揺らすような轟音が生じた。
それと同時、悲鳴なども上がってくる。資料では竜の襲来は民衆にとっても予定外のことだった。これはネフメイザが人々を利用し俺達の動きを拘束するため、わざと公表しなかったのだろう。
そして竜の存在は反乱軍に動揺した皇帝の差し金――という筋書き。実際はネフメイザが一から十まで仕切っているのだが……ともかく、竜を止めなければならない。
「さて……」
アベルが呟く。事前にどういう動きをするかという展開はわかっているため、冷静だった。
『――ルオン殿』
ここで、アナスタシアの声が聞こえてきた。
『外からも竜が飛んだのが理解できたぞ……竜が降り立った位置は資料通り。また、あの周辺の人々は事前に避難させた。悲鳴なども生じているが、被害は非常に少ないはずじゃ』
実際の被害状況は、おそらく戦いが終わらなければわからないが……とにかく今は、侯爵達の尽力により被害がないことを祈りながら進むしかない。
「ルオンさん」
そしてアベルが口を開く。
「竜をどうこうできるかわからないが……標的にされれば非常にまずいことになる」
「わかっている」
「私が」
ソフィアが申し出る。予定通りとはいえ、不安があるのも事実。
俺は彼女へ視線を送った。すると小さく頷くソフィア。
心配するな……と、彼女は訴えている。できる限りのことはやったし、竜精と連携してもいる。俺は一度息をつき、
「……頼む」
「はい」
短い会話の後、アベルが戦士の幾人かを選抜し、彼女に同行させる。竜へと進んで向かっていくのを見送り、俺達はさらに行軍を進める。
このまま真っ直ぐ城へ――といきたいところだが、やがてどこからか悲鳴が生じた。竜が現れたからというわけではなく、これはおそらく……。
「動き出したか」
俺は小さく呟く。資料には帝都内に魔物が出現したと書かれていた。ネフメイザが事前に仕込んでいた敵であり、俺達を足止めする効果がある。
「――魔物だ!」
誰かが言う。同時、脇道から魔物の群れが出現した。
それと共に、人々も逃げるべく悲鳴を上げながらこちらに走ってくる。
「町の外へ!」
即座にアベルが彼らに呼びかけると、人々は町の外へ出るべく駆ける。護衛をつけるべきかと考えていると、後続からやってきた部隊がそれを見て、即座に誘導を始めた。
そして戦士達が魔物と交戦を開始する。資料ではそれほど苦戦しないとのことだったが……能力は、戦士達でも十分対応できるくらい。おそらく人造竜や地下に魔力を注いだため、魔物に回せる余力があまりなかったということだろう。
「こちらの兵力を分散させるには最適な手段だな」
アベルは言いながら周囲の面々に住民の避難を指示した。
「これから間違いなく混乱に拍車が掛かるはずだが……」
アベルの声を聞きながら俺は使い魔でソフィアの動向を観察する。竜が天へ向かって吠える間にソフィアが近づいていく。逃げる人々をすり抜けながら彼女は一気に――
『ルオン殿』
そこで、またもアナスタシアの声。
『どこかのタイミングで、使い魔が使用できなくなる可能性があろう』
「……今のところ大丈夫だが」
『一応、その対策を腕輪に仕込んでおる』
「腕輪に?」
『ルオン殿、精霊を生み出せるのじゃったな?』
「レスベイルのことか?」
『その精霊を呼び出す時、魔力を体から引き出すじゃろう?』
「ああ、まあ」
『その魔力をほんの少しだけ、腕輪に注いでくれ』
言われるがまま、俺は試しにやってみると……突如、腕輪がわずかに発光し、小さな光が生まれた。
「これは……」
『腕輪に仕込んだ機能を通し、少しばかり偵察用の精霊を生み出せるようにしておいた。一体しか出せんが、使い魔とは構造が異なるため、おそらくネフメイザの妨害工作も通用せん――』
その言葉の直後だった。
突如、四方に拡散させていた使い魔からの交信が途切れる。なおかつソフィアを観察していた個体も何があったか、頭の中にあった映像が瞬時に消えた。
「……始まったみたいだな」
俺は呟き光に目を移す。どういう仕組みでネフメイザが使い魔を破壊したかわからないが、何も対策していなければこれで情報を入手できなくなったわけだ。
しかし……俺は漂う光に意識を向ける。すると、頭の中で自分の姿が浮かび上がった。光を通し映像がきちんと見れている。
『操作法は、直感的にできるよう施した』
「……わかった。ありがとう」
そう答えた瞬間、アナスタシアは叫んだ。
『全員、ここからが勝負じゃ。油断するなよ!』
腕輪で繋がっている面々に告げたものだ。するとアベルが「行くぞ!」と声を発し、先へと走り出す。
俺もまたそれに追随しながら、光を操作。意識を向けることによって球体が独りでに動き、町中を駆け巡る。
先へ進む間に、光がソフィアへ近づいていく。使い魔はやはり全滅しており、アナスタシアの道具がなければ完全に連絡がつかなくなっている状況だった。
混乱する人々の横を抜けながら、俺はアベル達と共に進撃し続ける。おそらく精鋭の騎士との決戦は近い。城に到達する前に大きな広場がある。そこで戦うことになるだろう。
そしてソフィアは――とうとう光が彼女の下へ到達する。周囲にいる戦士達は人々の避難に回っている。さらに、そうした戦士達以外にも動いている人がいる。見た目傭兵なので、おそらく帝都で活動していた反乱組織の面々だろう。
この状況下で、ソフィアの視線は一点に向けられている……直後、咆哮がとどろいた。圧倒的な巨体を持つ人造竜。だが彼女は恐れることなく超然と立ち、剣を抜き放ち竜と向かい合うような状況になっていた。




