8話
――それなのに、なんでカナデがこんなところに居るの?
レインと言葉を交わす少女の顔立ちは、どこからどう見てもシキの中の記憶に残った面影をそのまま少し成長させたようにしか見えない。
意思の強そうなややつり目がちの瞳に、今のシキと同じくらいの身長。着ている服は高校の学生服だろうか、シキが知らないブレザーとチェックのスカートに白いニーソックス、黒い革靴に……何故か日本刀を腰にさげている。
そういえば向こうに居た時カナデは剣道をやっていたはず。そう思って、しかしシキは思い直す。いや、いくら剣道をやっていたと言っても剣道で刀はない。見た感じ模造刀でもなさそうだし。
あれこれ考えるシキを置きざりに、カナデはいくつの報告を行い列に帰ってゆき、その後レインが解散を告げて、魔術候補生はレクリエーションで言われた通り、部屋分けを決める為に別の場所へと案内されてゆく。
「あ……ま、まって!」
先導されるままに集団になって第二修練場から出てゆく最後尾にカナデの銀髪を見つけて、シキは思わずその背中を呼び止める。
「え、えっと、わたしですか? わっ」
呼び止められたカナデは、困惑した表情で振り返ってシキを見て、さらに驚く。
南平原で見せたデモンストレーションでの印象が強いのだろう。声をかけた相手がシキだとわかった途端、カナデは背筋を伸ばしてぴしっと直立した。第二修練場に残っている他の嘱託魔術師たちも何事かと動向を見守っている。
「いきなりごめんなさい、少し、いい?」
「は、はいっ、大丈夫……ですけど、あの」
「あのね……って」
……ここはまずいよね。
「……レイン様、少しこの子、借りて行ってもいいですか?」
「む? ……ああ」
レインは意外そうな顔を見せたが少しだけ思案して、にやりと人の悪い笑みを浮かべる。
彼女はシキが元々男だったことを知っている唯一の人物だ。シキの名前、如月四季改め如月白姫という名前と、如月奏という名前に何かしら関連性を見出したのだろう。
「良いぞ? ふふ、初日から好みの女の子を漁るとは、やるのう」
「ふぇ!?」
と、シキは思ったのだが違ったようで、レインの思わぬ言葉にカナデが妙な悲鳴を上げる。
「ちょ、ちちち、違います! 何言ってるんですか!?」
「わかっておる、よいよい、連れていくがよい」
まさかの解釈にシキが猛然と反論するが、レインはにやにやと笑ってそう手を振る。
何がわかっているのか問い詰めたいところだったが、やぶへびになってもしかたないので、シキは言及しない。
「うぅ……ちょっとついてきて」
その代わりにそう言ってシキはカナデの手を取り、他の皆が出ていった通路とは別の出口から通路へと出て周囲に誰も居ないことを確認した後、カナデに向き直った。
「えっと……カナデ?」
「ひゃ、ひゃい!?」
シキに手を握られたままのカナデは、名前を呼ばれて飛び上がるように返事をした。近い距離で手を握られたまま見つめられて、完全に委縮してしまっている。
異世界に来ていきなり白髪の美少女に手を握られて詰め寄られれば無理のない反応ではあるが、当の本人のシキ自身もテンパっていてカナデの様子にまったく気が付いていない。
「……どうして、ステラスフィアに来たの?」
「え、えっと、それは……」
「うん」
「……兄を、探しに……ですけど……」
「な……っ、なんで、そんな……」
躊躇いながらもそう教えてくれたカナデの言葉を、シキは正直信じられなかった。シキには妹に対して特別良くしてやっていた記憶もないし、特に中学に入ってからステラスフィアに来るまではロクに会話もしていなかったのだ。
「その、あのっ、ど、どうしてわたしにそんなことを聞くんですか?」
シキの反応を訝しんで、カナデはシキに尋ねる。
「え? だってそれは――あ」
と、そこでシキはようやく現状を把握した。
不安そうに見つめる瞳には疑惑の色が称えられ、到底探しに来た兄を見る目ではなかった。
シキはカナデが自分のことに気が付いている前提で話を進めていたが、いまのシキの見た目は女の子だ。加えて、シキはまだ自分の名前を名乗っていない。戸惑いながらの質問にも合点がゆく。
「ああ……ごめんなさい。……わたしもテンパってた……」
謝って気を取り直し、シキはきょとんとするカナデを見て改めて自己紹介をする。
「あのね、わたし、如月四季……だよ?」
疑問形になってしまったのは、言いながら段々恥ずかしくなってきたからだ。
「……え? シキ……ってお兄……、え?」
カナデが目を見開いて驚愕の表情でシキを上から下までなめまわすように見る。
どう見てもシキの容姿は、カナデが知っている兄ではない。
むしろシキのじろじろと見られているうちに段々顔が熱くなってきて恥じらうように頬を染めて視線を逸らす様など、どう見ても少女の反応だ。シキからすれば女装した姿を家族に見られるのと同じような状況なだけに、恥ずかしくて当然だ。
「…………お姉ちゃん?」
「はうっ……」
ややあって呆然としたカナデの口からこぼれた言葉に、シキは精神的ダメージを負う。
「…………シキお姉ちゃん?」
「うぅっ……」
小首を傾げて言うカナデの言葉がぐさぐさ刺さる。なまじ悪意が無い分、余計に刺さる。
「……え、本当に、本当にお兄ちゃんなの?」
「う、うん」
そうは言っても、見た目が全く違う見知らぬ人物に自分が兄だと言われてもそうそう信じられるものではない。カナデは疑わしげにシキを見つめながら、少しだけ考えて問いかける。
「……誕生日は」
「カナデと同じ、7月19日」
「好きな食べ物は?」
「太ると嫌だから今は野菜とかだけど……前は煮魚だったはず」
「好きな妹は!?」
「な、何言ってるの!? カナデ!?」
最後の質問は何を言っているのかわからなかったが、いくつかの質問に答えたことでカナデはシキが兄だと信じたようで、もう一度じっと上から下まで見直して、
「……お兄ちゃんなんでお姉ちゃんになってるの!?」
言われて、すごい台詞だ、とシキは思った。
「えっとね、これには事情があって……ってな、なに、きゃっ!?」
「わっ……わぁ……っ、お、お兄ちゃん、やわらかくなってるっ!」
油断していたシキに、カナデは急に抱きつく。
相手が兄だとわかった途端、カナデの行動に遠慮が無くなって、悲鳴を上げるシキに抱き着いて髪やら腰やらを触って感触を確かめている。
「ちょ、ちょっとやめてよカナデ!」
「こ、言葉使いもすごく女の子っぽいし声も高い! え、もしかして女装」
「ち、違うよ! その、転移の時の手違いで女の子になっちゃって……見た目もかわいいし、言葉使いが男のままだったら変でしょ……?」
「うわぁ……」
……うわぁ、って、うわぁって言われた!
カナデは二年前のシキのイメージで考えていたのだろう。カナデからすれば見た目が美少女になっているとはいえ中身のイメージが前のままなので思わず出た言葉だった。
もはや羞恥プレイと化してきている状況に、シキはがっくりと肩を落とす。
同時に、ちゃんと場所を移しておいてよかったと心の底から安堵する。
「……でも、お姉ちゃん? ううん、本当にお姉ちゃんなの?」
されどほっと一息ついたのも束の間、カナデは疑わしげな視線をシキに向ける。
「え、なに、どゆこと」
「本当に女装じゃないの?」
「……見てわからない? っていうか、さっき触ったじゃない」
「だって胸はパッドかもしれないし、本当は女装してるヘンタイさんなのかもって……」
「な、ち、違うし! こんなかわいい女の子が男なわけじゃない!」
「うわぁ……」
そう言うシキに、カナデはまたも生暖かい視線を送る。
さすがにシキは自分をかわいいなどと言うと少しは精神的ダメージを負うが、逆に男だと言い張ったら女装好きのヘンタイ認定されてしまう。どちらに転んでもダメージを負う悪魔の選択だ。それに今はれっきとした女の子なので、シキが言うことは間違っていない。
「それにカナデ、さっきどさくさに紛れて胸触ってたじゃない……」
「ううん、そうだけど」
半分涙目で拗ねたように言うシキはどう見ても女の子にしか見えないのだが、しかしカナデは「でも」と言って続ける。
「本物と見分けつかないパッドとかもあるんじゃない?」
「なっ……じゃ、じゃあどうすれば信じてくれるの……?」
シキが問うと、カナデはうーんと少しだけ悩んで、すぐにいいことを思いついたように表情を輝かせてとんでもない台詞を吐いた。
「お姉ちゃん、パンツ見せて!」
「はぁ!? なななななななっ!?」
カナデがすごいことを言い始めて、シキは真っ赤な顔をさらに赤面させて言葉をどもらせる。
何を考えてそんな結末に達したのか、シキは思考が追いつかない。
「何言ってるのカナデ、そんなことできるはずないじゃない!」
「むぅ、スカートを少し捲り上げるだけでいいんだよ?」
「す、少しだけって、こ、ここで!?」
シキとカナデが居るのは先ほどの第二修練場とロッカー室を結ぶ通路だ。今日の第二修練場は貸し切りとなっているので誰もいないはずではあるが、もしも万が一そんなところを誰かに見られれば確実に誤解されるだろう。
いや、誤解で済めばいい。機構で有名な白姫様とまで呼ばれるシキが、そんなところを誰かに見られれば、悲報としてあっという間に機構内に知れ渡るだろう。
「ほら、周りに誰も居ないし、恥ずかしがることないよね女の子だったら。姉妹なんだし」
その理屈はおかしい。と思わなくもないが、女の子、姉妹、とカナデに強調されて、シキは湯立って思考が鈍る頭で「ほらはやく、はやく」とカナデに唆されるままに、羞恥に耐えながら涙目でスカートのすそをつまんでを持ち上げ――
「……ねーさま、何してるの」
「――――っ!?」
――時が凍りついた。
中々戻ってこないシキの様子を見に来たセラが見たのは、顔を真っ赤にして涙目でスカートをたくし上げるシキと、それを凝視するカナデという、どうしてこうなったのかと問いただしたいくらいに混沌とした状況。
「ち、ちがっ、違うの! これは、違くて……っ」
スカートを両手で押さえてしどろもどろになりながらシキはセラに弁解をしようとするが、いきなりのことで状況をうまく説明する言葉が出てこない。
そんなあたふたとあわてるシキに、セラはいつもの平坦な口調で告げる。
「……ねーさまの、えっち」
「違うの、本当に、違うの! 違うのよっ!?」
何が違うのか、シキ本人もわかっていない。追いつめられると人間誰しも語彙が少なくなるという良い例だった。
……その後一時間ほどの時間をかけて何とか事情をごまかして説明することが出来たが、その間ずっとセラはシキを見つめていて、シキは非常に居心地の悪い思いをすることとなった。