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忘名のステラスフィア  作者: 霧島栞
二幕
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73話

「……いい? 以降は単独で突っ込んで行くのは控えてね? カナデはまだ経験が浅いんだし、キョウイチがフォローしないでどうするの。致命的な怪我でもしたらどうするの? 今は銃弾で死角をフォローしてくれるクレアも、守護の盾で護ってくれるキリエも居ないんだからね? ちゃんとわかってる?」


 だがしかし、シキが何も言うことが出来なかったのも戦闘が終わった余韻の間だけで。


 虹色の粒子が残光を残しながら天井をすり抜けて消えて行った後、シキは笑顔を張り付けてキョウイチの肩を叩いた。


「む……」


 ご機嫌だったキョウイチの表情が、苦々しく歪む。


 事実シキの言うことは正しい。キョウイチの戦い方は薄皮一枚で相手の攻撃を避けながらの超攻撃的なスタイルで、時には相手の攻撃すらも斬り裂いてなお踏み込むという、まさに攻撃は最大の防御とでも言わんがばかりの戦い方だ。


 それが功を成すことがあるのも事実だが、いかに優秀な魔導騎士とはいえ、死角からの一撃を受ければかわすことも耐えることも出来ない。


 そうなるとキョウイチだけではなく、同じく前衛で戦線の維持を保つカナデにも危険が及ぶ。下手をすればそのまま全滅……なんていうことにもなりかねない。


「キョウイチも、少しは守ることも考えないと。……もうわたしは、怪我をしても治してあげることは、出来ないんだから」


「――――」


 心配そうに言うシキに、キョウイチは激しい既視感に襲われる。


 キリエや――口は悪いがクレアもそう、身内が再三、キョウイチの戦い方を心配してかけてくる時と同じ声音。同じ表情。シキのその表情を、キョウイチは知っている。知っているが――知らない。


「キョウイチ、聞いてる?」


「あ、ああ……」


 どこか懐かしくさえ覚えるそれに、シキの言葉を信じたいと思う反面、けれどもやはり罪悪感が邪魔をする。


 一度根を張ってしまった種子はそう簡単には枯れることはない。


 枯らすことが出来るとすれば、それはキョウイチの心を焦がすほどの『何か』が必要だ。


 シキの心配はその『何か』には、まだ足りないようで、


「……善処しよう」


 結局、キョウイチはそう言って大剣をしまいシキに背を向けた。


 シキはまだ何か言いた気だったが、けれどもあまりしつこく言って雰囲気を悪くしてしまっては元も子もないと言葉を飲み込んだようだ。


 安全な場所ならばとことん話し合うのも良いかもしれないが、あいにくここは『危険指定特区(レッドゾーン)』だ。いつ新手のアルカンシエルが現れるかわからない状況で悠長に論議を企てるというのは些か浅薄に過ぎる。


「お姉ちゃんお姉ちゃん!」


 どうにも重くなりそうな空気の中、カナデが一際明るい声でシキを呼ぶ。


「どうしたの? カナデ」


「キョウイチさんと比べて、さっきのわたしどうだった!」


「あー」


 どうやら妹は根っからの体育会系らしい。キラキラと目を輝かせるカナデに、シキは和みながら考える。


「――うん、適切な距離を取りながら、機動力を削ぐために足を落としてたのは良い判断だったね。良い立ち回りだったと思うよ」


「……ん。カナちゃん、ぐっじょぶ」


「やたっ」


 びしっと親指を立てて言うセラに、カナデは照れながらもガッツポーズする。尻尾があったらパタパタと降られていたかもしれない喜びようだ。頭をポンと軽く撫でてあげると、喜んでキョウイチの隣へと戻って行った。


 先の戦いで、カナデの動きはキョウイチと比べても遜色ないレベルだった。


 対アルカンシエルでの実戦経験ではキョウイチに劣るものの、カナデは元々、様々な武道をたしなんでいたという。特に居合の腕は師を超えるほどの腕前だったというのだから、立派なものだ。そのおかげもあってか、蟻のアルカンシエルと戦った先も間合いをしっかりと意識していたし、連携についても問題はなかった。


 それに比べて……大丈夫かなぁ。


 シキはキョウイチの背中を見ながら、そう思わざるを得ない。


 シキの部隊に居たことろのキョウイチならば、先の注意などシキに言われずともわかっていただろう。いくらキョウイチがバトルジャンキーだとはいえ、連携を忘れて踏み込むということはほとんどない。


 完全に無いとは言い切ることが出来ないので確実とはいかないが、今回はカナデも居たのだから冷静に判断出来ていたなら独断先行することもなかっただろう。


「……信用されてないのかなぁ」


「そうじゃないと思いますよ」


 ぽつりと呟いた言葉に反応して言葉を返してきたのは、意外にも少し前を歩くイロリだった。


「どうしてそう思うの?」


「どう言ったら良いでしょうか……わたしから見て、キョウイチさんの態度はどちらかというと戸惑っているように見えますから」


「戸惑ってる?」


「はい」


 キョウイチに聞こえないくらいの音量で言ったイロリの言葉にどういうことだろうかとシキが首を捻っていると、


「……確かに、らしくない感じではありますよね」


 同じく小さく音量を絞ったダイキもそう言って、キョウイチの背中をじっと見ていた。


 その横顔は訝しげに顰められており、キョウイチに対する複雑な思いが伝わってくる。


 個人として見た場合、初対面からしてダイキのキョウイチに対する印象は最悪に近いが、それでもキョウイチという人物を客観的に見ることが出来るくらいまでには成長した今のダイキから見れば、明らかに今のキョウイチはおかしいと思える。


「イロリさんの言う通り、悩んでるみたいですよね」


「? ダイキ君、理由がわかるの?」


 含みのある言い方にシキが問うと、ダイキは「あー……」と言ってから、


「……まあ、それは、そうですねぇ……俺もキョウイチさんと同じ、男ですし」


 そう言葉を濁した。


「や、わたしも……何でも無い」


 わたしも元々男だけど。と言おうとして、シキは言葉を飲み込んだ。


 セラとカナデはシキが元々男だということを知っているが、ダイキにはまだ何となく告げていない。いつか言おうとは思っているが、なかなかタイミングが難しく、シキも『まあそのうち言えば良いか』程度にしか思ってはいないが……シキはまだ自分がどれだけフラグを立てて行っているのかを自覚していないのだ。


 真っ白な肌に、真っ白な髪。恐ろしく整った容姿に極めつけは頼られると放っておけないお人好しな性格。やさしく微笑まれてくらっとこない男はもはや男ではないだろう。


 ダイキがシキに抱いている感情が師として仰ぐ尊敬の念から来るものなのか、それとも果たして女性としてのそれなのかは……まだわからないが、例え前者だったとしても、後者に変わるのは時間の問題だ。


「キョウイチが悩み事ね……新技でも考えてるとかかなぁ」


「……どういう話の流れでそうなるんですか」


「だって……」


 キョウイチに悩み事と来たら、思い付くことと言えばどうすればより強くなれるのか、という実直的は悩み事くらいしか思い浮かばない。誰よりもストイックに自己を追い込み、強さを求めるキョウイチが、まさか自分のこと何かで悩んでいるなどとは毛ほども思わないシキは、先の独断専行も新しい技を試すためだったのではないかと解釈した。


「男の子って、そういうの好きだよね?」


「いや、好きかもしれませんけど」


「ダイキ君だって、この前部屋で一人瞑想しながらまるで魔王のように……」


「ちょ、何で知ってるんですか!?」


 その様子は瞑想というよりもむしろ迷走しているようだった。


 覗き見てしまったシキは慈愛に満ちた顔でそっとその場を後にしたという。


 ダイキの悲痛な叫びに、キョウイチとカナデが立ち止まり訝しげにダイキを見る。閉鎖された『地下迷宮』内では声が予想外に大きく響き、声をあげたダイキ自身も驚いてしまう。


「……どうした」


「い、いえ、何でもありません……」


 そう口にしながらながらダイキが恨めしげにシキの方を見ると、シキはごめんごめんという仕草でてへぺろしていた。


 それを見て許す気になってしまう辺り、順調にフラグは立てられていっているようだ。


「あまり無駄口を叩くなよ。この先は、特にな」


「この先って……」


 前後左右へと続く広い十字路。


 十字路から先は心なしか輝石の光が薄く見え、道がぽっかりと暗闇に消えている。


「…………っ」


 その光景を見て、初めて『地下迷宮』へと足を踏み入れたカナデとイロリ、ダイキの三人がぶるりと身震いする。


 地の底へと続くのではないかと思われるほどに、閉鎖された空間の暗闇というのは人の恐怖を煽ってゆく。ましてや、そこにアルカンシエルという化け物が潜んでいるかもしれないとなればその恐怖は一気に何十倍にも跳ね上がる。


 輝石の光を闇が喰らい、今にもこちらに襲い掛かってきそうな圧迫感。


 これまで一本道でキョウイチが先頭を歩いていたからさほど恐怖を感じることもなかったが、十字路に出たことで左右に存在する質量を感じさせるほどの『闇』という概念を嫌というほど感じ取ってしまい、三人は本能的に恐怖を覚えたのだ。


 冷や汗が止まらず、呼吸すら忘れた思考は狂気に囚われまるで空に立っているかのように足下が定かではなくなり、闇に飲まれ始める。


 一寸先は――というほどの暗闇ではないが、その奥に何かのうごめきを感じるという妄想。実際はそこにアルカンシエルの姿など存在しない。けれども恐怖という感情はいともたやすく在りもしない存在をそこに幻視させる。


「ぁ…………」


 小さな声が、イロリの喉から漏れる。


 そうして生まれた幻想は、魔術師である三人の想起を得て輪郭を作り始め――


「――カナデ、イロリ、ダイキ君」


 凛とした声で名前を呼ばれて、三人ははっと我に返り、奈落の果てでも視たような顔をシキに向けた。


「……余り視すぎると、良くないの」


「い、今のは……?」


 シキの言葉を引き継いでぽつりと言ったセラに、ダイキが問う。


 今はもう何も見えない闇の先、そこにダイキは……いや、ダイキだけではなく、カナデもイロリも、それだけではなくこの場に居る全員が形を成し始めたアルカンシエルの輪郭を垣間見ていた。


「この『地下迷宮』もそうだけど、『危険指定特区(レッドゾーン)』と呼ばれる場所は全て雨が良く降って《白樹海》の底に封じられた《呪い》が染み込んでいる場所のことを指していて、そういった場所では《呪い》が誘発する恐怖が、精神に干渉してくることが稀にあるのよ」


 普通はほとんどないんだけどね。と続けて言って、シキは天井を見上げる。


 ――旧世界を《崩落》させた、最古の魔術師の放った世界の概念を喰らい尽くす《破滅の因子》の残滓。それが現在の世界、箱庭の楽園であるステラスフィアやそこに住まう人々を壊そうとする《呪い》の根源だ。


 本来ならばアルカンシエルが現れる過程は《白樹海》の底に沈んでいる《呪い》が漏れ出て、《白樹海》に沈殿している様々な概念と結びついて《雨》に混じって地上へと降り注ぎ形を成す。


 その形成の時間として創られるのが空を覆う暗色の《雨空》であり、形成の時間が長いほど、つまり《雨空》の展開する時間が長いほど《白樹海》の概念との結びつきは強くなり、より強固なアルカンシエルの個体が生まれるということだ。


「雨に含まれる《呪い》が恐怖を見せて、恐怖は人の心を惑わせ世界に幻想を生む。普通の人ならそれは大したことはなくて……って言っても狂気に飲まれて狂人になっちゃったりもするんだけど……それよりも魔術師が恐怖に飲まれる場合の方がより深刻な事態を招くことになるんだよね。どうなるかわかる?」


「……恐怖から来る想起による……アルカンシエルの出現ですか?」


 問いに答えたのは青い顔をしたイロリだった。恐らく先の光景を思い出したのだろう。


 染み込んだ《呪い》による干渉があったとはいえ、そこで湧き出た恐怖の感情が、もう少しであの暗闇のような狂気のアルカンシエルを生み出そうとしていたのだ。


「イロリは理解が早いね」


「もしかして……さっきのは、アルカンシエルが生まれかけてたってことなの?」


「……ん。ちょっと危なかった」


「ひぃ……」


「ほら、そうやって見てると出るよ……出て来るよ?」


 大げさに引いて暗闇の奥へと視線を向けるカナデに、シキはあえておどけるように言って見せる。こういうのは注意し過ぎていてはかえって逆効果に成り兼ねない場合が多い。


 恐怖を覚えないように、注意して、注意して、注意してと思えば思うほど穿って見てしまうのが人間というものだ。


「や、やめてよお姉ちゃん! ……殴るよ」


「ご、ごめんなさい」


 真剣と書いてマジと読む声音でぼそりと言われて、シキはパブロフの犬よろしく条件反射で謝った。妹に頭が上がらないのは子供の頃から一緒で、今になっても変わらないようだ。


「しかし、少し迂闊だったな……前に自分が来た時にはそういうことは無かったから、失念していたな……」


「ん……でも、大丈夫」


 悔やむキョウイチの言葉に、セラがそう言って、続ける。


「みんなで居るから、恐怖に飲まれたりなんかしないの」


 そう言われて、ダイキを初めとしてカナデもイロリも目から鱗という顔をした。


「あはは、うん、そうだね」


 シキはくすりと笑って、セラの頭に手を置いて、やさしく撫でた。


「……役得」


「……セラ、そんな言葉どこで覚えたの……ぺっしなさいぺっ」


「お断り……」


 二人のやり取りに周辺の空気が多少だが和らぐ。


 もしもそれを計算して狙ってやっているのならば相当な策士だろうが、


「セラがどんどん汚れてゆく……」


 どう見ても本気で落ち込んでいるようにしか見えないシキの反応からは、計算でやっているなんてことは有り得ないだろう。


「……白姫様は、怖くないんですか?」


 そんなシキに思うところがあったのか、ダイキがそう問いかける。


「わたしはほら、慣れてるから」


 言って笑うシキにももちろん、余裕があるというわけではない。


 けれどもダイキやカナデやイロリと比べると、シキとセラとキョウイチは潜り抜けてきた修羅場の数が違う。


「……そう焦らなくていい。とりわけ今は依頼の事に集中するべきだ」


 自分のふがいなさを悔いる感情の度合いで言えば、一番落ち込んでいたダイキに、キョウイチのフォローが入る。実力的にも一番お荷物なのは間違いが無く、それでなくてもダイキは負けず嫌いなところがある男の子だ。


 だがしかしまさか自分にそんな言葉をかけられると思ってもいなかったダイキは、少しだけ言葉に詰まったものの、先程からずっと先頭を歩いて恐怖を払って来たキョウイチに対して敬意の念を持って「……はい」と、言葉を自分に染み渡らせて誓いとするように重く頷いた。


「……うん、じゃあとりあえず地図の通りに2層へ向かう階段への最短ルートを進むから、ここは右に進むよ」


 その様子を見守っていたシキは、微笑ましい光景に少しだけ頬を緩めてそう言った後、改めて気を引き締め直す。


 初めの十字路までは、肩慣らし程度に過ぎない。


 本当の『地下迷宮』はここから始まるのだ。


 一行は再び、奈落に続くようにぽっかりと空いた闇に向かって、進み始めた。


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