72話
キキョウ遺跡『地下迷宮』第一層。
巨大な扉をくぐり『地下迷宮』へと足を踏み入れると、そこにはうっすらと淡い光を放つ階段から続く広い通路があった。
「……中も、意外と明るいんだね」
光源はある程度確保されていると前もってシキはカナデに言っていたが、それでも実際見てみるまではどういう物かわからないだろうと、あえて大雑把な説明だけしておいたのだ。
だからこのキキョウ遺跡の『地下迷宮』に潜るに至っての荷物の大半は、食糧や野営に関するもので構成されており、光源となるライトの類は少な目だ。
「キキョウ遺跡の『地下迷宮』の通路は、基本的に『輝石』でできているからね」
「えっと……『輝石』って、なんだっけ」
「……世界魔術機構の最初の講義で教えてもらったと思うんだけど。……まあ、『輝石』は発光鉱石って呼ばれる光を放つ石のことだね。キキョウ遺跡の『地下迷宮』の通路のほとんどは、その発光鉱石によって造られているから、明かりが確保されているのはありがたいところだね」
そう言いながらシキは階段を降りたところの付近を見渡すが、そこには誰かが居た痕跡はあるものの人の姿は存在しなく、予測していたとはいえ落胆を隠せない。
「……やっぱり、入り口付近には居ないみたいだね」
目的はあくまで、《騎士団》の調査隊の追調査。入り口付近に居たならば、扉が開いた音で階段を上がってきて居てもおかしくなかっただろうが、扉自体も何の不備もなく開いたのだ。中に閉じこめられていたという線はこれで跡形もなく消えてしまった。
キキョウ遺跡が元々聖域と呼ばれていたことからか、入口付近には『地下迷宮』内のアルカンシエルも比較的近寄らない傾向にあるので、一番生存率が高い可能性を考えればここで見つかることだったのだが……そう簡単にはことは進まないようで。
「居ない……か、予定通り奥へ進むしかないようだな。カナデ」
「は、はい」
キョウイチに促されて、カナデはキョウイチと並んで先頭に出る。
それは、昨日のうちに話し合い決めていて、朝になって突如追加されたイロリを加えてアレンジされたキキョウ遺跡の『地下迷宮』を探索するにあたっての隊列だ。
キョウイチとカナデが前衛。セラが中衛で、その後ろにダイキとイロリが並び、最後にシキが殿を務める
魔導騎士であるキョウイチとカナデが前衛を勤め、引きつけているうちにセラや、イロリが殲滅する。ダイキはまだ魔術師として駆け出しもいいところなので、終始フォローに回ってもらうことになっていて、バックパックとしての役割も兼ねて荷物の多くも彼に預けられている。体力面で少し不安が残るが、そこはまあ頑張ってもらうしかないだろう。
アルカンシエルが複数居る時や、危ない時などはイロリがフォローに入る手はずとなっているので前から襲われた場合の対処はそこまで心配はいらないだろう。
問題は後ろからの奇襲、強襲を受けた場合の対処だ。途中までは一本道なので心配要らないとしても、少し進むと分かれ道があり、第二層へ向かうには十字路もいくつか超えて進む必要がある。
見敵必殺で進むことが出来れば良いかもしれないが、相手によっては時間がかかることもあるだろうし、そういった時に後ろから奇襲、強襲を受けては目も当てられない。
初めはキョウイチを前衛にして、カナデを後衛にするという意見も出たが、まだ実戦経験の少ないカナデに戦線を維持できるかどうかに不安が残る。
それ故に、シキが殿を務めることになったのだ。
軽く行った連携訓練の際にも見せたが、シキの使うことが出来る言語魔術……【不滅の灰】は持続時間にこそ難があるものの、魔導騎士並みの機動性、創成魔術をほぼ無詠唱で放てる即効性、それも三節程度までの致命傷を与えられる威力を兼ね備えており汎用性が高く、非常事態への対応力に優れている。
後ろから襲われた場合、基本的には魔導騎士の役割と同じく、戦線を維持してセラやイロリによる殲滅を主とする作戦ではあるが、もしも前後で挟まれた場合などで手が回らない場合、その能力をフルに生かしての一騎当千の役割を担っている。
「さてと……鬼が出るか蛇が出るか……本当に出られたら困るけど」
蛇くらいなら良いが、鬼ともなると確実に《幻想種》のアルカンシエルだ。
現実に存在する生物を模した《現種》。
様々な生物の外見を吸収した、所謂キメラのような姿をした《奇種》。
そして空想や幻想にしか存在しない、万物を超越した存在、竜や鬼などといった《幻想種》。
基本的にアルカンシエルの個体の強さは、後者へ行くほど強くなってゆき、特に《奇種》と《幻想種》の間には越えられない壁が存在する。
どれほど大きくて強い膂力を持っていたとしても、《現種》の場合、所詮は物理法則の中での強さに過ぎない。《奇種》に至ってもそうだ。外見が歪だったとしても物理法則の範囲内でしかなく、内包する《呪い》の特性にさえ気を付けていれば、初見でも被害無く討伐することが出来るだろう。
けれども《幻想種》というアルカンシエルは違う。
物理法則すら超越した無慈悲な死を周囲にまき散らす存在。
見つければ即座に逃げを打ち、それでもなお死人が出るだろうと言われるくらいの正真正銘の規格外の化け物だ。
「……ねーさま、それふらぐ」
「あはは……洒落にならないね」
先ほどの仕返しか、セラがそう言ってじと目で見てくるのを、シキは苦笑しながらやんわりと受け流す。
キキョウ遺跡の『地下迷宮』の通路はかなり広い。横幅はシキが両手を広げた6倍ほどあり、高さも似たようなもので具体的に言うならば十メートル四方ほどの広さがある。
何故こんなに広く造る必要があったのかは不明だが、ある程度の大きさのアルカンシエルならば余裕で動き回ることが出来る広さではあるし、途中には広い部屋のようなフロアもある。
万が一、外にアルカンシエルが出て行くのを防ぐ為に扉が閉まるのを確認したシキたちは、キョウイチとカナデを先頭に、輝石によって薄く光を放つ不思議な感覚を覚える『地下迷宮』の通路をゆっくりと進んでゆく。
場所が場所でなければ、さぞ名所として人がやってきたことだろう。
「……白姫様は、前に『地下迷宮』に潜ったことがあるんですよね」
「うん、まあ、ね」
ぽつりと放たれたダイキの問いに、シキは言葉を濁して答える。
「でもその時のことはあんまし参考にはならないかな」
「そう……なんですか?」
シキが『地下迷宮』を探索した時はキョウイチも一緒に来ていたが、けれどもその時の記憶をキョウイチは覚えていない。
「……前に来た時は、ねーさまがまだ治癒の魔術を使えた時だから多少は無茶が出来たの」
「ゲームで例えるなら、パーティに回復役が居るか居ないかの差だからね……」
治癒の魔術は言語魔術について研究を積み重ねていて、数多くの魔術師が存在するミラフォードでも未だ実現不可能な魔術である。
かつてはシキが唯一の治癒の魔術の使い手ではあったが、それはアリスの模造として創られた身体でステラスフィアに存在していたシキが、《白樹海》の中のアリスとパスが繋がっていて言語魔術を使うことが出来ない副産物として手に入れた力であり、それを失った現在ではどうあがいたところで使うことが出来ない魔術だ。
「それに頼って慢心しちゃうと危険だけど、いざと言うときの保険があるのと無いのとでは、かなり違うからね。だから参考にならないってこと」
「なるほど……」
頷くダイキを見ながら、シキはふとキョウイチはどう思っているのだろうかと考える。
カナデは微妙に話が気になっていたのか聞き耳を立てていたが、シキの位置からではキョウイチの表情はうかがえない。
……実のところキョウイチはシキの話と自分の記憶を重ね合わせて、シキの言葉に信憑性を感じてはいるのだが……けれども最初にシキに強く当たってしまったせいもあって、正直気まずいと思い嫌煙してしまっている。
キョウイチにとって異性と接する機会というのは姉であるキリエとばかりで、他の時間は、とりわけステラスフィアに来てからはほとんどを己の修練に架して生きてきた。
だからこそ、シキという見た目は完璧な美少女にきつく言ってさらには泣かせたりしてしまったということで、接し方に戸惑っているのだ。
……これが戦いならば、迷わずともいいんだがな。
心の中で苦笑いしながら、キョウイチはそんなバトルジャンキーなことを考える。
戦場では一瞬の躊躇いが命取りになる。
踏み込みの迷いが己の仲間の危険を招く。
シキが言っている記憶に思い当たりがあるというのに、肝心の彼女のことは思い出せない。癒しの天使アンジェが現れて傷を治す奇跡を起こしたという、酷く整合性の無い記憶。だというのにそれを当たり前のように受け入れている自分。不愉快なもやもやが、キョウイチをさらに惑わせる。
「……いかんな」
「?」
「いや、なんでもない」
こんなことではいけないと思い呟いた言葉にカナデが疑問符を浮かべるのを見て、キョウイチはそう言って、今は通路の先へと意識を集中させる。
「――止まれ!」
そしてその先、薄く光を放つ輝石によって照らされた通路の奥。
ギチギチと歯を噛み合わせるような音が微かに聞こえ、キョウイチは強く言って警戒態勢を敷く。
「イロリ!」
「はい! 《紅蓮を纏う巨人の弓矢よ!》」
シキが名前を呼ぶと同時にイロリは外套の中から《魔導書》を一冊引き抜き、そこに描かれた一節を読み上げる。
彼女の周囲に炎の矢が5本、浮かび上がり一拍の間を空けて撃ち放たれた。
放たれた炎の矢のうちに4本が奥の壁へと突き刺さり、1本がそこに居たアルカンシエルへと命中して燃え上がりながら周囲を照らす。
「うぇ……」
照らされた姿を見て、シキは苦虫をかみつぶしたように眉を顰めてうめき声をあげる。
ギチギチギチギチギチギチギチ。
黒く、そして鈍く光る外郭。その一部だけが赤く彩られた、炎の矢を受けてまったく怯む様子の無い全長三メートルはあろうかという蟻。それが二体並んでつるりとした闇の中に炎の赤を宿した瞳でこちらを見ていた。
「蟻の《現種》の《赤》、か……」
「ん……。セラの出番」
目配せだけでセラはシキの意を汲んで、詠唱を始める。
「キョウイチとカナデはあまり深入りしないように、距離を取って対処ね!」
シキの声に、キョウイチは背負った大剣を手に取り笑う。
……こういう方がわかりやすくて良い。
「さあ来い。細切れにしてやろう」
カナデすらも置き去りにして、向かってくる蟻のアルカンシエルへと斬りかかるキョウイチの背を見送って、シキは呆気にとられてぽかんとした表情を浮かべる。
「あ、あれー……?」
深入りしないようにって、言ったよねわたし……?
……けれどもややあって結果だけ見てみると、キョウイチが有言実行で一匹を細切れにし、もう一匹はカナデが引きつけている間にセラの氷の言語魔術で難なく圧死。
満足そうに頷くキョウイチを見て、シキは複雑な気持ちになりながらも何も言うことが出来なかったのだった。




