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忘名のステラスフィア  作者: 霧島栞
二幕
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71話

二幕後半、よろしくお願いします!

 キキョウ遺跡の周囲は岩石地帯となっており、緑の平原の中にいくつもの岩石が無造作に転がっており、いつの時代の誰が積んだのかもわからない背の低い岩壁がいくつも重なり合って来訪者を迎えている。


 遥か昔に整備された痕跡は見られるものの、むき出しのままとなっている岩々にはところどころに苔が生えており、その事実が、このキキョウ遺跡が他の土地とは異なり特別なものであることを証明していた。


 建造物や岩に苔が生えている、ということは、この周囲には頻繁に雨が降るということだ。


 リインケージにある有志による団体の観測によれば、その頻度はおよそ二週間に一度。


 キキョウ遺跡の上空、及び周辺には定期的に雨が降り、けれども《アルカンシエル》が地上に現れることはほとんどない。


 地上に《アルカンシエル》が現れるケースも希にあるが、そんなものは数年間に一度程度の誤差でしかない。


 では雨が降ることによって現れる異形の化け物……《アルカンシエル》がいったいどこに現れるのかというと、それはキキョウ遺跡の地下にある迷宮の中だ。


 三大都市でたびたび議論の対象となるキキョウ遺跡の『地下迷宮』は『危険指定特区(レッドゾーン)』に認定されている、ステラスフィアでも数少ない場所の一つだ。


『死霊の砂丘』『白銀雪原』『焔空洞』そして『地下迷宮』。


 ひとたび足を踏み入れればそこから先の命の保証は無く、これまでに数多くの探索隊の人々の命を無慈悲にも葬り去っている、ステラスフィアの魔窟。


 先に述べた三つに比べれば入口が魔術によって封印されているので危険度は低いが、それでも中に足を踏み入れれば、ほぼ無事に帰ってくることは出来ない。


 それ故に、ステラスフィアの住人全員に忠告する意味を込めて、世界魔術機構を中心とした中立魔術都市ミラフォード。文化都市リインケージ。機工都市エイフォニア。その三大都市によって『危険指定特区』と定められたエリアなのだ。


「……何でかなぁ、すごく静かだね」


 そう言ったのは、恐る恐るという感じに周囲を警戒しながら歩いていた、腰に刀を差した和服姿の少女、カナデだった。


 銀髪に黒い瞳。一行の集団の中では一人だけ異彩を放つ格好をしているだけに少々浮世離れしている雰囲気が感じられるものの、生来のその明るさによって神秘的な要素が中和しながら人懐っこい笑みを周囲に振りまいている。


 キキョウ遺跡の地上部分、広大に建ち並ぶ巨大な石造建造物は、地球ならば世界遺産となっていてもおかしくないくらいに壮麗に美しく鎮座している。


 遙か昔に作られた石造の神殿。朽ちた聖域。


「ん……キキョウ遺跡は、『聖域』だから」


 青い髪の、小柄な少女……セラがぽつりとカナデの言葉に返事を返す。


 ステラスフィアには存在しない青空のような髪の色に、同じく青い瞳。フリルの付いた袖の長いブラウスと、これも長めのスカートに身を包んでいる姿はお人形さんのようで、出来ればそのままショウケースの中で飾っておきたいくらいのかわいらしい見た目をしている。


「『聖域』?」


 カナデの言葉に、セラは小さく頷いて返す。


 セラが先ほど言った通り、キキョウ遺跡は元々神殿だった名残なのか、《アルカンシエル》や《色無し》が棲みつきにくい。


 詳しい理由はわからないが、キキョウ遺跡の地上には、滅多な事では《アルカンシエル》も《色無し》も確認されることがない。


 それ故に付近では避難所としても活用されているキキョウ遺跡だが、そもそもキキョウ遺跡近辺に人が寄ることはあまりないのでそれも余り意味を成していないが。


「確か……そういった『聖域』であるキキョウ遺跡があるから、《色無し》とかがリインケージに流れやすくなってるんでしたよね」


 そう続けたのは、目立つ金髪とは対照的に、少年らしい少し高めの声の少年。ダイキだ。


 元々は粗忽な少年ではあったが、少し前の《黒影襲撃》の事件以来、ダイキは口調を敬語にシフトし、まさに心が入れ替わったかのような真面目な少年となっている。


 魔術師としてはまだまだ下の下程度なので頼りないところはあるが、それを補おうと色々勉強しているところらしく、今回もその聞きかじった知識を披露していた。


「そうだな。一応は『地下迷宮』のアルカンシエルを警戒しているという面もあるが……そういった理由が主だ」


 それに答えたのは黒髪の青年。大きな剣を背負った練達の剣士の風格を持っている男性。キョウイチだった。


 魔導騎士であるキョウイチは近接戦闘では比肩する者が少ないほどの手練れで、元々はシキの部隊の一員だったが、先にもあった、ミラフォードを襲った《黒影襲撃》の時に、シキが一度死んでステラスフィアを覆う概念の海である《白樹海》へと落ちたせいで、キョウイチはシキのことを忘れてしまっているのだ。


 岩石地帯を抜けて、巨大な建造物の中を進みながら一行は言葉を交わしてゆく。


 石造りの神殿の天井にぽっかりと空いた穴から空高くに浮かぶ浮遊大陸が見え、ところどころ風化して崩れてしまっている隙間からは溜まっていた雨の水が音を立てて流れ落ち、飛沫をあげながら光を弾いている。その風景は幻想的で、初めてキキョウ遺跡に来る面々がちらちらと目を奪われてしまうのも致し方ないだろう。


 ある詩人は、このキキョウ遺跡のことをこう詠った。


 ――キキョウ遺跡の地上と地下は表と裏。まるで終に佇む天国と地獄のようだ。と。


 大抵の者はキキョウ遺跡の内部を見たことがないだろうから、噂や文献の又聞きによって想像されただけの空想話に過ぎないのかもしれないが、少数の魔術師だけがその空想があながち間違いではないということを知っている。


「さて……着いたね」


 馬車を降りてから歩くこと数十分。『地下迷宮』の入り口前までたどり着いた一行を代表するように巨大な扉を前にしてそう言ったのは、透き通るように真っ白な髪を揺らして、僅かに握る手に力を込める女の子……元々は男だったのだが、色々あってすっかり女の子が板についてしまっているシキだった。


 普段は笑顔を心がけているバランスよく整った相貌も、今は鋭く狭められており、意志の強そうな瞳で扉を凝視していた。


 シキ達は、十日ほど前にキキョウ遺跡の内部を探索しに行ったきり戻って来ないリインケージに駐在する、名目上は世界魔術機構の嘱託魔術師の部隊である『騎士団』の調査隊を追調査する為にやってきたのだ。


 ……でも、よく考えると少し不自然だよね。


 ここに来て、シキは頭の隅にずっと引っかかっている疑問を掘り起こして思考する。


 総合依頼斡旋所ラインの職員であり、今回の依頼の主となる女性、コトコが言うには、『騎士団』はキキョウ遺跡の『地下迷宮』の《アルカンシエル》が怪しい素振りを見せているから調査に来たと言っていた。


 何もコトコを疑う訳ではない。彼女の父が『騎士団』の調査隊のメンバーに含まれており、その救出を切に願っているというのは恐らく本当だろう。彼女の訴えは、どう見ても本気のそれだった。


 だからシキが気になっているのは、また別のところだ。


 ……そもそも何故、今のこの時期にキキョウ遺跡の調査を行ったのか。


 キキョウ遺跡の『地下迷宮』に棲むアルカンシエルの動きが怪しかったから……それは確かに理由に成り得るかもしれないが、どうにもそれだけでは弱すぎる。


 空に浮遊大陸が浮いていてどんな危険があるかわからないと言うのに、わざわざ今の時期にその判断をするというのはもっと何かしらの理由が必要ではないのだろうか。


 ……考えすぎかな。


 考えてもらちが明かなさそうだったので、シキは一旦思考を遮断して後ろに居る皆に振り返る。セラ、カナデ、ダイキ、キョウイチ、そして、


「……あの、本当に良いの?」


 もう一人、キキョウ遺跡へと向かうに至り、自分も一緒にゆきたいと自ら志願した女性に向かって、躊躇いがちに言葉を向ける。


「……キキョウ遺跡の『地下迷宮』に行くと知ってたら、連れていってくださいなんて言いませんでした……」


 ……ですよねー。


 鬱蒼とした面持ちでそう言ったのは、セミロングの黒髪をサイドでくくっている、眼鏡の似合う黒い外套を羽織った女性。


 イロリ=コノハナ。


 リインケージの『リインカーネーション大図書館』の《魔導書》を管理する、普通の魔術師とは異なる特殊な才能を持った《属性無し(イレギュラー)》と呼ばれる魔術師でありながらも、その魔術を公開し開け出すことを厭う、何よりも平穏を好む女性だ。


 そのはずなのに、何故彼女がシキ達と共に行動を共にすることになったのかというと、それには理由がある。


 ステラスフィアを構築する際にこぼれ落ちた概念の集積体である《白樹海》に落ちると、《白樹海》に概念を全て奪われて、元から存在しなかったことにされる。

誰からも忘れられて、その人が居たという痕跡すらも全て掻き消えて無かったことにされてしまうのだ。


 では、そうして忘れられ、世界から抜け落ちた記憶や痕跡を何で埋めるのか。


 そこで生まれるのが《噂》や《逸話》、そして《神話》といった記憶の代替品。

世界による歴史の補完だ。


 その人が世界に残した痕跡によって《噂》程度で留まることもあれば《逸話》として多くの人に語られることになることもある。


 ましてや《神話》となると歴史をひもといてもこれまで、ステラスフィアには二つしか存在しない。


 そのうちの一つが過去二年に渡って、癒しの魔術を使い人々を助けて来たシキ=キサラギの世界の記憶が神話化した『癒しの天使アンジェ』の《神話》であり、これがシキを困らせることになっている問題なのだ。


 普通ならば知られざる歴史や紐解くことの出来ない史実は《逸話》や《神話》として流布され、やがては忘れ去られてゆくものだ。


 けれどもシキの場合は《白樹海》に落ちて戻ってきてしまったせいで《神話》に記された『癒しの天使アンジェ』と『如月白姫』という存在が二重存在となってしまっている。


 シキが誰かや何かに影響を与えると、それがステラスフィアに存在する《星神教会》の聖典である星書に、本人の意思も関係なく記されてしまうのだ。


 それだけでもシキにとっては致命的な問題で、ついこの前も、寝ぼけたシキがセラと同じベッドで寝て居るところをコトコに見られたせいで、癒しの天使アンジェが百合天使だという記述が増えていてシキは頭を抱えて苦悩したものだ。


 周りからすればシキのこととはわからないかもしれないが、シキ本人からすればそんなことは些細な問題だ。自分の行動がふとした拍子に筒抜けになるのは、さすがに洒落にならない。


 それだけでも厄介な問題なのに、過去に例の無い二重存在となってしまっているシキが、以降世界にもたらす影響は未知数なのだ。


 それを何とかする為に《魔導書》のエキスパートであるイロリ=コノハナに『如月白姫』の《魔導書》を創って貰うことを依頼したのだが、イロリは最初それに難色を示し、一度は断られてしまっているのだ。


「でも、本当に危険だから、無理しなくてもいいんですよ?」


「……いいえ。一度ついて行くって決めましたから、今更言葉を引っ込めるわけにはいかないです」


 出発の直前になって、旅支度を済ませたイロリがシキの前に現れて言ったのだ。


 シキが《白樹海》に落ちて世界に忘れ去られたということが本当かどうか、またシキと自分が元々知り合いだったということが本当なのかどうか。行動を共にして判断するとそう告げたのだ。


 元々友人だったイロリが自分を知ろうとしてくれていることに、シキは感動を覚えて歓迎したいところではあったが、その道連れの行先がキキョウ遺跡の『地下迷宮』というのが何とも間が悪いことだった。


「でも、」


「大丈夫です。秘蔵の《魔導書》も数冊、持ってきているので」


 出来れば危険な目にあわせたくないと思い言うシキに、イロリはそう言って苦笑しながら外套の下の腰の部分に吊っている凝った装飾の本をちらりと見せる。


 イロリの覚悟は硬いようで、こうなってしまってはテコでも動かないのを知っているシキは諦めるしかない。


「……いざとなれば、撤退すればいいの」


「セラ、それ死亡フラグっぽいから……」


「……そうなの?」


「そうならないことを祈る限りだけどね」


 首を傾げるセラに和みながら、シキは言って大きく息を吸って、深く吐く。


「それじゃあ、行こうか」


 ここでぐずぐずしている訳にもいかない。


 中ではもしかしたらまだ、『騎士団』の生き残りの人が居るかもしれないのだ。


 皆が皆一様に真剣な表情で頷いて、そして『地下迷宮』への扉が開かれ始めた。


 まるで冥府へと続く門のように、地の底から響く重々しい音をたてながら。

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