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忘名のステラスフィア  作者: 霧島栞
二幕
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70話『幕間』

 地の底のように暗い小部屋の中で、一人の人物が息を殺して身を潜めていた。

認識出来る時刻はまだ昼過ぎのはずなのに光が全く差し込まないその小部屋の中は、周囲の様子を見ることはおぼつかないくらいに完全な闇だった。


 小部屋の外を含めて人の気配はまったく無く、物音と言えば息を潜める人物の小さな小さな呼吸音と、体勢を替えたときの衣擦れの音だけだ。


 自分が発する音以外は一切存在しなく、かつ完全な闇の中。


 その人物は闇の中で、既に一週間近い時間を過ごしている。


 人にとって視覚による認識とは、自分を世界に繋ぐ鍵の一つである。


 自分の手足すらも見えない、自己の輪郭を認視することが出来ない状況というものは時間の経過と共に自身の存在を希薄にしてゆき、思考にうっすらとした霧をかけてゆく。


 自分が闇の一部になってしまったかのように、思考と自己の境界が曖昧になってゆく感覚、と言えば分るだろうか。


 例えば、落盤事故にでも巻き込まれて暗闇の中でずっと過ごさなくてはならなくなった場合など、脳髄がどろりと溶けだしたかのように思考に靄がかかり、冷静な判断を下すことが出来ず、歪んだ思考は狂気へと羽ばたき、蛆のように溢れ出た狂気は次第に自我を崩壊させてゆきやがては精神が闇と同化し壊れてしまう。


 だからこそ。


 ……本当に、損な役割を押しつけられてものね。


 無為にしか思えない過ぎ去っていく時間に僅かな苛立ちを覚えながらも、静かに彼方を『見て』いる女性は、その任務に適任すぎる人物だった。


 暗闇の中で無造作に手を伸ばし、彼女はそこにある携帯用の固形食料を手にとってかじる。


 光が無ければ何も見ることが出来ないはずなのに、周りに何があるのかを把握しているように振る舞う彼女は、実際に周囲の空間を全て把握しきっているのだ。


 世界魔術機構に所属する嘱託魔術師で、《千里眼》の魔術を行使して永遠の闇の中でさえ世界を認識する女性。クラリッサ=フィアーゼ。通称クレア。


 かつてシキの仲間だったキョウイチとカナデに、当人の監視の任務が下されたように、クレアにも別の任務が与えられていた。


 クレアに与えられた任務は、ある情報の収集だった。


 世界魔術機構の存在する中立魔術都市ミラフォードで黒い影のアルカンシエルが暴れまわっていた事件は、ミラフォードに住む人々にとってはまだ記憶に新しいだろう。


 これまでの例を逸脱した、雨も降らずに現れた不可解なアルカンシエル。


 レインが独自に入手したというその黒幕の動向を探る為に、クレアは機工都市エイフォニアにある会議所の地下に潜伏していた。


 そしてそこから《千里眼》の魔術を使い、様子を見ながら先の事件の黒幕……チェン=リュウという男が姿を現すのをじっと息を潜めて待っているのだ。


 最初にクレアは研究主任である彼の動向を探るならば直接彼が研究主任を務める研究所を調べればいいのではないかと意見したが、けれどもどうやら彼の周りには機構には所属していない魔術師が存在するらしく、それはまずいということで会議が行われる建物の地下室に潜伏して機を待つことになったのだ。


 しかし、さすがに一週間近くともなると集中力が持たなくなってくる。


《千里眼》はかなり特殊な魔術で、言語支配域を介して情報を読み取ることによって、目で見ずとも世界を把握することが出来るようになる魔術だ。


 シキが使えるようになった【灰色のドレス】が言語支配域の圧縮だというならば、クレアの使う《千里眼》はその逆。言語支配域の解放に近い。


 言語支配域を拡大し、薄く展開することでその言語支配域の内部の情報を認識することが出来るということで、最大観測距離はおよそ2キロメートル。500メートル以内ならば言葉すらも観測することが可能である。


 と、そう聞くとかなり便利な魔術であるように思えるが、しかしこの《千里眼》による観測というのは、魔術師ならば誰にでも察知されてしまうものなのだ。


 言語支配域内の事象を把握する為に、常に魔術を行使し続けているという性質上、相手の魔術師の言語支配域と《千里眼》を展開中の言語支配域とが重なった場合、かなりの違和感を覚えるのだ。


 一般人や《色無し》やアルカンシエルならばまだしも、魔術師に対する監視では普通の《千里眼》で見ていては十中八九看破されて相手の言語支配域によって弾かれてしまう。


 そんな厳しい条件の中、クレアがレインに渡された任務は二つある。


 ミラフォードに敵対行為を働いたのがエイフォニアという都市の総意なのかどうか。


 もう一つはチェン=リュウが何かたくらんでいた場合はその内容の確認と、速やかな報告。


 後者については出来るならばその計画の妨害及び阻止も視野に入れること、と言われていたが、それはもうクレアの中では選択肢に入っていない。


 潜伏した初日ならまだしも、一週間近くも潜伏しているとなれば疲労から来る衰弱でまともな破壊工作など行えるはずもない。ましてや隠密行動が必要になる為、愛銃の2.78Var狙撃銃カスタムをもっていないのだから尚更だ。


 ……証拠を掴んで報告するとか、いつからあたしはスパイになったんだろうねぇ……。


 そう思い溜息を一つ零した直後、ガチャ……カツ、カツ……という扉が開く音と靴音が聞えてきて、クレアは意識をそっちに集中する。


 ……っ! 来た!


 各々が席へと向かい、椅子を引く音がいくつも聞こえてくる。


『……さて、今日はこうして集まってもらった訳だが……その理由は理解しているかね』


 全員が席に座ると同時に、どこか切迫しているような老人の声が聞こえてきて、クレアは会議室の隅ににギリギリ届くように展開していた《千里眼》の維持に集中する。


《千里眼》の範囲を広げて、音声だけじゃなく彼らの姿も確認しておきたかったが、不用意なことをして気付かれてしまっては潜伏していた意味が無い。そこはぐっと堪えて音を拾うことだけに留める。


『さて、どうだかな』


『……ふざけるのも、いい加減にしてください』


 怒気を孕んだ若い男の声が、白々しい口調の男の声を諌める。


『今回の件にアナタが関わっているのは調べがついているんですよ、チェン研究主任』


 出てきた名前に、クレアは息を飲む。


『俺はいつだって真面目だ。机上で言葉をこねるだけのお前さんらとは違ってな』


『招集にも顔を出さずにいて、やっとのことで顔を出したと思ったら……っ! どこまでふざけた台詞を――』


『落ち着け、フェルティ少将』


『っ……ぐっ』


 声に聞き覚えはないが、低い声で言ったその男はどうやらかなりのお偉いさんらしい。少将と呼ばれていた若い男が押し黙って、張り詰めた沈黙が訪れる。


『……チェン研究主任。まずキミには先の事件についての説明を要求する』


『は、まるで異端審問だな』


『そう感じるのはやましい所があるからではないのか?』


 老人の声に、チェンは喉を鳴らして笑う。


『クク、そんなことはないが、そう言ったところであなた方は納得しないんだろ? ならば何を言っても同じだな』


 あくまでも不遜な物言いに、クレアは違和感を覚える。


 それに彼らが喋る言葉には、どこか何かを気にしているような、そんな節が存在する。


 ……まさか、気が付かれている? 


 けれどもその思考を論理が否定する。クレアが覗き見ていることを知っているならば、わざわざチェンに詰問などせずに話を引き延ばし、その間にのぞき見ているクレアを捕える為に動くはずだ。


 ……先の事件は、エイフォニアの総意ではないと見て良さそうだけど……。


『まさかとは思うが、話っていうのはそれだけか?』


 糾弾されているとわかっているだろうに、何ら態度の変わらないチェンに、クレアは妙な予感を覚えてこのまま盗聴を続けるかどうか考える。


 二つの任務のうち、一つは既に達成している。


 もう一つの方もこのまま聞き続ければ尻尾くらいは掴めそうなものだが、どうにも嫌な予感がこびりついて離れないのだ。


『チェン研究主任。キミは自分の立場が分かっているのかね? 都市の利益になるからと研究を支援してはいるが、こちらとしては援助を打ち切っても構わんのだぞ』


 クレアが躊躇っているうちに、低い声の男が静かに告げる。


『そいつは困るがな。だがこちらとしても、今ここで話すわけにはいかないんだ。なんせ……レーデ?』


『――はい。今、この部屋は盗聴されています』


「――っ!?」


 起伏のない少女の声は、明確な意思をもって部屋の片隅……《千里眼》の魔術の方へと向かって向けられていた。


 ぞくり、と背筋に悪寒を感じて、クレアは咄嗟に《千里眼》を解除する。


「しまっ……」


 解除してしまってから失態に顔を顰めるが、時はすでに遅し。


 真っ暗な闇の中でクレアの漏らした声が響く。


 ……どうして! 意味がわからない!


《千里眼》を展開中の言語支配域に誰かの言語支配域が重なった時、相手がそれを察知できるように、クレアの方からも誰かの言語支配域と重なったことを察知することが出来る。


 だから相手の言語支配域に干渉してしまったのなら話はわかるが、だが今回はそんな気配はまったくなかったのだ。


 一瞬だけ、エイフォニアで造られているという盗聴器などの可能性も考えたが、先の声は明らかに自分向けられて発せられていた。


 それはこれまでの経験からすれば、絶対にありえないことだった。少なくともクレアが《千里眼》の魔術が使えるようになってからは初めてのことだ。


 有り得ないことが起こるという事態に真っ先に思い至ったのは先の黒い影のアルカンシエルだった。


 先の会議室に居た面々が何やら気にしていた様子だったのは、恐らくは先ほどレーデと呼ばれた少女だったのだろう。


「っ……引き時ね……っ!」


《千里眼》を展開し直して立ち上がったところで、クレアは予想以上に悪化した事態を知る。


「なっ!?」


 ……いくらなんでもこれはあまりにも早すぎ、


 悲痛な叫び声と絶望に染まる思考。


 扉が開かれたのは次の瞬間だった。


「……《千里眼》。クラリッサ=フィアーゼですね」


 現れた人物に有無を言わせぬ抜き撃ちで、クレアは二丁の拳銃から魔術が刻印された弾丸を撃ち放つ。魔導騎士でも無ければ……いや、魔導騎士であったとしても間髪入れずに放たれたその弾丸をかわすことは容易くはないだろう。かなり前の話ではあるが、魔導騎士であるキョウイチにすら勝ったことがあるクレアの未来予知にも届き得る相手の動きを予測した上での早撃ちはしかし、


「――捕縛します」


 ふっ、と……放たれた弾丸は虚空を貫き、唐突に耳元から聞こえた声と衝撃に、クレアは反応することすら出来なかった。


「……ぐっ!? ……ぁ……」


 倒れる刹那。クレアが《千里眼》で見たのは崩れ去る自分を無表情に見下ろす淡い亜麻色の髪の少女で。


「……任務完了」


 呟いた少女の声は、どこまでも無機質に小部屋の中の空気を震わせ、闇の中に消えて行った。


 そして、クレアの意識は闇よりも深い闇の中へと、落ちて行った……。


第二幕前半終了です。


お読みいただきありがとうございます。

よろしければ引き続きお読みいただき、出来れば読者が楽しめる物語を作って良ければと思う所存です。がんばる!

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