6話
「……視線感じる」
機構までの護衛を終えて、広い第二修練場に仮設された檀上で機構について説明をするレインからは少し離れたところに整列しているシキは、本来注目される立場ではない。
何より戦力で言えば一般人と大差ないシキは、護衛というよりは部隊の一員として仕方なく整列しているといった感じなのだ。
レインの護衛のメインはあくまでも檀の横に立つキョウイチと、彼の姉キリエである。
キョウイチは魔導騎士で、派手な魔術は扱うことが出来ないがその分近接戦闘では右に出る者が居ないくらいの手練れ。キリエは防御の魔術に特化した、攻撃的なキョウイチとは対照的に守りを専門とした魔術師だ。
二人は姉弟ということだが、ぶっちゃけあまり似ていない。
キョウイチは180センチほどもある長身で無愛想そうな顔立ちに対して、キリエはシキよりも高いものの身長は165センチ程度でおっとりとしたたれ目な顔立ちだ。
苗字が同じでなければ誰も二人が姉弟だと気が付かないだろう。
しかしそれはともかく、皆がシキに注目しているのはやはり先のデモンストレーションによるものだ。
レインの説明を受けながらも、皆ちらちらとシキを眺めている。
「ほれ、そこの。ちゃんと聞いておかんと、後々困ることになるぞ?」
そんな様子を察して、レインは適当な一人に当りを付けてそう言う。
言われた黒髪の少年はびくりと反応した後、ばつが悪そうに地面に視線をさまよわせた。
他の者も次に自分が注意されてはマズイと思ったのか、露骨に視線を逸らしていく。
シキはレインにありがとうございますと心の中で言葉を送り、整列する今期の魔術師候補生に目を向ける。
やや横広の十列に並ぶ魔術師候補生たちのほとんど十代から二十代にかけての年齢の者ばかりで、男性と女性の比率は7対3くらいで定例通り男性の方が多い。南平原からここまで歩いてきただけなのに疲れた面持ちの者が多いのも毎度のことだ。距離にして五キロほどはあったということもあるが、何より気疲れも大きいのだろう。
異世界に来て右も左もわからない状況。集められた人たちも地球からの同胞とひとくくりにすれば聞こえはいいが、実際は見たことも話すこともほとんど初めての者ばかりだ。
それでもレインの話に一部を除いてちゃんと耳を傾けているのは、自分たちのこれからの衣食住に関する説明が行われているからで、中にはメモを取る者が居たのが意外と言えば意外ではあった。
……初日から順応性が高いなぁ、とシキはひとごとのように思う。
一番初めにやってきたシキたち二百人の先遣隊は大変だった。
異世界に来て右も左もわからずあてもなければどこに行けばいいのかも不明。話し合って近くに見えたミラフォードへと向かったが不安で足並みが乱れて門までたどり着いた時には日が落ちかけていた。
使われている共通の言語が日本語だったことで言葉が通じることに安堵したのは良いが、どこから来たのか、あなたたちは何なのか、何に目的できたのか、ミラフォード側からすればいきなり二百人もの異世界人がやってきたのだ。怪しいことこの上ない。結局その日の交渉ははかどらず、何の用意もないまま門の外で一晩を過ごし、翌朝やっと世界魔術機構からの使者が来て何とか話を取り付けるも、異世界から来たなどという言葉を鵜呑みにするほど向こうもお人好しではないし、本人たちが言う魔術の適性があるのかどうかも疑わしい。結局二百人もの自称異世界人をどう扱うかということで揉めることになり、その後も手探りであれだこれだと浮上する問題を解決してゆくのに多大な労力を支払うことになった。
特にシキは、男の身体から女の身体になり勝手が違う状況で振り回されることになった分、余計に大変だった。
しかしその点、今回の百人はかなり恵まれている方だ。
魔術の才能があるとわかっており、実績も前例がある。次にいつやってくるのかがわかってさえいれば機構としても受け入れの態勢を整えることも容易だ。
もっとも先達の苦労も知らずに恵まれた状況での懇切丁寧なレクリエーションに耳を傾ける彼らは露と知らないこと。所詮は詮無きことに過ぎないが。
それに、と、シキは今回来た百人の『髪』をざっと見回す。
シキたちに続いて半年後。
つまり二度目にステラスフィアにやってきた人のとある変化を不思議に思った時のこと。
二度目に来た彼らは何故か髪の色がまちまちだったのである。
基本的には日本人から選出されて送り込まれる人々は、当然のごとくほとんどが黒髪のはずだ。けれどもなぜかやってきた者達はその大半が実にカラフルな髪の色をしており、当人達に聞いたところ、なんでも究明が進み、髪の色くらいなら転移の時に変更しても問題が無いことがわかっただとか。
そしてそれは今回の百人もその例にもれず。
似合っている者も居れば、これは確実にイメージチェンジに失敗したなという者もいる。
明らかにどこかのアニメのキャラクターになりきっているようなファッションの者にはさすがに苦笑いを隠せないが、見ていて飽きない。
「と、大体このくらいじゃの。何か質問や報告などあるかの?」
シキがしばらくの間ぼーっと観察していると、壇上でのレインの話がキリの良いところまで終わったようで、そう言って言葉を区切って質問と報告の時間に入っていた。
「……おい」
その時、どこからか唐突に、不躾な声があがった。
「ちょっとまってくれ、魔法についての説明はないのか?」
初日のレクリエーションはあくまで衣食住とこれからの予定について軽く説明する行程だ。だからこうして、勘違いした輩がずうずうしく聞いてくることが前回にもあった。
言いながら前にでてきたのは、髪を金色に染めた、黒のジャケットを着崩しているどこか線の細い男だった。大方、異世界に来た特別な自分という幻想に酔っているのだろう。話などまるっきり聞いて居ない問いかけに、レインはやれやれと首を振る。
「言語魔術については翌日検査があり、その時に説明すると言ったじゃろう?」
「はっ、だけど俺には才能があるんだろ? 俺だったら説明されたらすぐに魔法を使えるようになる。だから早く教えろよ」
彼は自分が選ばれた勇者か何かだと勘違いしているのか、100人もの同胞と共にやってきたというのにどう解釈すれば自分だけが特別だと考えられるのだろうか。金髪の少年は口角を上げて、吐き捨てるような不遜な態度で言う。
世界が変われば魔法が使えるようになる?
世界が変われば苦も無く力を手に入れられる?
世界が変われば何もしなくても勝手に強くなれる?
一体何の根拠があって、そのような非現実的な幻想に追いすがるのか。
シキから見れば、それは痛々しいほどに滑稽な光景だ。
「……少しは分をわきまえろ」
同胞とはいえ、あまりにも無礼な言動に、キョウイチが両手剣の柄に手にかけ、怒気を多分に孕んだ声音で言って睨みつける。場の空気が一気に緊張に包まれ、その場にいた誰もがキョウイチの気迫に押されて身体を強張らせた。
「な、なんだよお前……」
後ずさり気圧されながらも言い返す金髪の少年も、キョウイチに睨まれて目を合わせることすら出来ていない。
「この方は世界魔術機構の最高責任者、レイン=トキノミヤ様だ。お前が何を勘違いしているのかは知らないが、礼を失して話しかけて良い方ではない」
「そ、そんなの知るかよ!」
「……立場を弁えろ、と言っているんだ」
あまりにも自分勝手な金髪の少年の言葉に対して、キョウイチは最大限に譲歩した返答をするが、そんなキョウイチのわずかばかりの心遣いに対して、金髪の少年は異世界という現実に幻想を抱きすぎ、加えて無知すぎた。
「うるさいうるさい! 俺は知らない! そんなこと押しつけるなら、俺が魔法を覚えたらお前らなんか――」
瞬間。
一歩踏み出そうとしていた金髪の少年の足下の大地が、轟音とともに深く裂けた。
「――それは、世界魔術機構と敵対の意志がある、と見て相違無いか?」
振り切った両手剣の刃を返して次の斬撃が放てるようしながら、キョウイチは重々しく金髪の少年に告げる。
「ひぃ!? な、ななななんだよ! なんだよ、それ……っ!?」
「もう一度問おう。――お前は『敵』となる覚悟があるのか?」
じり……と地面を踏みなおすキョウイチに、ひぃ!? と小さな悲鳴を上げてへたりこんでしまう金髪の少年。その瞳は恐怖に染まっており、どう見てもまともな思考が出来る状態ではない。おおよそ普通の日常を過ごす者にとって向けられたことのない明確な殺意に、思考が真っ白になってしまっているのだろう。
「……もう。キョウイチそのくらいにしといてあげなよ」
その様子を見かねたシキが、仕方なしにと助け舟を入れる。
「ステラスフィアに来てまだ初日だし、色々知らないんだからあんまり脅しちゃダメだよ?」
その場にいた誰もが、めっ、と指をキョウイチに向けるシキの背後に、天使を見た。
「…………シキに感謝することだ」
言われたキョウイチは特に反論することもなく、あっさりと両手剣を背にしまって再び定位置に立ちなおす。それを見てからシキは、くるりとへたりこむ金髪の少年に振り返る。
「ほら、キミも立って、列に戻ってね?」
手を差し伸べた時に後ろの方から……主にセラの方から、何やら不満そうな空気を感じたが、シキは気にすることなく金髪の少年を起こしてのろのろと列に戻っていくのを確認してから自分も元の位置に戻る。
「さて、改めて仕切りなおすとしよう。質問や報告はあるかの」
深く刻まれた地面の亀裂を気にした様子もなく、レインは再びそう促して全体を見回す。
さすがに先のことがあったので、誰もが今まで以上に姿勢を正して前だけを見ている。
キョウイチのおかげで今回はこれ以上何もなく、後は定例の報告がされて終わることになるだろう、と、そう思っていたシキの予想は、しかし次の瞬間響いた声によって予想をはるかに上回る結果となった。
「――はい」
皆が緊張している中、良く通った少女の声にシキは耳を疑った。
何度か頭の中で声を反芻して聞き間違いではないことの確認が済んだ後、次にシキは自身の正気を疑った。
……あれ、あれあれ、おかしいなわたし……疲れすぎて幻聴でも聞いたのかも?
「うむ、前に出来るがよい」
ぴっと上がった手と声に、レインはそう言って促す。
かっ、かっ、かっ、と小気味よく響く靴音。物怖じしないテンポで歩いてきて後ろの方の列からすっと出てきたのは、肩口くらいで切りそろえられた長さの銀髪の少女で。
シキにはその少女に激しく見覚えがあった。
髪の色こそ違うものの、その顔立ちは二年経った今でも見違えるはずがなく――
「…………カナデ?」
「――第五回選抜隊筆頭を務めさせて頂きます、如月奏です!」
二度と会うことはないと思っていた家族。
シキの妹、カナデの姿がそこにあった。