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忘名のステラスフィア  作者: 霧島栞
二幕
64/77

61話

にゃーん12分おーばー。

 イロリ=コノハナという人物は、知る人だけが知る《魔導書》の専門家だ。

しかしそれを説明するには、まず《魔導書》とは何なのかを先に説明する必要があるだろう。


 ステラスフィアに存在する《魔導書》とは、地球で同じ名で呼ばれていたものように、何らかの魔術体系に関する理論が記された書物ではない。それらもれっきとした《魔術書》ではあるが、そちらは普通の人が読んでも比較的安全なものが多い。


 ひょんなところから読み手を発狂させるほどの冒涜的で名状しがたい狂気めいた本物の《魔導書》も存在するが、そういったものは全体の中から考えれば砂漠の中から石ころを探し出すくらいの確率でしか存在しない。


 こと危険度だけで言うならば、ステラスフィアに存在する魔術師が紡ぐ、魔術言語によって記された《魔導書》の方が何十倍も危険なものである。


 世界魔術機構の嘱託魔術師が着ている、或いは持っているよう服や武器は、付加魔術師が刻んだ魔術言語によって強度や性質が特化されている。


 そして基本的にそういった『物』に刻める魔術言語というのは長くとも一節程度が限界だ。


 言の葉を介した魔術言語によって紡がれ世界に顕現した事象は基本的に世界に残り続けるが、何事にも例外はある。


 その一つが、《付加魔術》という言語魔術の内包する最大の矛盾。


《魔術言語と世界の不協和式連環性》というある種の命題とも言える魔術理論の一つだ。


 一般的に言語魔術と呼ばれる技術は、基本的に魔術言語によって構築したイメージを世界に押しつけることにより、想起した事象を現実に顕現させる技術だ。


 その為の条件として気を付けなければならないのは、その範囲に含む物が、意思を持つ存在あるか否かが重要となってくる。


 例えば、腕の良い魔術師ならば言語魔術で巨大な岩の内部に灼熱の炎を顕現させることは可能だが、どれほど規模が小さかろうとも人の内部に事象を顕現させることはどれほど有能な魔術師であっても不可能だ。


 相手が魔術師として未熟だと、相手の言語支配域にかぶせるように意識して言語支配域を展開するだけで、相手の言語支配域を上書きして詠唱を潰すことも出来るくらいに、人が持つ世界、ひいては空間への干渉能力は高く、また個人という概念は世界から強固な情報により護られている。


 魔術師同士が争うことは厳禁とされている為、そうそう魔術師同士が戦う機会などないが、模擬戦などで魔術師と魔術師が訓練をする場合もあるので世界魔術機構の嘱託魔術師は普段無意識に展開されている言語支配域を、思惟的に展開する訓練なども積んでいる。


 シキが扱う【灰色のドレス】も、その究極系と言っても過言ではない。


 と、話は少しずれたが、言いたいことは世界へと事象を顕現させることが出来る言語魔術という技術は、果たして物質への魔術の付加で起こる変質の可否、つまり既存の物質をベースにしてそこに他の特性を付加することが可能であるかどうかだ。


『炎』や『氷』、『雷』や『水』等の事象を想起する創成魔術とは違い、付加魔術は『硬い』や『鋭い』等といった概念そのものを想起するが故に、その難易度は創成魔術の比ではない。


 シキですら、付加魔術は使える気がしない。


 故に比例してその価値も跳ね上がり、結果、魔術言語が刻まれた『魔具』は一般人には到底手の届かない代物となっている。


「それで、わたしに用というのは、どのような話ですか?」


《リインカーネーション大図書館》左翼地下一階。


 司書ですらほとんどが立ち入り禁止の『禁書庫』の一つ前の部屋の中、イロリはシキに向かってそう問いを放った。


 ほとんど人が来ていないにも関わらず部屋の中は意外と綺麗で、周りがワインレッドの壁で染め上げられているからか、どこか落ち着いた雰囲気に感じられる。


 部屋の中にも当然のように本棚が並び、背表紙にはどこの言語かわからないような記号の羅列によって綴られたタイトルの本すら存在していた。


 シキは漆塗りに似た光沢を放つテーブルに置かれた真紅の液体……紅茶の注がれたカップを手に取って、口をつける直前、少しだけ香りを楽しんでから口の中に流し込んだ。


 口に含んだ紅茶はすーっと舌の上を流れてゆき、後に心地よい風味が残る。


「良い茶葉ですね。これは、南の物ですか?」


「……はい。南の集落、ラーシャンから取り寄せた品ですね」


「ちゃんと話に入りますから、そうピリピリしないでください、ね?」


 やや強張って返してくるイロリの声に、シキはごまかそうとして言ったのではないと、わたわたと手を振りながら苦笑する。場が場ならばかわいらしい仕草ではあるが、今のこの雰囲気だと滑稽に見えなくもない。


 そんなシキの仕草をイロリは警戒を隠すことなくじっと見ていた。


 セラのように半眼のじと目で見て来るのではなく、その黒曜の瞳に疑惑の色を湛えて見つめてくるのだから、シキにとっては居心地が悪い。


 ……うぅん、やっぱり警戒されちゃってるよね……。


 仕方がない。まったく知らない人間が、隠していた自分の秘密を、どこの誰だかわからない人物が知っていたのだから警戒するなという方が無理な話だろう。


 シキにだって、他の人に言えない秘密の一つや二つや三つや四つあるかもしれない。


 少なくとも、一つは確実にある。


「まあ、ここに来たのはイロリさんに少しお願いがあってのことなんですけど……って言っても、理由を言わないと、納得できないですよね?」


「……そうですね。わたしが《魔導書》に関わっていることはほとんどの人が知りませんし、どこでそれを聞いたのか教えてもらわなければ、不安で眠れないですしね」


「あはは……」


 乾いた笑みを浮かべながらも、その言葉が事実であることをシキは知っている。


「……例え誰もが忘れてしまっても、わたしだけは覚えています。そこに居たこと、在ったこと、出会った人、紡がれた絆、その全てを」


 シキの言葉に、イロリは先ほどとは違う戸惑いが混じった疑惑の目でシキを見る。


 シキはそんなイロリを見て、悲しそうに笑う。


 ――イロリ=コノハナという人物は、基本的には真面目で愛嬌のある性格をしている。


 二つ上に兄を持ち、多少繁盛している古本屋を営みながらたまに《リインカーネーション大図書館》の仕事を手伝っていて、周囲の評価もおおむね先ほどの評価と変わらない。真面目で愛嬌のある娘さんだという認識だ。


 加えて黒いセミロングの髪に、黒い瞳。シキよりも少しだけ高い身長に、逆にシキよりもスレンダーな体型。イロリ=コノハナという奥ゆかしい名前も、彼女の体を表している。


 本人も自分の性格を自覚しているし、それを良しとして日々を過ごしている。


 だからこそ平穏を脅かす話の種はなるべく早いうちに取り除いておきたいのだ。


 それがかつて秘密を共有していた友人という間柄だったとしても、イロリはもう忘れてしまっている。世界は残酷な程に、シキにやさしくはない。


 けれども、


「わたしは、少し前一度《白樹海》に落ちました」


「……それは」


 言った瞬間イロリの眉が顰められ、より一層強い疑念の視線がシキに向けられる。


「わたしは二年前にステラスフィアにやってきた地球からの異世界人でしたが、つい二週間ほど前に一度《白樹海》へと落ちて……そして、世界から忘れられたんです」


「…………」


《白樹海》に落ちて戻ってきてこれまで言わなかった、世界の秘密。


 リインケージに来た目的はイロリ=コノハナに会う為だったが、今の目的は当初思っていた目的とは少し異なっている。


 信じてもらえるかはともかく、シキはアリスから教えてもらったこの世界、ステラスフィアの真実を誰にも話すことはしなかった。


 シキ本人も信じてもらえないだろうと思って話さなかった部分もあったのは確かだが、しかしそれ以上にシキがこれまでレインにさえその世界の真実を話さなかったのは、心の奥底のどこかで本当はそれが違うのではないかと期待していたからだった。


 シキは遥か遠く……その彼方へと見通すようにイロリの瞳を射抜き、その眼光にイロリは思わず息を飲む。


 ――忘れて欲しくない。忘れられていたくない。


 その思いが、これまでアリスから教えられた世界の真実を語ろうとするシキの口を閉ざしていた。


「わたしが今から語るのは、今のステラスフィアの真実。そして――」


 ――けれどもそれを言い訳にしてしまうのは《白樹海》に沈みずっと一人で世界を支え続けているアリスの信念全てを否定することになってしまう。


 誰よりも気高く、誰よりもやさしく、世界を支え続けてきた孤独な少女。


 アリスはシキに世界を好きでいて欲しいと祈り、希望を与えてくれた。


 だからシキは語ることで前に進もうと――叶う祈りかどうかはわからないが、いつか、アリスを《白樹海》という寂しい檻の中から助け出そう。そう、ステラスフィアに来て初めて自分の意志で目標を定めたこれはその最初の一歩。


「――これからのステラスフィアの未来です」


 このステラスフィアという世界に、本当の意味で生きる意味を見つけた元少年。


 創世の天使アリスの容姿を持った少女。


 星書に刻まれた癒しの天使アンジェの名を冠する存在。


 シキはそう言って、イロリに語り始めた。

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