5話
さて、ここで質問だ。
誰も知らない未知の異世界、それも魔法と思えるくらい不可思議な技術、魔術を使える世界に自分の意志でやってきた者たちが初めにすることはいったい何か?
「うん、まあそうなるよねー……」
どこぞのVRMMOよろしくウィンドウが出ないか手を振ったりして確認している者。
聞いたことのあるゲームの呪文や魔法を唱えてポーズをとる者。
それだけならまだしも、オリジナルの創作魔法を叫ぶ者。
神様は、神様は居ないのか! などと良くある異世界転生ものに期待する者。
ニヒルな表情を浮かべて、ふ、ここが異世界か……などと黄昏ている者。
身体能力が底上げされているチートを期待してパンチやキックを繰り出す者。
上がりきったテンションを抑えきれず奇声を上げる者。
――シキが見ているのは、ミラフォードの南平原で窪地になった地形に降り立ったステラスフィア側から見れば異世界、つまり地球からやってきた、やらかしている同胞たちの姿だ。
――ああ、痛い。痛い。痛い。何が一番痛いかって、心が一番痛い……。
異世界に来たら女の子になっていて取り乱してしまった自分の心の傷口が抉られた気がして、彼らの行動に正気度ががりがりと削れてゆく。
「期待し過ぎ、みんな期待し過ぎ……」
「あっはっはっは」
呟くシキの隣で、レインがからからと笑っている。
異世界にやってきたことでテンションが上がっているのも、彼らが過度の幻想を抱いてステラスフィアへと来てしまうのも仕方ないことなのだ。
異世界へ行きたいと思い適性テストを受ける者の内訳は、未知の世界への知的好奇心を抱いて受ける者や社会的に適合出来なかった者などが全体の2割で、残り8割は幻想を胸に抱き夢を忘れず希望と空想に満ち溢れた現実から乖離した者達……つまりは中二病患者だ。
しかも、後者の方が基本的に言語魔術との親和性が高く、必然的にやってくる者の大半は中二病患者となり、毎度のことながらこういった光景が作り上げられる。
シキが胸を押さえて精神的な痛みに耐えていると、窪地に居る誰かがシキたちの存在に気が付いたのか、声を掛け合って一人また一人と視線を窪地の上へと視線を向ける。
前回の人たちの情報から今回やってくる人数は百人だということなので、前回と同様機構から依頼を受けて護衛に来たのは嘱託魔術師が二部隊十一名。シキの所属する部隊がキョウイチ、セラ、クレア、キリエ、シキの五名で、他の六名が別の部隊だ。魔術師ではない一般の兵も出てきていて、こちらは分隊が四つで各十名の小隊編成だ。加えて世界魔術機構の最高責任者レインで計五十二名がその場に整列している。
衛兵は軽装だが武装しており、普段はオーダーメイドで作られた対戦闘用に付加魔術の言語が刻まれている服を着ている嘱託魔術師も、今日ばかりは世界魔術機構で支給される黒を基調とした制服……通称『軍服』に身を包んでいる。
シキも普段はこれを改造した白い軍服にアレンジを加えた制服を着用しているが、今日はさすがに黒の軍服に身を包んでいる。
「おい、あれって異世界人か?」
「俺達を捕まえに来たのか? 上等だ、かかってこい!」
「待て待て落ち着け、出迎えとかじゃないのか?」
ざわざわとさざ波のように声が広がる中、断片的に近場の声や威勢よく発せられる言葉がシキたちの元へと届く。
「……かかってこいって……言ってるよ?」
ぽつり、とセラがシキを見上げて呟く。
蒼い瞳がどうする? といった感じでシキをとらえる。
「いやいや、ダメだからね、セラ?」
シキはあわててセラに釘を刺す。
威勢がいいのは結構だが、実際本当に戦うことになったらそもそも戦闘にすらならない。
セラが本気を出したら、現段階では魔術に対する抵抗手段がない地球からやってきた百人など、ものの十数秒で全員氷漬けだ。
セラ……セレスティアル=A=リグランジュは、小柄で、身長はシキの肩ほどしかなく、『軍服』に身を包む姿は着せられている感があって非常にかわいらしい容姿をしているが、しかしそんな見た目とは裏腹に、セラのスペックは今回依頼を受けて任務に就いている魔術師の中でも頭一つ飛びぬけている。
人によって扱いやすい、想起しやすい属性というものは決まっていて、セラは氷の魔術以外は扱えないが、けれどもその一つの分野においては世界魔術機構で比肩する者は存在しないほどに群を抜いている。いくつもの依頼でアルカンシエルを氷漬けにして付いた二つ名は【氷雪の天使】といった非常に中二心を見事にくすぐる代物だが、セラは他人からの評価など、一切興味を持っていないようだ。
「しかしほれ。デモンストレーション程度にここで言語魔術を見せてやっても良いのじゃぞ」
「もう、レイン様もそうやって煽らないでください」
「ふむ……そうは言うがの、最初に見てイメージを掴んでおいた方が、後々自身で《魔術言語》を練る時に有利ではあるぞ?」
どう聞いても後付けの理由でしかないが、けれどもレインが言うことには一理ある。
「確かに……ううん、でもそれはそうかもしれませんけど、セラが使える魔術は威力が高いものばかりで危険ですし、デモンストレーションをするにしても後にした方がいいと思います」
シキは少しだけ考えて、けれどもその提案を取り下げる。
いくら最上位に近い魔術師だからといって、デモンストレーション用に調整した、危険度が低く、かつ見栄えする魔術など、事前に相応の時間をかけて《魔術言語》を調整しなければ詠唱を組むことが出来ない。
「そうは言っておるが、どうかの?」
そう言ってレインは次にセラに話を振る。
話を振られたセラは「ん……」と少しだけ視線を伏せ、続いて何か思いついたのかシキを見上げて、期待に満ちたまなざしで言う。
「ねーさま、歌ってくれてもいいの……」
「歌うって……ちょ、だ、ダメよ! セラに負荷がかかりすぎるもの!」
シキは即座に反対する。
セラが言う、『歌う』とは、詠唱師の中でもシキともう一人、【歌姫】の名を冠する魔術師だけしか扱うことの出来ない《詩歌詠唱》という特殊な魔術のことだ。
《詩歌詠唱》は、元々組んでいた《魔術言語》を使っての詠唱ではなく、その場で《魔術言語》を組み上げながら詠唱する荒業で、その分一つ一つの《魔術言語》に込められる現象のイメージが少なくなるのでおのずと詩のような長い詠唱になる。
また《詩歌詠唱》は、詠唱だけで魔術を発現させることが出来るという即効性のメリットはあるものの、熟練の魔術師ならば詠唱である程度の事象を発現させることが出来るし、そもそも《世界門》を『通して』事象を発現させる《詩歌詠唱》よりも、《世界門》を『開いて』事象を発現させる通常の発動方式の方が威力も制度も高い為《詩歌詠唱》は難度に見合わない言語魔術の発動手段なのだ。
「凍傷なったら、また治してくれたらいいの」
「で、でも……」
上目使いに言うセラのかわいさに、思わずたじろぐシキ。
「ねーさま……お願い」
手を取ってシキに迫る姿に、下の方から「異世界で百合……だと……」や「キマシタワー!」なんて言葉がシキの耳に届くが、当の本人はそれどころではない。
「ねーさま……」
「わ、わかった、わかったからもう! やるからちょっと離れてっ」
「……ねーさま、愛してる」
もう何度言われたのかわからないセラの台詞を聞きながら、シキはセラを引きはがし、深くため息を吐いて覚悟を決める。
「なんでこんなことに……けど、こうなったら、後の説明はそっちに投げますよ」
「ふふっ、かまわんよ」
満足そうに頷くレインを後目に、シキはセラの手を引いて前へ出る。
一歩前に踏み出したことによって視線がシキに集中する。
白髪の軍服娘というのは誰得なのかは知らないが、見下ろす百人の地球の同胞の視線を受けながら、シキは大きな声で彼らに告げる。
「今回ステラスフィアに来た同胞の諸君! 注目!」
意思を込められた声が百人の地球から来た人たち全員の耳朶を打ち、一瞬の静寂が訪れる。
「――最初にまず一つ、皆に告げます」
静まった百人に意識して視線を向け、シキは続ける。
「この世界、ステラスフィアは異世界であって、ゲームではありません」
ざわりと場がにわかに波立つ。そのようなことはステラスフィアに来る前に再三言われているはずではあるが、それでもこうして実際に異世界というものに来てしまえばゲームの世界に来たような感覚を捨てることができない者も居る。
「皆が考えているように、誰もが魔法のような《言語魔術》を扱えるわけでもなく、ましてや身体能力も普通の人と変わらず、死ねば復活出来るなんて都合の良い魔術もありません」
誰もが魔術を使えない、と言ったところや死の話題を出されたことで、不安を孕んだざわめきが一気に波及してゆく。
「なん……だと……」「うそだろ……」「それじゃあ何の為に異世界に来たんだ……」
そんな呟きが、そこかしこから広がる。
「――ですが」
と、不安が完全に溢れ出して怒号となる前に、シキの言葉をつなげる。
「少なくとも、あなたたちには才能があります。だからこれから諦めずに努力を続ければ、かならず言語魔術を使えるようになるでしょう」
しかし現実はそこまでやさしくない。言語魔術を使えるようになる前に挫折する者も確実にいて、今のところ一番結果が出ている前々回のメンバーでさえ、既に二桁の脱落者が出ている。けれども今は無意味に絶望感を与えすぎてもしかたないとシキは判断する。
「――だからこれから見せるのは、あなたたちがこれから努力すれば扱えるようになる全員の可能性です」
シキがそう言うと同時に、後ろで待機していたセラがシキの隣に並び、シキに手を預ける。
「ねーさま、お願い」
短く言うセラに頷いて、シキは手を取り意識を集中させる。
……セラ、ごめんね。
才能はあった。有り余るほどの才能があり、けれども世界に愛されなかったシキは、セラへの負荷を考えて一言だけ心の中で謝ってから、余計な思考の一切を放棄して、即興での《魔術言語》を紡ぐために、意識の水底に触れて世界を展開する。
――美しく、誰もが魅入られる《氷の世界》を。
「《――震う音を響かせて、空を白で染めてゆく》」
鳥肌が立ったのは恐らく一人二人ではなかっただろう。
《魔術言語》を初めて聞いた人の多くはその言語に果てしない違和感を覚える。それは言葉としての意味と、《魔術言語》として紡がれた現象の齟齬を無意識のうちに感じ取るからだ。
歌声によって生まれた世界の変化は、緩やかに、しかし劇的に訪れる。
一帯の温度が急激に下がり、透明色の空のどこからか白の欠片……雪が落ちてくる。
「《奏で合い鳴る囀りを、落ちる夢に映し出す》」
しんしんと、雪が囀る音が重なり合い、突然の世界の変化に口をあけたまま空を見上げる者たちの視線の先で、雪の欠片から氷の花が花開く。
「《さあ咲き誇れ、轉の夢よ
咲き乱れるままに舞い踊れ》」
舞い散る雪が種子となり、空に氷の花がいくつもいくつも咲き乱れる。
くるくると回りぶつかり合う蒼い花弁が澄んだ音を鳴らし、幻想的な音色を奏でながら繋がってゆく。
誰かがひとこと、綺麗……と呟いた。誰もが同じ言葉を胸に抱き、幻想に魅入られたように等しくその光景を見上げる。
「《重なり合いて響き合う
氷花を繋ぐ歌声に永遠に、永遠にと咲き誇り――》
パキパキと、キンキンと、キシキシと、氷が奏でる音は重なり、花が重なり窪地をすっぽりと覆う氷花のドームが築かれる。
どこからか「おぉ……」と思わず喉から漏れた感嘆の声があがる。
そしてそれは少しの間だけ世界を支配し、そして、
「《――空の夢へと消えてゆく――》」
静かに紡がれた最後の一節で、まるで全てが嘘だったかのように、氷のドームも降っていた雪もふっと消え去ってしまう。
誰もが言葉を失って、目にした出来事に息を止めるしかできない。
まさに、魔法だ。
科学では有り得ない。
常識では有り得ない。
現実には有り得ない。
脳が否定する。
『こんなものは有り得ない』
だが、実際見てしまった。
知ってしまった。
世界に響く不可思議な《魔術言語》を聞いてしまった。
本能で有り得ないと否定しても、理性が現実を肯定する。
二律背反する感情は、次のシキの言葉でたった一つに帰結する。
「――ようこそステラスフィアへ。わたしたち《世界魔術機構》はあなたたちを歓迎します」
時間が止まったかのように動かない彼らにそう言った瞬間。
世界が空気を取り戻したかのように、或いは凍った時間が動き出したかのように。
――百人の同胞たちは揃って歓喜の声を張り上げた。