56話
どこまでがセーフなのか……せふせふ?
紹介された宿に着いて部屋に案内され、翌日迎えにきますと言って去っていたコトコと別れた後、シキはこれまでかつてないほどの究極の選択を強いられていた。
ステラスフィアに来てから、二年とちょっと。これまでにも悩むべき選択はいくつもあった。しかしその中でもこれほどまでに苦悶したことはもしかしたら初めてかもしれない。
シックな落ち着いた雰囲気が売りの宿の二人部屋の中。ダイキと別れてとりあえずセラをベッドの上に寝かせ、そこに至ってシキは状況のまずさに気が付いた。
「…………」
ベッドにぐったりと眠るセラを見る。
いくらシキに背負われ続けていたとはいえ、セラの髪も蜘蛛の巣だらけになっている。それにシキほど汚れてはないが露出している部分の肌も泥で汚れており、服も汗をかいて湿って気持ち悪いだろう。
さすがにこのまま汚れた状態のまま、まっさらで綺麗なシーツに寝かせ続けるというのは人としてどうだろうか。
しかし――
「……さすがに、脱がせて拭くのはダメだよね……」
もちろん脱がせるものはセラが着ている服だ。
女の子同士ならやむを得ない事態があったと後々言い訳できるかもしれないし、恥ずかしさはあったとしても一過性のものにすぎないだろう。
そう、女の子同士なら、大した問題にはならないはずだ。
だがしかしシキは元々男であり、セラもそのことを知っている。
これまでセラは、何度も何度もシキの布団の中に入ってきたり、スキンシップをしてきたりしていた。それはシキが元々男であると知った後も変わらず続いているが、それでもこれまで一緒にお風呂に入るなどといった裸体を見ることなどはほとんど無かった。
何故ほとんどかというと、それはリインケージから南東、ミラフォードからは南に位置する小さな集落に立ち寄った時に部隊の女性陣で温泉に入ったことがあったからで、その時もシキは何とかして見ないようにと文字通り心を裂いていた。
「……ぅ……ん」
「……っ!」
と、唐突にセラが、うめき声を上げる。
大丈夫だろうかと頬に手を当てると、頬も汗でべったりと濡れており、シキの手も汚れているのでセラの白い肌にくすんだ汚れが付着した。
「ぁ……んぅ……」
「……セラ」
普段はあまり表情を変えることのないセラが苦しそうな顔をしているのを見て、途端にシキは自身のやましい気持ちがとても浅ましいものに感じた。
だからシキは、首を横に振って決心した。
「……これは、仕方なくだから、そう、仕方ないんだから……」
何度も繰り返し呟きながら、シキは洗面所へ行ってタオルを濡らし、セラの前に戻ってきて何度も深呼吸する。
「大丈夫、女の子の身体なんて自分の身体で見慣れてるから、大丈夫大丈夫大丈夫……」
ぶつぶつと呟きながら、シキはセラの服に手をかける。
レースがふんだんに使われたブラウスのボタンを、一つ一つゆっくりとはずしてゆく。
……なんだか酷くイケナイことをしているような気がする……。
シキは熱を帯びてくらくらする頭で、そう考える。
脱がし始めたのは良いが、もしも脱がせている途中でセラが起きてしまっては取り返しのつかないことになりそうだと思い、シキはまるで割れ物を扱うかのようにゆっくりと、丁寧にセラの服を脱がせてゆく。
ブラウスの袖をほっそりとした腕から抜き取り、その下の白いシャツを脱がせる前に、スカートのホックをはずしてするりと下に抜き取る。
シャツとパンツ一枚となったセラを見て、シキは妙な背徳感に震える。
「あうぅぅ……」
見てはいけないと思いながらも、その思いに反してシキはセラの肢体から視線を外すことが出来ない。シャツの上からでもわかるふくらみかけの胸に、露わとなっているほっそりとした太もも。シキのように日頃から身体を動かす訓練などはしていないので、セラの身体にはあまり筋肉がついておらず、同年代の女の子の中でも、かなりやせているようにも感じる。
「セラ……いいよね……?」
何がいいのか。シキはだいぶ錯乱していた。セラのシャツの裾を握り、ゆっくりと上へと脱がせてゆく。小さなおへそとわずかに膨らんだ胸が姿を現し、あどけない少女の上半身が白い膨らんだ肌と、桃色の突起が露わになる。
「……ふゃ!? セ、セラ、なんでブラ付けてないの……!?」
力が入って思わず脱がせていたシャツを離してしまう。
シャツは胸の上で止まり、セラの小さな膨らみを強調する形となり、シキは高速で目を逸らした。完璧に素っ裸よりも下手をしたらこれはイケナイ気がした。
「み、見てない、見てないからね、セラ……」
だがしかしここで手を止めるわけには行かない。
シキは視線を横に向けたままセラの方をちらちらと見ながら再び服に手をかけ、頭を通り越して腕からシャツを抜く。
「はぁ……はぁ……」
満身創痍に荒く呼吸を繰り返しながら、シキはセラのシャツを片手に息を整える。すーはー、すーはー……呼吸を繰り返していると、ふと手に持ったセラのシャツが意識に捉えられる。
……なんだか、セラの匂いがする。
しっとりと汗を吸ったシャツからは、いつも布団にもぐりこんでくるセラのやわらかな匂いを凝縮したような匂いがして、シキはおもむろにシャツを自分の顔に近づけてゆき――
「……ぅ……ん……」
「――っ! わ、わたしは何を……っ!?」
危ういところでセラの呻き声に救われ、シキは戦慄した。
緊張で思考がぐつぐつと茹だり、視野狭窄に陥っていたとはいえ、ごくごく自然にセラの匂いを嗅ごうとしていたことにシキは空恐ろしいものを覚えた。
「危ない危ない……これは一旦置いておいて……」
呟きながら、シキは脱がしたセラのシャツをそっと床に置いて、替わりに緩く絞ったタオルを手に取って、ゆっくりとやさしく、セラの白い肌に濡れたタオルを這わせてゆく。
「……ふぁ……ぅん……」
「うぅ……」
肌に触れたタオルの冷たさに、セラが妙になまめかしい声をあげる。
セラが目を覚ます気配はないが、それでも反応されるとびくっとなってしまう。
あどけない容姿とのギャップに、ドクン! ドクン! と妙にやかましく鼓動を打つ心臓を押さえつけて、シキは無心を意識してセラの身体をやさしく拭いてゆく。
その度に「……ひゃ……ぅ……」や「ぁ……んぅ……」など、普段は聞くことのできない艶っぽいセラの声が聞こえてシキの理性ががりがりと音を立てて削れてゆく。
……落ち着いて、落ち着くのよわたし、無心になって、冷静に落ち着いて……。
心の中でそう呟いている時点で既に無心ではなかったのだが、シキは構わず続ける。
「もうちょっとだからね……セラ」
荒い呼吸を繰り返す様子はほとんど不審者だ。これでシキが女の子でなければ、見つかれば確実に牢獄送りだろう。
「……後、残ったところは……」
あらかた拭き終わったが、さすがにパンツを脱がす勇気はシキには存在しなかった。
そこまでやったらアウトだろう。色んな意味で。
シキは丁寧にセラの身体を拭いてゆき、そしてその手が最後の難関、小さな胸のふくらみに差しかかりやわらかな感触がシキの手に伝わったまさにその瞬間、
「……んぅ……ねーさま……」
「ひっ!?」
名前を呼ばれたことで、シキは心臓が止まる思いで息を短く鋭い悲鳴をあげる。
「あ、ち、違うの違うの違うの! これはその、あの、決してやましい気持ちじゃなくて! ……って、あれ?」
「……すぅ……すぅ……」
必死の弁解の後に息を殺して数秒間。セラの寝息が聞こえてきて、シキはさっきのが寝言だったのだと気が付き全身から力が抜けてベッドにぼふりと顏から落ちた。
冷ややかなベッドの感触に、シキは真っ赤になっていたであろう顏から熱が引いてゆくのを感じた。顔を上げて、けれどもさすがに直視することは出来ないのでかけ布団を首までかけて、後は先に上げておいた髪を綺麗に拭ってゆく。
「ふぅ……とりあえず、これだけ綺麗にしたら、いいよね……」
先ほどまでのセラの寝苦しそうな表情は、今はすっかり安らいでおり、気持ちよさそうに眠るセラの顔を見ると、うん……綺麗にしてあげてよかった。なんて思えてくる。
「はぁ……わたしもお風呂入ろう……」
《ルビアーナ》の宿はリインケージにある宿の中ではかなり上等な部類に位置する。
文化都市リインケージは、永久に水が湧く湖。《古代湖》から水を引いているとはいえ普通の宿には質素なお風呂しかないことが多い。けれどもこの《ルビアーナ》のお風呂は、各部屋個室に一つあり、しかもシャワーが出るという実に贅沢な造りとなっている。
その分、値が張るのは致し方ないところだが、今回に限っては《ライン》の職員であるコトコに感謝するべきだろう。
セラの身体を拭くのに労力を使いすぎたシキは、深く深くため息を吐いてお風呂へ向かおうとして、ふと床に落ちている物が視界に入り、ごくりと唾を飲む。
…………、…………、…………。
先程シキを惑わした、セラの汗を吸った純白の……シャツ。
シキの耳元で悪魔が囁く。
『――セラは寝てるし、今なら何してもばれないよ?』
その隣で天使が囁く。
『――落ち着きなさいシキ。セラの匂いが嗅ぎたければ一緒に布団で眠ればいいじゃない』
「ってなにこの選択肢!?」
自分の中の天使と悪魔にツッコミを入れて、シキは迷いを振り切るようにお風呂場へと向かった。
お風呂から上がった後、シキは自分のベッドに入る前に、セラの服を畳む為にとそれに手を伸ばしたが、セラの服を畳み終えたのは実にその数十分後だった。
その間、何があったのかは、本人しかわからなかった。