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忘名のステラスフィア  作者: 霧島栞
二幕
58/77

55話

「やっと……着いた……」


「着いた……のか……」


 高い高い壁を見上げ、シキとダイキは膝から崩れ落ちながら涙を流した。


 長い、本当に長い一日だった。


 森の奥でシキの元の身体とそっくりな奇妙な少年と出会ったこともそうだが、それよりも森を彷徨い歩いたことでの精神の疲弊の方が重傷だった。


 結論だけ言うと、森を抜けようとしてまた見事に迷ったのだ。後から気が付いたことだが、どうやらダイキは重度の方向音痴らしく、羽虫溜まりも蜘蛛の巣も無視してまっすぐ進んでいるにもかかわらず、いつの間にか徐々に方向がずれていっていて同じところを回る羽目になっていたのだ。


 その後やけになって、シキは《加速》の魔術を使い、木の幹を駆けて登り上から方向を確認しつつやっとのことで森を抜けたのはもう夜の帳が降り切った午後10時前だった。


 這う這うの体でリインケージの門の前まで来た時には、二人とも体力がもうほとんど残されていなかった。とりわけ途中何度も魔術を使い、ずっとセラをおぶって歩き続けてきたシキの疲労はまさにピークだった。


 基本的に、よほど熟練した魔導騎士でもない限り、人ひとりを背負って《加速》の魔術を使うのは難しい。一時的に抱えて飛ぶなどといったことは可能だが、持続することはかなり困難だ。シキは通常の魔術師としては錬度も高く、日々の修練によって身体の使い方を熟知しているとはいえ、まだその領域には達していない。


 いっそのこと【不滅の灰】を使ってダイキを置きざりにして先に行こうかと何度か思ったが、それでは何かあった場合に対処できないだろうと断念した。そんな思いに気が付かないダイキは、シキの隣で疲れのあまり膝から崩れ落ちてそのまま顔から突っ伏していた。


「……ダイキ君、ここで寝てたら不審者として捕まるよ」


「……牢屋ってゆっくり休めるんですかね」


 ダイキからそんな呻き声が返ってきて、シキは苦笑する。


 無理もない、と思いながら、シキも自分自身を振り返る。


 白い髪はぼっさぼさでところどころに蜘蛛の巣が絡まっており、ひょっとしたら髪の中に虫が何匹も入り込んでいるかもしれない。服やニーソックスには魔術言語が刻まれている為、破れているところなどはないが、それでも守られていない太ももや腕には細かな傷がいくつも見られ、顔も疲労と汚れによって酷いことになっている。


 ……これは酷い……。


 ふと、ジャケットのポケットに目がいった。


 そこからは得体のしれないバッタのようなコオロギのような、斑色の節足動物の虫がぴょこんと飛び出ていった。


「……しにたい」


 鬱蒼とした気分でシキは呟いた。今なら呪いで世界を滅ぼせる気がした。


 ……そう、この美しくも残酷な世界に復讐を! ……特に虫! 虫なんて死ぬべき! 


「……っは、いけないいけない……」


 暗黒面に落ちそうだった気持ちを何とか立て直して、シキは首を振って、けれども気力だけではどうしようもない疲労でぐったりしながらもダイキに手を差し出す。


「ほらダイキ君、立ち上がって。街に入るよ……」


「――いえ、夜は中に入れないのです」


「……へ?」


「ぐひゃ!?」


 差し伸べた手を掴もうとしていたダイキが、直前で手を引かれて再び顔から地面に崩れ落ちた。顔が地面にぶつかった瞬間小さな呻き声を上げそのまま動かなくなった。


 意図としてではないがダイキにトドメを刺したシキは、後ろから聞こえた声に間の抜けた声を返しながら振り返る。そこには膝下あたりまである艶やかな長い黒髪と、その髪と同じ色の黒い瞳でシキを見る、シキと同年代くらいの年齢の少女が立っていた。


「リインケージでは、浮遊大陸が現れてからずっと警戒体勢が続いているのです」


「……え?」


 小さな唇から淡々と放たれた黒髪の少女の言葉に、シキは呆然としながら首を傾げた。


 淡々とした口調なのに、声が妙にかわいらしくそのギャップが少し不思議な感じだった。


「でも、あなたは……」


「私は締め出された口ではないのです」


「……にゃ?」


 シキは猫化した。かわいこぶった。しかしぼっさぼさの髪に、傷だらけの肌、汚れ塗れの顏では台無しだった。いまのシキの外見は住み家を追われた野良猫といった風体だ。


「実は待ち人をしていまして。私は今日ここで野宿する予定なのです」


 そう言う黒髪の少女の手には毛布が握られていた。


「……ということは、わたしは、街に入れない?」


「です」


 リインケージの門へとつながる大きな道の角の方には、荷馬車や毛布にくるまっている男性がちらほら見える。黒髪の少女の持つ毛布は恐らく門の横にある衛兵の詰所で借りたのだろう。


「……………………ふぇ」


 リインケージに着いたら、シキは真っ先にお風呂に入るつもりだった。汚れを落として綺麗になって、あったかい布団の中で幸せに眠るつもりだった。それなのに……


「そんなぁ……セラも早くちゃんとしたベッドで休ませてあげたいのに……こんなのってないよ……あんまりだよ……」


 ほろほろと涙をこぼして嘆く。そんなシキを見て黒髪の少女は、その背に居るセラに気が付いたのか少しだけ目を細めた。


「……その子は怪我しているのです?」


「うぅん……ぐすっ……怪我はしてないけど、魔術の使いすぎで意識を失ってて……」


 シキがそう言うと、黒髪の少女は目を見張り、少しだけ考える素振りを見せた。


 どうしたのだろうとシキが思っていると、黒髪の少女は涙目のシキの前ですとんと屈んだ。


「もしかして、あなた達は魔術師ですか?」


 そしてそう問いかけきた。


「え……うん。そうだけど……」


「もしや、ライドウさんに依頼を任されたのです?」


「……あっ!」


 ふと、すっかり忘れていた情報を、シキは今更になって思い出した。


 アードルの町で、ライドウに依頼を任された時、彼は確か『詳しい依頼の内容は、現地で待っている《ライン》の職員に聞いてくれ』と言っていた。


 まさかと思いシキは黒い髪の少女を観察する。


 始めは黒髪の少女の大まかな全体像だけで、細かなところまでは見る余裕が無かったため見落としてしまっていたが、彼女の着ているフリルの付いた白いワンピースの胸には、見紛うこと無き盾をかたどった細かな細工が施された《ライン》の胸章が輝いていた。


 それを見て、絶望に沈みかけていたシキの思考に一筋の光が差し込んだ。


「あの、も、もしかして――」


「はい。私がリインケージの《ライン》の」


「――街の中に入れるんですか!?」


 シキの頭の中には今、暖かいお風呂と布団のことしか存在しなかった。正体がどうであれ、《ライン》の職員ならば、街の中にも入れると思ったのだ。


「……はい。入れますけど……」


「ご、ごめんんさい……」


 途中で遮られた黒髪の少女が歯切れ悪く言うの聞いてシキは咄嗟に謝る。


「……いえ。その様子だと無理もないのです。……そこまでぼっさぼさで蜘蛛の巣だらけの酷い有様だと、私も一人の女の子として、どうかと思うのです」


「はぐっ」


 ぐさり! と言葉が胸に刺さった。


 野宿をして待とうとしていた黒髪の少女の仕事への情熱も女の子としては微妙なところかもしれないが、疲労困憊のシキにはそこまで頭が回らなかった。


 何気に毒を吐く辺り、この黒髪の少女は結構良い性格はしてそうだった。


「まあ、良いです。私はコトコ=カーティナー。リインケージの《ライン》本部に勤める職員です」


「あ、わたしはシキ=キサラギで、背中の子はセレスティアル=A=リグランジュです」


 お互いに自己紹介をしたところで、黒髪の少女は立ち上がりシキに手を差し伸べ、シキはその手を取って立ち上がる。


「セレスティアル=A=リグランジェ……もしかして背中の彼女は、世界魔術機構の?」


「はい。……といっても世界魔術機構は辞めて来たんですけどね」


「……なるほど。何か事情があるようですが、とりあえず今日は宿に案内するので、詳しい話と依頼は明日の朝にでもした方が良さそうですね」


「そうしてもらえると、助かります」


「はい。ではここで待っていてください」


 そう言い残してコトコは毛布を詰所に返しに行き、衛兵と話を付けて戻ってきた。


 その後、そのまま衛兵の交代用の小さな扉へと案内されて、暗い通路を歩くこと数十秒。


「では改めまして、ようこそ、リインケージへ」


 そう言うコトコに迎えられて、シキは久方ぶりにリインケージの街へと足を踏み入れた。


「…………あ」


 そしてダイキを放りっぱなしにしてきてしまったことに今更ながらに気が付いて、シキは慌ててコトコに説明するのだった。




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