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忘名のステラスフィア  作者: 霧島栞
二幕
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54話

 時間は少しだけ進む。


 中立魔術都市ミラフォード。


 空に浮かぶ巨大な物質……浮遊大陸が出現してからというものの、ミラフォードの街ではどこもぴりぴりとした空気が日に日に増していっていた。


 浮遊大陸が現れたそもそもの原因が解明出来ていない上に、先の黒い影の襲撃の件によって住民からちらほらと聞こえていた世界魔術機構の批判の声が、シキが去ってから五日を経てより一層の激しさを増して街中に響いていた。


 デモ行為などの露骨な行動に至ってはいないものの、市街区で交わされる言葉のほとんどが世界魔術機構に対する不満と不安で、これまで庇護して貰っていて、先の襲撃でもレインの魔術によって住民の死者はゼロだというのに、その恩はどこへ行ったやら。


 空に浮かぶ未知の大陸という不吉な影は、例え何も起こらなかったとしても地上に影を落として悠然と浮かび存在を誇示しているだけで精神に普段の何倍もの負担を与える。


 否、精神に影響が出ているのは人だけではないのだろう。


 ミラフォード周辺でも最近《色無し》の発生が相次いでおり、多い日では一日に何十体という《色無し》と遭遇する始末だ。普段ならば《色無し》の討伐に赴いたところで、一日に数匹見れば多いと感じることから考えると今の状況は明らかに異常だ。


 未知の大陸の出現と、《色無し》の大量発生。


 関連性を疑うなと言う方が無理な話だが、しかし関連性を疑ったところで確たる可能性を導き出すことは難しい。


 もちろん、世界魔術機構側からすれば浮遊大陸だけにかまけていることも出来ない。


 いくら浮遊大陸が現れて不安に思っているとはいえ、世界魔術機構に対しての住民の批判の声は明らかに誰かが扇動しているようにしか思えない速度で広がっていっている。


 となれば、容疑者として白羽の矢が立つのは《ALP》辺りだろう。


 魔術師を憎み、その所属する組織である世界魔術機構を憎む彼らならば、住民を煽って世界魔術機構を内部崩壊させようとする過激派が多くても不思議ではない。

《色無し》の出現が増えたことだけでも頭が痛い問題だというのに、人と人の争いは止むことはない。昔の偉人が言った、人類という種そのものを揺るがす存在が現れた時人はやっとのことで一丸となって立ち向かうことが出来るだろうという言葉なんて真っ赤な嘘だ。


 アルカンシエルや《色無し》といった人類の脅威となる化け物が存在する狭いこのステラスフィアでさえ、人は手を取り合うことが出来ないのだから。


 だがそのアルカンシエルが、ここ二週間は出現率が下がっているように感じられる。


 浮遊大陸が現れてからの二週間。世界各地で雨が降ったという情報は世界魔術機構に入ってきていない。アルカンシエルが現れないということは喜ばしいことではあるのだが、こうも変化が重なると人というのは逆に疑って精神を磨耗してゆくものだ。そして削られて尖ってゆく精神は何でもないことに疑問を抱き、より疑い深くなってゆく。


「それで、俺達が呼ばれた理由はなんでしょうか、レイン様」


 世界魔術機構の最高責任者レイン=トキノミヤの執務室。


 いくつかの例外的な人物を除いて、決して立ち入ることの出来ないその部屋で、大剣を背に背負った黒髪の男はレインの目をまっすぐに捕らえてそう問いかけた。


 鋭い目付きと堂々とした態度。幾多の修羅場をくぐり抜けた歴戦の猛者の風格を持った男、世界魔術機構でも指折りの魔導騎士と名高いキョウイチ=オリハラだった。


「わ、わたしも……何で呼ばれたんですか?」


 そしてもう一人。キョウイチの少しだけ後ろに控えるように、腰に刀を差した銀髪の少女がおっかなびっくりといった様子でそう尋ねる。


 こちらの少女は先ほどのキョウイチのように歴戦の猛者のような風格は無い。どちらかというと可憐な見た目で守りたくなるような体付きをしているが、その実はステラスフィアという異世界に来て早々に《加速》の魔術を使えるようになった才気溢れる新米の魔導騎士、カナデ=キサラギだった。


「なにそう警戒するでない。悪い話ではないのじゃ」


「しかし、どう考えても良い話ではなさそうですが」


「何、ちょっとした依頼だ」


 悪い話ではないと言われても、素直に気を抜けるような状況ではないのは明白だ。


 そもそもレインの執務室に直接呼び出される、ということによって与えられる情報、それは『他の人に聞かれたくない話』をする為に他ならない。


 携帯情報端末へと依頼を送るのではなく、どこにも痕跡を残さないために口頭で伝えることを選び、わざわざこの場所へと呼びだしたのだろう。


 つまりはそれだけ重要な案件。言ってしまえばここでレインから発せられることは誰にも話すことは許されない極秘任務ということだ。


「……ちなみに、その依頼は断ることは出来るのですか」


「それはできん」


「…………」


 珍しくそう言い切るレインに、キョウイチは眉を顰める。


 ぴりっとした空気に、カナデは緊張する。


 そもそもカナデは二日前に目を覚ましたばかりで、いきなり呼び出されたものだからキョウイチとレインのやり取りを見ていることしかできない。


 世界魔術機構に所属する嘱託魔術師には、基本的に拒否権が認められている。


 世界魔術機構は、様々な特権を得ることが出来る代わりに任務には絶対忠実であれという思想ではない。もちろん世界魔術機構に所属することで得られる特権を得続ける為には、危険を冒してアルカンシエルと戦う必要はある。


 けれども機構から発せられる任務はあくまで《依頼》であり《命令》ではない。


 絶対的な数が少ない魔術師という兵器を死地へと送り、むざむざ戦力を減少させるような真似は出来ない。戦力の減少は人類の危機を意味し、魔術師が居なくなれば人類に残された道は滅亡だけだ。


 だからこそ魔術師には、任務を断る権利が存在する。


《ALP》という組織は、それが気に入らないということなのだが……しかし今回のレインの話は、本来の機構の趣向からは離れた、どちらかというと《ALP》に近い絶対遵守の命令として言っている。


「……それほどまでに危険で重要な任務、ということですか?」


 キョウイチはそれほどまでに重要なことなのだろうと察してそう問うが、


「うぅむ……」


 レインはキョウイチに問われて、しかめっ面で目を瞑り唸った。


「…………?」


 キョウイチはレインのその反応に怪訝な顔をする。


 まだ余りステラスフィアの事情に明るくないカナデですら、似たような顔をしていた。


「ある意味危機的ではある。そして重要ではあるのじゃが……」


 そこで一旦言葉を切って、レインはカナデをじっと見る。


 金と銀のオッドアイに見つめられて、カナデは何故か心臓がドキッとした。


「……お主らは『癒しの天使アンジェ』の《神話》をどこまで知っておる?」


「はい?」


 いきなりの話の方向転換に、キョウイチは聞き返した。


「知っておるじゃろう? 星書に載っておるアンジェの《神話》じゃ」


「それは知っていますが……確か人々を癒して救って回ったという天使の《神話》……それも諸説あるようで、引き籠り天使などとも言われてもいるようですが」


「へぇ……」


 その言葉に興味深げに頷いたのは、隣で聞いていたカナデだった。


 その反応に、レインは目を細めながら続いてカナデにも問う。


「カナデ、お主はどうじゃ?」


「わ、わたしですか?」


「うむ」


 頷くレインの妙な迫力に押されてカナデは考える。


 ……神話って言われても、わたしまだこの世界に来たばっかりなのに、思い当たることなんて……でも……あれ……?


「……わたしも、知ってます。さっき、キョウイチさんが言った《神話》……」


「なるほどのぅ……」


 答えたカナデにレインは頷き、金と銀のオッドアイを閉じる。


「あれ、でも何でわたし、そんな話を知ってるんだろう……?」


「……さすがにカナデが知っているというのは変な話だ」


 静寂の中呟くカナデにそう返しながら、キョウイチはレインに視線を向けて言葉を続ける。


「それで、レイン様。この問答に何か意味があるのですか?」


「……うむ。実はその癒しの天使アンジェの《神話》の元となっているのは、一人の少女なのじゃがの」


 言われてキョウイチが真っ先に思い浮かべたのは、暗闇の中で膝を抱える少女の姿だった。


「……もしかして、あの少女ですか」


「察しがいいの。そう。そして問題というのはお主らも知っておるじゃろうが……これじゃ」


 そう言ってレインが取り出したのは、黒い表紙に金字でタイトルが書かれた一冊の本だった。


「星書……ですか」


「そう、星書の最新の更新……これがお主ら二人を呼んだ理由でもあるのじゃ」


 レインはぱらぱらと捲ってそのページを探し出し、星書をキョウイチへと手渡す。


 意図として思い出そうとしなければ、思い出せないような記憶ではあるが、しかし確かにそこに書かれた文章を、キョウイチもカナデも知っていた。


《――深き水晶の森の奥。空と海との境界線を跨ぎ冥府へと沈んだ悪魔が再び天使と出会った》


 アンジェの《神話》の一番新しいページにはそう記されていた。


「……これ……は……」


「……え?」


 深刻な声を出すキョウイチを見てカナデは驚くが、しかしこのステラスフィアで天使が神として崇められるように、悪魔というものは冗談でも名乗ってはならないほどの畏怖の対象だ。


「彼女に何があったのかは知らぬが、これは少々冗談にならぬと思っての」


「……なるほど、だから、この二人ということですか」


 キョウイチは合点がいったように頷く。


 世界魔術機構に存在する純粋な魔導騎士は、キョウイチを除けば一人だけである。


 その一人もいまはミラフォードに居ないし、言語魔術を扱える者ならば《加速》の魔術の真似事なども出来るが持続させるのは難しく、だからこそまだステラスフィアに来たばかりとはいえ魔導騎士見習い程度には《加速》の魔術が使えるカナデが抜擢されたのだろう。


「つまりレイン様は、彼女を追って監視しろ……というのですね?」


「うむ……何かあれば星書に記述が増えるので監視は必須ではないのじゃが、それ以外にも少々気になることがあるのでの……」


 歯切れ悪く言葉を切ったレインにそれは何かと聞く前に、レインは言葉を続けた。


「よって、キョウイチ=オリハラ。カナデ=キサラギ。二人に任務を受け渡す」


 ぴしりと背筋を伸ばすキョウイチを見習って、カナデも同じように背筋を伸ばして真っ直ぐに立つ。


「恐らくリインケージへ向かったであろう、シキ=キサラギ、及びセレスティアル=A=リグランジェを監視せよ。よいな?」


「はっ!」


「え? シキ……キサラギ?」


 胸に手を当て返事をするキョウイチの隣で、カナデは不意に出てきた名前に目を見開いた。


「そうじゃ。恐らくは、お主の……」


「――お姉ちゃん?」


 呟いたカナデの声は、静かな執務室の空気を小さく震わせて響いた。


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