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忘名のステラスフィア  作者: 霧島栞
二幕
56/77

53話

 少し前にも《白樹海》で一度、シキは元の男の身体と会ってはいるが、その時は自分が元の男の身体になっていたのであまり実感は無かった。むしろ元の身体でアリスと向かい合っていた時は、まるで鏡に向かい合っているような既視感に囚われたくらいだ。


 しかしシキの目の前に立っている少年は紛れも無くこの世界に来た時のシキとうり二つであり、着ていた服も、纏っている雰囲気も、表情も、どこからどう見ても見間違えようがない。


 そうにも関わらず、少年に感じる違和感は何なのだろうか。


 背後の風景が気味の悪い色が混ざり合った景色なのも一因だろうが、どうもそれだけではないように感じられる。


「あなたは……」


 シキの問いは先に言葉が続かず、尻すぼみに消えていった。


 疑問は溢れてくるものの、咄嗟に問うことが出来なかった。


 少年は苦笑交じりに口を開く。


「……せっかくの自分の身体との再開なんだ、感動とかないのか?」


 ……わたし、こんな声をしてたっけ。


 初めて向けられた自分ではない自分の声に、疑問を抱く。


 思えばアリスの声も、女の子になってからのシキとほとんど変わらない声だったが、《白樹海》の中で初めて声をかけられた時にそういった疑問を抱くことはなかった。


 だが今回は違った。


 少年の声は、根本的に何かが違う。響く声はまるでノイズが混じっているような、砂を噛むような気味の悪さを孕んでいた。


「……あなたは、誰?」


「つれないな、俺はお前。そしてお前は俺だ。ふむ……そんな台詞どこかにあったな」


 シキの問いに、一歩、また一歩と近付きながら少年は言う。


「ふ、ふざけないで! 後、近寄らないで!」


 シキは剣を抜いてその歩みを制する。剣先を胸に突きつけられた少年の歩みが止まる。


 ダイキはどうすればいいのか、剣に手をかけたままだが、セラはいつでも言語魔術が発動できるように思考詠唱をしているようだ。


 思考詠唱は言葉を脳裏で想像してそこから魔術言語を想起してゆく難しい技術だ。その分、詠唱時間も伸びるし、普通に詠唱するよりも威力が劣る為、不意打ちになどは良いかもしれないが基本的に対人や対魔術師以外では使う必要性が薄い。


「もちろんふざけてないさ。思わぬところで会えたんだからな」


 そう言って少年は、シキに突きつけられた剣から視線を移してシキを見る。


 まるで深淵を覗き込んだかのように真っ黒な、心の奥深く底の底まで見通しそうな瞳に、シキは心臓がどきりと大きく脈打つ音を聞いた。


「あなた……アリスなの?」


「はは、何故そう思う?」


 シキの問に、少年はおかしそうに笑いながら問いで返す。


「……その身体は、もうアリスのものだから」


「ふむ……そうだな。だがそうだけど、そうじゃないのさ」


「いったい、何を……」


 まるで謎かけのような少年の言葉に、シキは剣を強く握る。


 何か妙な動きをしたらすぐにでも斬りかかれるようにしながら、シキは考える。


 ……こいつはいったい誰なのか。何をするつもりなのか。何を知っているのか。考えてみるものの、沸いて出て来るのは疑問だけで何一つ意味のある思考が出来ない。


 そもそも、何でこいつはこんな森の奥に居るのか?


「――かつてここには、朽ちた大樹があった」


 そんなシキの思考を読んだかのように、少年はそう答えた。


「この場所の後ろには、昔焼け落ちて朽ちた大樹があったのさ」


「……朽ちた大樹?」


 シキが呟くように問う。虹色と黒色が混ざり合ったような不快な風景の中に、それらしき大樹の姿は見当たらない。


「そう。ここにあったのは、樹齢数千年と言う巨大な大樹の残骸だ」


「ちょっと待って。数千年とか……それはおかしいでしょ」


 少年の言葉にかぶせるように、シキは発言する。


 ステラスフィアの星歴はまだ千年には遠く及ばない、581年の歴史しか持たない。


 かつてアリスは、この世界ステラスフィアは、かつて一人の魔術師の手によって崩落させられた世界を、アリスが再構築した世界なのだと言っていた。星歴という尺度によって581年という時間が刻まれ始めた種子の始まりはいつなのかわからないが、星書の記述を見る限りでは遅くとも世界が創られたのが600年ほど前の話だ。


 いやそもそも、何故この少年はそこにあったという大樹が、樹齢数千年ということを知っているのか?


「まだ1000年も歴史の無いこの世界で、どうして樹齢数千年の樹木が育つっていうの」


「それはお前の方が良くわかっているんじゃないか」


 言って少年は背を向けて数歩、シキから離れる。


 ……恐らくは、アリスがステラスフィアを構築する際に、樹齢数千年の大樹をそのまま構築したのだろう。そのくらいは想像できる。だが問題はそこではなかった。


「……何で、あなたはそんなことを知っているの」


 そう。一番の問題は、何故この少年がステラスフィア創世の歴史を知っているのかということだ。ステラスフィアの真実を知る者は、アリスを除けば現状シキしか存在しないはずだ。


 アリスから直接聞く以外、その真実に辿り着く術など存在しないというのに、この少年はいきなり現れて、さも全てを知っているかのように話をする。


「それは言っただろう? 俺はお前。お前は俺だと」


 再び同じ言葉を繰り返す少年に、さすがのシキも苛立ちを覚え始める。


「……じゃあ質問を変えるわ。あなたはここで何をしているの」


「何、か。その問いに答える前に、こちらから言うべきことがあるんだが良いだろうか」


 そこで少年は再びシキの方へと振り向いてシキを捕える。


「……何」


 吸い込まれるような黒の瞳を見つめ返したまま、求められるままにシキは促す。


「俺と共に世界に復讐をしないか? シキ=キサラギ」


 少年の問いは、まるで冥府の底から発せられたかのように憎悪と怨嗟に満ちた音をしており、シキを見る瞳もまた同じく、世界のありとあらゆる絶望だけを宿したかのような暗闇に沈んでいた。


「な……それは、どういう意味……っ!?」


 シキが少年に抱いていた違和感……それは、少年の精神の在り様の違いだった。


 シキの元の身体と同じ姿でありながらも、その心の在り様が全く違った為に、激しい違和感に襲われていたのだ。それに気付くと同時に、少年の内面を押さえつけていたタガが外れたかのように、少年の身体を黒い霧が覆った。


「ま、まさか、こ、これは!」


 ダイキが瞠目して叫ぶ。少年が身に纏う黒い霧は、つい10日ほど前にミラフォードで起こった事件の時に見たそれと酷似していた。


「……《呪い》、アルカンシエル!」


 どれほどの時間を、どう過ごせばこうなるのか。


 数え切れないほどの絶望を知って、理不尽に死んでゆく怨嗟の声を聞き、己の罪で刺す悔恨の言葉を吐き、呼吸すらも止める呪縛に囚われ、心を灰にする憎悪を抱いたとしても……果たして、人はこれほどまでに深い暗闇をその身に宿せるのだろうか。


 一時の感情や狂気に支配されているのではない。


 その身体の在り様、精神の在り様が既に《呪い》そのもの。


 身体を蝕み心を砕き、狂気に染まるほどの《祈り》を幾度となく経験したとしても、これほどまでに純粋な《呪い》と同居することが出来るのだろうか。


「この程度のものはまだ《呪い》とは言えないさ。アルカンシエルが纏う《呪い》も、同じ程度のもの。本当の《呪い》というのは、がらんどうの中にじわりじわりと何度も何度も繰り返し繰り返し純粋に《祈り》を捧げるように歪んだ感情が蓄積されて、溢れ出る前に濾過され凝縮された感情を再び《祈り》で沈めてそれを永遠に繰り返し煮詰めたようなこびりつき一体化して剥がれることが無い自我そのもの……《呪い》とはそういうものであるべきだ」


 自我にすら達するほどの幾星霜に降り積もった《呪い》。それを持った存在、それは即ち……少年の言葉に思い浮かんだ想像で、シキは息を飲む。


「……まさか、あなたは……っ!」


「もう一度問おう。シキ=キサラギ……お前は世界に復讐する権利を持っている。俺と共に世界に――」


 ――と、少年は不意に身を裂くほどの冷気を感じて弾かれたように視線をセラへと移した。


「……ねーさまは、渡さない」


 幾星霜の積み重ねられた《呪い》を纏う少年を前にして、それでもセラは凛とそう告げた。


 シキが話し続けていた間、数分間ずっと紡ぎ続けてきた計七節もの詠唱から成る、セラが持つ魔術の中でも最大最強の魔術を放つ。


「<<<【散り逝く氷雪の幻野(アイスリーゼンツヴェルト)】!」


 放った瞬間、世界から音が消え去った。


 原子の運動を完全に停止させる絶対零度の幻野が、シキの前方全てを凍て尽くす。


 超広域型凍結魔術。【散り逝く氷雪の幻野】。


 それは、セラだけが使える数分間もの詠唱から放たれる絶対零度の言語魔術だ。


 超音波のように脳の芯に残るような音と共に、人も大地も空気も、そして《呪い》という概念すらも凍て付かせ、空間の停止にも連なるほどの絶対零度という圧倒的な支配力で蹂躙する。


 詠唱が凄まじく長く、範囲も一キロ四方にも及ぶため使いどころが難しく、放てば確実に他の事が何も出来なくなる為、実戦ではほとんど使うことが出来ない魔術ではあるが、その分威力は絶大だ。


 だがしかし、そんな圧倒的な支配力の中ですら少年は……笑っていた。


「――、―――、―――――――」


 声を出すことも出来ず、動くことも出来ず、空気すらも無い凍結の世界で、少年がそれでも笑っているのだと、一番目の前で見ていたシキにはわかった。


「――――」


 ぞっとするほどの深淵の瞳がシキを見る。その瞬間、何か言葉を告げられた気もしたが、けれどもそれもすぐに霧散して、少年の姿がすぅ……と消えてゆく。


「……終わった……の?」


 前方に広がる白い幻野を前に、シキは呆然と呟く。


 結局相手のことはほとんど知れず、その目的すらも知れず、後に残ったのは不気味な後味の悪さだけだった。


「う……」


 小さな声と、どさっ! と後ろから音がして、シキははっと我に返って振り返る。


「セラ!?」


「セラさん!?」


 ダイキと二人で駆け寄って、シキはセラを抱きかかえて、容体を確かめる。


「…………」


「ど、どうですか、白姫様!」


「……大丈夫、よかった……眠ってるだけだ……」


 先の魔術の無理が祟ったのだろう。シキはほっと息を吐いて肩を落とす。


 ……それにしても。セラの身体を抱いて、頭を撫でながらシキは思う。


 大規模な《色無し》の襲来。シキの元の身体とそっくりな謎の少年。


 ……浮遊大陸が現れてから、ステラスフィアで何かが変わろうとしているの……?


 様々な疑問が浮かんでは来るが、しかし今はセラが最優先だ。


 先の魔術師によってか少年が消えたことによってかはわからないが、水晶の森を覆っていた《白樹海》と同じ概念は消え去っていたが、さすがにこんなところや森の中で一泊するのは勘弁願いたい。


「……とりあえず、リインケージを目指そう。もう大丈夫だと思うから、ダイキ君、先導お願いね」


「あ、は、はい!」


 セラを背中に背負い、シキ達は再び森の中を進み始めた。


 その数時間後……二人とも蜘蛛の巣だらけの虫だらけになってようやく森を抜けた頃には、もう日が落ちてしまっていた。



 まだ少し先の話になるが、この森の出来事が後に星書に刻まれ、波乱を呼ぶ火種になることをこの時の三人は知らなかったのだった……。


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