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忘名のステラスフィア  作者: 霧島栞
二幕
54/77

51話

 その深き森には、妖精が棲んでいるらしい。


 どこからそんな噂話が流れてきたのかはわからないが、ある時、誰かが見たらしい。


 木々の隙間を抜け、道無き道を歩き、方向もわからなくなるくらい進んだその先に水晶の森があり、そこで妖精の姿を見た。と。


 それを聞いた時、シキはすぐさま回れ右をして、アードルの町に戻ってライドウに依頼の取り消しを頼みに行きたい衝動に駆られた。だがその話をシキが聞いた場所は、既に馬車の上だった。町を出発して一時間ほど経ったところだったので既に手遅れだったのだ。


 水晶の森に妖精が棲んでいるなんてただの噂なのかもしれないが、それを笑い話にしてしまうには、シキは少々複雑な心境だった。


 シキはこれまでにも何度かはアードルの北西にある森を横断したことがある。けれどもその時はそんな噂話など耳にしたこともなかった。つまり噂が流れ始めたのは最近だということだ。


 であればもしかしたらその噂は、シキの《神話》のように《白樹海》の影響があって生まれたものなのではないだろうか?


 そこに仮定が生まれる。


 どのようなことがあれば、水晶の森や妖精などという噂が作られるのかはわからない。そもそももしかしたら普通の噂話なだけであり、まったくの杞憂という可能性も高い。


 けれども嫌な予感、虫の知らせというのは得てして当たるものだ。


 ふとした拍子に悪い予感がするのも、虫の知らせ――何か良くないことが起こった、と察することが出来るのも、どちらも突き詰めれば言語魔術の根源に通じている。


 例えば人は、人ごみの中ではほとんどの声を聞きとることが出来ないが、ふと出された自分の名前などには反応してしまう。これは俗にカクテルパーティー効果と呼ばれるものだが、先の予感はそれと似たようなもので、予感や虫の知らせとは、世界から得られる様々な情報の中から、自分に関係のある情報を潜在的に察知しているから起こり得る事象なのである。


 と言ったところで、それよりもまあ……


「……これ、迷ってるんじゃないですか?」


 ……しかしそんな噂よりも、シキたちが気にかけるべき問題は目下のものだった。


 案の定と言うべきか。アードルの北西の森は、普段は人がほとんど通らないため蜘蛛の巣がびっしりと張り巡らされており、そこかしこに羽虫が飛んでいた。


 それでいてダイキが先ほど言った言葉は、まさに現状を一言で表すのには最適な言葉だった。


「だ、大丈夫だよ……進んでれば、きっと抜けられるから!」


 ――そう言うシキ達が森に入ってから、時間は既に4時間は経過していた。


 虫除けスプレーなどで態勢を整えたシキ達は、ダイキの先行の元、後方に五メートルくらい離れてシキ、セラという順番に並んで森の中を歩いていた。


「キミだけが頼りだよ、ダイキ君!」


「……がんばって」


「はぁ……」


 そう言うシキとセラに頼られて、ダイキは弟子として、男としての責務を果たすために、森の中を先導していたのだが……ただでさえ外に出ることが少なかった少年であり、さらにステラスフィアの地理に詳しくも無いダイキは、出発して1時間ほど経った段階でものの見事に道に迷った。


 当然の帰結だった。


 ところどころに羽虫の虫溜まりのようなものもちらほら見えて、それをかわしていたのがいけなかったのか、いや、問題はそれだけではない。木々の葉に邪魔をされて光が降りてこない森の中だ。薄暗い景色は進んでも進んでも似たような道ばかりで、方向感覚が狂ってしまうのだ。


 けれども道に迷っている原因がダイキの先導によるものだとしても、シキもセラも彼を責めることなどしない。何故ならば先頭を歩くということは、否が応でも蜘蛛の糸や虫まみれになるということである。


 さすがにそれは遠慮したいと思ってしまうのは、女の子なら仕方のないことだろう。


「ああ……くそっ!」


 そうしている間にも、また虫溜まりが進行方向に現れて、これまでの傾向的に迂回したらより迷ってしまうと思ったダイキは、町でセラにお金を借りたシキに買って貰った軽い片手剣を抜いて、虫溜まりを払うようにぶんぶんと振り回す。


 その剣は特に魔術言語などが掘られた特別な武器ではないが、初めて手にした剣ということで、当初、ダイキのテンションはかなり高かった。


 ……だが森を歩き始めてからは時間が経つのに比例して、腰に吊った剣が木々に引っかかって邪魔になったり、重さが段々鬱陶しくなってきて、そのうれしさは次第に薄れていっていた。


 それに加えて、剣で蜘蛛の巣を斬ろうにも、漫画やアニメのようにすっぱりと綺麗に斬ることなど出来ず糸がべたつくし、虫を払おうにも剣ではロクに払えない。


 最終的には、……くそ、これ、剣じゃなくて虫取り網とかの方が効率的じゃないか? と、そう思い始めてきている時点でなんかもう色々と台無しだった。


「……そういえば白姫様って、この森来たことがあるんですよね……。やっぱり白姫様が先導した方が」


「ヤダ。……絶対ヤダ!」


 シキが大きく首を振ると、白い髪がふわりと揺れた。


 ダイキにみなまで言わせなかった。即答だった。


「……あのね、わたしは虫が嫌いなんだ。あんなかさかさうぞうぞしている生き物……ひぅ……想像しただけで鳥肌が……」


 両手を合わせて肩を強張らせるシキに、セラもこくこくと頷く。


 セラの表情はいつもと変わらないようにも見えるが表情にはどこか鬱蒼とした色が含まれていて、『虫なんて滅べばいいのに』と、それは本気でそう思っている顏だった。


「……前にこの森を通った時は、どうしたんですか?」


「前はキョウイチが居たから滅多斬りにしてた。もう、糸も虫も木っ端微塵斬りだったよ」


「……なるほど」


 嵐のように剣を振り回すキョウイチの姿を想像して、ダイキはうすら寒いものを覚える。


 改心したとはいえ、ダイキにとってキョウイチは最初に一悶着あっただけに簡単に割り切れる相手ではないようだ。


「わたしでも出来なくもないけど、さすがに慣れてない魔術は疲れるから、万が一のことを考えるとあんまり無駄に魔術を使う訳にもね」


「……セラが、ここ一帯を氷漬けにするっていう手もあるの」


「それも考えたけど、生態系乱すと逆に色々と面倒なことになりそうだからそれは最終手段だね。……だからダイキ君は、がんばって先導して!」


「はい、まあ……がんばりますけど――?」


 と、ふとダイキの視線がシキの顏の横で止また。


 不自然なほどにぴったりと止まったダイキの視線に、シキは首を傾げながら横を見る。


 そして見た先で後悔した。


 いつの間にか、シキの肩の上には大きな蜘蛛が乗っかっていた。


『きしゃー?』


 実際は鳴き声なんてあげてはいないが、シキには確かにそう鳴き声が聞こえた。

 固まるシキの視界の中で、蜘蛛はわさわさわさわさと足を動かす。


「~~~~っ!? ~~~~っ!?」


 シキは声にならない悲鳴を上げた。怖くて目を離すことが出来ないその瞳に、涙を浮かぶ。


 蜘蛛の複眼と目が合い、


 やあこんにちは。


 いえいえこちらこそ。


 きぐうですね。


 こんなところでなにをしているのですか? 


 それはおまえをくうためさ。


 きゃあ。


 現実逃避を経て、シキの感情は決壊した。


「――《しゃ……灼熱の業火! 炎帝の抱擁! 汝は地獄の竈に封じられた、全てを燃やし尽くす原初の焔……っ》」


 直後に取った行動は、まさかの詠唱の開始だった。


 ゴゥ! と周囲の温度が唐突に跳ね上がる。


「ちょ、ま、白姫様それヤバくないですか!? それヤバくないですか!?」


 大事なことなのでダイキは二度言った。それしか言葉が出てこなかったとも言える。


 魔術言語を学び始めたダイキの脳裏には、シキが唱えている魔術のイメージがありありと映し出されていた。


 地の底から煮えたぎるマグマが這い出てきて、炎の柱が空へと放たれ火の粉の替わりに落ちる炎そのものが周囲を焼き尽くし、森を何人も触れることのできない焦土へと変えてゆく。


 紡がれる魔術が生み出すのは、そんな光景だ。


 ――ヤバい。あれは、ヤバい。あんなのが森に放たれたらと思うとぞっとする。


 その段階で既に蜘蛛は身の危険を察してか、シキの肩から居なくなっていたが、気が動転しているシキは気が付かない。


 そんな状態で魔術言語を紡ぐことが出来るのはひとえにシキの才能と、詠唱師として少しでも魔術言語のバリエーションを増やして置こうとしていた努力故にだが、しかし状況が状況だけに感嘆することが出来ない。


「せ、セラさん、何とかしてください!」


「ん……なんとかする……」


 セラもシキの言語支配域に展開された光景を見ていたはずだが、けれどもセラは落ち着いた様子で頷いて、動転するシキへと一歩踏み出し、そして、


「《炎転の輪廻に焼かれて、世界に――》」


「ねーさま……ちゅっ」


「んぅ!?」


「えぇ!?」


 詠唱を重ねるシキの唇に、チュッとした。


 背伸びして触れただけの、けれどもそれは紛れもない、くちづけだった。


 瞬間、世界から音が消えたと錯覚するほどに、周囲の熱が霧散した。


「――セ、セセセセセラ!? なななななな……何してるのっ!?」


「ねーさまの唇……げっと……」


「そ、そうだけど、でもそうじゃなくて!」


 真っ赤になるシキを見て、セラはにんまりと微笑む。


 そして続けて、少しだけじと目になって言う。


「……でも、ねーさま。創成魔術が使えるが使えるようになってはしゃぐのはわかるけど……でも感情に任せて使ったらメッ、なの」


「あ、あう……ごめんなさい……」


 叱られて、シキはまさにぐうの音も無くうなだれる。


 ……自分でも、少し軽率過ぎたと思うし……。


 そう思って落ち込むシキに、セラはいたずらっぽく言葉をかける。


「……ねーさま、元気出して。……もう一回ちゅってする?」


「し、しないからね!?」


 一方、その光景を目にしていたダイキは、シキとセラ、可愛い女の子同士のキスなんてものを見てしまって、いきなりの百合色空間を前に言葉を失っていた。


 シキのイメージは何とか下方修正を免れたが、シキとセラの二人に対するイメージが、別の方面で固まってしまっていた。


「セ、セラのばか……でも……反省しないと……って、ダイキ君、どうしたの?」


「い、いや、なんでもないですよ!?」


 いきなり話を振られて、ダイキは、ばっ! と振り返る。


「そ、それよりも先に進みましょう!」


 そしてそう言って無理矢理に剣を振り回して枝や蔦を斬り裂いて、少し進んで、


「……え!?」


 唐突に開けた風景の先。


 そこにあった水晶の森に、目を見開いて声をあげた。


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