49話
「はぁっ! ぐっ!」
「ほら、踏み込みが遅いよ。打つようにじゃなくて、しっかりと切っ先まで意識して振り切ること!」
「っ……はい!」
薄っらと光が満ちてきた早朝。まだまだ夜色の闇が消え去らない時刻。昨日泊まった宿から少し離れた広場で、シキとダイキは剣を交えていた。と言ってもそれは本物の剣ではなく、訓練用の木剣だ。実力差で言えば別に真剣を使ったところで問題はないだろうが、万が一ということもある。治癒の魔術が使えなくなった現在、さすがにリスクが高すぎる。
「もっとコンパクトに。大きく降りかぶりすぎ。それじゃ、初動がバレバレだよ!」
「……はいっ!」
慣れていないこともあるからだろうが、ダイキの剣は酷く読みやすい。
木剣とはいえ金属の剣に近い重さはあるので、力が足りず振り回されるような感じになってしまうのは仕方ないが、それ以前にダイキには無駄な動きが多すぎる。挙動に無駄が多い為、どの軌道からどこを狙っているのか非常にわかりやすい。
シキが振り下されようとしているダイキの木剣の横腹を強めに弾くと、力の軸がぶれてダイキの身体が外へと流れる。
「単調になってきてるよ。もっと緩急をつけて!」
「ぐっ……はいっ!」
攻めても攻めてもいっこうに崩れる気配が訪れないシキの太刀捌きに、ダイキは焦りを覚える。これでもシキは魔術を使ってはいない。言語魔術を扱っていると、自然と認識力が強化されて動体視力などが向上するということは聞いて居た。だからといって、渾身の斬り込みをこうも簡単にいなされ続けるというのはダイキにとっては焦りしか生まない。
どれほど強く斬り込もうとも、不意を打とうとしても、いともたやすくいなされてしまう。
男のダイキに比べればシキの方が細腕で、ダイキと同じ重さの木剣を操っているはずなのに何故ここまで差が出るのか、ダイキには理解出来ない。
「ほらほら、刃筋がぶれてる。それじゃ当たっても牽制にしかならないよ?」
カン! カン! と小気味良く響いていた音が、にわかに鋭さを増す。
「次、30秒凌いで!」
「っ……!」
空気が変わり、シキの踏み込みから放たれた左からの横薙ぎで、ダイキの木剣が跳ね上がる。何とか手を放すことは免れたが、その重さに『何でだ!?』という疑問が募る。
本人はわからないだろうが、外から見ていればシキの踏み込みは明らかにダイキのそれとは別種のものであることがわかるだろう。
動作の速さももちろん違うが、それ以上にシキの動きはほとんど無駄がない。無駄がないのは繰り出される所作が何度も何度も繰り返しの鍛練を経て洗練されているからで、魔導騎士と比べると洗練具合はまだまだお粗末なものだろうとシキ自身も認識している。最近は修練を怠っていたのでそこかしこに甘さが残っている。
だがそれでもダイキと比べればその差は歴然だ。
左の親指の入りから、右の踏み込みへ。重心を移動しながら腰を捻り生み出された力をあますことなく肩へ。そこからしならせるように腕へ。さらにその先の剣へと伝えて斬る。
繰り返し鍛練を続けることによって生まれる最適化された剣撃。
故にその剣撃は速く、そして重い。
「ほら、左、上、右!」
「たっ……! って……! がっ……っ!?」
軸足を右に変えたシキの立て続けの三連撃で、ダイキの限界が訪れる。
――カンッ!
一際大きな音が響いた瞬間、ダイキの手から剣が弾かれて、地面へと転がった。
「ま……参り……ました」
剣先を鼻先に突き付けられたダイキは悔しいと思う暇も無く、降参を強いられてその場にへたり込む。
「まぁ……こんなもんかな」
血払いをする必要もないが剣を振って、シキは自分自身の手ごたえも確かめる。
「こ、これで……、本当に……、魔術を使って……、ないんですか……っ?」
「当たり前じゃない。《加速》の魔術なんて使ったら相手にならないってば」
息を切らせながら問うダイキに、シキは髪を整えながらそう返す。
「うへぇ……」
「や、わたしだからまだこんなものだけど、魔導騎士とかだともっとすごいよ?」
「もっと……ですか?」
「うん。《加速》の魔術を使わなくても、例えばキョウイチ辺りならわたしだって五秒と持たないもの」
「ま、マジですか……」
シキ相手に手も足も出なかったダイキからすれば、それはいったいどういう次元の話なのだろうかと思ってしまうが、けれども事実なのである。
「マジマジ。ていうか、キョウイチ相手だと、初撃受けれないと思う」
「うへぇ……」
あっけらかんと言うシキに、ダイキはものすごく嫌そうな顔をする。
なんだかんだ言ってもシキは魔術が使えなかったので、日々の修練はキョウイチや他の魔導騎士の真似事に近かった。今は《加速》以外の魔術も使うことが出来るので、一応《加速》の魔術の真似事も出来なくはないが、それでも本職に比べると数段は劣る。
キョウイチと本気で打ち合いなんてすれば、一合と持たないだろう。
先に言った通り、受けることすら出来ないか、受けることが出来たとしても、その重さに押し切られるだろう。
魔導騎士というのは、斬鉄など当たり前のようにこなす化け物ばかりである。
ある意味では、魔術師よりも遥かに強大な力を持つ存在だ。
それならばまだ【不滅の灰】を使った状態で戦った方が、シキには勝ち目があるだろう。
「そういえば、昨日の《色無し》との戦いで使ったのも、《加速》の魔術なんですか?」
「あー、あれはまた違ってね。どういったら良いかなぁ……」
尋ねられたダイキの問いに、シキはどう返そうかと言った感じで迷う。
シキが扱う【不滅の灰】という魔術はかなり特殊な魔術だ。
自身の言語支配域を圧縮して、それによって所作を最適、高速化することが出来る……と。けれども【不滅の灰】によって起こる言語支配域の圧縮というのは、本来それを目的として行っているのではなく、ただ結果的にそうなるだけなのだ。
【不滅の灰】の本質とは、世界との接続深度の上昇だ。
元々は《神話武装》の前提条件として作られた魔術なのだから、それで得られる力というのは所詮副産物に過ぎない。
【不滅の灰】の本質とは、世界との接続深度の上昇。言語魔術を使う際に開く世界門を、常に開いた状態で固定することだ。
それによって生まれる副作用である言語支配域の圧縮によって、所作を想起することで最適、高速化し魔導騎士並みの動きをすることもできるし、詠唱も省略して魔術を行使することも出来る。
だがその分、跳ね返ってくる反動は大きい。世界門を開きっぱなしにするということは、流れてくる膨大な世界の情報を受けるづけるということに等しい。
それを可能としているのも【不滅の灰】という魔術の在り方に所以するのだが……
「……とりあえず、今はそれよりもダイキ君の修練が先かな。ほら、木剣拾って」
そう言ってシキは思考を打ち切り、ダイキへと剣を向ける。
「ちょ、ちょっと待ってください」
剣を向けられたダイキは、何とか手をついて立ち上がるが、膝が震えていた。無理もない。ほとんど運動などしていなかった少年なのだ。
「とりあえず、あと二日で30秒は耐えられるようにしないとねー」
「え、えぇ!? ……マジですか?」
驚き声を荒げるダイキを見て、シキは久々に楽しくなってくる。
「あはは、マジマジ。わたしも身体がなまってるし、ちょっと本気出そうかな」
「ま、待ってください、そんな!」
「いくよー」
「ちょ、ちょ……っ!」
慌てるダイキにシキは笑顔で斬りかかり、その後しばらくダイキは地獄の修練に勤しむこととなった。
その数時間後。
「…………」
「……ねーさま、それなに……?」
「えっと……かつてダイキ君だったもの……かな?」
「…………」
「……ねーさま、張り切りすぎ……」
「やー、そのー、……えへ? で、でもまだ本気じゃないから!」
「…………」
光が満ちる頃に戻った宿屋で、ぼろぼろになったダイキはシキとセラのそんな会話を聞いて、シキのスパルタ具合を舐めていた自分を戒めることとなった。
……白姫様、マジ容赦ねぇ……と。