47話
「なるほどなぁ、それでこんなことになってるのか」
「まあ、そういうことだ」
透明色の空に少しばかりの陰りが訪れ、これから夜色の闇が世界を塗り替えてゆく時刻。
地球で言うところの夕刻といった時刻か。ステラスフィアでの光と闇の入れ替わりは夕日が落ちる地球のそれとはまったく違うが、見る者に感動を与え、これから来る夜への安心と不安が入り混じったような、或いは郷愁と呼ばれる感情を心の深い場所から呼び起こす。
空から満ちる光を塗り替えるように、空の一番高いところから静かにゆっくりと宵闇の帳が下りてきて、遠く見える空にまるで夜色のカーテンがゆっくりと降りて行っているようにも見える光景は、夕焼けの茜色とは違えど見る者に帰るべき時だということを思い起こさせる。
天体として存在しないこのステラスフィアでは、そうやって朝と夜とが巡ってゆくのだ。
そんな宵待ち時。ミラフォードの南西に位置する町アードルで、シキ達を護衛にした商人であるオルドは苦笑しながら知己の商人と語り合っていた。
時刻がそんな時間だというのに、まだまだ町の中は騒がしい。
その理由は今まさに町の入口から運び込まれている氷塊が原因であり、普段はただの空き地となっている広場には、今いくつもの氷塊が転がされていた。
「しっかし、本当に良く無事だったな。そんな量の《色無し》と遭遇してよ」
「まあなあ。俺も今回ばかりは死んだかと思ったが……」
感慨深げに頷いてオルドが見るのは、氷塊の中の馬型の《色無し》の死体だ。
「……こんなことを一瞬でやってのけるってんだから、魔術師っていうのはおっかねぇなぁ」
続けて少し前まで会話をしていた白髪の少女と青い髪の少女、そしてその連れらしい金髪の少年が消えて行った大きな建物――ミラフォードを除く各都市や町村で依頼を発行している総合依頼斡旋所――を見やって、オルドはそう感想を漏らした。
あの後――馬型の《色無し》の大群を倒したシキ達は、その死体の処理の為も含めて、セラに頼んで全て氷漬けにした後に一番近い町であるこのアードルへとやってきていた。
アードルはミラフォードに一番近い酪農や農業を主とした生産業によって栄えた町で、特産品は乳製品やいくつかの野菜。その他には特にこれといって目立った設備などは存在しない代わりに落ち着いた雰囲気を持った町である。
しかしそんな町にも、いやそんな町だからこそ総合依頼斡旋所の支部には日々様々な依頼が舞い込み発行される。
そのほとんどが家畜の世話から農業の手伝いだが、中には害獣の駆除やその延長として出現する《色無し》の討伐依頼を発行することもある。
そう聞くと世界魔術機構のシステムと似たような様に感じられるかもしれないが、実際その認識は正しい。
基本的にミラフォードを中心とした依頼を発行する世界魔術機構は、圧倒的に他都市から支持を得られていない。
魔術師の安全を第一に考えるというレインの思考はステラスフィアという世界の存続という点で見れば概ね正しいかもしれないが、それで見捨てられる人々からすればたまったものではない。そういったことによる軋轢が《ALP》や反世界魔術機構派の組織を生み出している温床となっていることは明らかだがこればかりはどうしようもない。
そして総合依頼斡旋所は、そういった世界魔術機構の手に及ばない所をフォローする為に作られた、元民間組織であった。
世界魔術機構に恨み妬みをぶつける民衆の前で自分たちに出来ることを説き、立ち上がった一人の有志。総合依頼斡旋所の名前は、その創始者であるフォーカス=ラインバッハから取られているという。
前者の手伝いなどは民間によるものなので報酬も各自で用意することが出来たが、後者の害獣の駆除や《色無し》の討伐に関しては当初一民間組織であった《ライン》にはどうすることもできなかった。
僅かながらの資金を捻出しての依頼発行を行ったところで集まる人物などしれたもので、今でこそ三大都市の一つの文化都市リインケージの《都市国会》によってその活動の援助が成されているが当時はかなり厳しいものだったらしい。
話は少しずれたが……実はアードルの《ライン》でも先の馬型の《色無し》の大群の存在は察知していた。都市や町村間の連絡に至っては、《ライン》は世界魔術機構と比較にならないほどの連絡網を持っている。世界魔術機構のように独自に武力を有していない《ライン》では、情報の速さが組織の生命線となっている。
それ故に今回の件に関しても早い段階で察知して、狩人や冒険者へと向けて依頼を発行して迎え撃つ体勢を整えていた。とはいえ数が数だけにかなりの犠牲者が出てしまうかもしれない……とそう思っていた矢先、事態は思わぬところで解決してしまったのだ。
「――シキ殿でしたね。改めて礼を言います。ありがとうございます」
「頭を上げてください。わたしたちが討伐したのも偶然でしたし……」
シキ達は通されたアードル《ライン》支部の応接室で並んで座って、支部のお偉いさんらしき人物に頭を下げられていた。
「いえ。偶然とはいえアードルの町が守られたという事実に変わりはありません。今回の件に関しては本当に助かりました。《ライン》一同の代表として、礼を言わせていただきます」
「いやぁ……まあ……そうですか?」
さわやかな笑みを浮かべてそう言う彼は、高めの身長にぴしっと伸ばされた姿勢のいかにも仕事が出来そうな男性で、名をライドウというらしい。
先ほどから何度も礼を言われているシキは最初こそ恐縮しきっていたものの、段々と気を良くしていって今では照れながらもうれしそうな笑みを浮かべている。
「ええ。そちらの方もなんでも高位の魔術師ということで、素晴らしい腕前らしいですね」
「……ん。よきにはからえ……」
などと言われたセラも満更でもない様子で、その陰に隠れてダイキだけが少々居心地が悪そうに苦笑いを浮かべている。もっともシキも馬鹿ではないので、これだけ露骨に感謝の意を示されるのには理由があることくらい重々承知だ。
「私たちで何かできることがありましたら、言ってくだされば尽力を尽くしましょう」
「それじゃあ、とりあえずは初めに言った件なんですけど、大丈夫ですか?」
「冒険者としての《ライン》へのメンバー登録の件ですね?」
元々シキたちは《ライン》に顔を出そうと思っていたし、そこで《ライン》のメンバーとして登録もしようとしていたので、シキにとって今回の出来事は一石二鳥と言えなくもないが、事態はそうそうシンプルなものではない。
「そちらは問題ありません。明日には登録を済ませてカードをお渡ししましょう。――何なら実力もおありですし高位のランクからでもよろしいですが、どうでしょう?」
――来た。笑顔のままそう言うライドウの言葉には何ら不自然なところは存在しないが、シキはここに来てからいつそういう話を持ち出してくるかなぁ……と思っていたので笑顔を張り付けたまま言葉を返す。
「それは段階を踏んでやっていきたいと思います。まだまだ不慣れな駆け出しですから」
「いえいえそんなご謙遜を。あなたならばきっとうまくやれますよ」
「いえいえ今回も結構危なかったですし」
いえいえいえいえと譲り合いながらも、二人の間に火花が散る。
シキもライドウも笑顔のままなのが、その様子を見ていたダイキからは非常に不気味に映ったことだろう。因みにセラはシキにもたれかかってぐったりとしている。
「大丈夫です。あの数の《色無し》を相手に無傷で討伐出来るのですから、自信を持ってください」
笑顔で食いついてくるライドウに、シキは笑みを張り付けたまま心の中でため息を吐く。
《ライン》の人材不足は、世界魔術機構よりもかなり深刻な問題だ。
だから迂闊なことをして初めに名を上げるというのも、そうそう良い話ではないのをシキは知っている。高位のランクのメンバーが受けられる依頼には、主に報酬という点でかなりの差があることも知っている。シキにとってもそれは惜しいが、だがランクが高くなればなるほど厄介な依頼も増えて自由に動けなくなってしまう。そうなってしまうと本末転倒だ。
「無理して仲間を危険な目にあわせるわけにはいかないので……申し訳ないですが……」
「……そうですか」
申し訳なさそうにシキがそう言うと、ライドウもさすがにこれ以上は無理かと察して、そう言って苦笑を浮かべながら身を引いたようだ。
「もし気が変わりましたら、一報頂ければ取り計らいますので是非」
「あはは……気が変わったら、お願いします」
それでもライドウは完全に諦めたつもりはないようで、笑顔で言った言葉に、シキも愛想笑いを浮かべてそう返した。
「……さて、他に何かありますか?」
「いえ、こっちは他には特には無いですよ」
「ふむ。……後はこちらからはそうですね。今回の依頼は受けていなかったようですが、後処理ということで報酬も支払いましょうか?」
「え? 良いんですか?」
その言葉に、目がドルマークになっていてもおかしくない速度でシキは食いついた。食いついてしまった。
「え、ええ。討伐した《色無し》に関して、使える部位の買い取りも行いますし」
「わ、ありがとうございます! 助かります!」
まさかのお金に関するところでの喰い付きように若干引き気味のライドウに、シキは感謝の礼を告げるがしかし、
「そのかわりなんですが」
と続けられたライドウの言葉で、シキがあれれ、もしかして……はめられたかも? なんて思ったのも後の祭りで。そもそもはめられたとかいう問題ではなかった。自分から飛び込んで行ったようなものだった。先ほどまでの警戒心どこいった。という感じだった。
「もう一軒少し厄介な依頼がありまして」
そこで告げられた依頼を聞いて、シキは大いに後悔した。
……その様子をずっと見ていたダイキは、終始苦笑いを浮かべつつ、これはもしかして師事する相手を間違ったのかもしれない……と早くも後悔の念を抱くのだった。




