43話
時間は数日前に遡る。
「――知らない天井だ……」
ダイキが目を覚ました時に言ったのは、そんな言葉だった。
勝手知ったる漫画やゲームに溢れた自分の部屋でも、ステラスフィアに来てあてがわれた殺風景な部屋でも、医務室のような薬品の臭いがする白い部屋でもなく、その場所はダイキにとって記憶の中には存在しない、どこか生活感のある暖色に囲まれた部屋だった。
「俺は……どうしてこんなところに……?」
ダイキは身体を起こしながら、周りを見回す。
部屋の中には暖かな光が窓から差し込んできていて暖かく、落ち着いた雰囲気の木材細工のタンスや本棚が並んでいる。本棚にはどこか小難しいタイトルの本が並べられている。そこから察するに恐らくこの部屋の主は成人した男性だろう。女性が過ごしている部屋にしては、華やかさが足りないし、それに、
「あれは……」
ふと部屋の隅に視界が行き、ダイキはそこに立てかけられている物に好奇心が刺激される。
鞘に入った、直剣。黒い鞘に納められた無骨で真っ直ぐな剣だった。
「…………っ!」
それを見た瞬間、ダイキは唐突に思い出した。
ステラスフィアに来てからの記憶。
それはダイキにとって、屈辱以外の何物でもなかった。
理想と違う世界に苛立ち、心の弱みに付け込まれて騙され、利用された。
世界魔術機構を憎み、自分を利用したセイジを憎み、周囲の誰もを憎み……だがしかしその憎しみは、全てを思い出したことでダイキ自身を貫く悔恨の刃へと変貌して心を抉る。
「はぁ……っ! はぁ……っ! ぅ……うぷ……うおえぇっ! はぁ……っ! はぁ……っ! ぁ……っ! うぁ……っ!」
吸い込んでも吸い込んでも酸素が足りない。心臓を握りしめられたかのように胸が苦しく、胃の中の物を吐き出そうとするが吐き出すものはなにもなく、せり上がる嘔吐感に喉が締め付けられて涙が溢れる。
ベッドから崩れ落ち、冷たい床にうずくまる。
「っ……ぁ、はっ……ぐっ……ち……違う……違う違う違う違う違う違う……っ!」
掠れきって声にならない声で、ダイキは否定する。
――殺した。
黒い影のアルカンシエルに憑り付かれた状態の意識の中で、けれどもダイキはその記憶を鮮明に覚えていた。
『――、――――――! ―――――!』
誰かが目の前に立ち塞がっていた。
ダイキが視線を向けると、その男はびくりと身を震わせたが、しかし次の瞬間には気丈な態度で再びダイキへと声をかけた。
『――――! ―――――――――――、―――――――――!』
恐れを抱きながらも立ち塞がる男は勇敢で、真剣な表情をしていた。
ダイキにはそれがどこかうらやましいと感じたが、しかし男が手に持っていたものを見た瞬間、ダイキの感情はただ一色に染め上げられた。
光をに照らされてぎらりと輝きを放つ、争いの為だけに作られた道具。
命を奪う為に作られた武器――鋭い刃を持った剣。
――死にたくない。
ダイキは心の底からそう思った。
祈りが呪いと混じり合って、たった一つの『言葉』に心と意識が支配される。
――『助けて』。
ただひたすらにそれだけを願った祈りは、故にそれ以外の全てを呪う狂気と化す。
『《【sl-■■la-za■■】(壊れた世界に慈悲の【呪い】を)》』
呪いによって風の刃が作られ、男の身体が裂けて鮮血が吹き上げる。
狂気に支配された、ただ世界を呪うだけの獣……アルカンシエルと化したダイキは、助かったことを安堵して笑っていた。
「うぷ……っ、か……っ! は……っ!」
……違う、俺は、そんな、そんなこと、望んでなんか……。
理想じゃないこのステラスフィアという世界を憎み、否定された世界魔術機構を憎み、復讐をしてやると思っていた。
たかだかファンタジーの世界だと思っていた。
良くあるダークヒーローのように、人を殺すことなんてどうとも思わないと思っていた。
だがしかし、それはどこまでも、幻想でしかなかった。
『――――』
ゆっくりと、ゆっくりとスローモーションのように、覚えてる。
それはダイキが覚えていた、一番新しい記憶だ。
白い髪の美しい少女の記憶。
空に浮かぶ巨大な氷塊が落とす影。死を前にして、その少女が自分を突き飛ばした記憶。
その少女の事ははっきりと覚えていた。
彼女はステラスフィアで一番初めに見たまるで魔法のような光景を生み出した少女であり、ちらりと小耳に挟んだ程度だったが、白姫様と呼ばれて皆から頼りにされる存在なのだと、ダイキは知っていた。
彼女とダイキの間には、ほとんど接点などなかったはずだ。
それなのに、彼女は目の前に迫る死を前にして、迷わず自分が逃げるのではなく、ダイキを突き飛ばしたのだ。
「っ……は……っぐぅ……何で……」
何で俺なんかを……と、ダイキは思う。
特別なんかじゃないと、自分でもわかっていた。けれども特別になりたかった。
信じた。信じるしかなかった。それ以外自分の心を守る術を持たなかった。
そんな偽りと虚勢に固められた自分が崩れ去り、ダイキは慟哭する。
否定したい、逃げたい、全部違うと、幻想へ逃げ込んで楽になりたい――そう考えかけたダイキは、ふと何かを感じて顔を上げて、いつの間にか開かれていた扉のその先……心配そうに自分を見つめる瞳を見た。
「……大丈夫?」
「……え……あ……?」
ダイキは一瞬、何を言われているのかわからなかった。
目が合ったのはまだ年端もいかぬ少女だった。
「おかーさん! おにーちゃんが目を覚ましたよ!」
そう言って、声をかけてきた少女は扉の向こうへと走ってゆき、引っ張られるように連れられて現れた母親らしき女性がダイキを見て言う。
「……おやまあ、なんて酷い顏してるんだい……」
「……っ」
言われてダイキは顔を拭おうとしたが、けれどもその手は止まって動かない。
「だって……俺は……っ」
「何があったかはわからないけど、大変だったんだねぇ……」
その女性はダイキの事情など一切知らなかったので、ただ何となくそう言っただけだったのだろう。
「……っ、う……ぁ……あああああああああああ……っ!」
しかしダイキにとって、それがたとえ上辺だけだったとしても、そう言われては堪えられなかった。泣き続けるダイキのそんな様子を女性とその女性の子供であろう少女は、ダイキが落ち着くまでずっと眺めていた。
……その後何とか平静を取り戻したダイキは、どうにかしてけじめをつけなけいと……と、泊めてくれていた女性……ヘレネに今回の件での死傷者について尋ねた。
ヘレネは何故そんなことを聞くのかと不思議に思ったようだが、ダイキの真剣な様子に、ヘレネは答えた。
驚くことに今回の件での死者は最初の衛兵だった。
市民には怪我人すらほとんど居なく、その分衛兵にも嘱託魔術師にも怪我人は多かったようだが、それでもダイキにとって死者がほとんど出ていなかったというのは、心の底から安心出来るべきところだった。
……とはいえ、数の問題ではなく、ダイキは人の命を奪ってしまったのだ。
都市の人々の為に命を賭した、勇敢な衛兵の葬儀はミラフォードから出て少しだけ歩いたところにある灰花の丘で行われた。
空に現れた浮遊大陸に対する警戒で、大掛かりな葬儀にはならなかったが、しかしそこでダイキは一人の女性と出会う。
他の誰よりも深く悲しみ、涙を流す、一人の女性の姿。
男の婚約者だった、アイリと言う女性だった。
ぼろぼろと涙をこぼす女性の姿を見て、ダイキは恐怖で竦む足を何とか動かして、アイリに彼を殺したのは自分のようなものなんです、と告白した。
ダイキの説明は、彼がステラスフィアという世界のことをほとんど知らないが故に伝わらない部分も多かったが、アイリはダイキが言うことを無言で聞き続け、最後にこう言った。
「……あの人は、人を守ることを誇りだと言っていました。だから……アナタは生きてください。あの人が守るはずだった命に……アナタもきっと含まれているのですから」
そう言った女性は、振り返って泣いていた。
それを見たダイキも、どうしようもなく悲しくなって泣いてしまった。
そうしてダイキはヘレネの家へと戻り、必死に考えた。
これまでのダイキの人生の中でも、これほどまでに考えたことなどなかった。
……どうすれば償いになるのか。
……どうすれば罪が許されるのか。
心配するヘレネをよそに、ダイキは一人でずっと部屋の中で考え……そしてふと、とある噂を耳に挟んだ。
シキもセラも気が付いていなかったが、二人が旅に出るということはミラフォードでちょっとした噂になっていた。白い髪の少女と、世界魔術機構でも有名な《氷雪の天使》ことセレスティアル=A=リグランジュが旅に出るというのだ。
その噂を聞いたダイキはまさかと思い、そして……。
……誰かの為に、命を懸けられる彼女ならば、きっと俺が求める答えもあるはずだ。
そう思ってのダイキは、シキに弟子入りを志願したのだった。
……因みにその光景は星書によってばっちりと記述に残され、アンジェが都市の真ん中で少年を土下座させた。とまた妙な方向へと綴られ、シキが頭を抱えたのは余談である。




