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忘名のステラスフィア  作者: 霧島栞
二幕
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34話

 シキがセラと出会ったのは、約一年前の話だった。


 昔イーリスという小さな町があったというその場所は、今は別の名前……氷結の廃墟と呼ばれており、北の地だけあって寒いのは当たり前ではあるのだが、氷結の廃墟の周囲は他とは比べ物にならないほどに寒く、防寒具も無しに足を踏み入れれば数分と持たずに凍死することになるであろう寒さだった。


 その原因は、氷結の廃墟の名前が示す通り町の大半が氷に覆われており、それ故に家屋は降る雪や冷たい風によって崩れることが無く、まるで町をそのままの形で残すために氷が意思を持って護っているかのように。


 それだけでも奇妙な光景だというのにもかからわず、さらにその奥地には遠くからでもわかるくらいに、巨大な氷壁が花のように咲き誇っていて、その存在をさらに異様なものへと押し上げていた。


 一体何があれば、こんな光景が作り上げられるのか。


 そして何故シキが、そんな場所に立ち寄ることになったのか。


 それは世界魔術機構からの依頼で、『フェンリル』と呼ばれる個体名の付けられたアルカンシエルを討伐する為に、被害が出ているという北の鉱山へと向かう途中、クレアが《千里眼》で妙な雰囲気を感じ取ったからだった。


 クレアの《千里眼》は、正しくは認識に関する魔術である。


 黒い目隠しに書かれた《目》の文字を媒体にして、世界から得られる情報を認識する。


 どこか隔絶されているような、現存する世界とは違うような違和感を覚えたクレアの報告が気になって、先に氷結の廃墟を探索しようということになった。


 氷結の廃墟の中ではクレアの《千里眼》がうまく機能しなかった為、ゆっくりと警戒しながら探索を続け、そして氷結の廃墟の最奥、その場所でシキは緋色が混ざった氷塊の中に閉じ込められた一人の少女……セラと出会った。


 どこまでも透き通ったような透明色の氷塊に血の緋色が混ざり合い、セラの髪の青色とコントラストを奏でる幻想的な光景を前に、しかしシキ達はその光景を悠長に眺めている余裕などなかった。


 その氷塊の前に、銀色の毛並みを持つアルカンシエル……シキ達が討伐を目的としてやって来る原因となった個体、『フェンリル』がそこに居たからだ。


 唐突に始まった戦いにもかかわらず、身体が弱いにも関わらず無理を押してここまで来てくれたキリエの活躍もあって、なんとか『フェンリル』を討伐したシキ達は、改めて氷塊に閉じ込められた少女、セラと対面した。


 ――閉じられた瞳はあふれそうな涙を堪えるように瞑られていて、ただただ悲しむように、追悼するように、祈るように、両手が重ねられていた。


 何があったのかなんて、シキにはわからなかった。


 けれども氷塊の中で手を重ねる少女を見たら、シキは居てもたっても居られなくなった。


 たった一人、ずっと氷の中に閉じ込められていたのだ。


 それも、こんな幼気な少女が、だ。


 何を願ったのか。


 何を悲しんでいるのか。


 胸が締め付けられる苦しい感覚を抑えきれずに、シキはセラが閉じ込められた緋色の混じった氷塊に手を伸ばしてそれに触れて……愕然とした。


 傍から見ただけではわからなかったが、その透明色の氷塊は、シキが治癒の魔術を使う際に失われてゆく世界の記憶を引き出している場所……即ち《白樹海》のそれと酷似していたのだ。


 膨大な量の概念に覆われた血の緋を混じらせた透明色の氷塊。


 そしてもう一つ。


 驚くことに、氷塊の中のセラがまだ生きていたのだ。


 それに気が付いたシキははっと我に返り、氷塊の概念を全て破壊してそこからセラを救いだした。


 緋色の氷塊から解放されたセラは、解放されると同時にまるで止まっていた時間が動き出したかのように瞳を開けて……冷たく冷え切った小さな手、その身体を温めるように抱きしめられていることに気が付き、わけもわからず涙を流した。


 シキは泣きじゃくる冷たいセラの身体を温めるように、セラが暫くして眠ってしまうまで、ずっとやさしく抱きしめていた。


 ――セラにとってシキが特別であるように、シキにとってもセラは特別な存在だった。


 セラがシキを姉のように慕っていてくれたからという理由もあるが、シキもセラの事を自分の家族であるかのように、大切な人として接していた。


 ――だからこそ。


 扉の前に立つセラを見て、シキは恐怖する。


 好きだという気持ちを誰よりもストレートにぶつけてきていた、大切な人。


 暖かな温もりを感じさせてくれる、本当の家族のように大切に思っていた少女。


 セラに忘れられたことを告げられたら、わたしは――。


「いや……っ、やぁ……来ないで……っ!」


 耳を両手で塞いで、後ろへと後ずさろうとする。


 けれどもそこには無骨な壁があるだけで、どこにも逃げ場など存在しない。


 セラが一歩、また一歩と、小さな歩幅で近寄ってくる。


「いや……いやぁ……」


 シキは髪を振り乱して首を振って目を閉じる。


 そんなことをしても無駄だというのは、キョウイチの言葉で実証されてしまっている。


 しかしそれでもシキにはもう、それしかないのだ。


 自分の心を護る手段はもう、それしか。


 ただ蹲って否定することだけしか、今のシキにしは出来ないのだ。


 いくら耳を塞いだところで、小さな足音は消えない。


 近寄ってきたセラの雰囲気を、肌に感じる。


 足音が止まる。


 セラはもうシキの目の前に居るのだろうが、シキはそれを確認する為に目を開けられない。


 恐怖で身体が震え、かちかちかちかちと歯と歯が当たって音を立てる。


 気が狂いそうなほどの恐怖に必死に耐えるが、それはもはや人が耐えられる狂気ではない。


 呼吸が乱れ、心臓がやけにうるさく脈打つ。


 ――シキにとって、セラとの思い出は一番の暖かな思い出だ。


 それすらも凍て付いてしまったならば、もう……。


 と――。


 拒絶するシキに、暖かさが、触れた。


「……………………ぇ?」


 掠れた声、疑問の声が、微かに自分の耳に届く。


「……ん」


 鼻腔を擽る、セラの匂い。


 柔らかな腕の感触。


 小さなセラの手がシキの頭を撫でていて、シキの冷え切っていた心に小さくて暖かな火が灯る。


「……セ……ラ……?」


 希望なんてもう無い。


 そう思っていたシキに差した、一筋の光。


 ぐしゃぐしゃになった顔を上げて恐れる心を押しのけて、瞳を開いた先に見えたのは、セラの慈しむような表情で。


「……ん、ねーさま」


 呼ばれて、シキはもう堪えられなくなった。


「ぁ……」


 ぼろぼろと、涙が落ちた。


 絶望していた心が暖かな熱に触れて、冷え切っていたその心と身体がじわりじわりと溶かされてゆく。


「ひっ、ぐぅ……セラ……セラぁ……ああぁぁぁあああああっ!」


 一度溶け始めてしまえば、もう涙も、感情も、堰を切って溢れ出して止まらなくなる。


 ……忘れられてなかった! 覚えてくれていた! セラが……わたしを……っ!


 息が苦しくなって嗚咽が漏れて咳き込んでも、それでもシキは泣き続けた。


 そんな泣きじゃくるシキを、セラはそっとやさしく抱きしめてシキに囁く。


「……ねーさま」


 あなたはそこに居るとそう告げるかのようにやさしく。


 忘れていないからと言うように、確かにシキに届くように。


「……ねーさま」


 一年前にシキがセラにそうしていたように抱きしめて、何度でも何度でも囁く。


 シキが落ち着くまでずっと、ずっと。


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