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忘名のステラスフィア  作者: 霧島栞
一幕
33/77

エピローグ 忘名のステラスフィア

「……良くもまあ、やってくれたものじゃの」


 窓一つも無い執務室に、怒気を含んだ声が響いた。


 他の物音など何一つ無く、完璧な静寂を切り裂いた言葉は明確な矛先を形成し、正面に佇む男へと突き刺さる。


「まるで見知ったような物言いだな。レイン様?」


 そんな矛先を意に介せず、軽薄は笑みを張り付けた男は、舌の上にもその軽薄さを乗せて混ぜ返す。


「ふん、お主に様付けされる義理もないわ」


 レインはいつものように机の奥の椅子に腰掛けたままだが、視線だけはまるで射殺さんがばかりに鋭く男に向けている。次の一挙動、何かすればそれを引き金にして殺してやると言わんがばかりに。


「……カハハ。俺もずいぶん嫌われたもんだ。俺だってまだ嘱託魔術師の籍を残しているんだぜ? かわいいかわいい飼い犬じゃあないか。大事に扱ってくれよ」


 男はそう言って大げさに肩を竦める。


「ALPの飼い犬の間違いであろう? ――セイジ=キド」


 紡がれた名前の主……セイジは、わずかに首を傾げただけでなにも言わずにレインへ視線を向けたまま、変わらず軽薄な笑みを張り付け続ける。


「何のことだ? 古巣が気になって戻ってきたというのに、つれないじゃあないか」


「白々しいことを……お主の動きも全て知っておる。今更弁解など聞く気は起こらんぞ」


 右へ左へ少しだけ視線を動かして考える素振りをしてから、セイジはやれやれと小さく首を振って愉快そうに唇を歪ませる。


「ハハ……なるほど。なるほど。都市内だと監視されてるってことか? クラリッサ=フィアーゼの《千里眼》のようなものか?」


 その返しに、レインは小さく舌打ちを漏らす。


「……さあのう? それよりも今回の顛末を素直に話すならよし。話さぬならば……」


「おいおい無理するなよ。隠しているようだが、相当疲弊してるんだろう?」


 立ち上がり手を振りかぶろうとするレインを、セイジは先を制して言葉で断ち切る。


「あれだけの規模のアルカンシエルが現れたにもかかわらず、住民の死傷者はゼロだろう? けれども、魔術師や衛兵には死傷者が出ている。それはつまり魔術師や衛兵の安全を図るところまでは手が回っていないということだ。案外、立っているのも辛いんじゃあないか?」


「ふむ? 試してみるか?」


 目の前に立つレインの様子はいつもと変わらないようにも見えるが、セイジが言うことも正鵠を射ている。あれだけの魔術を使っておいて疲弊していないはずがない。


 レインから向けられる殺意を軽薄な笑みで受け流しながら、にらみ合いは続く。


「…………カハハ、冗談さ。しかしレイン様もここで俺を殺すのはさすがにまずいんじゃあないか?」


「……なんじゃと?」


 先に視線を逸らして話を変えたのはセイジだった。


 降参するかのように両手の手のひらを上に向けて、セイジは続ける。


「今回の件は、俺が引き起こした案件じゃあない。ましてやALPが画策したことでもない。結果的に情報は得ることが出来たが、住民に被害が及ぶことは望んじゃあないしな。ALPの矛先はあくまで魔術師だってことは、アンタなら嫌と言うほど知っているだろう?」


 問い掛けと共に、セイジの表情から笑みが抜け落ちる。


 軽薄な笑みの裏側に隠れていた、虚構と憎しみが姿を現す。


「…………」


 問いにレインは答えない。


 セイジの問いは、レインの思想とは圧倒的にかけ離れている。ここでそれを論議したところで、互いの妥協点など得られないことはどちらも嫌というほど知ってしまっている。


「ああ、今回住民の安全を優先したのは、もしかしてそれでか? カハハ……そうだよな。内乱が起こればそれこそどうしようもないからな。なぁ?」


「…………」


 それは、以前にシキと交わした内容を掘り下げることによって生まれる、どうしようもなく救いの無い、人ならば誰しも抗うことが出来ないほど狂おしい、悲愛に満ちた狂気への入口。


「――俺を含めALPの誰もが、魔術師に見殺しにされた者達ばかりだ。恨み憎み侮蔑し嘲笑し自我を保つためならば牙さえも剥くこれは、言わばもう《呪い》だ。抗いようがない、アルカンシエルとなんら変わらない、な」


 吸い込まれるような黒の瞳の奥に宿っているのは、どこまでも空虚な心だ。


 博愛では守れないものも多いだろう。


 ALPが抱いている世界魔術機構への復讐心は的外れなのかもしれない。


 魔術師が居なければ助けられていた人も助けられないのだ。


 だがしかし、そんな話は理屈だけの話で、実際に愛する人を合理性だけで見殺しにされて同じ台詞を吐けるというならば、その人は聖人か何かなのだろう。


「仮に今もし、俺を殺したらALPは世界魔術機構に本格的に牙を剥くことになるだろうな。ALPには魔術師がほとんど居ない。俺を含めせいぜいが数人といったところだ。だが問題はそこじゃあない」


「お主は……」


「カハハ、魔術師は人を殺せるか? 仮に殺せたところで、そうなれば均衡を保っていた秩序は崩れて戦争が起こるだろうな」


 セイジは人と人との戦争の可能性を示唆しているのだ。


 アルカンシエルという人類の天敵が居る世界で人間同士が戦争を起こせば、それこそ破滅へと突き進むことにしかならない。


 そしてセイジの言葉はあながち冗談だと片付けることが出来ない要素を多分に含んでいる。


「誰かを殺せばまた恨みの種が蒔かれ、その連鎖は全ての命を刈り取るまで終わることはない。世界魔術機構もそれを望むところじゃあ、ないだろう?」


「……あれだけのことを引き起こしておいて見逃せと言うのかの?」


 押し殺した声でそう言うレインに、セイジは再び軽薄な笑みをその顔に張り付けて笑う。


「カハハ……ただではとは言わねぇさ。俺も今回のやり口には少々腹が立ってるんでな。正直俺も騙された気分だ。だから今回の事件の引き金となった黒幕の情報と引き換えに見逃してくれりゃあいい。どうだ?」


 黒幕、という言葉にレインは思考を回転させて心当たりを探るが、今回のように雨も降らさずにアルカンシエルを生み出す方法を持つ組織など見当もつかない。


 黒幕が居るのならば、目の前の男をどうにかしたところで、再び同じような事件が起こることを防ぐことは出来ない。


 レインだってずっと都市を見張ることもできないのだ。


「……よかろう。それで手を打とう」


 暫く考えてレインは、ここで危険を冒してセイジを処分するよりも、話を聞いた方が利益があると踏んで提案を飲む。


 セイジはレインの返答を聞いて唇を歪めて笑い、その名前を告げる。


「――今回の黒幕は《数秘術機関》……」


 わざとらしくそこで言葉を切り、さらに牙を剥くように獰猛に嗤って、その名前を告げる。


「その傘下にある、《魔工学部門》主任、チェン=リュウだ」


「……なんじゃと?」


 出てきた名前に、レインは眉を顰める。


「カハハ、知った名前だったか? 今回の件はやつが作ったという《呪具》が原因だ。動くなら早くした方がいいだろうが、それもまた難しい話だろうな」


 セイジはそう皮肉げに言い、レインは厄介な話が増えて頭を悩ませる。


「さて、そろそろ帰してくれないか? 俺も住民の被害を防ぐために戦ってたんだ。街の入口まで(・・・・・・)でいいぜ」


わざとらしくそう言うセイジに一瞥をくれながら、レインは空間制御の魔術を使う。


「ちっ……厚かましい奴じゃ……《起動。『模造・箱庭の蠱猫(シュレディンガーの猫・レプリカ)』》」


 魔術言語を唱えた瞬間、レインの左目、銀の瞳に文字が浮かび上がり、セイジの周りの空間が歪み始める。


「お主とはもう二度と会いたくないのう」


「カハハ……次はお茶でも飲みにくるぜ」


 そんな台詞を残して、セイジの姿は消えた。


 数秒間、そのまま消え去った空間を険しい表情で眺めていたレインは、次の瞬間には後ろの椅子に倒れるようにもたれかかり、そのままでは空も見えない天井、その先を見ながら、深い深いため息を吐く。


「厄介なことばかりが重なりおって……」


 先の事も含まれているが、しかしその他にも二つの厄介な案件がまだ残っていることを思い、レインはそう呟いて、ゆっくりと瞳を閉じた。





 場所は変わって、薄暗い一室。簡素なベッドが取り付けられただけのそこは、部屋というよりは牢獄に近く、扉も無骨で頑丈さを求めた作りとなっている。


 世界魔術機構の、地下室。


 罪人を閉じ込める為の部屋の中で、シキは目を覚ました。


「……う……ん……あれ……?」


 身体に伝わってくる硬いベッドとやわらかさの欠片も無い毛布の感触に、いつもならばまどろみから抜けられないシキも二度寝する気にもならず、ゆっくりと瞳を開ける。


 薄暗い室内に、うっすらと扉から射す光に、何故こんなところに居るのかと疑問が浮かんでくる。


「えっと……確か、わたし……」


 記憶を整理していると、おぼろげながらに黒い影のアルカンシエルを倒した後、意識を失って倒れてしまったことを思い出す。


 ……その後、ここまで運ばれてきたんだろうけど……ここ、どこ?


 周囲を見回してもシキが知っている場所には思えず、何故医務室や自室じゃないのだろうかと疑惑が募る。


「……起きたみたいだな」


 と、考えていると、そう言いながら重々しく扉を開けて入ってきたのはシキが良く知った人物で、妙な場所で目を覚ました不安感が一気に薄れてきて、それと同時に黒い影のアルカンシエルとの戦闘のことを思い出し、シキはその人物に声をかける。


「キョウイチ、大丈夫なの!?」


 身の丈ほどの大剣を背に背負った黒髪の男性。


 キョウイチは先の影のアルカンシエルで怪我を負っていたので、大丈夫だったのだろうかと思いかけた言葉は、しかし次の瞬間予想外の言葉の暴力となってシキの思考を奪った。



「……誰だか知らないが、何故俺の名前を知っている?」



「…………………………え?」


 体中の血液が急速に冷めたかのように、時間が停止する。


 喉から漏れたたった一文字の言葉は、悲痛な響きを残して消えて行った。


 ……なんで? ……どういうこと? ……なにをいってるの? ……なんで?


 思考がぐるぐるとループを繰り返す。


 嘘だと叫びたかった。


 なにを冗談言ってるのかと問いただしたかった。


 しかしキョウイチから向けられている視線は、どう見ても、どう見ても……


 ――まるで未知の化け物を警戒するような敵意を持って向けられていて。


「…………………………うそ」


 思いついてしまった可能性に手が震えて、その震えはすぐに身体全体に伝播する。


 言葉を紡ごうとするキョウイチの唇が、いやにゆっくりと見えた。


 聞きたくないと脳が否定し、緩やかに紡がれようとする言葉に震えて両手で耳を塞ぎ、嫌がる子供のようにシキは目を閉じる。


 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……


 ……しかし、そんな心からの願いに反して、キョウイチは言葉を紡ぐ。


「……お前は何者だ? 戦場のど真ん中にいきなり現れたこともそうだが……空のアレと関係があるのか?」


 その言葉は両手で塞がれているはずの耳にするりと入ってきて、その事実がシキから呼吸を奪う。 


「嘘……だよね……?」


 薄い笑みを張り付けて、かすれた声で問いかけたところで、現実は変わることなく。


「……お前は何を言ってるんだ?」


 そう言うキョウイチの声には一切の気使いも優しさも感じられず、シキはどうしていいかもわからずに自分の身体を強く抱きしめる。


「嫌……こんなの……」


 残酷な現実。


 ――シキは世界から、忘れられていた。

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