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忘名のステラスフィア  作者: 霧島栞
一幕
32/77

31話

 瞬間、透明色の空から降る雨が止んだかと錯覚するほどの唐突さをもって、血と湿った地面の臭いが混じりあった殺意と悪意が絡み合う戦場に白が降り立った。


 ジーンズに黒いシャツを着た、白髪白肌の少女。


 あまりにも唐突で場違いな闖入者の登場に、半刻の時間で雨空が広がりきった戦場が暫しの困惑に包まれて動きを止める。


 そんな中で白い闖入者……シキは、耳に残った残滓、少女の祈りを噛みしめて空を見上げ、いつの間にか流していた涙を雨で隠す。


 シキは《白樹海》の中で出会ったアリス……元は片桐有州と呼ばれていた少女と精神が入れ替わるときに、彼女の記憶を垣間見た。


《白樹海》の中で数百年、一人でずっと世界を支え続けてきた少女がなによりも大切に思っていた記憶。その途方もない時間心を支えてきた想い出。


 それはステラスフィアを創ったその後に、共にアルカンシエルと戦った最古の魔術師達との思い出だった。


 ステラスフィアが創られて当初、今よりも遥かに多く世界へと降る《破滅の因子》が生み出す強大なアルカンシエルは、当時の魔術師の力をもってしても抗うことが難しく、それ故にアリスは世界を護る為に《白樹海》に沈むことを決意したのだ。


 皆に話せば反対されることが判っていたアリスは、一人街を抜け出して色とりどりの花が年中咲き乱れる、街から半日ほど歩いた場所にある悠久の庭園へと向かいそこで祈りを捧げた。


 ――何者も知らなくてもいい。誰もが忘れてしまってもいい。


 それで世界が救われるのなら、皆が生きていけるのなら、忘れられてもいい。


 でも、


 ――けれどもわたしは忘れたくないから。


 数多の世界への慈しみと希望と願いの中で、たった一つだけ少女が願ったもの。


 何にも飾られず紡いだ、たった一つの言葉。


 思い出を永遠に忘れない為に紡いだ、けれども空気を震わせることすらないくらい小さな小さな、本当に微かな祈りの言葉。


『――ありがとう』


 アリスは最後にそう言って……皆から忘れられることとなった。


「アリス……」


《神話》となり天使と奉られても、彼女を彼女として覚えている人はもう誰も居ない。


 その失われた名を呼びながら、シキは黒い影のアルカンシエルへと視線を移す。


《破滅の因子》がもたらす《呪い》の化身。悪意から生まれた楽園を脅かす獣。アリスが《白樹海》へと沈む諸悪の根源。そして……シキの仲間を傷つけた許すことのできない相手。


「あ、危ない!」


 シキに明確な敵意を向けられて、黒い影のアルカンシエルはぶるりと身震いをするように、悪意をその身にぎらめかせる。


 挙動をいち早く察知したクレアがそう叫ぶも、


「《【■■x……■az……■■■■a…………■■■■、■■■■■■■、■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■】》」


「なっ……!?」


 掠れた音で紡がれてゆく詠唱が、一気に奇妙な音の羅列となって紡がれ、それを聞いていたキョウイチが驚愕の声をあげる。


 わずか数ワードでさえ尋常ではない威力を秘めた魔術を放ってきていたというのに、これほどの詠唱が紡がれればどうなるのか。まるで黒異点のように響く音で紡がれた詠唱が生み出す現象――その答えは数秒後、すぐに現れた。


 ――収束するように空へと渦巻く、圧倒的なまでの質量を持った黒い力場が空間を歪ませて、周囲を引き込みながら自転を続けるそれは、第五元素エーテルの集合体、言わば疑似ブラックホールの体を成していた。


「う……そ……っ」


 絶望的な声を出して膝を付くクレアを支えながら、キョウイチは剣を地面に突き刺して引力に耐える。後ろのキリエも祈りの防壁で何とか耐えてはいるもののそれも時間の問題だろう。


 疑似ブラックホールは周囲の空間を飲み込むように徐々に拡大を続けて、未だ降り止まない雨、《呪い》すらも飲み込んで膨れ上がってゆく。


「おいっ! 下がれ!」


 空を埋め尽くした、死の集合体を前に、シキはキョウイチからかけられた声で振り返り、少しだけ悲しそうに微笑み、けれども確かに聞こえるように告げる。


「大丈夫」


 中心部に磁場の芯を持つように展開する闇だけを宿した疑似ブラックホールが生み出した〝事象の地平面〟と呼ばれる黒面、シュヴァルツシルト面を背に、シキは最古の魔術師、《過去》に確かに存在して《未来》へとその身を散らした原初の魔術師を《現在》に想起する。


「《領域展開》 <<<【不滅の(アッシュヴェイル)】」


 アリスが最も得意としていた言語魔術。


《神話武装》。


 着ていた服が消え、替わりにくすんだ色の灰色のドレスがシキの身体を包み、ふわりと舞ったスカートが靡く。


 白でも黒でもなく、虹色でもない、くすんだ灰色。


 それはどれだけ焼かれようとも消えることのないアリスの信念を現したかのような、灰色のドレスだった。


 ――そして。


 シキは続けて、死を経て世界へと散った最古の魔術師アリスのかつての同胞の失われた記憶の遺産、《架空神話》を紡ぐ。


「《刈り取る命に彷徨う魂。死を刻む影が閃く銀の刃。――それは、数多の《呪い》と罪人を葬り去った『リドル=ヴェリエ』の《神話》》――顕現して。 <<<【死の銀色短剣】》」


 世界を切り取るかのように、シキに呼ばれ右手の中に現れたのは――ぞっとするほどの黒いオーラを放つ銀色の短剣だった。


 かつて遥か昔に存在し、神話となる可能性があったリドル=ヴェリエが生きた証。


 何百、何千、命を刈り取り死を刻み続け、《死》そのものと化した《死の銀色短剣》で、シキは広がり続ける疑似ブラックホールを裂帛の踏み込みと共に一閃する。


 凝縮された《死》が黒い軌跡を遺し〝事象の地平面〟の存在を否定するように殺す。


 死を刻まれて消滅した疑似ブラックホールを前に、黒い影のアルカンシエルが驚愕を露わにするように身を震わせた。それは後ろのキョウイチ達も同じであり、あまりにも理不尽で圧倒的な《死》の暴風の前に、言葉を失って見入る。


 しかしそれだけでは終わらない。


 一度使われた《疑似神話》はガラスのように砕け散り、再び世界へと還ってしまうが、存在する《疑似神話》はそれだけではない。


「《■■za……》」


 黒い影のアルカンシエルが詠唱を始めるのにもかまわずシキは続けて《疑似神話》を刻む。


「《――昏がりに沈む空白。全てを穿ち貫く弓手。――それは、自身の《虚無》を矢に乗せ穿つ『クロエ=ココノエ』の《神話》》 <<<【虚ろ見の穿弓】」


 シキは詠唱が終わると同時に地を蹴って建物の段差がある壁面へと跳躍する。

その手にはまるで物語の中からそのまま抜き出したかのような見た目を持つ、装飾のついた身の丈ほどもある弓が握られており、既に矢を番えて黒い影のアルカンシエルへと向けられていた。


 あまりにも理不尽な世界を嘆き、恋人を失った《虚無》を抱えてそれでも生き続けたクロエ=ココノエの生きた証。


「《……th■■》」


 黒い影のアルカンシエルはそこで詠唱を終え、シキへと向けて雷の槍を放ち。


「……《【『消えて』】》」


 同時に呟いたシキ/クロエ=ココノエの《独白》と共に、引き絞られた矢が閃光となって放たれた。正面からぶつかり合うはずだった雷は、その《独白》通りに矢に穿たれて消えてゆき。黒い影のアルカンシエルやさらに下の地面すらも貫いて、黒い影のアルカンシエルを残滓の欠片も残さず消滅させた。


 ――暫しの間。


 雨音がその空間を支配し、やがて雨足はぽつりぽつりと勢いを収めてゆき、虹色の粒子が空へと還ってゆく。


 その間ずっと、シキは事態を飲み込めずに固まるキョウイチ達の姿を見ていて。


 血塗れで横たわるカナデのことが心配だったが、続けて使った《神話武装》の負荷によってもはや思考は途切れ途切れとなり。


「……よかった」


 ――シキは小さくそう呟いて、そこで意識を手放した。

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