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忘名のステラスフィア  作者: 霧島栞
一幕
31/77

30話

 ――箱庭の楽園と呼ばれる世界。


 ステラスフィアには、時を経てなお語られる有名な《神話》があった。


 ステラスフィアで多くの民衆から崇拝される創世の天使アリスを祀る星神教会の教典、《星書》に刻まれた、天使と悪魔による世界創世の《神話》がそれだ。


 遙か昔、旧世界には広大な大地が在った。そして蒼穹の果てに混ざり合う青い海と青い空が在り、夜空の闇に煌めく星々が在った。世界を照らす太陽が在り、照らし返され輝く月が在り、果てなき宇宙へと続く彼方が在った。


 けれどもそれらは全て、災厄の悪魔の《呪い》によって失われてしまった。


 災厄の悪魔が放ち、今なお世界を蝕み続ける災禍の根源……《破滅の因子》と呼ばれる《呪い》だ。


 地は崩れ大地を飲み込み、空は割れて軋み、海は枯れて虚無を晒し、輝く星々が堕ち世界を砕く。一切の希望すら抱かせない《呪い》によって世界が崩壊してゆくそんな中。


 創世の天使と呼ばれる天使アリスが《呪い》に抗う為、立ち上がった。


 創世の天使アリスは、失われてゆく概念を一つ一つ丁寧に掬い集め、歯車を組み合わせるように繊細に、新しい世界を構築した。


 それが今の世界。箱庭の楽園。ステラスフィアだ。


 しかし、災厄の悪魔の力と《アリス》の力には圧倒的な差があった。


《アリス》は《崩落》の原因である《呪い》を消し去ることが出来ず、封印することを選んだ。


 数多の概念を澱のように積もらせ、世界を覆う概念の海、《白樹海》作ることで、《崩落》する概念の完全な消失を防ぎ、さらに《白樹海》の奥深く――底の底へと《呪い》沈めることによって、《アリス》は《呪い》を封印することに成功した。


 けれどもそうして創られた箱庭の楽園ステラスフィアは、平穏な世界と呼ぶにはとうてい叶わない脅威にさらされ続けていた。


 ステラスフィアの周囲を覆う《白樹海》の底には、災厄の悪魔が世界を滅ぼそうとした《呪い》が封印されている。普段は深い場所に沈んでいるそれは、ふとした拍子に浮かび上がり、空から降る《雨》と共に滴り落ち……異形の化け物《(アルカンシエル)》を生み出すのだ。


 その異形の化け物がアルカンシエルと呼ばれている所以は、雨と共に現れることにもあるが、身体のどこか一部に必ず鮮やかな色を持っていることにも関係している。


 アルカンシエルが持つ表皮の色素は、アルカンシエルが内包している《呪い》の特性によって大きく左右される。逆に言えばアルカンシエルの表皮に浮かぶ色で、アルカンシエルがどのような《呪い》を持っているのかが判断できるということだ。


 けれどもそれが判明したところで、残された人類には当初、アルカンシエルに立ち向かう術を持たなかった。世界を滅ぼそうとした一端を持つ化け物を相手だ。個体差があるものの、どれも強靭な体躯を持ち、その身に内包された《呪い》の特性を扱うことが出来る。


 世界を滅ぼそうとした呪いの一端などを持ち出されては、人に勝ち目など存在しなかった。


 ステラスフィアの大地は荒らされ、多くの血が流れた。


 そんなステラスフィアを襲うアルカンシエルを見かねた《アリス》は、アルカンシエルに対抗し得る《言語魔術(ランゲージクラフト)》という魔導の技術を、才ある人間に与えた。


 リスクを負ってなおあまりある《言語魔術》の力によって、魔術師たちはステラスフィアをアルカンシエルの脅威から守り、当初数人しか居なかった魔術師たちも次第にその技術を伝導してゆき、《世界魔術機構》と呼ばれる数百人もの嘱託魔術師を擁する組織にまで拡大し、アルカンシエルとの終わらない戦いを今もなお続けている。


 それがステラスフィアという世界の歴史、つまり《神話》であり――




 ――そして偽りの伝承だった。




 かつて世界を滅ぼした悪魔など、どこにも存在しない。


 そして世界を救った天使もまた、どこにも存在しない。


《神話》とは、失われた歴史の補完でしかない。


 ステラスフィアを取り巻くように存在する透明色の累積した概念の海、《白樹海》に落ちた者は、そこに住まう《古代魚》に喰われて存在自体が無かったことにされてしまう。


 誰からも存在したことを認識されなくなり、記された記録は全て白紙に戻り忘れられる。


 忘れてしまった者がどれだけ記憶を探ろうとも、忘れられた者の記憶にたどり着くことは決してない。


 けれどもそれは、世界の規律を酷く歪めてしまう可能性を内包している。


 在ったものを根元から無かったことにすれば、そこにぽっかりと空白が生まれてしまうのだから当たり前だ。


 では、その空白をいかにして埋めるのか――?


 そこで忘却の補完として行われるのが《噂》や《逸話》による歴史の補完だ。


 忘れ去られた者が他者や世界に与えた影響によって《噂》となることもあれば《逸話》として語られることもある。もちろんそういった《逸話》にすらならずに消えてゆくケースの方が圧倒的に多いのは確かだで、加えて白樹海に落ちて死ぬと、あらん限りの苦痛をもって精神を徐々に溶かされるように死に至ると言われていることや、誰からも忘れられることへの恐怖から、ほとんど誰も《白樹海》には近寄ろうとしない。


 仮に落ちたとしてもそのほとんどは《噂》となるくらいで数日もすれば消えてしまうのだ。


 名を残そうと考えた享楽主義者によってまれに生まれるせいぜいが《逸話》も、そのほとんどが数週間といった短い時間の流れによって人々の記憶から忘却されてゆく。


 つまりはステラスフィアに存在する《神話》も元を辿れば誰かが消えた痕跡であり、数百年経っても忘れ去られないのはその《神話》が今なお続いているからだ。


 ステラスフィア創世の《神話》となった元の歴史は、一人の魔術師が世界を崩落させようとし、その魔術師の助手であった少女が世界を救おうとしたという実話に基づいている。


 災厄の悪魔とは魔術師の事を指し、創世の天使とはその助手である少女のことを指していて、それは世界を嘆き概念を崩落させた魔術師と、崩落した概念を何とか拾い集めて小さな箱庭の世界を創りなおした少女の物語だ。


 ステラスフィアを創り、崩落による絶望で停滞していた世界の人々に言語魔術という新しい戦う力を与え、そして自らの身を《白樹海》に沈めて楔とすることで永き時に渡って《破滅の因子》を抑え込んでいる。


 だから《白樹海》という存在は、少女では構築しきれなかった概念を累積させたものであり、その《白樹海》の底に沈められた《破滅の因子》こそが、世界を蝕む《アルカンシエル》を生み出している元凶なのだ。



「――この世界ステラスフィアは、元は地球の平行世界なのです。そしてわたしは……」


「ちょ、ちょっと待って、待って!」


 少女が語る事実にシキは理解が追いつかず、続けようとする言葉を遮る。


 ……要約すると、ステラスフィアとは元は地球の平行世界であり、その世界は魔術師の手によって崩落し、目の前の少女が新たな世界として創り出したということだ。


 そしてその時に生まれたのが《白樹海》という、少女が拾いきれなかった概念の累積体であり、《白樹海》の奥深くにはまだ世界を崩落させようとした《破滅の因子》が沈んでいて、その残滓がアルカンシエルを生んでいるということだ。


 ……この人は、ずっと一人で世界を……。


 その気が遠くなる程の膨大な時間を考えて、シキは少女を心から尊敬する。


「……二年前。平行世界の人達……あなたたちがいうところの異世界人の存在を感知して、わたしは危惧したのです」


「……危惧?」


「はい。……白樹海に沈んだ概念が、異世界人と引き合って、奥に沈められた《破滅の因子》が漏れ出す可能性があったのです」


 少女の言う通りステラスフィアが地球の平行世界を元にした世界だと言うならば、確かに《白樹海》に沈められた概念の中にはシキ達異世界人が知っている概念も多く含まれているだろう。もしもそれが無意識のうちに引き合ったならば……。


「だから、わたしは……」


 呟く少女は、そうして少しの間だけ悔やむように俯き、言葉を続ける。


「……この世界に来た時に、違う自分になりたいと願ったあなた……如月四季という人物を、利用することにしたのです」


「わ、わたし……?」


「幸いにもやってくる人は少なかったので、異世界人であるあなたの身体を借りて、《白樹海》の内側から概念を引っ張り、あなたにはわたしを模した身体を与えたのです」


「模した……って……」


「あなたが一人で魔術を使えなかったのも、不完全な身体だったからというのもありますがわたしとパスが繋がっていたからで、逆に治癒の魔術が使えていたのも《白樹海》の中のわたしとパスが繋がっていたからなのです」


 信じられないと思うシキの心に反して、頭の中ではかちり、かちりと論理のピースがはまってゆく。


 異世界に来るときに違う自分になりたいと願っただけで、性別まで逆転して、想起したこともない美少女になるなんて、そもそもおかしな話なのだ。実例として在ってしまったからそれを肯定してしまっていただけで、実際はそんなことなどあるはずがないことだ。


 治癒の魔術にしても、シキは世界から過去の情報を引出していたと思っていた物は、世界を創った目の前の少女から引き出していたに過ぎないのだ。


「そう……かぁ……」


「……ごめんなさい」


 事実を知って呟くシキは、けれども目の前の少女を恨む気にはなれなかった。


「……大丈夫、ちょっと……ううん、かなりびっくりしただけだから。気にしなくていいよ」


「怒らない……のですか?」


 シキの返事に、今度は少女が信じられないという風に呟く。


 知られざる世界の裏側を垣間見たのだから驚くことは驚いた。それとは違うところ、女の子の身体になったことも大変だったし、自分の無力さに嘆いたことも多かった。


 けれどもそれ以上に助けられた人が多かったし、目の前の少女は、そんなことが些細に思えてしまうほど、本当に永い間、世界を支え続けてきているのだ。


「わたしが死んじゃったのは、やることをやって、その結果だから……」


 セラやカナデ、それに部隊の皆や他の人達のことを考える心配になる。悔いがないと言えばそれは嘘になる。しかしそれでもシキは自分にできることをやって、そして……死んだのだ。


「……だから、大丈夫だよ。キョウイチや世界魔術機構の魔術師達が居れば、あの影みたいなアルカンシエルも倒せるでしょうし……」


「……そうですね、でも……」


 そう呟いて少女が手を振ると、真っ白な空間が切り取られるように四角い穴が開き、そこに映像が映し出される。


「……………………え?」


 そこに映っていた光景を理解するのに、シキは数秒の時間を要した。


 巨大な氷塊を背にした黒い霧のような影に、剣を地面に突き立てて杖のようにしながら対峙するキョウイチと、それを援護するように拳銃を構えるクレア。キリエもそのやや後ろで何かを護るように防壁を展開している。


 そしてその防壁は後ろの血溜まりに横たわる人物を護る為で、その人物とは……


「カナ……デ……?」


 シキが見たのは、雨に打たれて無惨にも銀色の髪を地面に散らし、どこから出血しているのかもわからないくらいに血まみれとなっているカナデの姿だった。


「う、うそ……そんな……っ」


 映し出された映像は、どうやらリアルタイムのようで、今まさに剣を構えなおしたキョウイチが、残像しか見えないほどの速度で黒い影を斬り裂いたところだった。


 それに追従してクレアが両手に持つ拳銃から魔術弾を放つ。放たれた銃弾は炸裂するように無数の光の線となって影を貫いてゆく。


「――――――――」


 しかしその身を焦がす攻撃を受けながらも、次の瞬間には、黒い影は身震いするようにゆらりと姿を戻しながら、雷の槍を創り出してキョウイチとクレアを撃つ。


「キョウイチ! クレア!」


 届かないとわかっていても、シキは叫ぶ。


 雷の槍はすんでのところでキリエが張っていた防壁に阻まれキョウイチとクレアには届かずに霧散するが、しかし同時にキリエが張った防壁も同じくガラスが砕けるように壊れる。


「そんな……キリエの防壁が、一撃で……」


 しかも、あんな無造作に放ったような魔術で……と思いながら、シキは自分が死んだ原因となった巨大な氷塊の時も、あのアルカンシエルはほとんど詠唱をしていなかったことを思い出す。


「……あれは、普通のアルカンシエルとは違う《破滅の因子》の塊のようなものです。機構の魔術師が一斉に攻撃をすれば、もしかしたら物量で消滅させることは出来るかもしれませんが、このままでは間違いなく今戦っている四人は……」


 ――死にます。


 空気を震わせた言葉はまるで必中の予言のように不吉な響きを帯びており、かならず起こる未来を暗示しているかのように意識の底へと一気に浸透する。


「な、何か、助ける方法はないんですか!?」


 シキは弾けるように、少女に問いかけた。


 その問いに、少女は少しだけ逡巡してから答える。


「……方法は、無いこともないです」


「そ、それは!?」


「……少し前の問い。何故あなたがわたしとここで会話しているのか。それは、あなたに身体を返してもう一度如月四季として、ステラスフィアで生きて行くという選択をさせるためでした」


「へ……? わ、わたし、生き返れたの!?」


 むしろ今までの会話の中で一番の衝撃の事実に、シキは思わず声を裏返して聞き返す。


「わたしの都合であなたをあんな不自由な身体にしたのですから当然です。……しかしそれではあの《破滅の因子》を消滅させることは出来ないでしょう」


 如月四季として男の身体でステラスフィアに戻ったところで、違う身体では言語魔術を使えるかわからないし、仮に使えたところでカナデのように大したことは出来ないだろう。


 焼け石に水どころか、それこそ無駄死にである。


「……もしあなたが彼らを助けることを望むのであれば……方法は一つしかありません。わたしと、あなたの身体を交換すれば良いのです」


「……で、でも、そうしたら、ステラスフィアはどうなるの?」


「そこは心配いりません。この二年間であなたの身体のことも調べましたから、わたしはあなたの身体でも、十分に《白樹海》を抑え込むことが出来ます」


 少女の言葉にシキはほっとするが、


「――けれどもそのかわり、あなたはもう男の身体には二度と戻れませんし、待っている現実はあなたにとって良いものではないかもしれません」


 次に言った少女の言葉の後半に、それはどういうことだろうかと思う暇も無く少女は言葉を続ける。


「それでもあなたは、わたしの身体でステラスフィアに戻りますか?」


 映された映像の中の戦闘はどう見ても圧倒的に不利で、このままでは本当に皆は死んでしまうだろう。


「――皆を助けられるのなら、わたしはどうなってもかまいません。お願いします」


 一刻の猶予もないと感じたシキは、決意して少女にそう告げる。


「……………………わかりました」


 その長い逡巡は、いったい何を思ってのことだったのだろうか。


 少女はその瞳にうかがい知れない様々な感情の色を湛えてシキへと近づいてきて、絡ませるように手を取る。


 その瞬間、まるで魔術言語を紡いだ時のように少女の言葉がシキの頭の中に響いてきた。



 ――忘れないで。


 たとえあなたがどこに居ようと、あなたは一人ではないということを。


 ――忘れないで。


 名を失っても。居場所を失っても。


 それでも新しい名が在り、世界は在り続けるということを。


  ――忘れないで。


 伝える言葉。失った言葉。


 大切なことは言葉にしないと伝わらないということを。


 ――忘れないで。


 わたしと、あなたと、たった一つの約束。


 どうか――――



「《――mana-naz-cen-gi-fo【    】(――あなたに、祈りの詩が届きますように)》」



 少女の祈りが響き、そして……




 世界は再び、色を取り戻した。

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