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忘名のステラスフィア  作者: 霧島栞
一幕
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28話

 シキと黒い人の影が対峙する少し前。


 すれ違いざまに剣を振るって狼のアルカンシエルを討伐してゆくキョウイチは、駆ける街の風景に違和感を覚えていた。


「おい、クレア。クレア」


 名を呼びながらも、キョウイチは足を止めずに小路から小路へ、悲鳴が聞こえる方向へと駆けてゆくが、呼びかけに対する返答はやってこない。


 クレアの《千里眼》は、指定した場所の音を『見る』ことや、指定した場所に音を届けることも出来る魔術だ。


 機構を出てからクレアはキョウイチのことを追っていたし、距離的にも1kmも離れているはずもないのだ。


 それなのに途切れた通信と、さらには……。


「い、いやっ、誰か……っ」


「――ふっ!」


 路地を曲がった瞬間、今まさに襲い掛かろうとしていた狼のアルカンシエルを見つけ、鋭い踏み込みからの斬撃で胴体を両断しながら、キョウイチはまただ、と考える。


 ……いくらなんでも狼のアルカンシエルとの遭遇率が高すぎる。


 悲鳴が聞こえて向かったとしても、その場所に着くまでには十数秒は掛かる。


 しかし小路に入って一つ角を抜ければ、既にその場所に着いているのだ。


 キョウイチにとって都合の良いことではあるが、まるで空間を捻じ曲げられているかのような酷い違和感を覚える。


「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!」


「いや、礼は良い。……どこかの建物の中にでも避難していろ」


「は、はい!」


 キョウイチがそう言うと、助けられた女性は近くの建物の中へと避難してゆく。


 それにおかしいと言えば、街の風景もだ。


 狼のアルカンシエルが暴れているというのに、どの建物も綺麗すぎる。


 表に並ぶ露店や屋台などはさすがに砕かれていたりはするが、建物には一切破壊の爪痕が見られない。これだけのアルカンシエルが暴れているならば、被害者となった人は一人や二人ではきかないはずだが、そういった人達の痕跡すらも存在しない。


「……空間を捻じ曲げる魔術など聞いたことが無いが……」


 時系列に連なる言語魔術を使える嘱託魔術師など、見たことも聞いたことも無い。


 ただ、心辺りだけならば、少しある。


 ――レイン=トキノミヤ。


 世界魔術機構の最高責任者にして、年齢も扱える魔術も不詳である彼女。


 仮にレインが時間や空間を操る魔術を使えるとなると、このような事態になっても姿を現さないことにも推測が出来る。


 空間などという想起しにくい事象を操るには、それを行う以外には他に何も出来ないほどの集中力が要されることだろう。


 ……だからこそ姿を現さないのではなく、現せないのではないか?


「む……?」


 と……思考を巡らせるキョウイチに焦れたのか、周囲の空間がぐにゃりと歪み、別の場所へと移される。


 移動した先には、狼のアルカンシエルが3匹ほど居て、唐突に現れたキョウイチが視界に入ると、我先にと一目散に襲い掛かってくる。


「サボるなってことか……」


 どこか可笑しそうに呟きながら、キョウイチは剣を構えて襲い掛かる狼のアルカンシエルの隙間を縫うように身体を捌きながら、脇を抜けると同時に真ん中のアルカンシエルの胴体を下から深く斬り裂く。


「グルゥ!?」


 驚愕が混じったような鳴き声が響き、左右の二匹がキョウイチに警戒を示す。


 が、しかしいくら殺気立てたところで、狼のアルカンシエルに、キョウイチを捕える速度はなく、キョウイチは何のためらいも無く踏み込んで右の一匹に剣を突き立て、引き抜きざまに反転しながらもう一匹の首から胴体に掛けてを逆袈裟に斬り飛ばす。


 断末魔の悲鳴すらも上げられずに果てたアルカンシエルに一瞥もくれてやらずに、キョウイチは半ば癖となっている血払いの動作をする。


『――キョウイチ!? アンタ、どこ行ってたのよ!』


 それと同時に、クレアがキョウイチを見つけることが出来たのか、脳裏にクレアの声が大音量で響いた。


「……クレアか……もう少し小さく喋れ」


『そんなことより、どこ行ってたのよ!』


 頭を押さえながらそう言うが、お構いなしに言ってくるクレアに溜息を吐きながら、キョウイチは自分の推測を手短に伝える。


「……恐らく、レイン様の魔術で空間を捻じ曲げられてアルカンシエルの近くに飛ばされているようだ」


『……なにそれ、本当なの』


「お前で見失うくらいだから、そうだろう」


『……そうだけど、それなら……ああ……だから……』


 言いながらも、クレアも感づいていたのだろう。


 南門から出たはずのクレアが、シキを見つけることが出来なかったのも、それによって違う場所へと飛ばされていたからだ。高い建物に昇って、出た場所が明らかに違う風景だったことから、クレアもおかしいとは考えていた。


 得た情報を元に思考を巡らせようとするクレアに、キョウイチは言葉を続ける。


「レイン様はその魔術で住民に被害が及ばないようにもしているようだから、クレアの方もアルカンシエルの討伐に集中すればいい。俺は――」


 言っている最中に周囲の空間が歪み始め、キョウイチは続ける言葉を変える。


「――どうやら気に入られているみたいだからな、行ってくる」


『ちょ、ちょっと、キョウイチ!?』


 言ったきり、クレアの《千里眼》でもキョウイチの姿が捕えられなくなり、キョウイチが言ってたことが本当の事だったのだと裏付けされる。


「……それにしても、もう!」


 クレアは悪態を吐きながらも、身の丈ほどもあるエイフォニアのFP社製最新モデル2.78Var狙撃銃カスタムを構えなおして、引き金を引く。


 放たれた銃弾は、遠くで獲物を探すアルカンシエルの頭部を僅かにずれて、路面に傷痕を残すだけとなった。


「キョウイチと連絡が取れたのですか?」


「……取れたには取れたけど、援護は出来そうにないわね」


 聞いてくるキリエに、クレアはそう答えて歯噛みする。


 狼のアルカンシエルの動きは当初の予想よりははるかに劣り、キョウイチならばクレアの援護射撃なしにでも大丈夫のように思われる。だがそれはそれとして同時に、レインも一言だけでも言ってくれれば良いものを、と思わずにはいられない。


「そうですか……」


 少しだけ心配そうに伏せるキリエの横顔を見て、クレアは怒りで湯立ちそうな思考をなんとか中断して、深く息を吐く。


「はー…………」


 心を落ち着かせるために、冷静に、冷静にと頭の中で呟きながら、クレアは言葉を選んでキリエに言う。


「――でも、たぶん大丈夫よ。現れた狼のアルカンシエルの動きはそこまで早いものじゃないし、住民への被害もレイン様が押さえてくれてるみたいだから」


 ……冷静さを欠けば、それだけ狙撃の確率が落ちる。


 先ほどの怒りにまかせた一発を悔いて、レバーを引いて薬莢を排出し、もう一度同じアルカンシエルに狙いをつけて引き金を引く。


 銃弾には限りがある。


 一発逸れれば、それだけ倒せるアルカンシエルの数が減る。


 だからこそ、冷静に……。


 放たれた銃弾は、今度こそアルカンシエルの頭部を打ち抜いて、一撃の元に絶命させる。


「――あたし達には、あたし達に出来ることがある。心配するのはわかるけど、今はアルカンシエルの討伐だけに集中しましょ」


「……はい」


 クレアの言葉を受けて頷くキリエは、でも……と矛盾した自らの信念に心を軋ませる。


 キョウイチやクレアと違い、護ることしかできない自分が今できることはほとんどない。


 護りたいと願っても、身体も弱く前線にほとんど出ることのない自分では、相対する者を倒す力のない自分では、護りたい者も護ることができない。


 誰かを、何かを、傷つけることを望まないと思いながらも、こういう時に誰かを護ることが出来ないというのは辛い。


 だからキリエは、祈りを捧げることしかできない。


「《……Others who trespass against us and lead us not into temptation but deliver us trom evil……》 <<<【主よ、我らを護りたまえ(キリエエレイソン)】」


 空へと祈りを捧げた瞬間、周囲に光の魔方陣が展開され、空気の中に溶けるように消えてゆき、クレアとキリエの周囲だけが強固な祈りの城塞に護られる。


 ……この祈りを、皆に届かせることが出来れば、どれだけの人が救えるのでしょうか……。


 クレアの護衛も重要な役割ではあるが、身を裂くような冷たい雨に打たれていると、どうしても心が弱ってそんなことを思ってしまう。


「キリエ」


 ふと。


 遠くのアルカンシエルに狙いを定めて引き金を引き、一撃の元に屠りながら、クレアはおもむろにキリエに声をかける。


 そしてそのままキリエに顔を向けることもなく、独り言のように言う。


「……キリエが居てくれるから、あたしは安心して狙撃が出来る。ありがとう」


 恐らくは《千里眼》によって、キリエの微妙な変化を見たのだろう。


「……ありがとうございます、クレア」


 言われて少しの間きょとんとしてしまったキリエではあったが、言葉に少しだけ暖かさを感じて小さな微笑みを取り戻す。


「……別に、何でもないわよ」


「顔が赤いですよ?」


「う、うるさいわね!」


 黒い目隠しに隠れていてほとんど顔が見えないはずなのに、キリエがそういうとクレアは照れたようにそう言って乱暴にレバーを引いて薬莢を排出する。


「きっと、大丈夫ですよね」


 唐突に話を戻されてクレアは少しの間言葉に詰まり、けれどもキリエを安心させるように言葉を紡ぐ。


「……当たり前じゃない。キョウイチも、シキ達も、これまで何度も修羅場をくぐってきてるんだから」


 ――そうですよね。


 と――。


 その期待を裏切るように、唐突に遠くの空に氷塊が浮かび上がって。


「――え?」


 それはどちらが漏らした声だったか。


 それすらもわからないままに、周囲の空間は歪み始めた。


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