26話
同刻、市街区ではけたたましい警報の音が鳴り響いていた。
降り始めた雨を切り裂くように、甲高く鳴り響く警報に混じって、そこかしこから悲鳴や狼のアルカンシエルの鳴き声が木霊する。
都市に雨が降った場合の避難場所は定められているが、事態が事態だけに誰もが誰もパニックに陥り逃げ惑い、さらに現れた狼のアルカンシエルにより避難場所への移動自体をも困難にしていた。
「――セラ!」
「ん……!」
悲鳴が聞こえてすぐにシキ達は大通りへと戻り、降り始めた雨に空を見上げ驚き、直後現れた狼のアルカンシエルを討伐しながらもずっと、機構に近い場所にあるシェルター付近で避難を誘導していた。
「《螺旋を描く氷槍……、貫け》 <<<【氷の螺旋槍】」
正面からやってくる三匹のアルカンシエルに、セラは一節の詠唱で創り出した捻じれた氷の槍を突き立てる。
「一匹、まだ生きてる!」
「っ、わたしがっ!」
言いながら飛び出したのはカナデだ。
正中線を外し、足に氷の槍を食らって動けなくなったアルカンシエルへと一瞬で近付き、鋭い踏み込みと見事な太刀筋で狼のアルカンシエルの首を斬り落とす。
手に残った肉と骨を断つ感触に、カナデは顔を顰める。
「カナデ、すぐ戻って!」
「は、はい!」
しかしそれも一瞬の事で、シキの叱咤の声が響きカナデはすぐにシキとセラの傍へと戻る。
「はっ……はっ……」
戻ってきて荒い呼吸を繰り返すカナデをちらりと横目で見て、シキは無理もない、と表情を険しく歪ませる。
初の実戦で、よりにもよって市街戦。
《加速》の魔術にしてもまだまだ荒削りで、キョウイチのように長時間使えるものではない。
既にこれまで数十分戦い続けているが、集中力も切れ切れで、動きが危うくなってきているように見える。
……こんな時に、クレアとキリエが居てくれれば……。
心の中でシキは弱音を零す。クレアが居れば死角をカバーしてもらえるし、キリエが居ればカナデの防御を任せられるから安心して戦えるだろう。
しかし状況はそれを許さない。
先ほど携帯情報端末にキョウイチ達が街へと向かっているとの文面が届いていたのは確認できたが、それはあくまでアルカンシエルの討伐の為にと考えた方が良い。
ミラフォードの街の敷地は広い。端から端への距離は五キロほどあるので、被害が拡大しないようにアルカンシエルを討伐していくならばシキ達とキョウイチ達とで二手に分かれたところでまだ全然足りないくらいなのだ。
本音を言えば、こちらの援護に来てほしいくらいだが、しかしそこかしこから聞こえる悲鳴がそんな泣き言を許さない。
今この瞬間にもどこかで誰かが襲われていて、命を落としているのだ。
「カナデは、背後だけ警戒! セラは……ちょっと辛いかもしれないけど、がんばって」
だからシキは、せめて自分たちが出来ることをやろうとそう指示を出す。
「ん……。ねーさま、まかせて」
……とはいえ、狭い市街区ではセラも本領を発揮できない。
元々大規模な魔術を得意とするセラは、こういった市街戦には圧倒的に向いていない。
「お姉ちゃん、後ろ、二匹!」
と、そこで次は、前から三匹、後ろから二匹の狼のアルカンシエルが小路からほとんど同時に現れる。
「出し惜しみしてる場合じゃないよね……」
セラの指に自らの指を絡ませるようにして手を取り、シキは詠唱を始める。
「《舞い踊る守護の氷剣よ、這い寄る悪意の獣を斬り裂け――》――セラ!」
「ん……っ! <<<【氷剣の輪舞】」
ずらりと、三人の周囲に氷で出来た鋭い剣が、合計二十本ほど現れる。
「カナデ、動かないで!」
踏み込もうとしていたカナデに、シキはそう釘を刺す。
「え、う、うん!」
迫りくる狼のアルカンシエルを前に、カナデは疑問を押し込めて何とか踏みとどまる。
「グルァァァァッ!」
牙を剥き出しに、唾液を飛び散らせながら襲い掛かる狼のアルカンシエルが今まさに最後の跳躍をした瞬間――浮かぶ二十本ほどの氷剣が身震いをするように震えたかと思うと、一斉に狼のアルカンシエル達へと躍りかかった。
「ゥルゥァァァァ!?」
たまらず悲鳴を上げる狼のアルカンシエルに氷剣は突き立ち、容赦なく全ての命を刈り取る。
虹色の粒子になって消えてゆくアルカンシエルの姿を確認しながら、シキは息を吐く。
「よし……セラ、大丈夫?」
「ん……へい、き……」
セラはそう言うが、しかし長袖の服を斬り裂いて見える、セラの腕には浅い裂傷が走っており、繋いだ手をセラの血が赤く染めてゆく。
……やっぱり、純粋な氷結系以外だと負荷が酷い……!
「待ってて、今治癒するから。《――re-elsphere――》」
「た、助けてくれぇ!」
己の体質を怨みながら、シキがセラに治癒の魔術をかけようとしたと同時に、別の路地から男性が助けを求めながら現れた。
瞬間、シキはしまったと直感的に悟る。
助けを求める男性の背後には、今にも襲い掛かろうとする一匹の狼のアルカンシエルが見えて、一刻の猶予も残されていないが故にセラは咄嗟に行動に出て――
「待って! ダメ! セラっ!」
「――【氷の弾丸】!」
咄嗟に手を離そうとしたけれども、シキの制止も遅く、無詠唱で創られたの氷の弾丸が、狼のアルカンシエルの腹部に命中し、体勢を崩した狼のアルカンシエルはもんどりうちながら地面を転がってゆく。
「――カナデ!」
「は、はい!」
トドメをさして、と意思を込めて名前を呼びながらも、シキの意識のほとんどはセラに向けられていた。
「セラ! セラ!?」
「っ……う……ねーさま……」
「セラ……っ! 良かった……」
腕の中で力が抜けて体重を預けてくるセラに呼びかけると、弱々しくだが反応が返ってきて、最悪の事態は免れることが出来たのだとシキはほっと安堵する。
……治癒の詠唱途中での他の魔術の行使は、厳禁と言って良い危険な行為だ。
対象者の過去の情報を引き出している最中に他の魔術を使うと、開かれた世界門から膨大な量の情報が逆流してしまう恐れがある。
今回はまだ詠唱が完了していなかったおかげで最悪の事態……つまり精神が逆流して世界に囚われてしまうという事態は免れることは出来たが、しかし当然相応の負荷はある。
「ねーさま……ごめん……なさい……」
「……ううん、わたしが軽率だった……今は……休んで……」
状況が状況だけに悠長に言えたものではないが、しかしどのみちもうセラは魔術が使えるような状態ではない。
「ん……」
シキがそう言うと、セラは脱力したように頷いて、そのまま意識を失った。
「セラ……」
意識を失ったセラの名前を呼びながら、シキはセラの身体を強く抱きしめる。
「お姉ちゃん……」
狼のアルカンシエルにトドメをさして戻ってきたカナデが、心配そうに声をかける。
「カナデ……」
そんなカナデに顔を向けながら、シキは置かれている状況を整理する。
……遠くから聞こえる悲鳴はまだ続いているが、セラはもう動くことも出来ないし、カナデも疲弊しきっていてこれ以上の戦闘は難しい……。
どうにかならないか考えたところで、戦う手段は残されていない。
「カナデ、セラをかかえてここから――っ?」
これ以上の戦闘はさすがに無理だと思い、シェルターまでの撤退の判断を選ぼうとした、シキのその背後。
背筋に走る悪寒を感じて、シキはその方向へと視線を向けた。
視線の先……そこに居たのは、不気味なほどにゆっくりと動く黒い影。
――まるで死神のようにするりするりとやってくる、真っ黒な人の影だった。