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忘名のステラスフィア  作者: 霧島栞
一幕
25/77

24話

 突然現れた黒い影の姿に、ミラフォードの人々はちょっとしたパニックに陥っていた。


 黒い影は、まさに黒い影としか言い表すことが出来ない姿形をしており、上から下まで真っ黒な、それこそ宵闇で構成されたかのように質量があるのかどうかすら疑わしく、何をするでもなく音も無く、するするとミラフォードの大通りを進んでゆく。


 大きさは人と同じくらいしかなく、むしろ人の影から抜け出したような不気味な雰囲気を纏っている。


 初めにその存在に気が付いたのは、ミラフォードの南門から入ってすぐにある小路の近くに居た女性だった。


 毎日窓際に生けている花を交換する為に花屋に花を買いに行こうとしていた最中に、するりと小路から闇を纏って、先程の黒い影が抜け出てきたのだ。


 女性は一瞬だけ自分の目を疑って、何度かぱちぱちと目を瞬かせたところでそれが実際に存在するものだと認識して、ぎし……と硬直するように身体を強張らせた。


 出てきたその黒い影と、一瞬だけ目が合った気がしたのだ。


 人のような形に見える黒い影には明らかに目に該当する器官を持っているようには見えない。


 顏の部分も、髪の部分も、首も、肩も、腕も、手も、胴体も、足も、爪先も、全て真っ黒でどう見てもそれが周囲を捕える器官を持っているとは思えない。


 けれども……。


 黒い人の影は、そのまま数十秒そこで立ち止まっていたか、ふと何を思ったのか見上げるようにその方角へと本来顔のある部分を向け、大通りをまっすぐに北へと進み始めたのだ。


 どう見ても異様な光景に、しかし道を開けるように取り巻く人々はどうするべきなのか、判断に戸惑う。


 仮にここに嘱託魔術師の誰かが居れば、黒い人の影をアルカンシエルか、もしくはアルカンシエルの下位体であるミストと断じて周囲に避難を喚起したことだろう。


 だがしかしこの黒い人の影は、アルカンシエルのように周囲に破壊をもたらそうという圧倒的な悪意がどこにも見当たらない。むしろ何らかの意思を見出すことが難しいくらいに、するすると音も無くゆっくりと北へと向かう以外の行動を起こさない。


 アルカンシエルという異形の存在に対して人を襲う化け物という認識しか持たない一般市民にとって、この黒い人の影がそう呼べるものなのか判断が付かないのだ。


 現に、黒い人の影が現れて数分経つが、黒い人の影は人に危害を加える素振りも無く、ただ大通りを進んで行っているだけだ。


 それが余計に不気味だと言えば不気味なのだが……


「おい、そこの黒い奴! 止まるんだ!」


 そこでやっとのことで数人の衛兵が駆けつけて、周囲に警戒を促しながら、衛兵のうちの一人が黒い人の影へと近づいてゆく。


「…………」


「……っ!?」


 そこでその衛兵は、確かに自分を『見る』黒い人の影の姿を見た。


 目に当たる器官はどこにも見られない。それでも首を斜めに傾げるように本来顔がある部分を向けてくる仕草は、どう見てもそこに目があるとしか言えない仕草であり、何より衛兵自身も見られている、と直感的に感じたのだ。


 黒い人の影はそうして僅かにだけ値踏みするように衛兵を『見る』と、それもほんの数秒のことで、興味を失ったかのように再びするすると大通りを北へと進むのを再開した。


 見られた衛兵は、そこに宿っていた鬱蒼とした意思を僅かに感じ、だからこそそのまま引き下がることが出来なかった。


「ま、待て! これ以上進むというなら、注意では済まないぞ!」


 明らかに不気味な姿形に、衛兵もなるべく触れるのは避け、回り込んで剣を抜いて威嚇するが……そもそも示威行為に出てしまったのが、彼にとって致命的な間違いだった。


「……ァ……ゥ……」


 抜かれた剣が、まだ明るい時間の光に照らされてギラリと光る。


 それ単体だけならば黒い影は反応しなかったかもしれない。


 けれどもそこに明らかな敵意が加わったことで、黒い影はそれを心の底から恐れた。


 そして、黒い影はまるで人のように恐怖のうめき声を出して――



「――《【sl-■■la-za■■】》」



《呪い》のように厳かに、早送りのような不可解な奇妙な音の羅列を紡ぎだした。

そして、ざっくりと。


 見ていた者からしたら本当に唐突に。


 前に立って剣を抜いていた衛兵の身体が裂けて、血が周囲に飛び散った。


「……ぁ? ――っああああああああ!?」


 何をされたのかすらわからないうちに肩口から腰にかけてに裂傷を負った衛兵は、吹き出す血が自分のものだと悟ったと同時に声が枯れるほどの声量で絶叫した。


 悲鳴だけがその場の音を全て支配する。


 この場にいた者は、誰一人としてそれが《魔術言語》による詠唱で創られた風の刃が生みだした現象だと気が付けなかった。


 共にやってきていた衛兵すらもそれは同じで、目の前で起こった現象に半ばパニックに陥りながらも「ひ、避難しろ!」周囲の人々へとそれだけ叫び、一人は血塗れで崩れ落ちる衛兵の仲間に駆け寄り、他の二人は世界魔術機構へと連絡すべく通信機のある詰所へと走り出した。


 自らの職務を全うする衛兵の声を引き金として、周囲の人々は混乱の悲鳴を上げながらも蜘蛛の子を散らすように逃げてゆく。


 鮮血が地に染み込み、悲鳴が行きかうその中心。


「…………クァ…………」


 ……黒い人の影は、まるで喉を鳴らすように小さく、しかし仮に誰が聞いたところでわかるであろうソレ……笑い声を上げて再び世界魔術機構へと続く道をするすると進み始める。


 まるでそこに探し物があるかのように。


 と、その背中に、ぽつり……ぽつり……と、浸透した恐怖に拍車をかけるように、空から厄災が降り落ちる。


 ――雨。


「…………クァ…………」


 降り始めた雨に歓喜するように、黒い人の影は歓喜の声を上げる。


 そして変わらない速さでするすると、北へ……世界魔術機構を目指す。


 ……雨空が無いにも関わらず降り出した雨の中を、ゆっくりと。


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