23話
――時間は三日ほど巻き戻る。
「さぁて……やっと着いたぜ」
上から下まで真っ黒な服の男……ALPの一員であるセイジ=キドは、荷馬車を2回ほど乗り継いでやっとのことで辿り着いた都市の門を前で、荷台から顔を出して気怠げに言う。
「ここが……機工都市、エイフォニアか……」
その隣、金髪の少年……ダイキ=ミトが同じく顔を出しながら呟いた。
小さな町を除き、大体の都市では周囲にある程度の高さの外壁が設けられている。
これは雨が降ると現れるアルカンシエルとは違い、世界のそこかしこに唐突に現れるアルカンシエルの下位体である《色無し(ミスト)》が都市に侵入してこないようにとの措置である。
《色無し》はアルカンシエルとは違い、その身に何らかの色……つまり《呪い》を宿していない化け物であり、こうした輩は膂力こそ人に勝るが、体躯もさほど大きくなく、魔術師でなくても相手することは難しくない。現にここまで何度も《色無し》と遭遇してきて、それをダイキの隣の男……セイジは卓越した動きで難なく切り捨ててきたのだ。
「エイフォニアは魔術とは違う、科学で栄えた都市……俺達からすりゃ、ミラフォードやリインケージよりも馴染みがあるような都市ってことだ。もっとも、ALPの本部はリインケージにあるからエイフォニアにはとある物を受け取りに来ただけだがな」
「とある物?」
行先は聞いていたものの、道中は荷馬車の操手との打ち合わせや《色無し》との戦闘、武具の手入れなどをするセイジにあまり話を聞くことが出来なかったため、何の為に向かっているのかはこれが初耳だったのだ。
「……言ってなかったか? エイフォニアには、異世界人……つまりお前の枷を外すための魔法道具を受け取りに来たのさ」
「おお……魔法道具か」
「ああ、世界魔術機構がかけた首輪ってやつは厄介だからな。外すのに少し特別な方法を取らなきゃならないんだ」
そうセイジが言うと、ダイキは世界魔術機構での屈辱を思い出したのか、こぶしを握り締めて忌々しげに呟く。
「くそっ……あいつら……」
「まあそうカッカするな。騙されたのは気の毒だが、お前はこうして選ばれたわけだ。枷を外せばすぐにやつらを見返してやれるさ」
「……そ、そうだな、枷さえ外せば……」
ダイキはそう自分を納得させるが、しかし実際ここまでセイジを妄信的に信じて来たが、時間が経って冷静になってみると、逆にこの男が言っていることが正しいのかどうかわからなくなってくる。
……本当は騙されているのではないだろうか。
そんな気持ちは少なからず存在する。だが一度逃亡したところを拾われ、自分の価値を認めてくれているセイジに逆らったところでいったい自分はどこに行けばいいのか?
結局のところ、疑問に思ったところで黙殺するしか術はないのだ。
二人は門の前で荷馬車から降りて、操手に礼を言い暫くそのまま道なりに進んでゆく。
都市の様態は先ほどセイジが言っていた通りどこか近代的で、ダイキの中にふと純粋な疑問が生まれる。
「なぁ……、ここは異世界なんだよな?」
「へぇ……? どうしてそう思う?」
ここでセイジは初めて感心したように、ダイキの問いに問いで返す。
「いや、なんか、向こうの世界と似たような建物も多いし……そういうのは変だろ」
直感的にそう感じたダイキに、セイジはなかなかどうしてと認識を少しだけ改める。
「確かに。地球の人間が考えてるより、ステラスフィア……とりわけエイフォニアは高い技術を持っているからな。そのことについては……」
地球からやってきた者の多くはどこかでそう感じる時があるが、ステラスフィアという世界についての歴史はまだその多くの部分が解明されていない。
何故地球と似た文化が発展しているのか。
何故地球と似た技術が発達しているのか。
何故地球と違う魔術が存在しているのか。
ステラスフィアの星歴は今で581年。歴史的にはまだ数百年程度の歴史しか持たない。加えてステラスフィアは慢性的な資源不足に悩まされている。それなのにこれほどまでに技術を発展させることは、本来有り得ないことだ。
歴史を紐解けばその謎はより深まってくる。
数百年前の記述にさえ、銃火器や今と遜色ない技術の存在が描かれている。
「お前はどう思う?」
その謎に対するとっかかりを見つけることが出来るならば、或いはと思ったが、
「え、あ、……銃とかあれば、敵と戦うのに便利なんじゃないか?」
……やっぱりその程度か。
問いかけに対して見当違いにそう返すダイキを見て、セイジは少しでも見込みがあるかと推測した自分を悔いる。あからさまに落胆した雰囲気を醸し出すセイジに、ダイキは何か失言をしてしまったのかと不安そうに顔を歪ませる。
「……カハハ、銃火器は一応あるぜ。ただし馬鹿高いがな。さてと……」
しかしすぐにセイジは落胆を乾いた笑みでかくして、ポケットから取り出した時計を確認して「そろそろか……」と呟いて逆のポケットから財布を取り出してダイキにいくらか握らせる。
「ちょいとここらへんでぶらついて待っててくれ。取引相手にはツレが居るって言ってないんでな。少ししたら戻る」
「え、あ、ああ、ここらへんで待ってればいいのか?」
「ああ。そう時間はかからないから適当な店で何か食べててもいいぜ」
「……わかった」
「んじゃ、行ってくる」
頷くダイキを見て、セイジは小路へと消えてゆく。
「…………」
その背中をじっと見つめていたダイキは、セイジが先ほど見せた落胆の表情にぞっとするものを感じて、言いようのない不安に駆られて、セイジが消えて行った小路をそっと覗いてみる。
するとそこには既にセイジの姿はなく、小路の奥はどこか深い闇の底に続いているような暗い色を宿していた。
「……行ってみる……か……?」
街行く人のざわめきの中、ダイキは誰に言うでもなく呟く。
嫌な予感がする。ざわざわと、見えない何かに撫でられるような不快な感覚。それは俗に言うところの虫の知らせのようなものだろう。このまま行って後悔するよりも、知らない方が良いのではないか……そんな思考がダイキの頭の中に浮かぶ。
ザリ……ザリ……
けれどもダイキの足は、自らの意思に反してゆっくりと小路の奥へと進んでゆく。
「……少しだけ……そう、俺だってもうALPの一員なんだ、少しくらいなら……」
口に出した言葉。言い訳だったとしてもその言葉はまるで魔法のようにダイキの躊躇いを取り除いてゆく。
特別な魔術言語などではなくても、言葉は言葉であるというだけで魔術のようなものだ。いや……この場合は呪術とでも言うべきか。たった一言の言葉で自分を鼓舞するだけで、身に宿る恐怖を打ち払うことができる。その逆もまたしかり。たった一言の言葉がいつまでも抜けないとげの様に、じわりじわりと出血を強いて恐怖へと変わることもある。
先のダイキの言葉は、前者と後者の要素を含んだ言葉だ。
ALPの一員であるから大丈夫という鼓舞と、果たして本当にそうなのかという不安。
薄暗闇の中をゆっくりと、追いつくことなど考えていない、むしろ追いつかなければそれでもいいと思うような足取りでダイキは進んでいく。
しかし……彼は不幸にも追いついてしまった。
「…………を…………え…………?」
「…………に…………ない…………」
断片的な会話。
片方は先ほどまで聞いていた青年、セイジの声。もう片方は妙にアクセントを効かせて喋る男の声。
「……、手はず……、こいつを……すれば、始まる……」
「カハハ、……こいつに……大丈夫なのか?」
どくんどくんと心臓がやけにうるさい。
緊張しているのは言いつけを破って来てしまったせいか、それとも……。
慎重に、慎重に、ダイキは一歩、足を進ませる。
「――あぁ、触れてもかまわんさ、腕にはめなければ暴走は始まらねぇからな」
小さくとも鮮明に、音の羅列が耳朶を打つ。
音の羅列は鼓膜を振動して脳管をしたたかに叩き言葉の意味を否応なく理解させる。
は――? ぼう……そう……?
「カハハ、しかし面白いものを作ったもんだ……チェンさんよ」
「資源は有効活用しなけりゃ意味がねぇだろ? なぁ?」
脳が沸騰するようにくらくらする。
資源とはなにを指しているのか。吐き捨てるようなその言葉は、誰に向けられているのか。
「ま、アンタにとっちゃ、異世界人なんて単なる実験道具だろうからな」
腹の底から冷えてくるようなセイジの言葉に、ダイキはよろけてザリ! と大きく足音を鳴らしてしまう。
「……誰だぁ?」
「――っひぁ?!」
チンピラのように発せられたチェンと呼ばれた細身の男が発した言葉が明確な意志をもって自分へと向けられているとダイキが悟った瞬間、セイジの姿が残像だったかのように消失した。
「……あぁ、残念だ」
――声が聞こえたのは、後ろからだった。
「ひっ、あ……あ……」
振り返ったそこに、ダイキは額に手を当てて嗤うセイジの瞳に宿った侮蔑の色を見る。
「ちっ、もう少し利口だと思ったんだがな」
「ち、違う、俺は、ただ、ちょ、ちょっと気になって……そう、何も! 何も聞いてない! 聞いてないから! だから……あ……」
助けて。
……その言葉がダイキの口から発せられる機会は、永遠に失われた。
セイジが振り下ろした手刀が首筋を捉え、ダイキの意識は完膚なきまでに闇の中に叩き込まれた。
「知らずに居た方が幸せだったろうに」
セイジは嘲るようにそう言って、どう見てもヤバい崩れ落ち方をするダイキを放って、チェンへと顏を向ける。
「悪いなチェンさん。ちょっと見苦しいところみせて」
「構わねぇよ。それよりそいつ生きてんのか? どう見てもヤベェ崩れ落ち方だったろう」
「手加減はした……と言っても頸椎損傷で後遺症は残るだろうが、何、死んでさえなければなんとでもなる」
カハハと嗤うセイジに、チェンは……はっ、こいつも大概狂ってやがる。と心の中でひとりごちる。もっとも、その評価はセイジがチェンに抱いている評価とほとんど変わらないもので、どちらも同様に自分も狂っていると自覚しているから性質が悪い。
「ま、これで後は……ミラフォードに戻るだけだな」
白目を剥いて倒れるダイキをまるで物のように持ち上げ、セイジは振り返る。
「成果は見てのお楽しみか?」
「ああ、楽しみにしてるぜ、くくく」
「……カハハ、さて……」
引きずるダイキをどうやってミラフォードまで運ぼうかと考えながら、暗闇の中でセイジは凄惨な表情を浮かべて悪意を込めて囁くように呟く。
「復讐劇の、始まりだ」