21話
「……ということで、セラも一緒だけど、良いかな?」
第一修練場は、第二修練場とは違って室内の修練場で、高弾性の衝撃吸収シートによって作られた床板は足腰への負担も少なく、さらに足場の段差が出来てしまう砂地や路面で修練するよりも全身の動きを把握しやすくなる為、魔導騎士の修練の場として重宝されている。
それでなくても、外よりも室内の方が空調も効いているので、それを目当てに日々の修練の場として第一修練場を選ぶ者も多い。
戻ってきた刀の感触を確かめる為に一心に刀を振るうカナデに、シキは少しだけご機嫌をうかがうように笑みを取り繕って言ってみたのだが、果たしてカナデの反応はシキの少々予想とは違ったものだった。
「え……まあ、う、うん、い、いいよ?」
別に嫌そうな感じではないのだが、何故かカナデは二人で並ぶシキとセラを見て、修練で火照っただけではなく顔を赤くしてあちらこちらに視線を彷徨わせる。
「なんかカナデ、顏赤くない? 大丈夫?」
「ぜぜぜぜ、ぜぜん!? 別に、なんでもないよ!?」
「そ、そう……?」
妙な反応を不思議に思って聞いてみたシキに過剰なまでの反応を示すカナデ。
その反応からしてどう見ても何かあるようにしか見えないが、その原因がまさかシキとセラが一緒に居ることによって、クレアから貰った例の薄い本のことを思い出して想像してしまったからだとは夢にも思わないだろう。
「……ありがと、カナちゃん」
とてとてと近寄って礼を言うセラに、カナデは後ろめたいことを考えた罪悪感を刺激されて「うぅ……」と赤い顔を逸らしながら、刀を鞘に仕舞う。
「えっと、とりあえず、シャワーでも浴びて汗を流して来たら?」
「うん……そうする……」
「……カナちゃん大丈夫? ……一緒に入る?」
「え、ぇえ!? う、ううん、大丈夫! すぐ行ってくるから待ってて!」
なんだか元気が無い(ように見える)カナデを心配に思ってセラは言ったのだが、頭の中にセラ×カナデという新しいカップリングが展開されたカナデは邪な妄想を振り払うように首を横に振って、脱兎の勢いでロッカールームへと走っていった。
「……どうしたんだろ、カナデ」
「……ね」
カナデとクレアのやり取りを知らないシキとセラは、ただただ不思議そうにしながらそう呟いた。
そして待つこと十数分。
「ご、ごめん、おまたせ」
そう言って僅かに頬を上気させたカナデが戻ってきて、
「じゃあ、いこっか?」
「……ごー」
シキの言葉にセラが相槌を打ち、いざ街へ繰り出さんと第一修練場を後にした。
街までの道すがら話をしているとカナデはいつものペースを取り戻し、それを見たシキはほっと息を吐く。
時刻は既に十三時頃。
世界魔術機構の敷地を抜けたところで、シキはふと思い立って聞いてみる。
「そういえば、カナデはどこか行きたいところある?」
案内してと言われたが、具体的にどこをとは聞いて居ないので、今のうちに聞いておこうとシキが問うと、カナデは少し考える仕草をして、答える。
「うーん……本当はお姉ちゃんに美容品でも買ってもらおうと思ったんだけど……まだ街のことを全然知らないし、色々案内してもらっていい?」
「ん。りょーかい。広いから一日では案内しきれそうにないけど、色々見てまわろっか。セラもそれでいい?」
「ん……。大丈夫」
一応セラにも同意を取って、そう言うのを確認してからシキはさてどこから案内したものかと、思考を巡らせながら歩く。
静かだった道なりにちらほらと人が見え始め、さらに進むと人で賑わう都心へと繋がる中央通りにたどりつく。
「基本的にミラフォードは様々な都市の要素を取り入れて出来ているけれども、街並みは地球で言うところの中世風の建物で構成されている感じね」
「へぇー……」
そう言いながらカナデは周りをきょろきょろと見回して確かにと思う。実際に見たことはないが、建物の外観はどこか中世のヨーロッパのような落ち着いた白塗りや朱色の煉瓦の建物などが並び、近代の日本のような細々とした舗装路が続くのではなく、広場に近い大通りからいくつもの小路が伸びているのが見て取れる。
また、建物の高さもビルのような高い建物が無く、時計塔らしき尖塔や一部教会のように見える建物を除き、割と揃った高さの建物が多い。
「あれ、でも世界魔術機構とかは割と近代的な造りだったよね?」
不思議に思ってカナデはシキに問う。
「そうね。世界魔術機構は嘱託魔術師との連携や都市間の情報のやり取りなんかで最新の設備も整えているけど、ステラスフィアは慢性的な物資不足だから、大都市のミラフォードではどうしても都市部までは回らなくてこういった街並みになっちゃうのよね」
「そうなんだぁ。でもなんか、こういう街並みだと少しファンタジーって感じがするよね」
「あはは、みんな言うね、それ」
初日にも大通りを通って来たので知ってはいただろうが、改めて落ち着いて見るとやはりそう思ってしまうものだ。シキもそうだったし、キョウイチやキリエですら同じようなことを言ったくらいだ。地球からやってきた人にとってはもはや通過儀礼と言っても過言ではない。
「それに空が透明だから、街並みもかなり不思議な感じがするよね」
「……そうなの?」
「セラとかステラスフィアで生まれ育った人からすれば空は透明色なのが普通かもしれないけど、地球では空は青い色をしてるからね」
ぽつりと尋ねるセラに、シキはそう言って答える。
「カナデも講義で聞いたよね? ステラスフィアを覆う《白樹海》について」
「え、う、うん?」
「えぇ……もしかしてカナデ、聞いてなかったの……?」
「修練で疲れちゃってたから……」
つまりは居眠りしていたのだろう。
……あれ、もしかしてうちの妹って意外とあほの子なの?
シキはカナデの認識を少し改めながら、一つ息を吐いて改めて説明を始める。
「ステラスフィアの空が青くないのは、太陽が存在しないからということもちろんあるけど、同時にステラスフィアを覆う《白樹海》と呼ばれる透明色の海が彼方に存在しているからでもあるのよ」
「海があるの?」
「反応するところがなんか微妙に違う気がするけど、海っていうのは便宜上の呼称ね。機工都市エイフォニアの科学者の分析によると、《白樹海》は概念の海って言われてるの」
「へー」
何だろうか、棒読みで返されると本当にこの子理解しているのだろうかと勘ぐりたくなるのを必死に抑えてシキは続ける。
「その《白樹海》が何故存在するのかについては諸説あって、ミラフォード以外の大きな都市……例えばリインケージでは天使によって造られたのだとか、エイフォニアでは科学の技術によって生まれたものだとか……色々あるね」
「天使?」
「うん。リインケージの星神教会っていう大きな教会が祭り上げている唯一神アリスがその天使として《星書》の一節に刻まれてる」
「……絵本にもなってるくらい、有名な話」
「へー……」
セラが言っているのは『天使と悪魔による世界創世』という、絵本になって子供に読み聞かせられるくらい有名な《星書》の一節だ。
天使が悪魔を封印して、世界を救ったというおとぎ話。
リインケージに住む子供なら誰でも知っているし、ステラスフィアの人間ならば一度は必ず小耳にはさんだことくらいはある有名な童話だ。
「……カナデにも絵本買ってあげようか?」
どこか不安な反応のカナデにシキがそう言うと、カナデは少しだけ慌てながらも「だ、大丈夫だよ」と言ってしきりに頷いた。本当に大丈夫なのかどうか不安に思うが、しかしここはカナデを信用しておこうとシキはすぐに頭を切り替えて時刻を確認する。
「そういえば、ちょうどお昼過ぎだし先に何か食べよっか。セラもお昼まだだったよね?」
「ん。お腹すいた……」
可愛らしくお腹を押さえるセラに和んでいると、
「よし、じゃ、お姉ちゃんおすすめのお店に案内してもらおうかなー」
悪戯っぽく言うカナデにハードルを上げられ、シキは少しだけ迷った後、良いことを思いついたようににやりと笑ってカナデを見る。
「じゃあじゃあ、わたしのおすすめの店に案内しよっかー」
そう言って弾んだ足取りでシキが向かった先は、いくつもの小路を曲がった先にある、地球から来た人にとってはかなり馴染みのある暖簾の掛かったお店で。
「じゃーん!」
達筆で『らぁめん。』と書かれた暖簾はそれ以外に他の解釈をする余地などあるはずもなく。
「えぇ……」
「おー……」
カナデとセラは、思わず半眼で外装を凝視してしまう。
他の店とは違い、その店だけが無駄に、中世風の建築様式から外れた和風な雰囲気で造られており、がらがらと引き戸を開いて奥から聞こえてきた「らっしゃい!」というおやじさんの声を聞きながら、カナデはテンションの高い笑顔なシキに促されるままに店内に入ってゆく。
しかも店内は古き良きラーメン屋のように、こじんまりとしたカウンター席が並ぶ様式で、異世界の雰囲気は何一つ感じられない。
……今後お姉ちゃんのセンスは絶対信用しないでおこう。
カナデはそう心に誓う。
何故、異世界の街に来て初めて食べる物がラーメンでなくてはいけないのだろうか、と理不尽な気持ちを味わいながらも、しかしお腹はすいているので、シキに薦められるままに注文を済ませ、やってきたラーメンを食べ始める。
……無駄においしいのが、余計に腹が立つ。
「どう? この店のラーメンはおススメなのよ! おいしいでしょ?」
シキが無駄にドヤ顔なのも、カナデの苛立ちを増幅させる。
確かにラーメンはおいしい。麺はしっかりとした歯ごたえがありながらも芯までしっかりゆで上がっており、絡み付くスープは口の中で絡み合って濃厚で凝縮された味を舌に運び込む。付け合せの野菜やチャーシューも一つ一つに丁寧な味付けがされており、それがアクセントとなって様々な味が舌の上に踊らされ箸が止まらない。
地球でもこれほどのラーメンはそうそう目にかかれないだろう。
まさに至高の一品。
「さすがおやじさん、今日もおいしいね!」
「さっすがシキちゃん、わかってるねぇ!」
楽しげに会話を交わすシキとおやじさんを横目に、カナデとセラはスープまで飲み干して食べ終わり、「あっしたー!」というおやじさんの声に見送られて、外に出て内装とのギャップに空を仰ぐ。
「……なんか負けた気がする……」
「……ねーさまのセンスは……だいたいこんなもの……」
そう二人して呟く背には、どこか哀愁が漂っていた。