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忘名のステラスフィア  作者: 霧島栞
一幕
21/77

20話

 セレスティアル=A=リグランジュ……セラにとって、シキは特別な存在だ。


 140センチほどしかない身長に、青い髪、それと同じように透き通るような蒼い瞳のセラは人形のようなかわいさがあり、どこか世界から乖離しているような可憐さを持っている。


 しかしその透き通るような蒼い瞳は、今は憂うように伏せられ、空を見上げながら肩を落とす姿は思わず抱きしめたくなるほどに切なげな雰囲気を醸し出している。


 とてとてと歩く姿はかわいらしいが足取りは危うく、今にも倒れ伏してしまいそうなくらい憔悴しきっている。


 その理由は……


「ねーさま分が足りない……」


 ……ぽつりと呟いたセラの言葉を耳にしていた者が居たら、間違いなくなんだそれはとツッコミを入れただろう。


 シキの実の妹であるカナデがやってきて一週間。


 実の姉妹、家族である二人に遠慮して、セラはなるべく二人の邪魔をしないように振る舞っていたが、シキと話せないのはセラにとっては死活問題であり、元気が無い今の状況は全てそのせいなのだ。


 だがしかし、セラにとって家族という言葉は特別な意味を持っている。


 それはセラの過去に起因していて、発端は十数年前まで在った北の地のイーリスという小さな町での出来事だった。


 ステラスフィアの大地は北に行くほど気候は寒くなり、南に行くほど暑くなる。


 イーリスが在った場所は結構な寒冷地で、人が住むことはできても家畜や作物などを育てることは出来ない険しい土地だったが、北の山には鉱山がある為、その採掘による収入や交易によって生計を立て厳しい土地にもかかわらず、人々はたくましく生きていた。


 セラはそんなイーリスの家庭の中の一つ。やさしい父に、やさしい母、面倒見の良い姉が居て、いつも笑顔が絶えない幸せな家庭で育った一番下の娘だった。


 父はたまに厳しかったが、それでも理不尽に厳しくすることは決してなく、母は怒られて泣く自分をやさしく慰めてくれた。姉も歳が離れていたからか子ども扱いされることが多かったが、いつも良くしてくれていて毎日が明るい日だまりのようだった。


 ……けれども、そんな幸せな日常は突如現れた一匹のアルカンシエルの手によって残酷な非日常へと変貌した。


 巨大な狼の体躯に、白銀の毛並み。鋭く尖った瞳に宿る赤い殺意。逆立つ頭部の毛の一部だが青く染まった、後に個体名を付けられるほどの脅威となったアルカンシエル……『フェンリル』。北の寒冷地と針葉樹林を根城にして、多くの人と魔術師を死へと追いやった魔狼。


 その最初の犠牲となったのが、イーリスの街だったのだ。


 遠くから聞こえる断末魔の悲鳴。家屋が破壊される音。状況を確認するために出ていった両親はいつまでたっても戻らず。火を消して冷えてゆく家の中。嫌な予感が広がり冷めてゆく心。恐怖を打ち消すように、ぼそりと言った、姉の言葉。


『……わたしも、見てくる』


 いやいやとセラは首を振ったが、しかし姉は追い縋るセラに『大丈夫だから……』と言ってセラを振り切り、扉を開けて……。



 そこに、死がゆらりと鎌首をもたげるように、こちらを見ていた。



 狂気を内包した赤い瞳が、瞬き一つせずに姉とセラを見つめていた。


 死という概念が一点に凝縮されたかのような、圧倒的な存在感。死に見つめられて動けない二人をあざ笑うように、次の瞬間、鈍い音とともに何かが地面へと転がり落ちた。


 ――赤く染まる視界。冷めきった身体に降りかかる温かな赤。


 首を刈り取られた姉の胴体から吹き上げた血しぶきが飛び散り、首なしの身体がまるで冗談のようにゆらゆらと陽炎のようにゆれる。


『大丈夫だから……』


 震える姉の、それでも気丈に振る舞う声。


 数秒前に聞いたその声が、もう二度と自分にかけられることがないのだと。


 もう両親も姉も居なく、この世界に自分はもう一人なのだと。


 突然の理不尽で全てが奪われるのだと。


 ――それが『世界』なのだと。


 セラがそう認識した瞬間、心が壊れると同時に世界にも罅が入った。


 セラにとっての幸せな世界は砕け散り、絶望に染まった心はたった一つの祈りで侵蝕される。


 ……全て、何もかも凍り付いてしまえ。


 辛く心を引っ掻き回す痛みも凍り付いてしまえ。


 時間すらも過ぎ去ることを許さないくらい凍り付いてしまえ。


 北の山の凍土のように、冷たく嘲笑う死の瞳もすべて凍り付いてしまえ。


 世界も時間も壊れた心も家族の死も何もかも全て、等しく凍り付いてしまえ。


 この冷めきった空洞のような心のように、全ての世界が凍り付いて無くなってしまえ。


《凍て付け》。《凍て付け》。《凍て付け》。


 深層からの祈りは崩壊した心(世界)を変質させ、世界を染め上げる。


 零れ落ちる祈り。絶望の中に落ちる涙は血の赤と混ざり合って、緋色の氷塊と成り果てる。


 緋色の氷塊が家屋を突き破るように凝固し、周囲の空間、イーリスの街全てを氷の蒼に染め上げてゆく。


 その強固な祈りに呼応するように、ふとセラの頭の中に声が響いた。


 ――謳え、と。世界を綴じる最後の言葉を、謳え、と。


 その声に導かれるままに、セラは壊れた心と虚ろな瞳でセカイを見ながら、言葉を紡いだ。


『《――purisaz-dar-othel-i=s【    】》』


 その瞬間、イーリスの町は地図の上から無くなり、やがてその場所は『氷結の廃墟』と呼ばれるようになる。


 それと同時にセラ自身も緋色の氷の中に閉じ込められ、長い眠りについたのだった。


 そして、時は流れて一年ほど前。


 数年前から物資不足に悩んでいた機工都市エイフォニアは、鉱山の採掘に向かう者を襲い被害を増やし続けているアルカンシエル……『フェンリル』の討伐を世界魔術機構に依頼し、さんざその依頼を取り下げてきた世界魔術機構最高責任者であるレインは、被害が拡大したその時期を期としてこれ以上はやむなし、とシキの部隊に『フェンリル』の討伐を依頼した。


 シキの部隊ならば、キリエやキョウイチといった防御面に優れた人材が居る為、圧倒的な暴力によって破壊を行う『フェンリル』とは相性が良いだろう、と満を持した判断でもあった。


 そうして『フェンリル』の討伐を命じられたシキは、当時四人だった部隊を率いて北の鉱山へと向かい……その途中。『氷結の廃墟』と呼ばれる誰も踏み入ることのない凍り付いた場所で、シキは緋色の氷の中に閉じ込められるセラと、そして、その前にまるでセラを護るように座り込む白銀の毛並みを持った巨狼のアルカンシエル……『フェンリル』の姿だった。


 セラはその話を後から聞き、何故『フェンリル』がそこに居たのか不思議に思ったが、その答えは未だ出ていない。


 ともあれシキ達と『フェンリル』の戦いは予想以上に苛烈だったものの、神への祈りを魔法陣として展開して防壁を作ることが出来るキリエの活躍もあって『フェンリル』を何とか討伐することが出来たシキは、閉じ込められたセラを、終わる事のない絶望の象徴とも言える緋色の氷塊の中から救いだした。


 凍て付いた長き時間が再び動き出し、セラが初めて手に入れたものは、自分をやさしく抱きしめる暖かさ……深い絶望からの解放だった。


 シキは訳も分からずぼろぼろと涙をこぼして嗚咽を繰り返すセラの身体を、ずっとやさしく抱きしめていた。


 セラになにがあったのか、その時のシキには何もわからなかった。


 けれども、緋色の氷塊の中に居たセラの顔が今にも泣きそうな顔をしていて、こんなに冷たい氷の中にずっと居たのだと思ったら、心が苦しくて気が付いたらその小さな身体を抱きしめていた。


「……ねーさま」


 呟くセラの声はやはり寂しげに空気を震わせた。


 ……そんな過去があったからこそ、セラにとってシキは特別なのだ。


 死んだ心に温かい光をくれて、再び生きる気力を与えてくれた特別な存在。


 理不尽と悲しみに囚われた過去を消し去ることは出来ない。


 シキに寄りかかることは、彼女に対する依存なのかもしれない。それでもシキはそれを知ってなおやさしくしてくれたし、わがままを言っても聞いてくれている。


「……むー」


 セラは悩む。


 寂しい、とシキにわがままを言っても聞いてくれるだろうし、かまってもくれるだろうが、家族と一緒に居る時間を邪魔するというのは自分自身を否定するようなものだ。


「――あれ、セラ?」


 そんな風に考えていると唐突に後ろから声をかけられ、セラは珍しく驚いて振り返る。


「……ねーさま?」


「うん? どうしたの」


 小首を傾げながら不思議そうにセラを見るシキの姿が目に映り、セラは悩むことを放棄した。


「……ねーさま!」


「ちょ、ちょっと、どうしたのセラ!?」


 いきなり抱きついて来たセラに、周囲の視線を気にしながら戸惑うシキは、何が何だかわからない状況に頭の上にはてなマークを浮かべる。


 しかしそれでも、


「……まあ、いいっか……」


 幸せそうなセラの顔を見て、シキは微笑んで頭をやさしく撫でながらそうつぶやき、暫くの間そうやってずっとセラの頭を撫でつづけていたのだった。

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