19話
カナデが何やら道を踏み外していたその頃。
歩いていたら突然背筋に悪寒が走り、シキは振り返り後ろを見てみるがそこには何もなく。
……気のせいかな? と断じて再び歩きはじめる。
シキが今向かっているのは世界魔術機構の統括本部だ。
統括本部は各都市に点在する世界魔術機構の支部から情報をまとめ、依頼として発布したり重要案件についての整理、また会議などが行われたりする場だ。
場所は嘱託魔術師用の居住区や訓練区からさらに北に向かったところにあり、建物は中心部が吹き抜けの塔状になっている。又、統括本部には同時に最高責任者であるレインの執務室もあり、シキは現在そこに向かっている最中だ。
午前中に来てくれればいいと言われていたのでさほど急ぐこともなく、シキは舗装されて木々が植えられた並木道を歩いてゆく。
ステラスフィアには季節というものは存在しない。
地方によっては暖かくまた暑く、逆に涼しかったり寒かったりするが、その気候は基本的に一年を通して変化することはない。
天体として存在していないのだから、気候の変わりようがないのだ。
中立魔術都市ミラフォードが存在する場所は、ステラスフィアの中央からやや北東にあり、気候としては春のような温かさが続いている絶好の立地だ。
植物は満ちる光を吸収して芽吹き、吹く風は心地よく頬をすり抜けてゆく。
もちろん近未来的な気候制御装置などではないので、多少寒い日や暑い日もあるが、それでもミラフォードはどの都市よりも人が住む環境としては良いことに変わりはない。
さわさわ……と風が枝葉を揺らす音をBGMに、シキは行きかう人に笑顔を返しながら歩いてゆく。
「ふぁ……」
ふと欠伸が出てきて、シキは手で口を押える。
カナデに叩き起こされたからというのもあるが、こんなにぽかぽかと暖かいとどうしても眠くなってしまう。
……サンドイッチでも作って、ここでゆっくりするのもいいかなぁ……。
備え付けのベンチにでも座って、カナデかセラでも呼んでお喋り出来たら、もしくは奥にある日だまりで部隊の皆とわいわい過ごせたら、それは楽しいことだろう。考えただけでも思わず笑みがこぼれる。
まるで天使のように微笑むシキを見て、通りすがりの職員が見とれて躓いていた。
「大丈夫ですか?」
「あっ、いやっ、大丈夫ですっ」
そう言って見られたことが恥ずかしかったのか、そそくさと去っていくのを見送りながら、シキは困ったような笑みを浮かべる。
「うぅん……」
……もう少し、話し相手になってくれてもいいんだけど。
気軽に話せる相手が少ないというのは、シキにとっても悩みのタネだ。
カナデがステラスフィアに来て、一番うれしく思ったことはそこかもしれない。
ついつい話し込んでしまって寝るのが遅くなってしまうという弊害もあるが、そのせいで朝起きられなくてもカナデが起こしてくれるので問題はない。
さすがに、今日の朝のような起こし方は勘弁だとは思うが。
気を取り直して暫く歩くと、木々の隙間から統括本部の建物が見えてくる。
建物をビルではなく塔と表現したのは、壁面の大半が黒い石材で出来ているからだ。
ビルのように窓の類はほとんどなく、外部に中の様子が見えないようになっており、機密主義というほどではないが暗殺なども警戒しての建造となっている。
その中でも唯一ガラス張りとなっているセンサー付きの自動ドアをくぐると、一階のフロアは正規依頼を受諾出来る窓口とその他諸々の手続きを出来るいくつかの窓口に分かれている。
中央の吹き抜けから上を見ると、ぽっかりと空いた吹き抜け部分の上層階に掛かった強化ガラス板が微かに見える。
いつまでも突っ立って上を見上げていたら邪魔になると思ったシキは、その風景から視線を逸らし、窓口から左側に行ったところにある職員専用のエレベーターに乗り込むと、階層ボタンの隣にあるカードスリットに取り出したセキュリティカードを通し、点灯した14階、と書かれたボタンを押す。
ゆっくりと動き出す僅かな負荷の変動に、いつどこで乗ってもエレベーターとは変わらないものだと思いながらシキは14階に辿り着くのを待つ。
キン……と、違和感を覚える13階から14階へ区間を過ぎ去り、エレベーターは音を立てて扉を開ける。
すると下で聞こえていた機械の音や、エレベーターの中でも聞こえていた各階の音が完全に停止して、ほとんど無音と言っても過言ではないまるで隔絶された空間がそこには広がっていた。扉を閉じて戻ってゆくエレベーターの音も、14階から13階へと降りると同時に聞こえなくなる。
フロア全体に特殊な魔術言語が刻まれているからだとレインは言っていたが、しかし何度来ても感じる違和感にシキは首を傾げながらも、考えても仕方ないと思いレインの執務室へと向かい、見ただけでわかるほどの厚みを持った細かな装飾が施された木製の扉の前で、シキは立ち止まる。
「――シキ=キサラギ、参りました」
そう告げると中から「入ってよいぞ」というレインの声がかかり、シキは重い扉を押し開けて中へと入る。
「すまんの。せっかくのオフだというのに」
「いえ、慣れてますから」
大量の紙が積まれた執務机の奥に座るレインに、シキはさらりと毒を混ぜて返すが、レインは気にした様子もなく続ける。
「わざわざ来てもらったのには訳があるのじゃ。そう邪険にするでない。私が赴いてもよかったのじゃが、聞かれると少々厄介な案件であったのでの」
聞かれると少々厄介な……というところでシキは嫌な予感がして来たことを後悔しかけるが、しかし知らないで厄介ごとに巻き込まれるよりは何十倍もマシである。
「それでその話というのは何ですか?」
「うむ……」
いつもなら言いよどむことのないレインが、珍しく真剣な顔をして言葉を区切ったことで、シキは自身の予感を確信する。
「――数日前に、機構の工作員がALPに関する妙な動きを捉えたのじゃ」
「ALP……」
呟き、シキは苦々しく顔を顰めた。
ALP=《非理論党(anti logic party)》と呼ばれる組織は、文化都市リインケージに存在する、世界魔術機構に少なからぬ敵意を持っている組織だ。
言語魔術を扱うことが出来る魔術師を否定し、その強大な力によって起こる格差を失くして全てを平等の下に平定するという危険な思想を持った集団である。
もしこのステラスフィアから魔術師が居なくなれば、アルカンシエルに対抗する手段が無くなる為、魔術師の排除を望んでいるわけではないが、だからこそALPでは魔術師をただの兵器として扱うべきとして、薬物投与や心理操作が可能な魔術師によって思考を操作することを主張している。
「……ALPが、何か不穏なことを画策しているということですか?」
シキ達嘱託魔術師からすればALPは絶対に相容れない存在である。
掲げている主張はもちろんのこと、彼らのうちの一人にでも会ったことがあれば誰もが、その瞳の奥に宿している魔術師を家畜でも見るような蔑んだ色に、嫌悪感を抱くこととなる。
シキも過去に一度だけレインの立ち会いで会議に参加し、ALPの幹部の目を見たことがあるが、どう見てもあれは魔術師を人だと認識していない目だった。
「具体的に何を考えておるかはまだわからんが、ALPの構成員らしき男と異世界人らしき者の姿を見かけたとの報告があっての。それについては引き続き調査を頼んでおる」
「……そうですか」
……何故世界を襲う災厄であるアルカンシエルだけではなく、人と人とが争わなくてはいけないのか。
都市ごとに違う思想があり、対立し合う組織。脅威を前にしたら誰もが手を取り合って一丸となるなど、所詮は絵空事だ。災厄降りかかるステラスフィアという大地ですら人は手を取り合えない。
「……なんで、ALPはそこまで魔術師を憎むんでしょうか」
シキの問いは、ALPを知っている魔術師ならば誰もが心の中で思っていることだ。
「人の心とは、どこまでいっても度し難いものじゃからの」
国家会議の場で各都市の組織の代表と言葉を交わすレインならばその答えを知っているのではと思って聞いてみたのだが、帰ってきたのはそういった曖昧なもので。
「どういうことですか?」
「そう難しい話ではない。世界魔術機構とて完全な正義ではないということじゃ。例えば、誰かが躊躇えば誰かが死ぬ。数字上では助けられる命があれども魔術師とて人じゃ。己が身を案じて動けない、動かないこともある。お主も知っておるじゃろう?」
「それは……」
レインの言葉は、奇しくも一週間ほど前にエイフォニアの科学者が言っていた言葉に酷似していた。魔術師にはステラスフィアを護るために戦っているという大義名分が存在するが、それでも死にたくないのは誰も同じだ。誰かを護って死ぬことを本懐とする者など、そうそう居ない。助けにいかなければ死ぬとわかっていても、嬉々として死地に向かえるはずがない。
だが、立場が変われば見方も変わる。
「しかし私としても魔術師を死地に送り込み、いたずらに危険を増すことはしたくはない。それが私は効率的だと見るが、知らぬ者は怠慢と見る。正義と見るか悪と見るか。見る者が違えば千差万別じゃ。我が身かわいさに私腹を肥やしていると見られても仕方はないじゃろう」
言いたいことは、なんとなくわかる。
結局のところ、無理にアルカンシエルと戦って魔術師が犠牲になり世界魔術機構の戦力が低下すれば、いずれは襲い来るアルカンシエルに対処しきれなくなり、やがては被害が拡大するだろう。そうなった時責められるのは、世界魔術機構の嘱託魔術師、ひいては最高責任者であるレインが矢面に駆りだされるだろう。
襲い来る脅威から十全に護るための力があるならば良い。
ゲームのように死んでも生き返れるならば。レベルが上がればステータスが上がって危険が無くなるならば。誰もが修練もなしに特別な力が使えるならば。
そうすれば、人々を、世界を護ることなど容易だろう。
けれどもそれは幻想であり、このステラスフィアではそうではない。
仮に、例えそうであったとしても誰もが使える力はそれ自体が再び争いの火種になって燃え上がり、やがては対立の嚆矢となる。
「ままならないですね……」
呟くシキの言葉は、己の無力感を噛みしめるように重く響いた。
「そうそう万事良き方へと進むものではない。なに、これまでも何とかなっておるのだ。これからも大丈夫じゃろう」
そう言ってレインは明るめに声を出し、落ち込んだ空気を和ませる。
「ALPの件はとりあえず頭の中に入れておくだけで良い。それはそうと、どうなんじゃ? お主の妹は」
「どう、とは?」
「同じ部屋なんじゃろう? むらむらせんのか?」
「なに言ってるんですか? レイン様?」
シキがにっこりと微笑んで蔑んだ眼で見ると、レインはあっはっはと笑いながら「冗談じゃ冗談じゃ」と本当なのかどうかわからないことを言って、続ける。
「魔導騎士としての才があるのは知っておるが、属性も7つ持っておるのじゃろう? 創成魔術の方はどうなのじゃ?」
創成魔術は、言語魔術の中でも最も主流となっている基本的な魔術だ。
即ち、詠唱、展開、発現のプロセスを踏んで発動させる魔術で、一般的に言語魔術と言うとこの創成魔術のことを指す傾向にある。
「うーん……まだ、進展はない感じですね」
元の世界でも《加速》の魔術を使えるほどに修練を積んでいた武道とは違い、創成魔術は一から構築していかなければならないのでそうそう簡単にはいかない。何度か瞑想に付き合ったことはあるが、魔術言語を構築する段階にすらまだ到達していない。
「ふむ。魔導騎士でもあり魔術師でもあるとなればまさに一騎当千と思ったのじゃが……そううまくはいかんの」
「何言ってるんですか。まだ一週間も経ってないんですから、期待しすぎです」
「それもそうじゃがの」
「……後、期待するのは良いですけど、あんまし危ない依頼とかは振らないでくださいね」
「それをお主が言うのか……」
むしろレインからすれば、無駄に危険な依頼を受けて武勇伝を打ち立てないでほしいくらいなのだ。カナデがストッパーとなって少しは落ち着きを持ってくれるならば、それは世界魔術機構にとっても良いことだ。
とレインは思ったのだが、
「……わたしだって無理にやってるわけじゃないです。出来ることをやってるだけです」
そう言うシキを見て、
……これはあまり期待しない方が良いと思い直し、深いため息を吐くのだった。