16話
――そんな風にシキとカナデが夜遅くまで話に耽っている、まさにその時刻。
光の裏側に存在する闇のように、今回の百人の異世界人を受け入れる為に造られた寮から抜け出した黒い影が、市街区の方角へ向かって走っていた。
「はぁ……はぁ……っ」
息を切らせながら走る影は、闇夜に紛れるような黒いジャケットを纏っており、後ろから誰か追ってこないかを頻繁に確認しながら物陰を駆けてゆく。
「くそ、くそ、くそっ、くそっ!」
少し走っただけで切れる息に悪態を吐きながら、それでも黒いジャケットの影は走るのを止めない。
……なんで、なんで俺が……っ!
彼が思い返すのは今日の属性検査でのことだ。検査の担当がキョウイチという男だったのも忌々しいことだが、それよりもその結果の方に彼は納得がいかなかった。
自分より前に検査に挑んで一喜一憂する結果を出してく者達に対して彼は、所詮は引き立て役なんだからその程度だと高みを決め込んでいた。
(やっぱり、属性と言えば炎か闇だろ。いや、俺のことだ。いっそ二つの属性持ちだということもあり得る。そうだ。きっとそうに違いない)
そんな思いを抱いて回ってきた自分の順番で、彼は自らの属性検査の結果を見て、暫し思考が定まらなかった。
下された判定は……地。
選定の柄によって創り出され浮かんでいたのは、どこでもあるような小さな小石だった。
馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な!
有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない!
周囲の人の視線が、自分の結果をあざ笑っているように思えるくらいに、彼にとってそれは信じがたい結果だった。
(特別な俺が、なんでこんなちっぽけな、地属性なんて地味な属性なんだ!)
世の地属性魔術師が聞いたら憤慨しそうなことを思いながら、彼はその直後、さらなる屈辱を味わうことになる。
――如月奏と呼ばれる少女によって。
彼女の検査の結果は、担当のキョウイチが驚きに言葉を失うくらい特別なものだった。
選定の柄を握りしめて発動の言葉を言った彼女の柄の上には、七色に光る球体が浮かんでいたのだ。
まさか、という思いのままにキョウイチの説明を聞くと、それは彼の予想通り、彼女が七つの属性を持っているということで、しかも世界魔術機構で初の快挙だという。
(なんで俺じゃない? そんな、なんで……こんな結果、こんな、こんな……っ)
本来称賛されるのは自分であって、他の者が自分より優れているなど、彼にとっては有り得ないことなのだ。
異世界に来た自分は、勇者のように周囲から期待され、尊敬され、仮にその力を利用しようとたくらむならばそれすら切って捨て、国すらも敵に回してなお全てを支配できる力を持っているはずなんだ……と、幻想の中の彼は言う。
しかし現実は、これだ。
百人居る中の、たった一人。特別でもなんでもなく、検査の結果のように、まるで路傍の小石の如く歩けば当たる確率の平凡な者のうちの一人でしかない。
走ればすぐに息が切れるし、思うように身体が動かない。
今もほんの数百メートル走っただけで、もう足がガクガクして覚束ない。
緊張から喉が渇く。目の焦点も定まらず、どこに走っているのかすらもはやわからない。
「なんでだ……俺は特別だ……っ、異世界に来れた俺は……っ、誰よりも特別な存在なんだ……っ」
その言葉は哀れなほどに掠れていて、夜色の闇に吹く風に攫われて誰にも届かない。ヒュー……ヒュー……と喉で息をする彼は、やっとのことで魔術学園の敷地から、市街区へと抜ける。
時刻はもう0時近く。中世風の街並みにはもう誰の姿もなく、ぽつりぽつりと点在する街灯だけが、道標のように輝いている。
けれども彼はもうそれ以上走る気力もなく、荒い息を吐きながらいくつか細い路地を通り、やがて薄暗い路地に背を任せて座り込む。
「おかしい……なんで……なんで俺が……」
今日の属性検査の時の周囲の目が、地球に居たころの自分をクラスメイト達が見る目と重なってフラッシュバックする。
「見るな……そんな憐みの目で俺を見るな……違う、こんなの違う、こんなのは……」
劣等感に気が狂いそうになるのを抑えながら、彼は思う。願いにも似た幻想を。
……俺は特別であるはずなんだ。あんなクズ共とは、本質的に違うんだ。そうだ。俺は特別だ。だから俺を見下すヤツらなんて、全員――
「――よぅ、お前、異世界人だろ?」
突然声をかけられた彼は反射的に立ち上がり、想像の中で何度も訓練した我流の構えを取る。
「な、何だ、お、お前はっ!」
カハハと唇を歪めて笑い声をかけた男は誰にでも言うでもなく「……運が良い」と呟きながら大仰な仕草で言葉を続ける。
「俺は怪しいモンじぇねぇよ? お前は実に運が良い。俺はお前らみたいな世界魔術機構に騙されてるヤツを、助けに来たんだからな」
上から下まで真っ黒な服に身を包んだ男は、そう言ってまた唇を歪めて笑う。
こんな時間に、こんな薄暗い路地で、真っ黒の服に身を包んでいながら、怪しい者じゃないもなにもないだろうが、構える彼は男の言葉を無視できない。
「騙されてるって……なんだよ」
「どうせ大方、お前も適当な検査とかで想像と違う結果が出たりしたんだろ?」
「っ……ああ……」
思い出して唇を噛みながら、彼は頷く。
「そいつは気の毒だな」
嘯くように言って、男は口角をあげて挑発的な笑みを浮かべる。
そして、悪魔のように囁く。
「――あの結果が全て、仕組まれたものだっていうのにな」
問いかけに対する答えは、するりと心の中に滑り込んでゆく。
男の言葉は、彼にとってどこまでも都合の良い現実だ。
例え自分以外の全ての人類が揃って首を横に振って嘘だと言ったとしても、肯定する一人にとっては真実だ。
世界魔術機構に騙されている。結果は全て仕組まれていたもの……そうすれば自分は特別なままでいられる。まだ、特別でいられるのだ。だからこそ怪しいと思っていても、彼には真っ黒な服の男の言葉に耳を傾けることしかできない。
「し、仕組まれたものって、どういうことだ」
「あの検査は、絶望と言う鎖で縛る為の枷なんだよ。世界魔術機構に反骨的な態度を示す、都合の悪い者を縛る為の、な」
「なっ……」
驚く彼に、男は覗きこむように笑って言う。
「ハハ……おかしいと思わなかったのか? 圧倒的な才能がある自分が、惨めな思いをすることが」
ねっとりと絡みつくような言葉は、まるで麻薬のような甘美さを持って脳髄を啜るようにじゅるじゅると侵蝕してゆく。
彼の心の中に、すとんと何か黒いものが落ちる。
「異世界に来て、チートがないなんてあり得ないだろ? なぁ」
ふと、チートという言葉反応して、笑う真っ黒な服の男の顔立ちを見て、彼は遅まきながらに気が付く。
「ま、まさかお前も……俺と同じ……?」
「ああ。俺は城戸誠二だ。この世界で言うなら、セイジ=キドか。まあどうでもいいな。そう、俺も一年前にやってきて、最初に騙されたクチだ」
同郷の人間だったことからか、知らず彼はぎこちなくとっていた構えを解く。
こんな状況でも、知った世界の人間が居るというだけで訳もなくほっとするものだ。
ましてやそれが自分を見てくれる者なら、なおさらだ。
「世界魔術機構という組織は、異世界からやってきた何も知らない俺たちを、従順な兵隊にするために、最初にわざと制限をかける。そして機構に逆らう者には容赦しない。お前も既に首輪を付けられてるんだぜ?」
「な、なんだって……」
サーと血の気が引いてゆく。
彼は首に手を当てて、ぞっとした表情になった後、ふつふつと湧いてきた衝動のままに、壁を叩く。
「っ……アイツ等、俺を騙したのか……馬鹿にしやがって……っ!」
その様子を見て、セイジはカハハと喉を鳴らして笑う。
「まあ、お前には才能があるからな。才能が有る人間ってやつは妬まれるもんだ」
それはこの世界に来た彼にとって、初めての彼個人を指しての評価だった。
「お前には秘められた力も、全てを凌駕するだけの素質も、才能も全てある」
薄暗い暗闇の中で響く言葉は心地よく、彼にとっての幻想が現実へと変わってゆく幻想を抱くには十分すぎるほどに魅力的で、
「――その力、解き放ちたくはないか?」
問いに、彼の身体がぶるりと震える。
怒りでも、悲しみでも、恐怖でもない。
狂喜……ともすればそれは狂気とも取れる感情で彼は頷く。
失った幻想を手に入れる為ならば、何を置いても手を伸ばす。
「あ……ああ……」
だから
「ハハ、よし。……じゃあついてこい」
「ついてこいって……どこへだ?」
だから
問いかける彼に、セイジは何かを思い出したように「ああ――」と彼に向かって笑みを浮かべてその名を言う。
「ALP……。――《非理論党》は、キミを歓迎する」
――だから、彼は結局最後まで気が付くことが出来なかった。
路地が薄暗かったからということもあるが、しかしそれ以上に彼の瞳は幻想に濁りすぎていた。……自分を見るセイジの瞳がまるで虫けらを見るような目だったことに、彼は最後まで気が付くことが出来なかった。
路地を抜けた先。裏通りに差し込む街灯の灯りが黒いジャケットの彼の顔を微かに照らす。
そこに見えたのは、初めに世界魔術機構に来た時のレクリエーションで、レインに突っかかってキョウイチに斬られかけた金髪の少年――
――水戸大樹の姿だった。