12話
「……………………っは!?」
シキの意識が完璧に覚醒したのは、食堂にたどり着いてからのことだった。
「やっと起きたわね、シキ」
テーブルを挟んでシキの向かいにはクレアが座り、左右にはセラとカナデが座っていて、キョウイチとキリエも同じ机のクレアの右隣に並んで座っている。
ざわざわと騒がしい食堂内のテーブルの一つはシキの部隊+カナデといった非常に目立ち、かつ興味がそそられる組み合わせで占められてはいるが、いくつか空いている席に誰も座らないのは自分がその輪に加わるのはさすがに遠慮したいと思っているのだろう。
「え、な、なに? わたしなんで食堂にっていうか、あれ、わたし何してたっけ!?」
前後の記憶につながりがないシキは、盛大に取り乱しながらも身嗜みをチェックする。
服装は昨日と同じ『軍服』に身を包んでおり、髪もしっかりと整えられている。周囲からは化粧をすればいいのにと勧められてはいるものの、その必要はないと断じて化粧などはしていないからそこは特に気にする必要もない。
「えっと、昨日は、昨日は……そう、異世界人の警護と、カナデと会って、それで……?」
昨日通りの格好なのが、余計困惑に拍車をかけているのだろう。
「落ち着きなさいよ、白姫様」
クレアに言われて、シキは周囲の視線を意識し、何とか姿勢を正して声をかけられたクレアの方へと視線を向ける。
「まあ、姿勢を正してもさっきまであなたずっと首を傾けて虚ろな目をしてたから今更だと思うわよ?」
おかしそうににやにやと唇を歪めながら、クレアは意地悪く言う。
「確かに、心配そうな声がちらほら聞こえていたな」
「そうですね、私も少し心配になってしまいましたよ?」
そう言って軽く笑うキョウイチと、おっとりとほほ笑むキリエ。
キョウイチが言っているのは誇張でもなんでもない。
口を半開きにしたまま首を傾げて放心しているようにしか見えないシキの様子は、どう見ても体調が良いようには思えず、周りのキョウイチ達が落ちついて食事などしなければ迷わず誰かが救護班を呼んでいたことだろう。
因みにそう言ったキョウイチはもう朝食を食べ終えたのか、テーブルの上に食器すら存在しない。
……つまり今は朝で、わたしは寝ぼけた状態のままカナデに服を着替えさせられてここまで来たってことで……?
「な……なんで起こしてくれなかったの!?」
誰にでもなくシキは言うが、それに対して驚くのはカナデの方だ。
「え、お姉ちゃん、起きてなかったの?」
確かに、半分寝ていたのかもしれないが、それでもここまで歩いてやってきたのだ。てっきりわかっていたものだと思っていたカナデが驚くのも無理はない。
「……ねーさまは、朝に弱いの」
「ねー。弱いってレベルじゃないけどさ」
「わかってたなら、起こしてよ!」
「いやいや、あたしは眠そうなシキを少しでも寝かせてあげようとして、ふふっ、あえて起こさなかっただけよ?」
「う、うそだ! ふふっ、って笑ってたし!」
「ねーさま、どんまい……」
「セ、セラまで……」
うぅ……とうなだれるシキを見て、キョウイチとキリエはいつものことと微笑ましく眺めている。シキがふと隣を見ると、目があったカナデは少しだけ気まずそうに目を逸らした。
別にシキはカナデを責めるつもりはない。いかに自分が朝に弱いかということは知っているし、それを教えなかったのは自分の責任だし、そもそも放っておかれたら間違いなく遅刻していただろうから、感謝こそすれど非難することなど考えられない。
「疲れてたとはいえ……不覚……」
ぐったりとテーブルに突っ伏したくなるが、けれども周囲の目がそうはさせない。
注目されている状況で、さらに目を集めるようなことはしたくない。
「……そういえば」
その代わりでもないが、シキは落ち込んだ気分を変える為に別の話題を振ることにした。
「カナデのこと、みんなに紹介してなかったよね。この子は」
「シキの妹でしょ? さっきあなたが寝てるうちに自己紹介は済ませたわよ。ね、カナデ?」
「カナちゃん、友達……」
「ねー?」
「ねー?」
「え……なんでそんなフレンドリーなの?」
クレアとセラの明らかに初対面ではないだろう馴れ馴れしい会話に、シキは呟く。
「ここまでシキを追ってくるなんて、良い妹さんじゃないか」
「シキに似て、かわいらしいですしね」
「え……なんでそんな高評価なの?」
キョウイチとキリエにまでそう言われて、シキは自分の意識が無いうちにいったいどんな自己紹介が交わされたのかと勘ぐってしまう。
しかしカナデの立ち位置を良くしているのは、カナデがシキの妹だという要素だ。
身持ちが固いというにはまた少し違うが、一部例外を除き、他人に寝起きの姿などほとんど見せないシキが、寝ぼけたまま手を引かれるほどに安心して身を任せている姿は、シキの部隊の皆の信頼を得るに十分だった。
「それはそうとシキ、早く食べないと時間がまずいんじゃない?」
「え、う、うそ! もうこんな時間!?」
クレアにそう言われて食堂の時計を見ると、既に時間は十時前、後三十分で魔術の適性検査が行われる時間だ。シキは焦りながらも、意識が無いうちに頼まれていたらしい自分の分の朝食に手を付け始める。
「じゃ、あたしらは先に、カナデを送ってこようか」
「そうですね。私達も準備がありますし先に行ってますね、シキ」
「俺も先に行って装備の手入れをしとかないとな」
「えっと、お姉ちゃん、先に行っとくね?」
「ちょ、ちょっとま、まっ!」
自分一人を置いて立ち上がってゆく皆に、シキはふと小学校の給食の時に食べるのが遅くて取り残されたことを思い出し焦燥に駆られる。
そういった子供のころのトラウマというのは、心に強く根付いているものだ。
「……ねーさま、待ってる」
しかしそんな中セラだけが立ち上がらずにそう言って、シキを待つことを口にする。
シキはそんなセラを見て、思わず泣きそうになる。
「うぅ……セラぁ」
「ねーさま……」
感極まってひしと抱き合う二人をよそに、カナデは何か物言いたげだったが、先行く三人は慣れたもので「はいはい、先行っとくわよー」と、クレアの言葉と共に、本人たちは至って真面目だがどう見ても茶番っぽい雰囲気を背に歩いてゆく。
「えっと、いつもあんな感じなの?」
食堂から出て、世界魔術機構の敷地から魔術学園へと向かう道を歩きながら、カナデはクレアの背中に声をかける。
「そうね。セラは基本的にいつもシキにべったりよ。セラにとってシキは命の恩人だし、色々あったからシキに懐くのはわかるけどね」
「そっか……」
クレアの後ろを歩きながらそう言うカナデの声音は、どこか歯切れが悪い。
「んー……? あれ? ふふ、お姉ちゃん取られて不満?」
そんなカナデに笑いかけながら、クレアはカナデの隣に並ぶ。
クレアはシキの部隊のメンバーの中では飛び抜けて話しかけ辛い異彩を放っているが、彼女はなんだかんだで面倒見が良い。
《千里眼》という特殊な言語魔術によって、人よりも細かな周囲の機微に気がつきやすいという実際的な点もあるだろうが、クレアの面倒見の良さはその性格や趣味から来ている比重が大きい。
もちろん、ただ単に面白半分で煽っているというのもあるのだろうが。
「うーん……そうじゃないと思うんだけど……」
「けど?」
自分でもはっきりと言葉に出来ない感覚に、カナデは戸惑いながらも続ける。
「わたしの居ない間にお姉ちゃんがかなり変わってて、それがなんだか、少し寂しい気がするのかな……」
「そっか。うんうん……いいね!」
「いや良くねーよ」
「った!?」
何故か興奮気味に手を握ってしきりに頷くクレアに、キョウイチが後ろから容赦なく頭をはたく。
「な、何するのよ!」
「お前が何する気だ。落ち着けクレア。……シキは機構でも間違いなく一番実績がある魔術師だからな。その分こちらで過ごしている日々の濃度も濃い」
「元から良い子でしたけど、最近では頼りがいもありますしね」
カナデが兄と知ってから見たシキの姿では到底頼りがいがあるようには見えないが、最初に地球から来た100人の同胞に言った演説や言語魔術を使っていた姿は確かに頼りがいがあるように思えなくはない。
「俺もシキと同じく最初期にステラスフィアに来た先遣隊だが、シキに比べれば名を知られるほどではないからな」
「騎士団に誘われて断った癖に、良く言うわ」
謙遜して言うキョウイチに、クレアがお返しとばかりに突っかかる。
「騎士団?」
「そ。ここから西にずっと行くとリインケージっていう都市があって、騎士団はその都市を守護する魔導騎士だけで構成された部隊のことね」
「それは世界魔術機構の嘱託魔術師とは違うの?」
「んー、一応うちの嘱託魔術師ではあるけど、名ばかりね。リインケージの《星神教会》が物資の支援をしてるから、半分は教会の騎士って感じになってる感じだし」
軽く言うクレアの言葉に対して、対照的にキョウイチは顔をしかめる。
「機構としてはあまり良くない傾向だが、リインケージの近くにはアルカンシエルの巣窟になっているキキョウ遺跡があるから仕方がない」
「そ、そうなんですね」
世界の情勢などまだまだ知らないことばかりなので、カナデは曖昧に頷くしかない。
そんなカナデの様子に気が付いたクレアだけが苦笑してカナデを見ている。
「まあ……話は戻すけど、カナデはステラスフィアに来てからのシキのことを知らないから、きっと違和感を覚えてるだけね。そのうち慣れるわよ」
「そう……かな?」
「まあすぐわかる。シキは色々な意味で面白いからな」
「そうそう。なんならあたしがもっと面白く――いたっ!」
「せんでいい。自重しろと言ってるだろうが……後、そうだな……」
キョウイチは少しだけ考える素振りを見せカナデに顔を寄せる。
「……クレアには、気をつけろよ」
「……え?」
囁かれた言葉は、不穏な空気を一瞬だけ震わせ消えていった。
唐突に向けられた警戒の言葉に、カナデはどういうことだろうと意味がわからず思考を巡らせながら、視線を向けてきているクレアへと顔を向ける。
「ふふ」
浮かべられたクレアの笑みにカナデは曖昧に返しながら、魔術学園に着くまでずっとそのことに思考を傾けているのであった。