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忘名のステラスフィア  作者: 霧島栞
一幕
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10話

 しかし、人というのは誰も彼も一筋縄にはいかないもので。


 それはステラスフィアというわずか五千万人しか人口が居ない世界でも変わらない。


 単体に個性があり、似た性質を持つ個性が集まって組織を作り、作られた組織は同一の思想の元、別の思想と対立を繰り返す。つまりは異世界からの来訪人を歓迎する者も居れば、逆にその存在を疎ましく思う人も、確かに存在する訳で。


 ――場所は変わって、機工都市エイフォニア。


 エイフォニアの街並みは魔術都市ミラフォードの中世的な街並みと打って変わって、機械文明が発達した様態をしている。


 並ぶ街灯。行き交う電線。立ち並ぶ街灯。自動販売機や24時間営業の店などが夜色の闇を払い、煌々と明かりを灯している様子はどこか現代の日本を彷彿とさせるが、大きな違いがあるとすればそれは車道がないことからくる道幅の違いと、小路の入り込み具合の違い、それに統一された道がほとんど存在しないことだろう。


 車などの便利な乗り物が民衆に普及していないステラスフィアでは、路面を見分けがつきやすく作る必要がない為、しっかりと舗装された通路などはさほど多くない。


 エイフォニアの自治をかねている《数秘術機関》の本部へと続く道や、日中民衆が賑わう大通りなどはさすがに舗装されているが、何も考えずに二つほど小路の角を曲がれば間違いなく迷子になるほどの雑然とした様態である。


 魔術という革新的な技術が存在するステラスフィアで、科学技術というのはさほど重要視されないと思われがちだが、それは大きな間違いである。


 ステラスフィアに住まう約五千万の人口のうちで言語魔術を使える者は極わずかで、かろうじて言語魔術を扱うことができる候補生を含めたとしても全体の0.0001%にも満たない。


 言語魔術は、理論的には時間さえかければ誰にでも扱うことが出来るようになるとあるが、実際に修得までにかかる時間は持っている才能や性格にも左右され、一度ダメなパターンにはまれば抜け出すのは難しく、加えて一番の難関が最初にくることから、その段階で多くの魔術師候補たちは挫折してその道を歩むことを止める。


 そうであれば世界魔術機構下の魔術学園に入学して学ぶのにかかる費用を考え断念せざるを得ないのが現状で、一人で地道にやろうにも指針がなければ何が正しいのか間違っているのかがわからない。


 そうした背景の結果として、魔術のつかえない人々の為にエイフォニアでは機械技術を発展させて自衛や都市の繁栄の礎としているのだ。


 だからこそ故に。


 機工都市エイフォニアでは異世界からの来訪者を快く思っていない。


 正確には、機工都市エイフォニアの自治の中心となっている《数秘術機関》が、だが。


 理由は簡単だ。異世界からやってくる彼らの目的は究極的にはステラスフィアに存在する言語魔術という未知の技術の吸収であり、ステラスフィアという世界を発展させようとする意志など存在しない。


 エイフォニアの機械技術は言語魔術の理論を含んで展開されているものも多く、地球の現代科学に似た機械がいくつか存在するまでには発達しているが、けれども理論や研究の差を見ればその差は歴然だ。ステラスフィアの全面積は、約724万平方キロメートルで、当然得られる資源も限られており、それも純粋な科学技術の発展の妨げになっているのであろう。


 地球側からすればいたずらに技術を流して、この先行き来ができるようになった際の交渉でアドバンテージを失いたくない。送り込まれる者の年齢層がほとんど十代なのも、適性が高いからという理由だけではなく、技術流用を避けるという目的が少なからず含んでいる。


 高校に通う程度の知識では、大まかなつくりや仕組みを理解していてもそれをどういった数式で表せばいいか、作り方の細かな詳細を再現できるかなど、火を見るより明らかだ。


 もっとも送られてくる本人たちはそんな後ろ暗い事情は知らないので腹の探られようはないが、魔術師を対アルカンシエルの兵器であると考えているエイフォニアからすれば、異世界の知らない人間が魔術師になることを快く思わないのもある意味仕方がないことだろう。


 もしも反逆などが起これば、それだけで何万何十万の民衆が犠牲になることか。


「……まったく、頭の痛い話だ」


 一週間後に控えた国家会議に向けて《数秘術機関》では今後の課題消化に向けて、様々な論議を交わしている最中だ。その中にはもちろん先ほど言った異世界人に関する議題もあり、むしろそれが今回の会議で一番荒れるであろうと予測されている。


「できれば数人、魔術師をこちらに回して頂けると技術者的にはありがたいのだが」


「それは無理な話だろう。北にまた雨が降ったと聞くし、東部防衛線は何だかんだで継戦中。遺跡の調査とやらも終わってはおらん。到底こちらに回せる人材がいるとは思えん」


「これまでの例に照らし合わせると世界魔術機構もこの時期は新しい異世界人の教育で手を取られるでしょうしね」


「異世界人、か……はっ」


 どこか疎ましげに発せられた、目付きが悪い研究者風の男の言葉を非難する者は居ない。


 席にいる誰もがやってくる彼らを好ましくは思ってはいない。


 自分たちに利益となる情報が得られない上に、エイフォニアには落ちこぼれた……つまり世界魔術機構の魔術学園で在学試験に落ちた異世界人の就職先の斡旋場所として工場などの提供も求められている。その働きぶりは酷いものが多く、年齢を考えればしかたないかもしれないがそれでも責任感が無さすぎると報告が入っている。


 先に老人が言った継戦中である東部防衛線の維持には世界魔術機構の魔術師が投入されており、ここはエイフォニアにとってもそう遠くない場所ではあるし、ミラフォードには恩がある為、断るわけにはいかないのが実情だ。


 魔術都市ミラフォードでは受け入れられ歓迎された異世界人100名が機工都市エイフォニアでは散々に疎まれている。事実を知ったら彼らはどう思うだろうか。


 もちろん現在世界魔術機構で嘱託魔術師として活動しているシキ=キサラギを含む数人の異世界人の魔術師は、そういったエイフォニアが抱いている感情を知っている。


「――ああ、しかし」


 背が高い細身の男が、ふと呟いた。


「そういえば《白の魔術師》も異世界人だったな」


 瞬間、議席に少しだけゆるんだ空気が満ちる。


 異世界人は《数秘術機関》から疎ましく思われている。


 しかし個人の例外として《白の魔術師》シキ=キサラギという人物に関してはその事実からは少し外れた場所に位置付けられている。


「……先の首都に降った雨が生んだアルカンシエルが、多数の死傷者を出してからもう半年か」


「彼女が居なければ、戦線は崩れ民衆にも多大な被害を及ぼしていたでしょう」


 感慨深く呟き思い出すように瞳を閉じる若い将校。


 世界を襲う悪意の獣、アルカンシエルは雨と共に現れる。


 そしてその雨がどこに降るかというのは、完全にランダムだが、ステラスフィアでは雨が降る前兆として、透明色の空に虹色の粒子が確認された後、ゆっくりと灰色に染まってゆく。


 そこから規模に応じて数時間から数日まで、灰色の《雨空》が広がり、雨が降り出してはすぐにアルカンシエルが現れる。


 半年ほど前。


 エイフォニア上空に広がった《雨空》は約五日の時間をかけて都市全体を包み込んだ。


《雨空》の拡大する時間は、そのまま出現するアルカンシエルの脅威と比例する。


 過去に最高の《雨空》が拡大に要した時間は一週間。


 一週間かけて広がった《雨空》は、魔術都市ミラフォード北東北部、機工都市エイフォニアからはちょうど東部に、一日に渡って延々と降り注いだ。


 先に老人が言っていた戦線、現在は《死霊の砂丘》と呼ばれる、砂の中に潜むアルカンシエルと死霊が跋扈する魍魎の大地だ。


 異世界人がやってくる前には一度大規模な部隊が送られ殲滅戦が行われたが、けれども《死霊の砂丘》での戦闘は困難を極め、アルカンシエルの討伐はおろかほとんどの人が戻ってくることはなかった。


 奥に進めば進むほど砂丘に足を取られ足場が悪くなるのはまだ良い。問題は奥地には黒い死霊の手が現れ、進む者の足を引きずりこむのだ。


 足を取られて引きずり込まれた兵は、二度と戻ってくることはなく、混乱状態に陥った魔術師もなすすべもなく何人か同じように砂に飲まれ、死霊に足止めされているうちに砂の中から現れた巨大なミミズのアルカンシエルが部隊を蹂躙した。


 そうした手痛い敗北を喫した後《世界魔術機構》は《死霊の砂丘》にいるアルカンシエルの殲滅を一旦諦め、その手前に防衛線を築いた。


 怖いのは奥地に進む際に現れる死霊。そして砂の中からの不意打ちだ。それさえなければ普通の兵でも対処できるし、魔術師が一人二人いれば防衛線は十分維持できる。


 深部はまったくの未知数で、《世界魔術機構》の研究者が言うには奥地に存在する死霊を操るアルカンシエルが存在するのではないかと言われており、下手に手を出していたずらに魔術師を失っては、他のアルカンシエルの討伐に支障をきたす。

それならばいっそという対処だ。


 実際、数十年にわたって戦線が崩れたという話は聞かないし、戦死者が出たという話もとんと聞かない。


 一週間の拡大に要した時間で、それほど厄介なアルカンシエルが生まれるのだ。

《世界魔術機構》で待機していた魔術師たちは、誰もが五日という時間をかけて広がった《雨空》が生むアルカンシエルに恐怖していた。


 都市の無い大地に雨が降ったならば、彼我の戦力を把握してから判断することもできる。


 しかし《雨空》現れたのはエイフォニアの上空。相手は何をしてくるのかもわからないし、どんな姿をしているのかもわからない状況で戦わなければならないのだ。


 MMORPGで言うならレイドボスに初見で挑むと考えれば難易度はわかるだろうか。


 運が悪ければ、現れた瞬間に潰されて死んでもおかしくない。


 ステラスフィアにはゲームのようなレベルもなければ、ステータスなんて数値もない。


 不意打ちで殴られでもすれば即死だ。瓦礫に足を取られれば命取りだ。そもそも瓦礫が飛んできて当たれば致命傷だ。一般人と変わらない耐久力で、身体能力も日々訓練しているとは言え一メートルもジャンプできるほどでもない。


 魔導騎士ならばそれ以上のことも可能だが、打たれ強さが増すかと言えばそうじゃない。


 当たれば致命的な現実に変わりはない。


 むしろ最前線で相手と対峙する為、危険性は魔術師の比ではない。


 誰もが恐怖するのは当たり前だ。


 嘱託魔術師として世界魔術機構に所属する魔術師は皆、アルカンシエルとの戦闘を経験している。だからこそ、アルカンシエルの脅威を誰よりも一番理解している。


 しかも未知の敵を相手に対して、場所は崩壊に巻き込まれやすい市街戦。


 それでも《世界魔術機構》に待機している50人全員で行けば、20人ほどの犠牲もあれば余裕で勝てるだろう。


 数字上は簡単な計算だ。


 しかし、20人死ぬ。死者は決して甦らない。そんなご都合主義は存在しない。


 犠牲を覚悟で死地に向かうなんて、そんな馬鹿げた話はない。


 ミラフォードからすれば、エイフォニアを犠牲にして様子を見てから部隊を組むのが、一番犠牲が少ない方法だった。


 そして《世界魔術機構》の魔術師のほとんど誰もがそれを肯定した。


 ――雨が降り始めた、当日。


 世界魔術機構から送られてきた魔術師は、たったの一部隊だった。


 五日もかかって拡大した《雨空》が生むアルカンシエルに対して、たったの一部隊。


 ぽつりぽつりと、死の宣告のように降り始めた雨を見て、誰もが世界魔術機構の魔術師を呪った。《数秘術機関》を含むエイフォニアを統括するいくつかの組織は、誰もが自分たちは見捨てられたのだと悟った。


 怒号のように降る雨が生んだアルカンシエルは、流星の如く空から都市へと突き刺さった。


 ――その瞬間、都市を覆った魔法陣が戦闘開始の合図だった。


 見捨てられた、と、その認識はしかし、戦闘が始まってすぐに覆された。


 空へと突き刺さる有り得ない数の氷の槍。


 音だけを置きざりに剣閃を残す鬼神の如き影。


 破滅的なアルカンシエルの一撃を全て防ぎきる描かれた魔法陣。


 何匹も生まれる小型のアルカンシエルは全てどこからか飛来した銃弾により屠られ。


 その戦線の中心で、白い髪の少女が歌っていた。


 ――言わずもがな。


 その一部隊とは、シキの部隊だった。


 世界魔術機構にとって、シキはどうしたって失いたくない人材だ。


 行くと言って聞かないシキの説得に多くの者が賛同し、機構長であるレインからも釘を刺さされ待機を命じられたが、それでもシキは命令を無視してエイフォニアへと駆けつけた。


 死ぬのは怖い。ましてやシキは、自分だけでは言語魔術が使えない。


 少しでも行動を間違えれば、何もすることが出来なくて死ぬだろう。


 けれども生者の命を天秤にかけて損得勘定をするというのは何かが違うとシキは感じた。


 魔術師二十人と、エイフォニアの市民数百万人。


 人の命に価値を決め、ミラフォードは世界魔術機構の魔術師よりもエイフォニアの市民数百万人を犠牲にしようとしている。


 戦力をいたずらに失う訳にはいかないのはわかっている。でも、それでも誰も助けられるなら助けたいよね? そう願うシキに、彼女の部隊の皆は言った。


 俺が剣になり斬り裂こうとキョウイチは剣を掲げ、わたしが護りますとキリエが言った。


 あたしが見通し貫く目になるとクレアは言い、どこまでもついてゆくとセラは笑った。


 シキの部隊には、誰もシキを止める者など居なかった。


 それはシキがこれまでの人生で勝ち取った、初めての心からの信頼だった。


 結果、数時間にも及ぶ戦闘の末に奇跡的に数名程度の犠牲でエイフォニアは守られたが、それでも出てしまった犠牲にシキは涙を流して悔しがっていた。


 例えそれが、死を覚悟してエイフォニアに尽くした兵だったとしてもだ。


「……エイフォニアでも、彼女の人気はすごいですからね」


 誇らしげに言うのは先ほどの将校だ。


 彼は先のアルカンシエルとの戦闘でも共に戦っていて、その必死さを見ているし、シキの治癒の魔術で傷を治されている。懐かしさに目を細めて、感慨に浸っている。


「確かにあの一件以来、民衆も魔術師に対しての考えが少し変わったのか、風当たりが良くなった」


「ミラフォードに大きな貸しを作ってしまったのが少々厄介といえば厄介だが、民衆あっての都市国家、文句は言えんな」


 老人はそう言って頬を緩める。


「――ま、それでも異世界人というのは、厄介者が多いのも事実だろ」


 しかし少しだけ緩んだ雰囲気の中、目付きが悪い研究者風の男が嘲るようにそう言って場の空気に冷や水をかぶせる。空気が読めていないその発言に、将校の男が眉を顰める。


「……お言葉ですが、チェン研究主任。言うことは正しいですがそうじゃない側面もあります」


「はは、悪いな。確かにアンタお気に入りのシロヒメ様は特別だ。アレは良い。アレの部隊のメンバーも二人は異世界人か? 中々に気骨がありそうだ。ソレも良い。しかし他はどうだ? 引き籠って安全な依頼だけを処理して必要以上には積極的には動かない。確かに魔術師は強力だ。だが動かねぇ駒に何の意味がある?」


「……彼らも、人間です。恐怖で身体が動かないことも」


「そう――この世界じゃない世界の人間だ。命を懸けてアルカンシエルで戦うアンタら軍人の方が余程役に立つ。やつらは所詮、この世界の人間じゃあない。だから命を懸けて戦うという選択肢が薄い。ははっ、反吐が出るな」


「しかし……しかし、全員がそうじゃないでしょうっ」


「一人二人じゃ助かる命は救われねぇ。それが現実だ。世界魔術機構の行動の遅さにエイフォニアで何人が死んだ? 理論的に考えて、助けられた者のが多いだろ。異世界人共は誰も彼も甘すぎる。望んでやってきた世界に命もかけられない時点で、どうしようもなく世界を舐めているとしか考えられねぇだろ」 


「チェン研究主任!」


「やめろ、フェル」


「ですがっ」


「フェルティ少将」


 老人の静かな恫喝に、フェルティは頭に昇っていた血が急速に冷めていくのを感じ、深く深く息を吐き「……失礼しました」と呟いて浮かしていた腰を再び椅子に落とした。


「チェン研究主任もだ。少し言葉が過ぎる」


 くくくと笑う自分にも矛先が向き、チェンは小可笑しそうに唇を釣り上げて笑みを作る。


「これは、失礼」


 本当にそう思っているのか疑わしい口調でそう言って、チェンは席を立つ。


「……どこに行く」


「俺は研究所に戻るさ。今煮詰めている研究が終われば、まあまあ少しはエイフォニアの軍事力強化に繋がるだろう」


「それは……例の《呪具》というものか。完成の目途は立っているのか?」


 何やら不吉な単語を出して聞く老人に、チェンは薄く笑って、答える。


「ええ、もちろん。もうすぐに……成果が出る」


 ――そう、それはもうすぐすればわかることだ。


 薄暗い笑みを浮かべるチェンは、そう言い残して議室を後にした




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