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忘名のステラスフィア  作者: 霧島栞
一幕
1/77

プロローグ「神話の始まり」

 ――さあはじめましょう。


 少女はそう、呟いた。

 

 いつだって、始まりの言葉なんて陳腐なものだ。

 

 物事が始まりを告げる言葉なんて、そうそう多く存在しない。

 

 何故なら、始まりといういかにも曖昧なそれは、誰かが意図として『始めよう』と言わなければ、そう思わなければ存在することが叶わないからだ。

 

 だからいつだって変わらず、回り始める最初の歯車のほんの一回転となるそんな陳腐な台詞とともに、物語は始まる。

 

 そして始まった物語は世界を流転し紡ぐ言葉であふれ、時には流転する世界さえも飲み込んで膨れ上がり――必然。終わりが訪れる。

 

 つまりはそう。これはそういった、物語の終わり。


 世界の物語が終わる、その始まりの言葉だった。




 ――その場所には、色とりどりの花が咲き乱れていた。


 年中花が咲き乱れると有名な、市街から半日ほど歩いた場所にある悠久の庭園。


 季節が巡っても変わらず咲き続ける草花の楽園。


 風の花と呼ばれるアネモネの赤い花弁。咲き乱れる情熱の赤、大輪の薔薇。青と紫の境界を繋ぐラベンダー。黄色い花を広げて見上げる大きな向日葵。無垢に咲き並ぶ白い百合の花。

 

 花々は狂ったように咲き誇り自らを主張しながらも、決して相容れぬ存在である他の草花と引き立てあい、幻惑的な風景を作り上げている。


 が、肝心の今の時刻は夜。既に世界から光は引いていて、夜色の空の下に咲く花には夜霧がかけられ、半透明な夜色に包まれた花々は翳りを帯びその表情を曇らせている。


 せっかくの幻想的な風景もこうなってしまえばその美しさは半減してしまう。


 しかしそんな風景の中で、自分だけがまるで光の中に咲き誇る一輪の花だというように、淡く光る輪郭を持った一人の少女が、空に向かって言葉を詠っていた。


「《――届けましょう。この詩声、ただひとつの祈りを世界へと――》」


どこまでも響くように透き通った声は、空へ空へと昇ってゆき、やがて世界の果てを見つけてそこで弾け、キン……キキン……キン……と響き、少女が立つ大地にある現象をもたらす。


 ぽつり……ぽつり……


 一粒、二粒と、空の果てから落ちてきて、緩やかに激しさを増し、瞬く間に連弾となって花弁を打ち、夜色の風景をさらに漆黒に染めるそれは――雨だ。


 雨。それは世界に降り注ぐ悪意の欠片。世界を壊す災厄だ。


 身も心も裂くかのよう焦燥感を煽る冷たい雫は、少女の体温を確実に奪い、遠くで鳴り始めた警報が一層勢いを強めた雨音と重なって、けたたましく響く。


 けれどもそんな雨の冷たさも、耳をつんざく騒音も、少女にとっては些細な問題だった。

 

 訪れる災厄は、全て皆が何とかしてくれるはずだから。

 

 刹那に想起した彼らの面影が、少女の心を大きく揺さぶる。とめどなくあふれてきそうな思い出を少女はかろうじて押さえ込み、両手を強く胸の前で握り締める。

 

 心を解く暖かな思い出は、今の少女にとって毒にしかならない。

 

 だから少女はただ無心に、心の底に沈んだ言葉を掬い上げる。



「《――繰り返される世界の中で

        一条の星が煌いた》」



 それは世界の記憶の一節。



「《――失われてゆく記憶の果てで

        祈りの欠片を探してた》」



 それは少女の記憶の一節。


 どこか寂しさを帯びたフレーズを詠いながら、少女は昔、自身に向けられた言葉を思い出して憂いの微笑みを浮かべる。

 

 透き通るような白い肌に張り付く白い髪。雨を切り裂いて響く声。

 

 迷わないように。見失わないように。願いをひとつだけ握り締めて。空に手を伸ばすように。祈りをささげるように。届けと、ただそれだけを幾重にも折り重ねるように。

 

 強く、高く、空へと祈る。


 余計な感情を削ぎ落として紡がれるそれは、完全なる純潔の祈り詩。



「《――未来へ祈る言葉達は、沈む過去に触れて眠る。

        永久の夢を見られるように、空に落ちて広がりゆく――》」



 絶え間なく紡がれる祈りが夜色の翳りを払い。ついには雨をも払い。紡がれては消えてを繰り返す言葉が少女の周囲に黄金色の魔方陣を描き出す。

 

 霞んでいた花々は、水面を伝う波紋のように広がってゆく文字の光に照らされて色を取り戻し、決して光が満ちることのない刻に照らされて輝く花々はどれもが自らの生きた軌跡、その美しさを少女に誇示している。


 祈りの詩は続く。


 空へと響き、その彼方へさえも響けと言わんがばかりに高らかに、詠う声は止まらない。


 けれどもその光景はまるで――少女の生を看取るように咲き乱れる、葬送の花列だった。


 ――――。


 絶え間なく続いていた詩が途切れ、やがて終わりの瞬間がやってくる。


 万物の流転。始まりと終わりは対だ。永遠に続くものなどありはしない。ましてや永遠に続く祈りなど、ありえない。

 

 最後。願いを馳せる一呼吸の静寂を、雨の音が支配する。


「――――」

 

 その一呼吸の間に紡がれた言葉は、空気を震わせるとこともなく消えていった。

 

 祈りの詩の中で一つだけ、何にも染まらず飾ることのできない言葉。

 

 ――何者も知らなくてもいい。誰もが忘れてしまってもいい。けれどもわたしは忘れたくないから。飾らなくてもいい。届かなくてもいい。祈りと相反する想いが篭った言葉は露と消え、光が静寂を照らす中、見上げる花々だけを聴者に少女は最後の祈りを詠う。


「《――mana-naz-cen-gi-fo【stella-sphere】(――世界に、祈りの詩が届きますように)》」


 詠い終えたその瞬間。


 少女は忘れていた古い記憶を思い出す。


 

 ――それが停滞していた世界の最後の記憶。


 そして新たな《神話》が世界に生まれた、その瞬間だった。


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