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大人と子どもの境界線(風邪っぴき)



 風邪を引いたから学校を休むとメールすれば、晴之からは『馬鹿は風邪を引かないんじゃなかったのか』と失礼過ぎる返信が届いた。この悔しさを解消する為に何と反論してくれようか、と文面を考えていると今度は苑子から返信が届く。


『ハルくんの事は私が怒っておくから、今はゆっくり寝なさいね。無理をして辛くなるのは椿なんだから』


 苑子らしい、絵文字も顔文字も無いシンプルな文面だったが、それには気遣いが満ち溢れていた。晴之とは違って、私への思いやりを感じられる。この素っ気無さから滲み出る微かな優しさ、流石は悠紀さんの従兄妹と思わざるをえない。

 二人は今日も一緒にいるらしい。良いなあ、と素直に羨ましくなった。私は風邪を引いていても、そばに誰かがいればついつい話しかけようとしてしまう。だから、風邪を引いた私がきちんと眠るようにという配慮で、今の私の部屋には家族も使用人も誰もいない。


 一人ぼっちの自室のベッドの中で、私はついつい暇を持て余す。普段から悠紀さんに相応しい女性になるべく、勉強や料理の練習、自分磨きなどで常に活動している為に、ただベッドで寝ているだけ、という状況をどうにも暇に感じて仕方がない。身体は辛いはずなのに、ぼうと働かない脳がこの時間が勿体ないなあ、とだけ訴えかけて来る。

 早く悠紀さんに相応しい女性になりたい。その思いがあるからこそ、どうしてもこの時間を『浪費』と感じてしまう。


「暇、だー………」


 熱に浮かされた頭でそう呟く。しかし、そう言いつつもやはり身体は限界を迎えていたのだろう。すぐに私は、眠りに落ちた。









 浅い眠りを何度も繰り返して、気付けば自室にも夜の帳が下りていた。真っ暗闇の部屋の中、黒色を引き裂くように細く白い光が差し込み、パタンという音と共にまた部屋は真っ暗闇に包まれた。どうやら、誰かが部屋の扉を開けて室内に入って来たようだ。


「ごめん、起こしてしまったかな」


 使用人の綾香さんが様子を見に来てくれたのかな、とベッドの上で身をよじって確認しようとすれば、予想よりもずっと低い声でそう言われた。


「悠紀さん?」

「うん。お見舞いに来たよ」


 窓から差し込む月明かりで暗闇の中、悠紀さんのシルエットだけが浮かび上がる。その光景だけならば、ちょっとしたホラーのようだと思った。


「何で、来るんですか」

「来てはいけなかったかい?」

「だって、こんな風邪で、ぐずぐずで見っともないの、見られたくないです」


 全く働いてくれない頭で、上手く呂律も回らない状態で何とかそう口にすれば、悠紀さんはベッドのそばに立って、ごめんね、と眠る私の頭を撫でた。


「心配だったから」


 ずるいなあ、と思う。そんな風に言われたら、嬉しくて拒絶なんて出来ない。風邪が移ったらどうするつもりなのだろう。けれど、悠紀さんは出逢った頃から私が風邪を引けば決まって様子を見に来てくれるものの、それが原因で体調を崩したとは聞いた事がなかった。悠紀さんには何か心身を健康に保つ秘訣なんてものがあるのかもしれない。


「悠紀さん」

「うん?」

「頭、撫でて下さい」

「良いよ」


 私は知っているのだ。風邪を引いているときは、悠紀さんは少しだけ私に甘い。だからこのときばかりは、私は大袈裟に辛いフリをして、ここぞとばかりに悠紀さんに甘えるのだ。


「頭を撫でて」

「手を繋いで」

「そばにいて」


 悠紀さんは、その全部に良いよ、と応えてくれた。だから私は、もっともっととまるで小さな子どもの頃のように彼に甘える。小さな頃は当たり前に口に出来た願い事だった。そして彼もまた、その願いをまるで当たり前の事のように叶えてくれていた。私は悠紀さんがずっと大好きで、大人になればもっと彼に近付けるのだと思っていた。けれど、現実はまるで逆で。私が年を重ねれば重ねるほど、手を繋ぐ事さえ困難になって、悠紀さんはどんどん遠くなっていく。


「悠紀さん」


 縋るような気持ちで彼の名前を呼んだ。


「キスして」


 そんな私のお願いも全てお見通しだったのだろう。悠紀さんは頭を撫でる手を止める事も、少しの動揺も滲ませる事無く、いつものあの冷静な声で口にする。眼鏡の奥の目を少し細め、唇をつり上げたあの笑顔が見えないと、その声からは少しも感情を窺う事が出来なかった。


「椿が大人になったらね」

「私、もう大人だよ」

「君自身が思うより、まだずっと子どもだよ」


 私がその言葉に反論しようとする間も、悠紀さんは私の髪を梳くように頭を撫で続ける。悠紀さんの手は、いつも少し冷たい。口を開き掛けた私の言葉を遮るように、悠紀さんが言葉を繋げた。


「だけど、僕が思うよりはずっと大人なのかもしれないね」


 何だかややこしい事を言われた気がして、私は口を噤む。けれど、熱のせいか思考が上手く回ってくれなくて、考えれば考えるほど頭が働かない。そこに、頭を撫でる心地良い手の感覚が加わって、私の意識は簡単に睡魔に負けてしまった。すぐに何を考えていたのかも分からなくなってしまう。


 ぼんやりと霞む意識の中、目が覚めたときも悠紀さんがいてくれたら幸せなのになあ、と思った。






読んで頂き、ありがとうございます。

ちなみに、もちろん目覚めたときに綾瀬はいません。


ヒーローの方でも書いていたので、こちらでも風邪引き話です。椿は人並みに風邪を引くけれど、綾瀬はあまり風邪を引くイメージがありません。

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