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チョコレートは甘く(スパイス募集中)



 婚約者として早期の結婚へ辿り着く為に、仲を深めていこうと考えた。

 ハグはした!抱きつきに行けば、時々だが抱きしめ返してくれるときもある。

 手は繋いだ!何故か渋々な上に頑なに恋人繋ぎには移行してくれなかったが、しっかりとこの手を握ってくれた。

 ならば後は何が足りないか。私は真剣に考えた。そして簡単に答えは出た。


「悠紀さん、キスがしたいです!」


 真顔でお話があります、とソファで寛ぐ悠紀さんの隣で正座して向き合えば、彼もまた真面目な表情で見つめ返してくれた。その真剣な眼差しに後押しされるように正直にこの心にある欲求を口にする。すると、彼は緩く唇だけをつり上げて笑った。


「却下」

「却下!?良いよでもイエスでももちろんでもなくて、却下!?」

「どうして、君の中には肯定という選択肢しかないかな」

「婚約者のキスの申し出を断る理由などありません!」


 自信を持ってそう言いきれば、じゃあ僕は例外なのかもしれないねー、と非常に緩い棒読みで返答が来た。


「………分かりました。キスは諦めましょう。代わりに熱いベーゼを要求します」

「それ、言語が違うだけで一緒だよね」


 そしてまた、さらりとかわされる。悠紀さんに意味が伝わらないはずがないと分かっていたが、こうも簡単にスルーされるとは。そう頭を悩ませている内に、悠紀さんは手元に置いていた文庫本を開こうとする。ここで文庫本を開かれてしまえば、もう私の話に耳を傾ける事すらしてくれなくなる事を私は知っている。


「他の女の人には安売りしてた癖に!」

「安売りとは失礼だなあ。一応、複数の人間と同時に関係を持った事はないけど」

「婚約者のそんな赤裸々な話は聞きたくなかったです!」


 むしろここは、今は完全に他の女性と切れている事を喜ぶべきなのだろうか。晴之にストーカー並みと言われた私が見るに、おそらく三年前くらいから身辺整理を始め、悠紀さんの言う通り結納してからは本当に他の女性とは関わっていないはずだ。それでも、巧妙に隠されれば私には知る術もないような気にさせるのが、悠紀さんの怖いところである。


 結局、その日はキスがしたい、という私の欲求には聞こえないフリをして、彼はとうとう文庫本を開いてこの会話を強制終了させてしまい、私は負け犬よろしくすごすごとキッチンへ向かった。









 世間はバレンタインを目前に控えていた。私ももちろん、一ヶ月前からレシピを絞り、練習してはお父様と弟に振る舞い、腕を磨いている。

 毎年、バレンタインには必ず悠紀さんにはチョコを贈っている。婚約者であるのだから当然である。悠紀さんに喜んでもらいたい、悠紀さんに美味しいと言って欲しい、いつだってその一心でチョコレート作りに勤しんできた。


 今年はフォンダンショコラを作る予定である。しかし、ただのフォンダンショコラではない。今の私の野望を叶える為には、何らかのスパイスが必要だった。

 そのスパイスを見付ける為に、私は悠紀さんの家で彼の帰りを待ちながら、好きに使って良いと許可されているパソコンでインターネット検索を掛ける。


『惚れ薬 作り方』

『惚れ薬 販売』

『媚薬 作り方』

『媚薬 販売』

『惚れ薬 媚薬 実在』


 しかし、なかなか私の求めるサイトや記事を見付ける事が出来なかった。そもそも材料の調達が困難なものか、チョコレートの味を損ないそうなものばかりだった。私は、手料理やお菓子だけは、いつだって最高の物を用意したいのだ。疲れて帰ってくる悠紀さんを癒せるような、もっと言えばその胃袋をがっちり掴めるような。

 やはりそんな都合の良いものはないのだと、私は諦めの溜息を吐いて閲覧履歴を削除した。









 その数日後、悠紀さんからバレンタインのチョコレートは一緒にいるときに自分の家で作って欲しい、というメールが届いた。毎年、私の家で作って綺麗にラッピングをしてから当日に渡していたので、突然どうしたのかと疑問に思う。第一、今年のバレンタインは金曜日なので、彼のお休みに合わせて作れば二日程遅れてしまう。

 出来れば当日に渡したい、と考えていた私は、どうしてですか?と尋ねてみた。すると、返ってきた答えがこれである。


『椿が僕の為に一生懸命な所を見てみたいんだ。将来の為にも』


 私はその一言に目を奪われた。『将来の為に』それは悠紀さんが私と過ごす将来、つまりは結婚生活を想定してくれているという事である。私は即座に返事をした。返答はもちろん『喜んで!』と。

 という訳で、バレンタインデイ当日から二日遅れの十六日、材料を買い込んで悠紀さんのご自宅を訪ねてキッチンへ向かえば、悠紀さんは何故か材料を並べさせて一つ一つ念入りにチェックした。その上でキッチンに立つ私のすぐ後ろに椅子を持ってくる。調理をしている様子を眺めているかと思うと、時折立ち上がっては私の手元を覗き込む。うん、非常に作りにくい。


「どうしたんですか?悠紀さん。いつもならリビングで待っていて下さるのに」

「たまには君の料理する姿を見るのも、悪くないと思ってね」


 悠紀さんはそう、珍しくにこやかに微笑んだ。何だか良く分からないけれど、私のする事に興味を持って頂けているようである。いつも悠紀さんの口に運ぶ物には細心の注意を払っているが、悠紀さんが見ているとなればいつも以上に手際よく美味しい物を作らなければならない。私はそんな使命感に燃えた。


 結局、出来上がるまで一通り眺めていた悠紀さんは、お皿に乗せて珈琲と一緒にリビングに運ぶと、何故か安堵するような溜息を吐いた。それから何故か、労わるように妙に優しく私の頭を撫でてくれる。


「僕は、椿の事を信じていたよ」


 何が何だかよく分からないが、悠紀さんに信じてもらえるのは嬉しい。すると、『検索履歴が……』と呟いていたが、スマートフォンの事で何かあったのだろうか。検索と言えばスマートフォンかパソコンだ。私は、どうにも機械に弱く、スマートフォンもあまり使いこなせていない。パソコンにもさして興味はなく、アプリもほとんど活用出来ていない為、悠紀さんが何を思ってそう呟いたのかが分からなかった。


 旦那様の考えを察する事が出来ないなど、妻失格である。もう少しパソコンやスマートフォン関係にも強くなろう、と決意したが何故か悠紀さんに『椿はそのままで良いよ』と止められてしまった。


「悠紀さん、美味しいですか?」

「美味しいよ」


 フォンダンショコラにフォークを差し込んで、流れるチョコレートソースをケーキに絡め、一口食べてくれた悠紀さんはそう言ってくれた。嬉しくなってニコニコと笑ってその様子を眺めていたが、はっと気付く。今こそがおねだりをするチャンスである。


「悠紀さん、美味しいですか?」


 私は、もう一度同じ事を聞いた。


「美味しいよ」

「じゃあ、ご褒美を下さい!」


 意気込んで言う私に、悠紀さんは少しだけ眉を寄せた。それは不機嫌そうというよりも、どこか苦々しそうな顔だった。


「ホワイトデーはきちんとするよ?」

「そうじゃありません!それとは別の、もっと手軽な『ご褒美』です。いえ、今くれるならそれがホワイトデーのお返しでも構いません」


 こんな婚約者同士なら極々普通に交わして然るべき事を、『ホワイトデー』として受け入れてしまえる自分が少々切ないけれど、背に腹は替えられない。私はこの野望を叶える為ならば、如何様な手段も躊躇わないのだ。


「キスをして下さい」


 私はけして聞き間違える事のないよう、明朗に口にした。キスがしたい、と思い立って幾日が経った事だろう。こちらから仕掛けようにも悠紀さんの方が頭一個分近く背が高いので届くはずもなく、座っているときや寝ているベッドに忍びこんでみたりしても巧みにかわされてしまっていた。惚れ薬や媚薬も作れないとなると、最早私には正面から要求するという手段しかないのである。


「椿にはまだ早いよ」

「早いものですか!私はもう、十六です。今すぐにでも結婚できる年です!」


 今日こそ誤魔化されず諦めないぞ、という意欲を込めてじーと真顔で見詰めれば、悠紀さんも少し眉を寄せて真剣な表情に変わった。

 何やら『抑圧し過ぎたから』とか『たまには飴も必要か』などと悠紀さんには珍しく独り言を繰り返していたが、やがてフォークをお皿に置いた彼の両手が私の頬へ伸びて来た。これは、ついに、念願の!

 高鳴る鼓動を意識しながらも目を閉じて期待する。


「椿」


 名前を呼ばれいよいよ―――――と思ったところで私は裏切られた。


「違います!」

「何が違うんだい。きちんとキスをしたじゃないか」

「違います!頬じゃなくて、私は唇にして欲しいんです!」


 第一、頬なら小学生の頃もしてくれたのに!今更頬にして欲しいなんて改めてお願いするはずがない。いや、まあ、最近では頬にすらしてくれなくなりましたけども!


「私は将来の妻ですよ!きちんと唇にして下さい!」

「それはまあ、将来の楽しみに取っておきなよ」

「今して欲しいんですー!」


 私は不満のあまり大袈裟に嘆いた。どうせ今日もこのまま、適当にあしらわれて終わる事が目に見えていた。悔しい事に、口でも何でも、私は悠紀さんに敵わない。

 悔し紛れにわざとらしく顔を両手で覆うと、不意に悠紀さんに右手を掴まれた。左手はそのまま顔を覆って視線だけでその手の行く末を追うと、悠紀さんの顔のそばまで引き寄せられる。


「今日は、これで我慢して」


 そう言って、悠紀さんは私の手の甲に口付けた。その瞬間、私は鏡を見ずとも自身が赤面した事を理解する。

 手の甲にキス!王子様みたいだ。そして、確かに悠紀さんは私にとって、昔から唯一人の王子様だった。ついでに言うと、いつも大人で私を適当にあしらう悠紀さんの、こちらの様子を窺うような仕草が堪らない。下から覗き込むような目線が完璧に私のツボだった。


「わ、私………」


 わなわなと唇を震わせながら、それでも懸命に言葉を発する。


「もう手を洗いません!」


 唇にキスという『質』も大事だけれど、量も大切だ。私の心は簡単に幸福に染まる。『衛生的にそれはどうかと思うよ。風邪の予防の為にも』と悠紀さんがひどく現実的な事を口にしているが、夢見心地の私にはそんなものも届かない。

 私の浮かれた気持ちは、無情にも悠紀さんにウェットティッシュで手の甲をさっと拭かれてしまい、終わりを迎えた。それも、後日本当に風邪を引いてしまうのだから笑えない話となったのである。






読んで頂きありがとうございます。

解説したら負けだと思うのでこちらで解説は控えますが、もし綾瀬が何故急にチョコレート作りに注目をしたのか、閲覧履歴を消した機械に疎い椿がどういうミスをしたのか。上手く伝わらないようでしたら教えて頂けると幸いです。ご指摘を頂きましたら、修正します。

未熟者の為、上手く伝わるように書けた自信がありません。

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