たぶん彼の友人(黒歴史持ち)
二月に入った最初の日曜日、悠紀さんは丸一日お休みだった。彼はどこかに出掛けようか、と私の希望を聞いてくれたが、最近の悠紀さんが多忙でお疲れ気味である事は知っていたし、あまりにも寒い日が続いていたので、悠紀さんの家でのんびりしたい、と答えた。
ここ数日は本当に忙しそうで、帰宅も深夜になっていたようだ。悠紀さんが早く帰宅できる日にメールをもらって彼の夕飯の準備をして待機していたのだが、当然それもしばらくは叶わなかった。
だから、久しぶりに会えるのはすごく嬉しかったけれど、疲れているのなら私が一緒にいるよりも一人でゆっくりする方が疲れも取れるのではないかと思った。しかし、メールでそう様子を窺った私に、悠紀さんは『椿はそんな事を気にしなくても良いんだよ』と返信してくれた。お言葉に甘えて今日もご自宅にお邪魔しているのである。
せめて悠紀さんがゆっくり出来るように、今日一日は大人しくしていよう。いつもなら本を読む悠紀さんに構って欲しいと纏わりつき、一瞬も本から目を逸らさない悠紀さんに適当に引き離されていたが、今日はリビングのソファで隣に座り、私も本を読んでいた。
「あ、しまった」
一緒に昼食を摂った後、私は悠紀さんのリクエストで夕飯のロールキャベツ作りに取り掛かる。今から作れば味が染みてさぞ美味しくなる事だろう、と考えた。しかし、気分良く調理していた所で、パン粉を切らしている事に気付く。別に入れなくても味はそう変わらないだろうが、食感は落ちると思う。
少し悩んだものの、悠紀さんにはいつも完璧な物を食べて欲しいので、寒いのは嫌だが買い出しに行く事にした。最寄りのスーパーまで五分も掛からないので、そう言うほど苦でもない。
「悠紀さん、少しスーパーに行ってきますね」
「どうして?」
すると、普段本を読んでいる途中に、私が隣でぎゃんぎゃん騒いでもけして本から目を逸らさず無視する悠紀さんが、すぐに返答をくれた。
「パン粉を切らしてしまって」
いつも、私の送り迎えは桐生家の運転手さんがしてくれる。食材の買い出しも運転手さんにお願いして悠紀さんの家に行く前にスーパーに寄っていたのだが、さすがにパン粉一つで呼びつけるのは申し訳ない。歩いて行こう。寒くないようにコートとマフラーをしっかり着込んで外出の準備をする。
「じゃあ、僕も一緒に行こうかな」
すると、悠紀さんが立ち上がってそう言った。
「すぐ近くですし、一人で大丈夫ですよ?」
「今日はずっと僕に合わせて過ごしてくれたから、ちょっと散歩がてら一緒に行こうよ。それとも椿は、一人で行きたい?」
「一緒に行きたいです!」
素直にそう答えれば、悠紀さんは眼鏡の奥の目を細めると私の頭を撫でてコートを取りに私室へ向かった。頭を撫でるという行為は子どもに対するもののようで、けれど悠紀さんにされるとそれも嬉しくて、私は非常に複雑な気持ちになった。
せっかくなので、ちょっと我儘を言ってみる事にした。
「悠紀さん、手を繋いでください」
私としては全然我儘の範囲ではないけれど。むしろ婚約者なら手を繋いで然るべき、くらいに思っているけれど。
「いつも勝手に腕を組んでくるじゃないか」
「そうじゃないです!腕を組むのも好きですけど、私が一方的にしてる事じゃないですか!そうじゃなくて、悠紀さんの方からも手を握って欲しいんです!」
私が悠紀さんの腕に絡みつけば、彼はそのまま好きにさせてくれる。けれどそれは、子ども扱いの一環として甘やかしているだけのようで、今日はちょっと物足りなく感じた。
「まあ、別に良いけど………」
「何でちょっと渋々なんですか!婚約者が手を繋ごうと言っているんです!もっと諸手を上げて賛同して下さい!」
「いや、腕を組まれているなら『妹』に甘えられている程度に思われそうだけど、手を繋いでる方が何だか恋人っぽくて職質を受けそうじゃない?」
「婚約者を妹扱いしないで下さい!」
私がそう怒れば、悠紀さんは涼しい顔をして私の手を取る。すると、私の手を包むように普通に手を繋いでくれた。それだけでは満足できず、何とか恋人繋ぎに移行しようと力を込めてみたが、悠紀さんの手はピクリとも動かなかった。ついでに言えば、唇をつり上げて笑う、いつものその笑顔も。非常に悔しい。
「げ、綾瀬」
すると、スーパーのそばにあるコンビニの前で男の人の声がした。それも少々嫌そうな声で悠紀さんの名字を呼んでいる。そちらへ目を向けると、非常に嫌そうな顔をした悠紀さんと同じ年頃の男性がこちらを見ていた。
一見すると冷たい印象の悠紀さんとは種類が違うが、綺麗な顔立ちの男の人だった。まあ、悠紀さんの方が断然格好良いけれども。
流行を取り入れた洒落っ気のある服装をしており、甘ったるい笑顔の似合いそうな顔立ちだが、どこか違和感を覚える。
「やあ、佐久間。こんな所で何をしているんだい。せっかくの日曜日に家にいなくていいのかな」
「うるせぇっ」
「その反応はまた本城を怒らせたのか。そして、機嫌を取る為にコンビニスイーツを買いに来たと。彼女、意外とコンビニとか好きだからね」
「何で全部お見通しなんだよ!おまえ怖いんだよ!第一もう麻耶は本城じゃねえよ!」
「そうだね、それは悪かった。じゃあ、今日から僕も『麻耶』と呼ぼう」
「おまえが呼び捨てにするなよぉおおお!」
綺麗なお兄さんが頭を抱え出しそうな勢いで悠紀さんの言葉に嘆きを見せる。悠紀さんはそれを軽くあしらいながらも、その唇は意地悪そうに釣り上がっていた。目の前のお兄さんで遊んでいるのだとすぐに分かった。
「悠紀さん?」
いきなりの事で状況を掴めなかった私は、繋いだ手に少し力を込めて彼を見上げた。すると、戸惑う私に悠紀さんは快く紹介してくれる。
「彼は佐久間グループの跡取りだよ。僕とは高校時代の同級生なんだ。佐久間、彼女は桐生家の御令嬢だよ」
噂に聞いていた佐久間家の御子息は人当たりの良い好青年だったので、悠紀さんに苛められていた彼がそうだと知って少し驚いた。手を繋いだままは失礼かと思い、肝心な所を抜かして紹介してくれた悠紀さんに爪を立ててから手を離し、丁寧に頭を下げた。
「悠紀さんの『婚約者』の桐生椿と申します。佐久間様のご活躍は父からもよく伺っております。お会い出来て光栄ですわ」
私はしっかりと猫を被って、あくまで楚々として微笑んだ。私が見っともない姿を見せれば、そんな婚約者を選んだ悠紀さんの株も下がるのである。
「あ、ああ。俺は佐久間誠一郎です。よろしく」
彼は柔らかく微笑んでそう言った。そして、佐久間様に感じていた違和感に気付く。確かに優しく一見すると取っつきやすいが、この人の笑顔は何と無くホストっぽい。どこか胡散臭いと言うか。しかも、私が頭を下げて微笑んだ瞬間、わずかに頬を引き攣らせて半歩下がったような気がしたのは気のせいだろうか。
「え、ちょっと待て。この子がおまえの婚約者なのか?」
「一応、そうなるね」
悠紀さん、一応ってどういう意味でしょうか。
「年下とは聞いていたけど、今いくつだ?」
「十六です」
そう素直に答えれば、佐久間様が意地悪そうに笑った。にやりと顔を歪ませ、まるで鬼の首を取ったように嬉しそうに言う。
「確かおまえに婚約者が出来たって聞いたのって、五年以上前だったよな。そうか、綾瀬おまえ、いつまでも身を固めないと思ったらロリコンだったのか………」
ぴしり、と額に血管が浮き上がりそうだった。この人は私の敵である。こういう人がいるから悠紀さんは私との結婚に踏み切ってくれないのだ。ええ、けして私に女性的な魅力を感じないとかそういう事ではなく。
「そうだね、僕は立派なロリコンさ。ところで佐久間、今度本城と三人で高校時代の話をしようか」
そう、悠紀さんはいつもの冷たい微笑みではなく、珍しく爽やかな笑顔を見せてスマートフォンを取り出す。画面を操作してくるりと反転させ、それを佐久間様に見せた。マナーモードにしているからか音も聞こえず、私の頭上で行われている事なので彼が何をしたのかは分からなかったが、それを見た佐久間様の目が見開かれ、一気に血の気が引いていた。
「お、おま、それ………っ何でそんなもの!」
「当時ムービーを撮る事に嵌まっていてね。本城にも送っておくよ。きっと彼女も懐かしんでくれるだろう」
「頼むから止めてくれ!」
佐久間様は必死の様子で止めようとしていたが、悠紀さんはさらりと無視して私を振り返り『さ、行こうか。椿』と私の手を取って繋いでくれた。佐久間様の『ロリコン』発言は、結果的に悠紀さんが自ら手を繋いでくれたので勘弁してあげよう。悠紀さんに『さっさとこの場から立ち去れば僕の気も変わるかもね』と言われて慌てて車に乗り込んだ佐久間様のお顔が、あんまり真っ青で少々憐れに思ったのもある。
「悠紀さん、何をお見せになられたんですか?」
「ん?誰しも黒歴史ってものはあるんだよ」
悠紀さんはそう言って笑う。いつもの、眼鏡の奥の目を細め、唇をつり上げたような酷薄で優しそうな矛盾した微笑み。
「椿の今が、そうならないと良いね」
繋いだ手とは反対の彼の手が、私の頭をゆっくりと撫でた。
読んで頂きありがとうございます。
佐久間くんはこの八年前のお話『ヒーローには向いていない』の主要登場人物です。というか、ヒーローには向いていなかった人です。
一応単品で読めるように、という構成にしておりますが、このくらいならば単品で読める範囲だと思って登場させたのですが、いかがでしょう………
綾瀬は佐久間の事、そんなに嫌いじゃないです。佐久間は綾瀬の事が心底苦手です。




