楽しいデート(その真意)
我が桐生家はなかなかにアットホームな家庭だと思う。
陽気な父に冷静な母、可愛い弟に優しい使用人。使用人の人達がいつも綺麗にしてくれているから家はピカピカだし、そうなると自然と部屋自体明るく感じられるようになる。
そんな屋敷のリビングで、私は一目惚れして買ったワンピースに袖を通し、くるりと回った。胸元は開き、胸の下でリボンの切り替えのある臙脂色のワンピースがふんわりと広がった。
「お父様、可愛い?」
「可愛い、可愛い。椿は世界一可愛いよ」
「本当?嬉しい!」
優しい父が本心からそう褒め称えてくれて、私は思わす喜びのあまり父に抱き付く。ご機嫌のまま離れると、使用人の綾香さんが持っていてくれた、ファーの付いた真っ白なコートを受け取り、それに袖を通す。足元は黒でヒールの高いパンプスにした。
今日は日曜日で、午前中に悠紀さんは友人と会う約束があるらしい。そのまま外で待ち合わせ、デートをしてくれる事になったので、今日の私は一段と気合が入っている。
悠紀さんに惚れ直してもらう為に、間違っても兄妹になど見られないように、しっかりとメークもして可愛らしい大人の女性をイメージした。勢ぞろいしている桐生家の一員である弟が『惚れ……直す?』と首を傾げていたが、私は無視する。いくら可愛い弟でも、耳を貸したくない事だってあるのよ。
可愛い、と一頻り褒めてくれた父は、最後に私の持ち物を確認する。
「椿、きちんと婚姻届は持ったか?」
「もちろんよ、お父様!常時三枚は持ち歩いているわ」
財布、ポーチ、パスケースの中に悠紀さんの写真と一緒に持ち歩いている。婚姻届はもちろんこちら側の必要項目は全て記入済みであり、写真は二十歳、二十四歳、二十八歳と現在だけに縛られずに過去の悠紀さんもいつでも眺められる仕様だ。ああそうだ、そろそろ新しいアルバムを買わないと。悠紀さんメモリアルは溜まる一方である。
「綾瀬家と縁続きになれば家も安泰だ。桐生家の未来は椿に掛かっているな」
「任せて、お父様。今日こそ悠紀さんに婚姻届に判を押して頂くから!」
いつも何とか騙し打ちで署名捺印をしてもらおうとするものの見破れてしまうが、今日こそは上手くやり遂げて見せる。
父と互いを励まし合い、拳を握り合って団結していると、弟と少し離れた所からこちらを見ていた母に『ご迷惑をお掛けしないようにね』と溜息交じりに言われた。何故だ。
待ち合わせは駅の近くの喫茶店だった。もう少し温かければ外で待ち合わせても良かったのだが、現在は一月で身体の芯まで冷え切るような寒い日が続く。
綾瀬家の御曹司である悠紀さんだが、本人が無類のコーヒー好きの為か、小さく隠れ家のような雰囲気の落ち着いた喫茶店に妙に詳しい。その為、待ち合わせにはこうした喫茶店やコーヒーショップが多かった。
喫茶店の扉を開けるとカランカラン、というドアベルの音に迎えられる。途端にコーヒーの良い香りが鼻腔を擽った。その場でコートを脱いで店内を見渡せば、奥の四人掛けの席ですぐに悠紀さんを見付ける事が出来た。
「お待たせ致しました」
「もっとゆっくりでも構わなかったよ」
「だって、早く悠紀さんにお会いしたかったんですもの」
コーヒーを飲みながら文庫本に目を通していた悠紀さんは、私に気付くと本をしまって目元を少し細める。注文を取りに来てくれた店員さんに、私も一杯だけコーヒーを頼んだ。
「ご友人の方は、もうよろしかったんですか?私、お邪魔しちゃいましたか?」
悠紀さんのお仕事は多忙だ。一応日曜日は休みという事になっているのだが、場合によっては日曜日も出勤している。ご友人ともなかなか予定を合わせ辛いだろうに、午前中だけで切り上げて良かったのかとふと心配になった。悠紀さんとデートが出来るのはとても嬉しいが、平日でも押し掛けている身としてはちょっと遠慮する気持ちも芽生える。
「ああ、それは良いんだよ。あっちも今は大変みたいだし」
「それなら良いんですけど………」
「それとも、椿は僕に会いたくなかった?」
すると、悠紀さんはそんな胸を締め付けられるような事を言う。そのお顔は変わらず微笑みを浮かべているが、心なしか切なそうに見えた。けして私の妄想ではないよ!
「そそそそんな訳ないじゃないですか!私は一分一秒でも長く悠紀さんのおそばにいたいです!だから早く婚姻届に……」
「ペンダント、また付けてくれたんだ。よく似合っているね」
判を押してください、と言いかければ悠紀さんはそう言って私のデコルテへ目を向けた。このペンダントは十六の誕生日に悠紀さんがプレゼントしてくれた私の宝物だ。結婚指輪が欲しいとねだる私に、悠紀さんがその代わりと言ってピンクゴールドとシルバーゴールドのリングが繋がったペアリング風のデザインのペンダントをプレゼントしてくれた。華奢な作りが可愛くてデザインも気に入っているし、何より悠紀さんがプレゼントしてくれたのだ。私にとって何よりも大切な物だ。
「だって、悠紀さんがくれた宝物ですもん。でもね、悠紀さん。私は出来れば早く本物の結婚指輪が………」
「そのワンピースも可愛いね。椿は色が白いから、よく映える」
「本当ですか!?悠紀さんにそう言って頂けると一番嬉しいです!」
このワンピースにして良かった!デートの約束をした日からああでもないこうでもないと、頭を悩ませながらコーディネートしたのだ。
そうして話している内にコーヒーが運ばれてきて、悠紀さんは話の合間を縫っては何かと私の事を褒めてくれた。ふふふ、今日の私はそんなに可愛く綺麗か。
何か、結局一番大事な事を伝えられていない気がしたが、私は上機嫌でコーヒーの味を満喫し、楽しい一日を過ごした。
読んで頂きありがとうございます。
彼らの金銭感覚でアクセサリーのプレゼントとなると、一体何桁になるのだろうか、と途方もない気持ちになったので考えるのは止めました。