心の伐採(二人がかり)
彼は言った。『馬鹿な女は嫌い』
だから私は、必死で勉学に励んだ。沢山の本を読むようにした。彼の通った学校に行きたくて、異様に難しいと言われるその学院の中等科への編入試験を突破し、その後成績は常に上位十名以内を維持し続けている。
彼は言った。『中途半端な女は嫌い』
だから私は、何となく格好良いから、という理由で始めた弓道部でも必死に練習をした。彼の心を打ち抜く事を想像すると神経が研ぎ澄まされ、それはもうよく中るのである。精神統一にも一役買ってくれて、大会に出てはそれなりの成績を残している。
彼は言った。『気配りの出来ない女は嫌い』
だから私は、常に周囲に気を配り、笑顔を浮かべているようにした。あまり喋りすぎないように、聞き役に徹するようにした。中等科一年は学院に慣れる事を優先していたが、二年からは常にクラス委員か生徒会長を務めていた。
彼は言った。『清潔感のない女は嫌い』
だから私は、容姿にも気を使った。清潔感はもちろんだが、彼の隣に並ぶに相応しい女性となるべく、自分自身を磨いた。幸い、我ながら容姿に恵まれていた。手入れを欠かした事のない自慢の長い髪の色素は薄く、目の色も明るく人目を引く。日焼けやニキビは常に警戒し、妥協せずに磨きに磨き抜いた自慢の容姿だ。
あえて自分で言おう!
私は完璧な女の子である。完璧な女性となる日も目の前まで迫っている。
中等科で生徒会長を務めてからは『桐生様』『椿様』と呼ばれ、有難い事に憧れてくれている下級生も結構いたようだ。先生方からは優等生として信頼を勝ち取り、同級生達との関係もすこぶる良好である。
悠紀さんの嫌う女性の条件からはことごとく外れ、更に私自身が思う理想の女性を体現した。特に、悠紀さんに見合うような大人の女性を。その為に、私はいつだって、知的で、冷静で、落ち着いた自分を目指している。
「そもそも外面だけ良くても、それを見て欲しい本人に本性を晒していたら結局意味が無いじゃない」
しかし、それもこれもどれも悠紀さんの手のひらの上だったのよ、と昼休みに愚痴っていれば、友人である佐嶋苑子に冷たく返された。
「つか、他の奴の前にいるときのおまえ、性格違い過ぎてマジでキモい」
辛辣に吐き捨てるのは御代晴之。二人とも幼い頃からの友人であり、その為に私の本性もよく知っている。幼い頃、と言っても悠紀さん繋がりで知り合ったので、七年ほどの付き合いになる。
苑子は悠紀さんの従兄妹にあたる。悠紀さんのお父様の妹様の娘が苑子らしい。真っ直ぐな黒髪を肩より少し短い位置で切りそろえ、眼鏡を掛けている。いかにも文学少女、という雰囲気だが実際に読書が趣味で、成績も上位三位から落ちた事の無い優等生だ。悠紀さんに少し似た冷たい印象の美人さんだが、笑った顔をあまり見た事がない。
晴之は悠紀さんの幼馴染である御代尚之さんの異母弟にあたる。お兄さんである尚之さんとはあまり似ていない。優しげなお兄さんとは違い、晴之はいつも不機嫌そうに眉を顰め、反抗期なのか中等科に進学すると金髪に染めてピアスの穴を開けた。初めてそうしたときに一発顔面を尚之さんにぶん殴られたらしく顔を腫らしていたが、今は好きにさせてもらっているらしい。
「良い機会だから止めちまえ。外面モードの椿に『晴之くん、授業はきちんと受けなくてはだめよ』ってやんわり言われると寒気がする」
「分かるわ。親同士の付き合いもあるし、多少取り繕う事はあっても椿のそれはやり過ぎよ」
そして、この二人は私に容赦がない。長い付き合いで気を許してくれているからだと信じているが、せめてもう少し優しさが欲しかった。
「だってだってだって、今更引っ込みつかないし!悠紀さんの理想の女の子にはなりたいけど、悠紀さんの前だと釣れなさ過ぎてつい本音が出ちゃうの!」
しかも皆が『椿様』とちやほやしてくれると、正直嬉しいよね。正直味を占めるよね。今更私にこの性格を晒せと言うのは無理。
旧校舎の片隅にある空き教室に三人だけでいるからこそ、これだけ本性をさらしていられるのだ。これが本校舎や教室となると無理無理無理。
「せめて話し掛けんなよ。もう他人になろうぜ。おまえが俺に話しかけると不可抗力とは言え、おまえの株が上がってなんか腹立つんだよ」
「そうね、それが平和ね。そろそろあの作り笑いで『苑子ちゃん』って呼ばれるのも限界だと思っていたの」
「二人とも酷ぃいいいい!」
今更どうやって本性を晒せば良いのか、むしろその方法を教えて欲しい。そして、晴之に限って言えば、この真面目な生徒の多い学院でそんな目立つ容姿をしているのが悪いのだ。そりゃあ大抵の生徒は距離を置くし、普通に話しかけただけで一目置かれる。だからと言って、友人に会って無視なんて出来るか!挨拶くらいするのが普通だ。むしろ、思わず注意したくなるその生活態度を改めて!なまじ私と張るくらいに成績が良いからと先生にも黙認されているのがまた、腹立たしい。
「うぅ、知らぬ間に『光源氏計画』されてた可哀想な私を慰めてもらおうと思っていたのに」
「私とハルくんが椿を慰めてあげた事なんてあったかしら」
苑子が無表情のまま、ちょっと首を傾げる。その幼い仕草がいつも冷静な無表情である苑子とミスマッチしていて、何だか少し可愛かった。言われている内容は酷いけれど。
苑子と晴之は私と出会うよりも更に昔から幼馴染をしているらしく、苑子は晴之の事を『ハルくん』と呼ぶ。晴之の方も幼い頃は『ソノちゃん』と呼んでいたらしい。そんな晴之はまるで想像が付かない。
「さあ?時々苑子が何かアドバイスしてやるくらいじゃね?」
「たまには優しくして!せめて今!」
「嫌よ、椿は優しくすればすぐ調子に乗るじゃない」
さすが七年の付き合い。私の性格もよく分かっていらっしゃる。
「紫の上にされてようが、結局あいつが好きなら何も変わんねえだろうが」
「そうだけど!思っていた以上に黒い理由だったから衝撃だったの!もっとこう、優しい理由を期待していたの!」
「そんな甘い考えだから、あの人に付け込まれるんじゃないかしら」
「違いない」
二人がかりで私の心が伐採されていく。こういうときはいつも以上に絶妙なコンビネーションを見せる二人が憎い。
最早何も反論出来ず、机に突っ伏してぶちぶちと不満を垂れ流す。この二人以外には絶対見せられない光景だ。学院内での『桐生椿』像も崩壊してしまうし、悠紀さんもだらしない女が嫌いなのだ。
すると、流石にその様子を見かねたのか、苑子がわずかな慈悲を見せてくれた。本をめくるイメージの強い指が、私の頭にぽんと置かれる。
「それで?椿はどうしたいの?」
「…………悠紀さんと結婚したい」
例え切っ掛けが何であれ、私の意思は変わらない。悠紀さんのお嫁さんになる事が、私の夢なのだ。その為だけにこれまで何でも必死に取り組んで来た。
「それなら、結局は地道に仲を深めていくしかないんじゃないかしら?椿が拗ねた所で、あの人がその気にならなければ意味が無いでしょう?」
苑子の言葉はあまりに正論だった。だからこそ、素直に心に響く。頭に置かれた手が宥めるように私の頭を撫でてくれると、少し気持ちも落ち着いた。
「うん………うん。そうだよね。私、頑張るよ」
気持ちが落ち着いた所で、新たに決意する。もしかしたら、私は結婚を焦る余り急ぎ過ぎていたのかもしれない。結婚結婚、とくり返すよりも苑子の言う通り、まずは地道に仲を深める方法を考えた方が得策のような気がした。
そうと決めたらまたちょっと作戦を練ろう、と心に決めたときだった。
「あの男がそんな事で落ちるとは思えないけどな」
出鼻を挫く晴之にちょっと殺意が湧いた。
読んで頂きありがとうございます。
二話目にして綾瀬は早くも登場しません。お仕事が忙しいのですよ、たぶん。きっと。
一応、メインキャラは出そろいました。
前作で名前だけ出ていた御代尚之は、この晴之という異母弟や義母との関係で頭を悩ませていた所、星崎梨花さんという女性に支えられて乗り越えています。