漆黒の騎士(4)
午後の授業が終わると、麟太郎はいつものように吾朗と待ち合わせて家路についた。団家の分家である海堂の家は、『団式合気術道場』と同じ敷地内にある。当然ながら二人は行きも帰りもほとんど一緒である。
今日も連れだって、帰り道を歩いていた。
「あ~あ、高校生になると何か変わるかなぁと思ってたけど、あんまり何も変わらないなぁ。毎日が退屈だよぉ」
不良とケンカしたり、ダークナイトに殺されそうになっても、麟太郎にはいつもと変わらないということだろうか。
「昨日、あんな目に逢っていながら、退屈とは。麟ちゃんも相当だね」
麟太郎の平和ボケには、吾朗も呆れていた。
そうやって、いつもと同じように下校をしていた。もうすぐ橋に差し掛かるというところで、麟太郎は、「あっ」と何かを思い出したようにして、鞄の中をまさぐった。
「どうしたんだい? 麟ちゃん」
吾朗が問いかけると、
「いやぁ、頼まれごとがあったのを忘れててさ。……あっ、有った有った」
麟太郎はそう言うと、鞄の中からピンク色の封筒を取り出すと、吾朗に差し出した。
「麟ちゃん、何これ?」
「ラブレター」
「へっ?」
「クラスの女子に頼まれた」
吾朗は麟太郎から封筒を受けとると、裏を返してみた。
細くて丸っこい字で、『石川 恵』と書いてあり、ハート型のシールで封がしてある。
「石川……さん?」
吾朗が不思議そうに封筒を眺めていると、
「そう。石川恵ちゃん。とびっきりの美人じゃないけれど、そこそこ可愛い女の子だぞ。いいねぇ、吾朗くんは。このリア充が」
「茶化さないでよ。こういうものは早く渡してくれなきゃ。もし、「体育館裏で待ってます」なんて書いてあったら、学校に戻らなきゃならないじゃないか」
「へぇ。で、付き合うのか?」
「まだ中身も見てないのに、分かるわけないよ。それに、もしずっと待たせて、暗くなったら危ないじゃないか」
麟太郎は、ふ~んといった顔で吾朗の顔を見ると、
「そりゃそうだ」
と、他人事のように言った。実際、他人事だが。
吾朗は封筒の封を開くと、中の便箋を取り出した。ほんのりと甘い香りがする。便箋には、女の子特有の丸っこい字で、短い文章が書かれてあった。
「ほう、何々。『団君、この前は助けてくれてありがとう。あの時からずっと団君を見てました。団君の人や動物とかに優しいところを何度も見ているうちに、好きになっていく自分に気がつきました。付き合ってくれると嬉しいけれど、最初はお友だちからでも構いません。渇川橋の下で待ってます。お返事を聞かせてください』だって。良かったなぁ、橋は目の前だ。ちょうどいいじゃないか。会ってやれよ」
麟太郎は、便箋の内容を盗み見すると、こう急き立てた。
「こういうプライベートな事まで首を突っ込まない。ただでさえ、一部の人たちは僕たちをBLって思ってるんだから」
「BL? 俺とダンゴが? やめてくれよ、気色の悪い」
「だろう。だから、石川さんには僕一人で会いに行く」
「そりゃそうだ。じゃぁ、成功を祈ってるよ」
「何の成功だか……」
吾朗はヤレヤレと思って橋へと向かった。
一方、恵は先に渇川橋に来て、吾朗を待っていた。
(海堂君、ちゃんとお手紙渡してくれたかなぁ。団君、わたしの事覚えててくれてるかなぁ。どうしよう。勢いでお願いしちゃったけど、変な娘だって思われてないかな。……やだ、何かドキドキしてきちゃった)
まだ、日暮れには遠い時間だったが、雲が厚く集まって、辺りは薄暗くなってきていた。
(何か暗くなってきたなぁ。雨なんか降らないといいけど。……団君来てくれるといいなぁ。でも、今すぐ来ても顔合わせるのも恥ずかしいし。どうしよう)
等と空想を張り巡らしていた。その時、「ジャリッ」と土を踏む音が聞こえた。
(あっ、来たのかな。どうしよう。大丈夫かな)
そう思って、恵は目をつぶってドキドキしていた。
吾朗が橋桁に背中を預けている恵を見付けた時、彼女は赤い顔をして目をしっかとつむっていた。
「君だったのか。コンニチハ、石川さん。先月階段で転びそうになった娘だよね」
恵はドキッとして、目を開いた。目の前に憧れの人が立っている。それだけで卒倒しそうだった。
「お、覚えててくれたんですね。わ、わたし、石川恵っていいます。海堂君と同じクラス。あの時は助けてくれてありがとうございました。来て欲しいと書いたのは、ちゃんとしたお礼も言いたかったからです」
恵は早口にそう言うと、深々とお辞儀をした。
「あ、あのう……、て、手紙にも書きましたが、わ、わたし、……だ、団君の事が好きです。お付き合いしてもらえますか。だ、団君が嫌だったらしょうがないけど。は、始めはお友だちからでも構いません。お願いします」
そう言って、恵は固く目を閉じて、右手を差し出した。
吾朗は頭をかきながら、その手を握ると、
「ゴメンネ、僕、『君』とは付き合えないや」
とそう言ったとたん、恵が「あっ」と言う間もなく右腕を極められ地面にねじ伏せられた。
「貴様、気付いておったのか」
さっきまで恵だった『モノ』が、うめいた。
「君は誰だい? 本物の石川恵さんはどうしたんだ」
優しいが、有無を言わせぬ力強い声が問うた。すると、少女の小さな背が大きく膨らむように盛り上がると、制服の布地を引き裂いて無数の手が飛び出してきた。
吾朗は咄嗟にバック中で飛びすさると、それを追いかけるように多数の人形のようなモノが飛び出してきた。
「私は、ツゥオーリ・ハインド男爵。貴様、昨夜リキュエール卿に会った子供の一人だな。よくぞ、我が傀儡の術を見破った。子供よ、褒めてやるぞ」
吾朗は隙を見せずに人形達に向かい合うと、
「あれだけ妙な気を発していたら、誰だって気づくさ。だが、まだ夜には時間がある。あなたがダークナイトなら、どうしてこんな時間に動けるんだ」
わらわらと人形達が吾朗に押し寄せると、再び声が響いた。
「ダークナイトが夜にのみ歩くと貴様達が勝手に思っているだけよ。子供よ、BJは何処だ? やつは、卿から貴様達を護った。何等かの因果があると理解する。もう一度問う。BJは何処だ」
押し寄せる人形達に臆することなく、吾朗は問い返した。
「BJなんて知らない。それより、本物の石川さんは何処だ?」
「知らぬと言うか。ならば子供よ、貴様を人質にして招きよせるのみ」
そう、声が響くと、人形達が津波のごとく吾朗に襲いかかってきた。
だがどうだろう。人形の手が、足が、吾朗に近づくや否や、触れることも出来ずに吹き飛んでいった。
「団式合気術、空気投げ」
静かな声が木の引き裂ける音の中で呟かれた。
「なんと。子供と思うて優しくすれば、私に牙を剥くか。ならば、これを見よ」
声が響くと、人形の大群の向こうに、制服の少女が仰向けに掲げられた。
「石川さん! ハインド男爵、卑怯だぞ」
「人間の子供相手に、卑怯も何も無いわ。おとなしく私に捕まれ。さすれば痛手も少なかろう」
吾朗が動けずにいると、そこにワラワラと人形の大群が押し寄せ、吾朗の腕と足を封じていった。
「はっはっはっ、子供は子供よ。おとなしく私に従えば良いのよ。早く来いBJ、貴様の大事な子供が息をしなくなるぞ」
声が勝ち誇ったように響いた。その時、橋の上から飛び降りてくる影があった。
「ダンゴー、大丈夫かぁ」
麟太郎である。彼は橋の上から人形の大群に飛び降りると、なんと、浜辺の砂浜を走るかのように、人形の手を、頭の上を越えて、恵に駆け寄った。そのまま目をつぶって動かない少女を抱えあげると、吾朗の方へ高く放り投げた。
「ナイスだ、麟ちゃん」
吾朗が応えると、人形の山が弾け飛んだ。そこから吾朗が飛び上がって空中で少女を受け止めると、彼女を抱いたまま、人形達の群から飛びすさったのである。
「ダークナイトが卑怯な手を使いやがって。人間様を舐めんなよ。団式合気術、旋風麒麟!」
麟太郎が人形の群に飛び込むや否や、無数の人形達が渦に巻き込まれ、あるものは手足を、あるものは頭を割られ、宙に弾け飛んでいった。
一方、恵を抱いて離れた吾朗は、少女の介抱をしようとしていた。
「石川さん、大丈夫」
その時、目をつむって項垂れていた少女か、かっと目を開くと吾朗の首を両手でもって締め付けてきた。
「ぐっ、これは。ハインド男爵、石川さんに何をした?」
「はっはっはっ、甘いわ。この娘は私の術中にある。おとなしくしろ」
これでは吾朗も手が出せない。よろよろと川原でよろけると、近くの坂から生い茂る木立の中に転げ落ちてしまった。
「ダンゴ。くそ、卑怯だぞ、ダークナイトのくせに」
あとに残された麟太郎に、無数の生き人形が群れ集って来る。
「人間などの子供に何と言われようが、何ともないわ。ほうれ、ホンの少し遊んでやっただけで、もう世界は夜のものよ」
そうだ。人形達と戦っているうちに、いつしか時は歩みを進め、世界は宵闇に包まれつつあった。
「ちっ、しまった」
麟太郎が焦るが、日は暮れなずんでいた。
「私がハインド男爵だ」
声が告げると、波が引くように人形達が左右に別れた。その向こうに、深紅の甲冑が立っていた。
(これがハインドの本体か。やべぇ。すげぇ殺気だ。う、動けねぇ)
無数の人形達を苦もなく蹴散らした麟太郎を、ハインド男爵は一睨みで動けなくしたのである。
「BJよ、早く来い。貴様の大事な子供が息をしなくなるぞ。はははははは」
勝ち誇るハインド男爵の前で、麟太郎達は、今、死と隣り合わせでいた。