昼に見る月(6)
その騎士は、青空に浮かぶ白い月を背景にして立っていた。
「来たかBJ。今度こそ決着をつけようではないか」
ピエール伯爵を取り込んだことで、大量のナノマシンマテリアルと、2個の永久機関を内蔵するギャスリン侯爵は、異様な気を発していた。
その装甲は、常にうねくり、形状を変えていた。そして、装甲の隙間から間欠的に蒸気のような煙を吹き出していた。
「ギャスリン卿よ、身体のコントロールが出来てないようだな。力と物量だけでは、俺に勝てんぞ」
こんな時でもBJは冷静だった。ギャスリンの戦術電子脳は二つの永久機関とナノマシンのコントロールで手一杯だったのだ。
「最後まで愚かな男よ。俺が引導を渡してやる」
BJはそう言うと、中に浮かぶ巨大な右手の上から、空に舞った。右手には愛用の巨大なジャックナイフ。風に舞うマントは怪鳥を思わせた。
大空の高みから振り下ろしたナイフは、確かにギャスリン侯爵の右肩を割った。裂け目から血とオイルの混じった赤黒い体液が吹き出す。
しかし、どうだろう。傷口はうねうねとうごめくと、切られた部位を切り離し、身体の外に放り出したのである。
「どうだBJ。お前の剣技が如何に優れていようとも、わしの新たな装甲には効かぬなぁ」
これは、通常の二倍のナノマシンマテリアルを持ってこそ出来る裏技だった。如何にBJと言えど、ギャスリンに致命傷を与えることは不可能に思えた。
「くくくくく。次はわしの剣を受けてみろ」
ギャスリンが腰から抜いたのは、これも常に形を変える不定形の剣だった。それを侯爵は大上段に振りかぶると、BJに向けて振り下ろした。黒い鎧の騎士は、これをナイフでガッキと受け止めた……はずであった。ところが不定形な剣は、その形を変え、鎌の穂先のように曲がって、BJの肩を切り裂いたのだ。
BJは何事も無かったかのように、後ろへ飛んで間合いをとった。肩口から赤黒い体液が吹き出していた。しかも、傷が再生しない。大剣を構成していたナノマシンの一部が、BJの傷口に張り付き、再生を妨げているのだ。
「どうだ、傷が塞がらない苦痛は。わしはその苦痛に耐え、お前を倒すためだけに生き延び、己を進化させた。まだ若造のお前に、わしの気持ちがわかるか? ん? どうだ痛いだろう。苦しめ、もっと苦しめ」
勝ち誇るギャスリン侯爵に対し、BJは打つ手が無いように思えた。ギャスリン侯爵の巨体が近づいてくる。
「今度こそ、その首貰い受ける」
ギャスリンが声高々と宣言するように言うと、再度大剣を振り下ろした。BJはそれを寸前で回避したが、不定形に変化する大剣は、異様に形を変え、BJを襲った。脇腹に新たな傷が走った。
「そうだ、それでいい。一瞬で終わらすには惜しい男よ。逃げろ逃げろ。ほら、まだまだ行くぞ」
変幻自在に動くその剣は、かわそうとしても形状を変えてBJの鎧を切り裂いていた。先ほどのような深い傷ではないものの、細かい傷が黒い鎧のあちらこちらに出来ていた。
手強い
誰もがそう思った。
その時、黒い影が呟いた。
「ギリオン」
その言葉に応えるように、BJの守護獣である黒い猛犬は、口から強烈な冷気を吹き出した。-169度。窒素をも液体となる低温の旋風がギャスリン侯爵を捉えた。
「万能のナノマシンマテリアルと言えども、超低温では動きが鈍る。おごったな、ギャスリン」
赤銅色の鎧は、あちこちにヒビが入り、細く尖った部位は折れて地面に突き刺さった。
「ぬおおお、舐めるなBJ。これしきの事でわしを捉えたなど思うなぁ」
ギャスリン侯爵が、怒鳴り声をあげると、胸の奥にほのびかる塊が二つ見えた。
そして、その熱の塊が光を増すに連れて、一旦は凍りついた鎧は、溶けて再び動きを取り戻したのだ。
「見たか、永久機関の出力でも、お前はわしに及ばぬのじゃ。とっとと観念せい」
自信に満ちた侯爵の目が、道化のマスクの奥で艶めかしく光っていた。
「地獄に落ちろ、BJ!」
ギャスリンはうねくる大剣をBJに振り下ろした。今度もBJはナイフでもって大剣を受け止めた。しかし、侯爵の大剣は、またも異様な形に変形し、BJの首を狙っていた。
これで終わりかと思われた時、信じられない事が起こった。ギャスリン侯爵の剣が、半ばから切り落とされて中にはね飛んだのである。
「何ぃ。バカな。この剣を切り落とすことなど不可能なはず。何故、何故だぁ」
「驕ったな、ギャスリン」
暗い影が呟いた。
「そ、そんなはずはない! わしはBJを超えたはずだ。大量のナノマシンマテリアルと二つの永久機関で、わしの力は限りなく膨れ上がった。なのに何故BJに勝てぬ。そんな筈はない!」
ギャスリン侯爵が折れた剣を持った右手を高く振りかぶると、腕でうねくっていたナノマシンが、ざわざわと波立ちながら移動し、新たな大剣を生み出した。
「見たかBJ。如何にお前が剣を切り裂こうとも、わしには膨大な量のナノマシンマテリアルがある。今度こそ死ね」
と、大剣を振り下ろした先に、BJはもういなかった。
「未だ気付いておらぬのか。永久機関やナノマシンマテリアルの量で爵位が決まるのなら、公爵クラスのダークナイトがところ狭しと活躍したろう。だがそうはならなかった。何故だと思う」
BJがいつになく饒舌になっていた。
「くそっ、どこだBJ。どこにいる」
ギャスリン侯爵は、死角を影のように動くBJを捉えきれていなかった。
「ギャスリンよ。お前の目では、もう俺を捉えられない。お前の剣は、俺には届かない。力に頼りすぎたな。お前の戦術電子脳は、膨大な量のナノマシンマテリアルと永久機関の出力を制御するので手一杯なのだ。もっとも、オーバーヒートしたお前の頭脳に、もう俺の言葉は伝わらんか」
目標を失って、剣を振り回すことしか出来ない巨人は、近くの灌木や庭石を切り刻むだけであった。
「もう十分だろう。お前もチリに還れ。ギリオン、ヘル・アンド・ヘブンアームズ、ビッグガンフォーメーション」
BJの命令を受け、銃の形に変形したギリオンを二つの巨腕が握りしめた。BJの内蔵する永久機関がフルドライブを始め、巨大な銃に無制限のエネルギーを送り込んでいた。
ギャスリン侯爵は、この期に及んで、まだBJを探し、団家の庭を彷徨っていた。
「終わりだギャスリン」
BJはギャスリン侯爵の懐に飛び込むと、強烈なボディーブローを放った。その勢いで、侯爵は地上はるか百メートルまで吹き飛ばされたのだ。それを、守護獣の変形したビッグガンが追う。
「燃えつきろギャスリン。プラスマフレア、ファイヤー」
BJの命令で、巨大な熱核プラズマの奔流がはるか上空のギャスリン侯爵を捉えた。超高温のプラズマの中で、ギャスリン侯爵は原子レベルまで分解され、霧散した。
「や、やっつけ……た?」
空中で光球に包まれて消えたギャスリン侯爵を見ても、海堂武史には実感がわかなかった。こんな異次元の戦いを見ては、頭がついて行けない。ギャスリンのような化け物を倒したBJもまた人外のモノであった。
団家の庭に立つBJは、今真っ赤に焼いたジャックナイフで、大きく切り裂かれた傷口を焼き切っているところだった。
「BJ。……君がBJなんだね」
武史は恐る恐る近付くと、ようやっと声をかけることが出来た。
「そこにいる子供なら心配いらん。気絶しているだけだ。命に別状はない」
「麟太郎か。そうか大丈夫なんだ。良かった。……そうだ、もう一人の、吾郎くんはどうなったんだ。君なら知っているだろう」
武史は一縷の望みをかけて、訊いてみた。
だが、返ってきた答えは無情だった。
「分からん。プラズマの奔流で塵になったか、衝撃波をもろに浴びて砕けたか。もっとも、俺には関係ない話だ」
やはり、吾郎はあの時の衝撃で死んでしまったのだろうか……
「BJ、君はもしかしたら、吾郎くんじゃないのか? 教えてくれ、本当の事を」
そこに、弦柳や優奈も集まってきた。
「お主の使った技、団式合気術『天掌破』だな。なぜお主がその技を知っている」
弦柳がBJに問い正した。
「俺には関係ない。二人目の子供は助からなかった。ただそれだけのことだ」
「じゃぁ、何で麟ちゃんは助けて吾郎ちゃんは助けてくれなかったの。あなたなら出来たはずでしょう。ねぇ、答えてよ」
鈴鹿が涙声で訊いた。
「俺は神様じゃない。見ての通り、地獄のバケモノだ。これ以上、俺と関わろうとするな。死んだ子供には残念だが、諦めるんだな。もう帰っては来ない」
無残に応えるBJであった。そこに、優奈が口を挟んだ。
「帰ってきますよ。吾郎も、あの人達も。あなた、面白い人ね。あの大きな人の剣を避ける避け方がパパにそっくり。どうしてでしょうね。あなたには、わたしの知っている何人かの人の面影が重なるの。ほんと、どうしてでしょうね」
それを聞いたBJはしばらく黙っていたが、
「きっと他人の空似だろう。技を追求していくと、到達点はほぼ同じところに至る。それだからだろう」
そう言うと、BJはマントを翻した。そして、一瞬のうちに消え去ったのだ。
「ううう、吾郎ちゃん……」
鈴華がその場にしゃがみこんだ。家族の皆が悲しみに打ちひしがれていた。
「大丈夫よ鈴華ちゃん。あの子はきっと帰って来ます。それを信じて、今は待ちましょう」
優奈が声をかけた。
(そうだ。本当は伯母様たちの方が悲しいのに。わたしったら)
鈴華はそう思うと、涙を拭いて立ち上がった。
「ごめんなさい、伯母様。わたしはもう大丈夫です。そうですね、信じて待ちましょう。
晴天の空から鈍い色の月が、後に残された彼等を静かに見つめていた。




