昼に見る月(1)
ものすごい殺気を感じて、麟太郎達がテントの外へ出た時、そこには蘇ったギャスリン侯爵がいた。
サンサンと降り注ぐ陽光を物ともせず、巨大な赤銅色の甲冑が腕を組んで立っていた。鎧の各所に散りばめられた意匠が太陽の光に輝くさまは、美しいとも言えた。麟太郎が、一瞬立ち止まったのはそのせいかも知れない。
「わしは、ギャスリン侯爵。出てこい、BJ。お前がこの辺にいるのは分かっておるぞ。決着をつけに来た。出てこい」
と、拡声器でも使っているような大音響が辺りに響いた。
「な、何故、こんな真っ昼間にダークナイトが外を歩けるんだ」
隊員の一人が声をあげた。
「すげぇ殺気だ。肌がピリピリする」
麟太郎達も外に出た。
「出て来ぬか。ならば、出てこられるようにしよう。それ!」
侯爵がマントを翻すと、麟太郎も吾郎も、隊員達も細かな泡のようなモノに包まれ、押し流されていった。そして、彼らは一人ひとり分断され、巨大な泡の中に囚われたのである。
「ははは、BJ。早く出て来ぬと、人間どもが犠牲になるぞ。どうしたBJ、早く来ぬか」
それぞれ泡で孤立した麟太郎達に、ギャスリン侯爵の声だけが響いていた。
「くそ、何だこれは。コンニャクみたいだな。押せども引けども壊れんぞ。どうするよ。おーい、ダンゴ、祖父ちゃん、鈴姉ぇ、どうしたんだー。聞こえるかぁ」
麟太郎は包まれた泡の牢獄から、どうしても逃れられなかった。
泡の塊の中心部にギャスリン侯爵はいた。
「くくく、どうしたBJ、出て来ぬか。ならば、この泡の牢獄を一つ一つ潰して行くぞ。いったい、どの泡に囚われておるのだ。楽しいのう。泡つぶしじゃ、泡つぶし」
と、侯爵は楽しげに周囲の泡を見渡した。
その時、ギャスリン侯爵のいる一際大きな泡の中を疾風が駆け抜けた。
侯爵がマントで顔を覆うと、彼の上から不敵な声が聞こえた。
「どうした、ギャスリン。俺はここにいるぞ」
侯爵が声の元を探そうと見上げると、そこには泡の天井に、コウモリのように逆さにぶら下がっている、黒い甲冑が見えた。
「くぅぅぅ、おのれBJ。降りて来ぬか!」
侯爵は地団駄を踏んだが、BJには通用しないようだった。
「来ぬのならば力ずくだ。出よハルピオン」
侯爵の呼びかけに、巨大な怪鳥がどこからともなく出現すると、天井のBJを襲った。
しかし、BJは天井の弾力を活かして、のらりくらりと、攻撃をかわしていた。
「おのれぇ、どこまでもわしを侮辱する奴。許さん」
侯爵は、そう叫ぶと守護獣の背にまたがり、自ら長剣を抜いてBJに襲いかかった。あわやまっぷたつかと思われた時、黒き騎士はヒラリと剣をかわすと、空中に浮き出た巨大な左手の上に降り立った。そして、彼も巨大なジャックナイフを取り出すと、右手を真っ直ぐ前に出した構えをとった。
「小癪な」
侯爵は怪鳥を反転させると、左手の浮かんでいるところへ引き返した。
空中で、二つの影が重なって、また離れた。キンという金属音は後から聞こえたように思えた。
二体のダークナイトの戦いは、それぞれが閉じ込められた泡に映っていた。
「負けるなBJ、そんなダークナイトなんて倒してしまえ」
麟太郎は、彼らの戦いに興奮していた。
「あれがBJか。あんなのが本当に吾郎くんなのか?」
麟太郎達の伯父である海堂武史も、同様に泡の画面を見てそう呟いた。彼ら自衛隊は、BJの正体が吾郎ではないかと考えているのだ。そして、あわよくばBJを通じて、ダークナイトの情報入手や共闘が出来ないものかと、密かに画策していた。そういう意味でも、人間に味方するダークナイトとして、BJの存在は大きかったのである。
一方、BJとギャスリン侯爵の戦いは、空中戦から地上戦へと移った。
超高速で移動しながら、長剣とジャックナイフがその刃を交える度に美しい火花がちり、相対して鍔迫り合いをすれば、どちらも引くことはなかった。一見して、両者の剣技は同等のように見えた。
しかし、手元の武器に関しては、差が表れつつあった。BJの武器は巨大ではあるがジャックナイフ。他方、ギャスリン侯爵は長剣。間合いの差は歴然であった。
徐々にBJのマントや鎧に切り傷が目立つようになってきた。黒き騎士は、紙一重で侯爵の剣撃を避けているようでも、その刃渡りの違いが、ここに来て戦闘能力の差として出てきているのか。
「ふふふ、どうだBJ。そんな玩具では、我が剣は防ぎきれんぞ。どうだ」
と、大上段から振り下ろす長剣を、BJはジャックナイフの刃で受け止めた。
「このまま、真っ二つになるがいい」
ギャスリン侯爵の攻撃は情け容赦がなかった。振り下ろした剣を、その豪腕で以って押し切ろうとしてきたのである。受け止めているナイフの刃が段々下がってくる。侯爵の道化の仮面がニヤリと笑ったように見えた。
その一瞬、フッと長剣にかかる荷重が消えた。大剣がそのまま地面を割ったその背後に、BJはいた。絶体絶命の瞬間に紙一重で剣を受け流し、超高速で侯爵の背を取ったのだ。
「なにっ!」
驚愕するギャスリン侯爵の右肩にBJのジャックナイフの刃が深々と突き刺さる。
「くおぉぉぉぉ、小癪なぁ」
侯爵は雄叫びとともに、大剣を後ろに振りかぶった。黒い甲冑はギリギリでそれを避けて後ろへ飛んでいた。
ギャスリン侯爵の肩から血とオイルの混じった赤黒い体液が流れ落ちる。
「ククク、やるなあ。このわしにこのような傷を負わせるとは」
対して、BJはナイフを構えたままこう言った。
「ギャスリン、もうお前の剣技は通じんぞ」
不敵な若き騎士に対し、赤銅色の甲冑が応えた。
「それが、お前の『高速進化』か。この短時間の間に、わしの技量に追いついたという訳か。さすが、数々のダークナイトを退けてきただけはある」
侯爵はそう言いながら、未だ血潮を流す傷を物ともせず、長剣を構えた。
「くっくくく、いいぞぉ、BJ。そうでなくてはなぁ。久しく会わなかった強敵。わしの魂は打ち震えておるぞ。かっかっか、行くぞBJ! その全てを見せるがいい」
そう雄叫びを上げながら、またもBJに斬りかかったのである。
「あれが、ダークナイト同士の戦い……。まるで次元が違う。あの力、あの早さ。生身の人間では太刀打ち出来んじゃないか」
海堂武史は、唾を飲み込んだ。それほど、彼らの戦いは常識を超えていたのである。ダークナイトとは戦いをのみ生き甲斐として、永遠に進化を続けると聞いたが、これがそうなのか?
こんな激しい戦いをして、傷を負いながら、尚、それを歓喜としているのだ。武史は種としてのダークナイトの恐ろしさを肌で感じていた。
一方、戦い続ける二体の騎士は、お互いの鎧に傷を負いながらも、決定打を下せずにいた。
「くふふふふふ。楽しいなぁ、BJよ。これこそダークナイトの本分。このような命ギリギリの戦いこそ、わしらの血をたぎらせる。だが、もうそろそろ終わりにしよう。こう見えてもわしは老体ゆえ、そろそろ息が上がってきたのじゃ」
「齢を重ねた者ほど、より強力な戦闘力を持つダークナイトの言葉とは思えんな」
「まだそんな戯言が言えるか。この小童が。されば、わしの取って置きの技で死を迎えるが良い。出よエレバイン」
侯爵の召喚に応えて、守護獣がその姿を表した。それは、直径十メートルはありそうな、円盤に触手を生やした不気味な物体だった。
「喰らえ。エレバイン、ブレインジャマー!」
侯爵の頭上に浮かぶ守護獣が、命令に応えて。円盤の中央部から虹色に光る光線をBJに向けて放った。その攻撃をBJは真正面から受け止めてしまったのである。
「かっはっはっは。その光線はダークナイトの戦術電子脳を狂わせる特殊な光波よ。わしらの纏うナノマシンを乱す技術の更に上をいくもの。わしが、侯爵級に至るまで生き残ってきたのも、この力ゆえ。これまで、何体ものダークナイトがこの光線で狂い死にしていったか。お前を先人の後を追うがいい」
一瞬、BJの身体が動きを止めた。そして、なんと、これまで無敵だったBJがその場に膝をついたのである。
「はっはっは、苦しいか。苦しかろう。それは、ナノマシンの鎧をすり抜けて、ダークナイトの頭脳である電子脳を破壊する。脳なしになったお前を、後からわしが切り刻んでやろう。ははははっはは」
BJ、お前はここで倒れるのか?
為す術もなく、ギャスリン侯爵の攻撃を受けるBJに勝機はあるのだろうか……