混沌へ向かって(5)
ピチャ
闇の奥で水の滴る音がした。
ピチャ、チャプ。
暗がりの奥で、何かが蠢いた。
羊水のような濁った水の内に、何者がいると言うのだろう。『それ』は、少しずつ動き出した。
そして遂に、『ザバ』っと水をかき分けて、『それ』が身を起こした。
「我、ヨミガエリシ」
道化を模した仮面の奥から、怪しい光が漏れた。
傷の癒えた戦士は、水の中から立ち上がると、両手を天に上げて叫んだ。
「我はギャスリン侯爵。BJ、最後の戦いを始めよう」
その思念波は、強烈な波動となって辺りへ撒き散らされた。
パチリ。
そう音がしたように、暗闇の中で『彼』の目が開かれた。
「蘇ったか、ギャスリン」
『彼』は半身を起こすと、呟くようにそう言った。それを聞く者は、誰もいなかったが、誰もが知った。
決着の時は近いと……
その日、団弦柳は孫達や甥の海堂武史と共に、駐屯する自衛隊の戦術機部隊を訪ねた。
昼のさなか、太陽は高く輝き、人類の時間を照らしていた。駐在所の駐車場に設営された、仮施設──駐車しているトラックのひさしから、テントと垂幕を張っただけのものだったが──では、隊員達が、レーションで昼食を摂っているところであった。
「よう、邪魔するぞ」
海堂武史が、まるで馴染みの居酒屋へ入るかのように、隊員に声を掛けた。隊員達の目が注目する。すぐに、部隊員の一人が笑顔で応えた。
「おう、お前か、海堂。遠慮は要らん。入れ入れ。おい、誰か椅子を持って来てくれ」
武史は、少しかしこまって、
「海堂二佐、入ります」
と敬礼をして言うと、隊員達は反射的に立ち上がり、同じく敬礼をした。
プッと誰かが漏らすと、その場に笑いが広がった。
「おいおい、つい敬礼をしたじゃないか。遠慮は要らんと言っただろう」
「ははは、受けたか? 何か面白いギャグを考えていたんだが、これが一番面白いだろう」
「確かにな。で、何の用だ。まさかミリメシ食わせろとは言わんだろうな」
「違うよ。逆だ逆。慰問に来たんだよ。お祖父さんも、鈴華ちゃんも入りなよ」
武史が外に声を掛けると、弦柳と孫達──鈴華、麟太郎、吾朗が、中に入ってきた。
「いつもご苦労さまです。質素な物で申し訳ありませんが、差し入れを持ってきました」
鈴華が風呂敷包と紙袋を抱えてそう言った。
包の中はたくさんのおにぎりであった。
「おお、米の飯だ」
隊員達がどよめいた。彼等の給料は、決して高いものではない。近くの食堂や飲食店へ行ったり、出前を毎日取るのは金銭的に厳しかったし、二十四時間体勢の任務では食事に行く時間も限られていた。それで、結局、配給のレーションになってしまうのだが、これは、不味いとまでは言わないものの決して上手いとはお世事にも言えなかった。そのため、まともな食事に飢えていたのである。
「他にもお煮しめとかも有りますよ。吾朗ちゃんはお茶の用意をして。麟ちゃんはお味噌汁を配ってね」
鈴華に従って、麟太郎がポットから味噌汁を紙の椀に注いで、隊員達に配っていった。
「凄いな。味噌汁付きだぞ。何週間振りかなぁ」
「うまそ。ありがとな、嬢ちゃんたち」
受け取った隊員達は、いずれも感謝の言葉を返した。
「コイツは夜に呑んでくれ」
と、武史が引っ張ってきた大型の保冷箱には缶ビールが保冷剤と共に詰まっていた。
「おお、ビールだ! 喉がなるなぁ」
「おい、任務中だぞ」
「この天気の中、お預けは酷いぜ」
「我慢、我慢。その後の一杯が美味いんだ」
「そうそう」
隊員達は、それぞれ喜んでいた。
隊員達が差し入れを口に押し込んでいるさなか、その中の一人が武史に声を掛けた。
「で、海堂。用は何だ? まさか本当に差し入れだけか?」
武史が応える。
「話が早いな。実は、うちの爺さんが、ダークナイトの新たな情報を掴んできた。それを話に来たんだ」
隊員達の目が光る。
「そうか。助かる。何にしても、俺達は、敵の事を知らなさ過ぎる」
「ああ、そうだ。じゃ、早速だが、話してもらえないかな。おい、武田三尉、録音の準備だ」
「了解しました」
呼ばれた男が素早く立ち上がると、トラックの中に入った。
「それでは、弦柳……さんでしたか。お願い出来ますか?」
弦柳は頷くと、テーブルの端の椅子に座った。
そして彼の話し出したことは、意外なことであった。
「まず第一に言っておこう。わしらの持つ戦力では、ダークナイトに勝つことが出来ない」
一同の顔に翔りが見えた。この事は、全員が薄々感じていたことだったからだ。
弦柳は続けた。
「ダークナイトは我等の地球とは違う異次元の地球で開発された、高度な戦闘知性体だ。戦場を故郷とし、目の前の敵を撃破することのみを目的に自己進化を行い、更に戦闘力を高める化物だ」
隊員達が肯く。
「彼等は、そうさなぁ、戦う機械──戦闘機や戦車が意思を持ったようなものだ。だから故に、戦場にことさらアイデンティティーを求める。どちらも戦争が無くなれば存在意義が失われるからだ。そういう意味では、逆説的だが、我々の世界から戦争が無くなれば、やつらは居場所を失う事になる」
「それは、今の人類の段階では無理だ。戦力による威嚇以外に、最終的な国家間の対立を収める方法を我々は持っていない。だからこそ、各国は軍隊を持ち、それを外交の切り札としているのだから」
隊員の一人が応えた。弦柳は主是すると、話を続けた。
「やつら、ダークナイト達と正面切って戦っても、勝ち目はない。じゃが、共存する道はある」
「きょ、共存……ですか?」
「そうじゃ。何故なら、奴らは戦うためにやってきてはいるが、我々を侵略するためにやってきたのではない。その意味で、人類と対立するものでは無いからだ。先にわしが言ったが、奴らは軍隊の兵隊や指揮官では無く、ましてや、国家でも何でもない。やつらは、飽くまで戦闘機械じゃからだ。兵隊が銃や戦車を使うように、我々が奴らを戦う道具として受け入れるという意味じゃ。分かるか?」
「しかし、我々で彼等をコントロール出来るのでしょうか?」
自衛官から、疑問が寄せられた。
「そう言うことに関しては、異次元の人類は、仕掛けを施していたようだ」
「仕掛け……ですか?」
「そうじゃ。奴らは戦闘力に応じで爵位で格付けされており、上位の爵位の者には従順になるようだ。つまり、我々人類が、彼等に『王』と認識されれば、ダークナイトは我々の指揮下に置くことが出来るはずじゃ」
「王……ですか。でも、王政をしいている国なんて、数が少ないのでは」
「イギリスやタイは王室を持っておる。そして、何よりも日本には天皇陛下がいらっしゃる」
「ダークナイトに今上天皇を王として認識させようと?」
「その通りじゃ」
「でもそのためには、ダークナイトの首領格の者との話し合いが必要では」
「…………」
その場の者達は、一瞬押し黙ってしまった。天皇をダークナイトの王に据える。そんな事が可能なのだろうか?
弦柳が口を開こうとした時、強烈な殺気が襲った。その場の皆が、怖気を感じた。
(遂に来たか)
誰かが心の内でつぶやいた。
麟太郎達が天幕から出た時に目にしたのは、さんさんと降り注ぐ陽光の下に立つ、ギャスリン侯爵であった。