漆黒の騎士(3)
翌日はよく晴れていた。窓から差し込む日差しを受けて、麟太郎は目を覚ました。
「ふぅわぁ。よく寝たぜい。さぁて、朝飯でも喰ってガッコ行くかぁ」
昨日あんな目に遇ったのに、もうすっかり平気な顔をしている。やはりこの少年はただ者ではない。
麟太郎は服を着替えると、適当に顔を洗って、キッチンに来ていた。
「お袋ぉ、メシはぁ」
と、如何にも眠そうにキッチンの母親に聞くと、脇のテーブルにどっかと腰を下ろした。
「何だい、麟太郎。本家の吾朗ちゃんは、もうとっくに起きて、道場で修練をやってたわよ。あんたも少しは見習いなさい」
麟太郎は、こう言われると、
「へいへい、分家の麟太郎君は、どうせ怠け者ですよ」
と、横柄に応えた。
「それより、朝飯はぁ。何か喰えるモンくれよ」
それに対して母親は、
「そこにお粥があるから、とっとと喰っちまいな」
と、言い捨てた。分家とはいいながら、団の家と道場で育った母親である。中年に差し掛かっているとはいえ、その辺のチンピラなど一捻りで倒してしまう。
「ええぇ。こんなんじゃ何の足しにもならねぇよ。もっとガッツリくる喰いもんは無いのかよぉ」
不平を言う麟太郎に、
「そんなもんが有ったら、とっくに喰われてるよ。食事は粗食にして腹八分目。これがいいのさ」
そう言われては麟太郎も仕方がないと思ったのか、鍋の中に残っていた粥をドンブリに目一杯につぐと、食べ始めた。合間合間に梅干しをかじりながら、麟太郎は朝食を採っていた。
文句を言いながらも粥を喰い尽くすと、麟太郎は鞄と上着を取りに部屋に戻った。自室の引き戸を開けると、そこにいたのは吾朗であった。
「やぁ、勝手に上がらせてもらってるよ」
「何だ、ダンゴか。どうしたんだ?」
と、麟太郎は不思議がって訊いた。
「これを持ってきたんだ」
吾朗に言われて渡されたのは、いつもの学ランであった。ただし、重さが尋常ではない。
「何だ、お前、コレすっげぇ重いぞ。何なんだよ」
「護身用にプロテクトスーツを作ったんだ。重さは5キロくらいかな。特殊アラミド繊維と衝撃吸収ゲルで、9ミリNATO弾も蚊に刺されたようなもんだよ」
麟太郎は、
「何でそんなもん着なきゃならないんだ?」
と、吾朗に訊いた。
「昨日の今日だからね。いつまたダークナイトに襲われるか分かんないから。それに、麟ちゃんは、それくらい平気で着こなせるだろうし、修練にもなるからね」
「そんなの要らねえよ。ただでさえ粗食で腹が減るのに、こんなもん着てたらあっという間に餓死するぞ」
「大丈夫だよ。僕だって着てるし。……ダークナイトはあれで執念深いところがあるからね。殺し損ねた麟ちゃんがいつ襲われても不思議じゃないよ」
ダークナイトの事を言われては、麟太郎も反論できない。言われるままに、改造学ランを着込んだ。
「あれ? 思ったより重くないな。腕も肘もよく曲がるし。ホントにこんなんで大丈夫なのか?」
「肩とかで重さが分散するようにしてるんだ。まぁ、大丈夫かどうかは運しだいだね。頭をかじられたら一巻の終わりだからね」
と、吾朗は笑いながら答えた。
「ふぅん。器用なもんだな。昔っから思ってたけど、ダンゴって結構色んな事こなせるよな、勉強以外にも」
「ははは、喧嘩じゃ麟ちゃんに敵わないけどね。……あ、そうそう。これ鈴華さんから」
と、吾朗は重箱のような風呂敷包みを麟太郎に渡した。
「今日のお昼だよ」
「やった! 今日のおかずはなぁにかな? 昼休みが楽しみだな、こりゃ」
ダークナイトが出現するようになってから、学校などでは子供達を日が暮れる前に帰さないとならなくなった。そのせいで、週5日制では十分な学習時間が確保出来なくなった。そこで文部科学省と教育委員会は、週6日制を取ることにし、午後の授業は早く切り上げる処置をとったのである。今日は土曜日だが、午後も授業がある。制度変更の前後は色々と議論されたが、実施してみれば、慣れてしまうものだ。小学校のころは、二人とも不平不満を言っていたが、今では「これが普通」と、何の問題もなく学校へ通っている。
「オッシャ、ダンゴ、早くガッコ行こうぜぃ」
「学校に行っても昼休みはすぐには来ないよ」
「早弁するに決まってんだろう」
吾朗は、「やっぱり」と言うようにため息をつくと、
「やっぱりそう来るよなぁ。弁当、二段になってるから。上が早弁用だよ」
「オシ。やっぱ、鈴姉ぇは俺の事よく解ってるよなぁ。愛してるぜ、鈴姉ぇ」
これには吾朗も少し「むっ」としたが、学校でも優等生で通っている吾朗には、早弁をするような勇気は無かった。
「だったら、昨夜の約束通り、ケンカとかもう無しだからね。巻き込まれる僕の身にもなってみろよ」
「へいへい、解ってますって」
と、麟太郎は弁当の包みを受け取ると、呑気に玄関に向かうのだった。
「麟ちゃん、鞄を忘れてるよ」
麟太郎は、そう言われて、慌てて部屋に返って来た。
「全く、君と言ったら……」
「しょうがないだろう。教科書には鈴姉ぇの愛情は詰まって無いモン」
吾朗は「やれやれ」と思いながら、麟太郎と共に学校へ向かった。
麟太郎は学校に着くと、さっさと自分のクラスに行き、ドッカと椅子に座った。麟太郎の席は窓際の一番後ろであった。
「あ~あ。メンド臭いなぁ。授業なんてさっさと終わらないかなぁ」
などと、相変わらず不平を言いながら、窓の外を眺めていた。
そこへ、モジモジしながらやってきた女生徒がいた。
「あ、あのう……か、海堂君、こ、これ」
と、そう言いながら差し出されたのは、ピンクの可愛らしい封筒であった。
(あ、あれ? もしかしてラブレター? お、俺に?)
麟太郎でも女子からラブレターを貰えるとなると、嬉しいものだ。顔がにやけそうになるのを押さえて、女生徒に答えた。
「な、何だよ、石川」
そう呼ばれた女生徒――石川恵は、真っ赤になりながら封筒を麟太郎に渡した。
「こ、これ、俺に?」
そう言われて恵は、真っ赤になって下を向いていた。
「あ、あのう、海堂君……これを団君に渡してくれないかなぁ」
(あっ、そゆこと。まぁ、ちょびっとだけ期待してたのに)
「ラブレターくらい自分で渡せよ。ダンゴだったら快く受け取ってくれると思うぞ」
そう言われた恵は、
「そんなぁ、出来ないよぉ。恥ずかしくて……」
「俺なら構わないのかよ」
「か、海堂君、い、いつも団君と一緒だから。休み時間の時で良いから、渡して。お願いっ」
恵はそう言って、封筒を麟太郎に押し付けると、走って逃げて行ってしまった。
「お、おい、待てよ。って、もういないや。やれやれ、ピンクの可愛い封筒さん。おや、何かいい匂いがするなぁ。俺の相棒はモテるよなぁ。いいよぉだ。俺は鈴姉ぇ一筋だから」
と、そう言うと、封筒を机にしまった。
あともう少しで予冷が鳴る。今日も気怠い授業が続くんだろうなぁ、と麟太郎はこの時思っていた。




