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混沌へ向かって(3)

 松戸の里に泊まった弦柳は、新しい青畳の和室で眠っていた。


 次の朝が来た。弦柳は床の中で、昨日受け取った情報を反芻していた。


(ダークナイトとは、異次元の人類間の永きに渡る戦争の中で創り出された戦闘知性体。その肉体は戦闘に特化した生機融合体であり、驚異的な復元力を持っている。その動力は永久機関であり、未来永劫、戦いが続く限りエネルギーを供給し続ける。その頭脳は、様々な戦術パターンを記憶し、臨機応変に戦闘を遂行する電子脳。そして、彼等は生き残る度に己を進化させ、更に高い戦闘力を身につける。したがって、齢を得たダークナイトほど強大な力を持ち、その戦闘力は爵位で格付けされる……か)


 弦柳が床の中で物思いにふけっていると、急に鼻の奥に芳しい香りが漂ってきた。これは……炊きたての白米、卵の焼けた香り、合わせ味噌、醤油、丸干し。朝食だろうか? だが、弦柳には、朝食の膳を運び込む気配はおろか、人の行き交う気配すら感じられなかった。

 団式合気術の奥義を会得した自分が、このような気配を察しできぬはずがない。朝餉は一瞬にそこに現れたとしか思えないのだ。


(因果律を無視した結果か)


 この屋敷は、いや、この里そのものが異常である。これが、松戸宗家の持つ力なのか……。


「団の末よ。目覚めたか。質素なもので申し訳ないが、朝食を用意した。遠慮なく食すがよい」

 昨日の声である。弦柳は布団から這い出すと、襖の側に、朝食の膳が置かれていた。一体誰が置いていったのだろう。弦柳には襖を開け閉めする気配も音も感じられなかったのだ。弦柳の背筋を冷たいものが伝わり流れ落ちていた。

 これだけの力があれば、この地球に現れた異次元からの侵略者を、苦もなく追い返すことが出来るに違いない。だが、松戸の里は、一向に腰を上げる気配がない。全知を知り尽くした結果、このような些細な事には興味が失せてしまったのだろうか? 弦柳には、それが口惜しくてならなかった。手を伸ばせばすぐそこにある力が容易に動かせぬのだ。この力で、娘達や孫達を救えるかも知れないのに。

 そうは言っても、自分の家格では、これ以上の知識は得られまい。弦柳は仕方なく、眼前の膳を馳走になることに決めた。

 朝餉の膳は、どれも弦柳の舌をうならせるほどの絶品であった。白米然り。玉子しかり。魚は採れたてと思うくらいであった。野菜類もお新香も、主菜に劣らず控えめに味を主張していた。

 こんな膳は初めてであった。こんな山奥の人も来ない、物流も届かないような里で、よくこれだけの素材を集められたものだ。しかもそれを調理した板前の腕が尋常でない。新鮮で旬の食材を、その風味を失わせず、しかもそれぞれが自己主張をしながら、全体として一つにまとまっている。このような腕の料理人は、東京の高級料亭でも滅多にお目にかかれないであろう。

 弦柳が気が付いた時には、膳は既に食い尽くされていた。今までの食事は夢ででもあったかのような心持ちであった。

(これが松戸宗家の技術か)

 これだけですら、弦柳には、この里の恐るべき深淵を垣間見ることが出来たような気がした。


「さて、朝餉も終わったようだが、団の末よ、まだ用はあるかな?」


 昨日の声が響いてきた。弦柳が応える。

「朝食の膳、ありがたく頂きました。わたくしは、これから里を降りようと思っております」

「そうか……。まぁ、仕方なかろう。ダークナイトも、ご当主様がその気になれば、一夜で殲滅される。それまで気長に待つことよのう」

 弦柳は、この言葉を苦々しい気持ちで受け取った。

 ご当主様は、いつその気になるのか。五年後、十年後か? いやもしかしたら数百年後かも知れない。その時まで、自分はできるだけの事をし、教えられるだけのことを娘と孫達に教えねばならぬ。弦柳はそう決意した。


 一方、団式合気術道場では、自衛隊から派遣された特殊工作員の稽古が行われていた。

「皆さん、お稽古前の体操は終わりましたか? ではそろそろ始めましょうか」

 自衛官を指導しているのは、団家の長女──優奈だった。弦柳が松戸の里へ出かけてからこっち、優奈は師範代として門下生の稽古を指導していた。

「それでは、皆さんがどこまで上達したか、テストをしてみましょう。ええーっと、まずはそうですね、私はこの円の中から出ませんから、皆さん好きなようにかかってきて下さい。円から出たら、私の負け。っと言う事でいかがでしょう」

 と言って、足元にチョークで直径一メートル程の円を描いたのである。

「はいはい、ではお好きな方から、かかってきてくださいな」

 この言葉に、自衛官達はざわついた。優奈の見た目は少し若作りのおばさんである。しかも、常日頃からのおっとりした口調で、殺気も微塵も感じられない。本当にこの女性が師範代であるのか? 皆が皆、そう訝しんでいた。

「あらあら、おくしてしまいましたか? では、条件をつけましょう。私をこの円の中から追い出すことが出来た人には、夕食にステーキをつけましょう。五百グラムの牛肉ですよ。ついでにビール飲み放題で、どうでしょう」

 またもや、自衛官達がざわついた。彼等は、ここに来て、体質改善と称して、独特の野草の入った芋粥しか口にしていなかったのである。若い身体にビーフステーキは喉から手が出るほど欲しかった。

 そこで、まず一人の自衛官が前に出た。

「ステーキの件、嘘じゃないですよね。女性に手をあげるのは不謹慎だが、師範代から言い出したんだ。遠慮なく、全力でいかしてもらいますよ」

「あらあら、お手柔らかにお願いしますね」

 と、優奈が応える間もなく、男は飛びかかっていた。しかし、男には優奈の姿が、いや、道場の中全体がグルグルと回転したように見えた。それは、男が回転しながら道場の壁にぶつかるまで続いた。彼は、優奈に手を触れることも敵わず、投げ飛ばされていたのである。

「バカな! いつ投げたんだ。斎藤には手も触れてなかったように見えたぞ」

「これが、団式合気術の極意だ。舐めてかかると大怪我するぞ。みろ、優奈さんは、円の中どことか、立ち位置さえ変えてないぞ。お前たち、優奈さんを一歩も動かせなかったら、今晩は飯抜きだ。分かったな」

 特殊部隊の隊長でもある海堂武史が激を飛ばした。彼も団家の分家として、この道場で団式合気術を修練してきたのだ。優奈の実力も分かっている……つもりだった。しかし、彼女は、武史が思っていた以上に上達していた。多分、自分でも敵わないだろう。せめて、足一歩分くらいは崩せるかもしれん、そう武史は考えていた。


 もう、五人目が挑んだろうか。優奈はその立ち位置から一歩も動くことは無かった。どころか汗一つかいてはいない。一方の挑戦者達は、壁際で虫の息である。

「一回でダメだったからと言って、挑戦権がなくなるわけではありませんことよ。何度でもかかってきて下さい」

 優奈の言葉は優しかったが、慈悲の感情は微塵も感じられなかった。

 この、奇妙なかかりげいこは、日が暮れるまで続いた。

「あらあら、もう日が暮れましたね。まだ挑戦したい人はいますか?」

 その声を聞いても、自衛官達はグウの根も出なかった。結局、優奈を円外に押し出すどころか、一歩も動かすことが出来なかったのだ。

「こりゃ全員、飯抜きだな」

 武史が頭を掻きながら言い放った。

「あら、そう言えば武史さんは挑戦なさらないのですね」

 稽古着の優奈が武史に訊いた。

「まだ、自分も優奈ちゃ……師範代の足元にも及ばないですから。今日は、コイツラに付き合って、飯抜きにします」

「あらあら、大の男が飯抜きなんて。お腹が減って倒れてしまいますわよ」

 と、優奈は、いつものおっとりとした口調で、声をかけた。

「いや、これは男の約束です。これ以上、奴らをヘコまさないで下さい。おい、大丈夫か。終わりの柔軟と、体操をするぞ」

 武史は自衛官達に、こう声をかけると、自分でも柔軟体操を始めた。


 対ダークナイトへの道は暗く険しそうに思えた。




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