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混沌へ向かって(2)

 N県N郷──松戸の隠れ里に、団弦柳は赴いていた。松戸宗家の記録を確かめるためである。


「もうし、我は遥かなる地より訪れたもの。古来より松戸家守護を担ってきた血筋に連なる団の家の者。是非ともご開門頂きたい」

 弦柳の声を聞いてか聞かずか、深い森に囲まれた古びた城門は微動だにせず、その威風堂々とした構えを崩さずにいた。

 ふと気が付くと、一匹の蚊が弦柳のむき出しの左手首にとまっていた。弦柳には、その蚊の目が複眼ではなく単眼であることが見てとれた。弦柳が左手を挙げると、とまっていた蚊は何事も無かったように門の方に飛び去って行った。不思議な事に、蚊に刺されたところは一向に痒みを訴えなかった。

「再びお願い申す。我は、団家の末である。是非ともご開門頂きたい」

 すると一瞬の間の後、

「団家の末よ。血筋の確認は出来た。入るが良い」

 という言葉が響くとともに、樹の城門が左右に音もなく開いた。

 弦柳は恐る恐る、邸内に足を踏み入れた。外で感じたように、巨大な門の内側には誰一人としていなかった。門はひとりでに開いたのだった。そして、弦柳を招き入れると、またも音もなくひとりでに閉まった。

 弦柳の足元から母屋と思しき屋敷まで、石組みの道が続いていた。その道を弦柳は一歩一歩足を進めていた。しかし、どういう訳か、一向に母屋へ近付けないのだ。

(空間が歪曲しているのか? それとも心理攻撃か? 何れにしても厄介な道じゃのう)

 弦柳が石組みの道に閉口していると、また声が響いた。

「団の末と申したか? 玄関はすぐそこぞ。遠慮はいらぬ。早うお入りなされ」

(自ら辿りつけぬようにして、「早う来い」とは……。ならば、奥義で以って突破するのみ)

 弦柳は足元に神経を集中した。彼の姿が一瞬揺らいだようになって消えた。次の瞬間、弦柳は母屋の玄関先にその姿を表した。

 団式合気術秘奥義『亜空瞬転』。亜空間を介して、瞬間移動を行う奥義である。

 弦柳が転移した玄関先で、更に一歩足を進めようとした瞬間、母屋の戸がスライドした。母屋の主は、弦柳を認め、「入って来い」と言う事だろうか?

「我は、団家の末、弦柳にてございます。不束かながら、入らせていただきます」

 弦柳はそう言って、母屋の玄関に入った。外とは違った清涼な空気が玄関には満ちみちていた。少しオゾン臭が混じっている。空気清浄機でも使っているのたろうか?

「気遣いはいらぬ。早う上がりなされ」

 声は、そう言って弦柳を誘った。

「では、失礼いたします」

 弦柳はそう言って、靴を揃えて脱ぐと、邸内に上がった。伝え聞くに、松戸家の屋敷は、五百年以上も前に造られたという。それにしては、床も柱も、壁も、つい昨日出来上がったかのように、新品の樹と漆の臭いを発していた。

 まだ新品のように光っている廊下を進み、廊下に沿っていくつか角を曲がると、ある襖の部屋の前で足が自然に止まった。まるで、この部屋に導かれたように。

 弦柳は襖に向かって、軽く一礼すると、

「入らせていただきます」

 と、宣言して襖に手をかけようとした。しかし、襖はその瞬間に中央で割れ、入口を作った。

「手間をとらしたのう。ここがゴールじゃ。入るが良い」

 声が闇の奥から聞こえた。弦柳は意を決して、畳の敷かれた和式の部屋に足を踏み入れた。

 しばらく進むと、部屋の中央辺りで、また自然に足が止まった。気が付くと足元には深緑の座布団が敷かれていた。

「遠慮は要らぬ。遠いところを大儀じゃった。楽にしなされ」

 また、例の声である。弦柳にはこの声の発せられる『元』の気配が読み取れなかった。団式合気術を極めた弦柳にはあり得ない事であった。声は正面から聞こえるようにも、回りから聞こえるようにも思えた。声質は幾分無機質、しかし音声合成された声ではない。人間が発した声である事には間違いなかった。しかし、声の主の性別も年齢も、弦柳には分からなかった。

 ここまで来て、躊躇うことはもうない。弦柳は座布団の上に正座すると、洋服を少し整えた。

「我は、ある事が知りたく、かの地より参りました。ご当主様は何処?」

 すると、また例の声が聞こえた。

「ご当主様は、先日より下界に降りられた。今は、質素な家庭を築き、心の赴くまま暮らしておる。我は、ご当主様の不在の間、この松戸の地を預かっておる者。団家の末よ。お主の来訪はかねてから決まっていた事。遠慮は要らぬ。お主の知りたい事、申すが良い」

「我の来訪を知っていたとおっしゃるか。ならば、我の知りたい事も明らかなはず」

「まぁ、そう言うな。ここでお主の要望を訊くのも、決まっておったのじゃ。全てはご当主様の知るところじゃ」


 未来は既に決まっている、と言われることがある。松戸家は、古より、この世の全知を欲し、全知を使いこなす智慧を追求してきた一族である。永い年月を培われた叡智は、現代人にとってはオーバーテクノロジーの領域に達しており、『凡そ不可能な事は無い』とも聞く。弦柳の来訪とその目的を予見しておく事など、造作もないのかも知れない。


「では。我は「ダークナイト」がこの地に訪れたのかどうかを知りたい」

 弦柳は躊躇なく告げた。……つもりだった。

「まぁ、そう急かすな。まずは、茶でも飲んでくつろぐが良い」

 声がそう告げた。気が付くと正面に小さな茶托に乗った湯飲み茶碗が置いてあった。いつからそこにあったのか、注がれた茶は、ほのかに湯気をあげていた。

 声の主は弦柳の来訪と目的を知っていた。しかも、それを告げろと言ったそばから、返答をせず『茶を飲め』という。見方によっては、来訪者を激怒させかねない扱いであった。

 しかし、弦柳は平常心を保っていた。声の言う通りに、眼前の茶碗を手に取ると、

「では、いただきます」

 と言って、一気に茶を飲み干したのである。香りはほのかにて、熱さはぬるからず熱からず。味は、甘からず渋からず。全て弦柳の好みに設定されていた。

「ふむ。ご馳走様でした」

 そう言って、弦柳は茶碗を元に戻した。

 瞬間、意識が走った。弦柳は、目も眩む回廊に立っているような幻覚を感じた。そこは、松戸家が追求していた知識のデータベースの一角ででもあったろうか。弦柳は、そこに欲しい物が全て在るように思えた。手を伸ばせば、自らの欲しい全てが手に取れる。そんな感覚を感じた。事実、彼は手を伸ばしていた。そして、『掴む』。その瞬間、弦柳は我に返った。

 伸ばした手は中を掴んでいた。遠くで虫の鳴く声が聞こえた。

 いつから、どのくらい、そうしていたのだろうか? 弦柳には、その間の記憶が無かった。全ては一瞬の事であったかのように。

 いつの間にか、眼前に置いた茶碗は茶托と共に消え去っていた。

「団家の末よ。これで満足か? 答えはあったか?」

 声が告げた。弦柳は次のように応えた。

「確かに頂戴しました。しかし、これでは「ダークナイト」の駆逐方法が解りませぬ」

「無茶を言うな。それ以上の知識を詰め込めば、お主の脳はオーバーロードを起こして焼ききれてしまう。分をわきまえよ」

「我に、その資格なしと……」

「そこまでは言うとらん。団家のDNAで創られたお主では、ハードウェアの制約上、無理だと言うとるのだ。死しては元も子もないじゃろう」

 弦柳は、両膝の上で拳を握りしめていた。折角ここまで来て、と言う感情が全身を支配していた。この身体では、将来訪れるかもしれない災厄から、娘や孫達を救えぬのか。そんな、怒りと倦怠感が入り混じったような感情が、弦柳を支配していた。

 そして、やっとこさ、彼は次の言葉を発した。

「ご当主様は、この事を知っていて、なお、平然無視と言う事ですか」

「その通り。我等がご当主様は、気まぐれじゃ。くれぐれも『アカシアの女王』をみだりに頼ること無かれ。お主の命、いや存在を消したくなければ」

 弦柳は、低い唸り声を発していたが、ご当主様が不在ではこれ以上の知識は得られぬと悟っていた。

「今日は、もう日暮れじゃ。夜道は怖いでのう。お主のために部屋を用意しておる。今夜はゆっくりとしていくがよかろう」

 これも既に決まっていた事のように、声の主が告げた。そして、団弦柳は、松戸の里で一夜を過ごす事になった。




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