漆黒の騎士(1)
時は西暦2037年。世界はまだ人類の物だった。少なくとも一日の半分はそうだ。しかし、残りの半分──夜の闇の世界は違っていた。今、人間達は夜の訪れを恐れ、暗い闇に恐怖している。異界の向こうから『ダークナイト』呼ばれている未知の戦闘知性体が侵入し、夜の闇を支配したからだ。
西暦2019年、それが悲劇の始まりの年だった。CERN(欧州原子核研究機構)で、マイクロブラックホールの生成実験のために新開発された超大型衝突型円形加速器が稼働中に、大規模な事故が起こった。加速器施設を中心に、半径15キロメートルの範囲に巨大な黒い球体のような空間が発生し、その近くでは、強烈な磁気嵐や放射線被曝などが観測された。欧州連合は軍隊を含む大掛かりな救出プロジェクトを計画し、暗黒の空間内への侵入と被災者の救出を試みたが、全てが失敗した。のみならず、侵入した軍人を含むすべての人員が帰還しなかったのである。
後の研究で、この黒い球体状の空間は、中心部でマイクロブラックホールが生成と蒸発を繰り返すことで生じる暗黒プラズマ空間であることが分かった。そのため、欧州連合は、CERN跡地を中心に半径20キロメートル圏を立ち入り禁止区域に設定、軍による監視を行うとともに、新たに発足した欧州黒体空間特別研究機構による暗黒プラズマ空間の研究を行う事とした。
しかし、研究はようとして進まなかった。不思議なことに、暗黒プラズマ空間の研究には、米国物理学会も米軍も一切関与しようとしなかった。また、研究の主導を取ったのが、何故かバチカンであり、資金の75%が日本からの出資で賄われた。更には宮内庁の強い要請で、自衛隊までもが特例緊急出動の処置がとられ、しかもそれが国会で満場一致で承認されたのである。人々は自分達の知らないところで得体の知れない『何か』が起こっていることを感じていた。その『何か』の一部分がしばらくして人々の知ることとなった。
西暦2022年──CERNの悲劇から3年が経過した時、暗黒プラズマ空間の周囲で、謎の誘拐事件や殺傷事件が相次ぐようになったのである。数少ない証言や監視カメラの情報から分かったことは、人類とは異なる謎の知性体が黒体空間から現れ、殺傷や誘拐を行っていたということである。
謎の知性体は、身長2~3メートルほどの、人間と同様の姿をした巨人であった。その見かけは、中世の騎士が身につける甲冑を纏ったような姿をしており、顔は道化を模したようなマスクに被われていた。また、時折『守護獣』と呼ばれる戦闘体が従属することもあり、『彼等』の戦闘力は一個体が師団並みの戦闘力を持っていた。当然、欧州軍と派遣された自衛隊が、彼らの捕獲・撃退の任に就いたが、欧州軍も自衛隊も全く歯が立たなかった。仕方なく、欧州連合は、CERN跡地を中心に半径30キロ圏内を絶対危険区域とし、軍による強固な監視を置いた。
にも関わらず、『彼等』の進出は止まらなかった。西暦2025年以降、暗黒空間から黒い染みが広がるように、世界各地で謎の戦闘知性体が出現し、人々を殺傷し始めたのだ。幸いなことに、『彼等』の行動時間は夜のみに限定される事が分かってきた。そのため人々は、夜の闇を恐れ、まるで嘗ての吸血鬼に脅えるかの如く、日が沈むと同時に家に入ると、そのドアを固く閉ざすようになったのである。
人々は、『彼等』を、その外見と夜のみに活動するその習性から、黒騎士――『ダークナイト』と呼んで恐れたのである。
そして現在、ダークナイトは、この日本にまで進出を果たしたのである。
麟太郎が二体のダークナイトに遭遇した夜、二人は吾朗の家で怪我の治療と説教を喰らっていた。
「この小童がっ、あれほどケンカはするなと言うとったのに、まぁだ解らんか。今度こそ、本山の道場に放り込んでやろうか。それに吾朗、お前が付いていながら、麟太郎を危険な目に遭わすなど言語道断。二人とも今夜は飯抜き。それと、道場の雑巾がけじゃ」
吾朗の祖父にして、道場主の弦柳である。
「だってさぁ、あいつらからケンカ吹っかけられるんだぜ。シカトもスルーもさせてもらえないのに、どうすりゃいいんだよ」
こう文句を言う麟太郎に、弦柳は、
「麟太郎、このアホんだらぁ。能ある鷹は爪隠すと云う格言を知らんのか! お主の普段からの行いが悪いから、虚勢を張りたがる小童どもに絡まれるんじゃぁないか」
と、反って弦柳の怒りを増幅してしまったのだ。そこへ助け船が出された。
「まあまあ、お父さん、そんなに叱らないであげなさいな。二人とも怪我をして、この夜の暗闇を生命がけで戻ってきたのですから」
吾朗の母の、優奈である。麟太郎にとっては伯母に当たる。つまり、麟太郎と吾朗は、従兄弟同士でもあった。
愛娘に諭され、弦柳も引き下がった。夜の暗闇の怖さは、弦柳もよく解っている。
「麟ちゃんも吾朗も、よく無事に帰ってきたわね。皆も凄く心配してたんだから。そこのところは、ちゃんと謝らなくっちゃいけないわよ」
こう言われて二人は、家族に向かって「ごめんなさい」と謝ったのである。
「うむ、よろしい。では二人とも手当てが終わったんなら、さっさと道場の雑巾掛けをしてきなさい」
と、祖父の弦柳も、怒りを静めたのである。
「しっかし、祖父ちゃんもキツイよなぁ。この怪我人に雑巾掛けをやらせるんだからなぁ」
麟太郎は、こんな状況でも、まだブツクサ言っていた。
「しょうがないよ、麟ちゃん。場合が場合だからね。しかし、ダークナイトに遇って、よく五体満足でいられたなぁ」
吾朗は、そう感心したように、雑巾掛けをしながら麟太郎に訊いた。
「ああ。俺もはっきり言って、奇跡だと思ってるよ。祖父ちゃんよりおっかないヤツに出会ったのは初めてだ」
麟太郎は、二人目のダークナイトについては吾朗にまだ話していなかった。
「なぁ、ダンゴ、ダークナイトの中に人間に味方するヤツなんているのかなぁ」
こう訊かれて吾朗は、
「う~ん、それは僕にもよく分からないなあ。ネットやSNSの情報だけじゃあ、何とも言えないから。確かに、ダークナイト達が人を殺している映像はたくさんあるけど、数は少ないものの、生きて返ってきた人もいるからね。でも、何でそんなこと訊くんだい、麟ちゃん」
こう切り返されて、麟太郎はぽつりぽつりと、自分を助けてくれた漆黒のダークナイト──BJについて話し始めた。
これを聞いていた吾朗は、
「もしかしたら、麟ちゃんの言うように、僕たちの側に味方するダークナイトもいるのかも知れないね。まぁ、ただの勢力争いって言う事も考えられるけど」
「そっかぁ。そういう考え方もあるのかぁ。やっぱダンゴ、お前頭良いわ」
「まぁ、僕が麟ちゃんに勝てるとしたら、それぐらいしかないからね」
吾朗がそう謙遜すると、麟太郎はこう言った。
「何言ってんだい。俺なんか親戚中から乱暴者扱いされてるんだぜ。それに引き換え、ダンゴは、一族の中じゃぁ勉強も合気道も優秀で、道場の次期師範はお前だって、もてはやされてるんだからな」
そう麟太郎に言われて、吾朗は頭をかいた。
「それは言いっこ無しだよ。この道場を継がなくちゃならないなんて、僕も頭が痛くなるよ。それより、さっさとかたずけて暖かい布団に入りたいよ」
「そうか、ダンゴは川に落っこちたんだったよな」
「その通りさ。でも誰のせいでこうなったと思ってるんだい。お陰で、身体の芯まで凍り付きそうだよ」
「お前も、生命の恩人に、よくそういうこと言えるよな」
麟太郎がそう言うと、二人は顔を見合わせて笑った。
その時、道場へ急いで駆け付けた者がいた。道場の扉を開いて、麟太郎と吾朗が無事なのを知ると、二人の元に駆け寄って涙を流し始めたのである。
「す、鈴姉ぇ」
彼女は団鈴華、二人の従姉妹に当たる。
「もう、二人とも、よくぞ無事で。もうお姉ちゃん、どんなに心配したか……グス、ヒック……」
鈴華は、祖父以外で、二人が頭のあがらない唯一の人だった。小さい頃から、二人でつるんでケンカをしてきては、いつもこうして泣かれるのである。
「わ、悪かったよ鈴姉ぇ」
「ごめんなさい、鈴華さん」
二人とも心から彼女に謝った。三つ歳上の彼女は、二人の初恋の人でもある。その点では、麟太郎と吾朗はライバルと言えた。ただ、根本のところで、二人とも彼女を守りたいと言う意識は共通しているため、今日の今日まで大きないさかいなく過ごして来れたのだ。
鈴華は、無事を確認するかのように、二人を抱き締めた。
「ああ良かった。二人とも無事で。あなたたちに何かあったら、お姉ちゃんどうしていいやら……」
と、そう言って、また泣き始めるのである。
「今度こそ約束してよね。麟ちゃんも吾朗ちゃんも、もう危ないことはしないって」
「わ、分かったよ。分かったから」
「うん、僕も約束するから、もう泣かないで」
「本当に分かってる?」
「分かってるよ」
二人がそう応えると、鈴華は何かを思い出したかのように、傍らの包みを開いた。
「ほら、おにぎり。お祖父様には内緒で作ってきたのよ。二人ともお腹空いてるでしょ」
これもまた、いつもの事である。
「おお、ありがてぇ。頂きまぁす」
「いつも済みません、鈴華さん。ありがたく頂きます」
「お祖父様には内緒だからね」
こうして、麟太郎たちは、この日を無事過ごせたのである。