月夜に光る仮面(4)
麟太郎は危機にひんしていた。時刻は月の明るく光る夜。ダークナイトの時間である。眼前のキリア男爵は、自分の与えた剣を手に取って構える麟太郎を静かに見つめていた。
(お、重てぇ。これが戦闘用の実剣という物なのか)
麟太郎は手にした剣の重さに戸惑っていた。団式合気術にも、武器を使用して戦う技は存在している。だが、真剣を修練で使うはずも無いので、麟太郎も剣を手にするのは初めてであった。
「ふむ。少し手に余るようだな。では、こうしたらどうなるか……」
キリア男爵が謎の言葉を発すると、麟太郎の手にかかる剣の重さが減ったのである。いや、むしろ、麟太郎の手から全身に力が漲るような感触が伝わってきた。
「剣の柄から、お主の身体に薬品を注入した。お主のような子供でも、剣を容易に使えるようにな。これならどうであるか?」
男爵の仮面から覗く瞳は、実験動物を観察するように興味に輝いていた。
麟太郎は、試しに剣を数回振ってみた。凄く軽い。これなら、簡単に使い熟せるだろうと感じた。
「敵に塩を送っといて、後で後悔するんじゃないぜ」
麟太郎の言葉に、キリア男爵は首をひねった。
「はて? 小生が注入したのは、塩化ナトリウムでも、類似の塩類でも無いのである。不思議な事を言う子供なのである」
「この世界の格言だよ。生命があったら、後で調べとけ」
「ふむ、お主等の世界には、色々と興味を惹かれるものが多いのである。では、実験を続けようではないか」
「窮鼠猫を噛むって言うのもあるぞ。よく覚えとけ」
麟太郎はそう叫ぶと、5メートル近い間合いを瞬時に縮め、キリア男爵に切りかかった。「団式合気術歩行方 瞬足歩」である。特殊な足さばきで、瞬時に間合いを詰めたり、離脱したりするのである。
しかし、麟太郎の剣筋は男爵に見切られ、ナイフのような鋭い爪で防がれてしまった。ここは、一旦後退する。麟太郎は再び先ほどと同じくらいの距離をとった。
「ふむ。独特の足さばきであるな。ククククッ、益々興味深いのである」
(くそ、やっぱり素人の剣さばきじゃダメか。ならば……)
麟太郎は、剣を左手に逆手に持ちかえると、右手を前に挙げ、深く腰を落とした姿勢をとった。剣の刃は背中に隠れて正面から見えにくくする。団式合気術の小太刀の技を長剣で行う気なのである。分からないで剣を振り回すよりも、慣れ親しんだ技で対応する気なのだ。問題は武器の重さと長さだが、重さはキリア男爵の配慮によって問題ない。長さの違いは、勘で何とかする。
「はっ」
麟太郎は、一呼吸で敵の懐深くに飛び込むと、下から斬り上げるように、斬撃を図った。しかし、この太刀筋も、男爵の左手の爪で押さえ込まれてしまった。しかし、麟太郎は今度は引かなかった。剣を押さえ込んだ男爵の左肩を、右手で掴むようにして、引き込んだのである。男爵の身体が、左肩から回転するように傾き、背中を見せながら倒れ込んでくる。麟太郎は、剣の刃を滑らせると、倒れてくる男爵の首筋に切り込んだ。
そのまま首ははね飛ぶかに見えたが、次の瞬間、長剣の刃は男爵の顎と胸で挟まれて動きを止められてしまった。
「ふむ。良い動きなのである。剣がもう少し短ければ、小生の首が切られていたのである」
「調子こいてんじゃないぞ」
麟太郎はそう返すと、躊躇なく剣を手放し、男爵の背中へ回り込みながら強烈な膝蹴りを放ったのだった。遠心力を利用した麟太郎の蹴り技は、普段であればコンクリートブロックを軽く破壊することが出来る。しかも、今回は男爵の薬品のお陰で、身体能力が上がっている。キリア男爵は、かなりのダメージを負ったはずである。
麟太郎がそのまま半回転しながら男爵の脇を通り過ぎ、今度は素手の構えをとった時、男爵は地面で受け身を取ると、一回転して、こちらも戦闘用の構えを取ったのである。しかし、そのはずみで、封じたはずの剣の刃が首に切り込んだのだった。長剣を伝って、血とオイルの混じった赤黒い体液が地面に滴っていた。
「ふむん。剣技ではなく、剣を囮に使った体術であったか。しごく興味深いのである」
キリア男爵は、首の剣を手に取ると、一振りして腰に納めた。首の傷は、既に癒えている。しかし、次の瞬間、男爵は身体を折り曲げると、「グハッ」と血反吐を吐いたのである。
「団式合気術 飛燕脚。鎧をすり抜けて、体内に破壊力を打ち込む技だ。少しは効いただろう」
麟太郎が、隙を見せないように男爵の様子をうかがっていると、「ククククッ」と男爵が苦鳴を上げているように見えた。だがそれは、笑い声であった。
「素晴らしい。素晴らしいぞ、子供よ。よもやこのような技があるとは。お主らは全くもって興味深いのである」
麟太郎の、渾身の技も、強力な再生力を持つダークナイトには一矢も報いる事は出来ないのか。
(くそっ、平気な顔をしてやがる。もっとも仮面に表情は無いか。しかし、ダンゴ達も助けなけりゃならないのに、技が決定打にならない。祖父ちゃんみたいに、素手でヤツの鎧を切り裂くほどの技じゃないと、倒すどころかこっちが危ない)
麟太郎は焦っていた。彼は未だ、裏奥義を伝授されていないのである。
「さて、小生はお主に特に興味を持ったのである。ここでこのまま殺すには惜しいのである。是非連れ帰って研究したいのである。子供よ、小生の研究室に来て欲しいのである」
飽くまでも提案に聞こえるが、キリア男爵が強制的に連行しようとしているのは明らかだった。
「嫌って言ったら?」
「お主の意志は関係ないのである」
男爵は、至極当然といった口調で応えた。男爵の左手の中に、黒い球体のようなものがぼんやりと現れた。あの中に封じようというのか。
(万事休すか……)
麟太郎は最後の取引をしようとしていた。
「おい、ナンとか男爵。俺を無傷で連れて帰りたいなら、他の二人を開放しろ」
「何故? あの子供達も貴重なサンプルなのである。一緒に連れ帰って、研究するのである。それに、お主を無傷で連れ帰る事など、造作も無いのである」
キリア男爵は、これも当然という口調で応えたのだった。
(チッ、もうダメか)
麟太郎が絶望に折れようとした時、彼は奇妙な感覚に囚われた。全身の血が逆流するような不快感。以前にも受けたこの感触は、空間が歪む兆候である。しかし、それはキリア男爵が意図したものでは無かった。
「何っ! これは……、空間に亀裂が入る。誰が、何故、何処から」
男爵が天の月を仰いだ。反射的に麟太郎も上を見上げた。
そこにあったのは、半月に近い月だった。だが、その姿は歪み、やがて月に一筋の亀裂が走ると、それは広がっていった。そして、月が口を開いたような姿を成した時、そこから飛び出てくる物体があった。
それは、天高くから地面に目掛けて落ちてくると、地響きをたてて地面に降り立つ黒い人型となった。
「クッ、お主は? 小生の歪曲空間に侵入するなど、伯爵クラスでも不可能なはず。一体誰であるか?」
男爵の問に、黒い影は何も答えなかった。ただ、麟太郎が「BJ」と呟いただけであった。
「何、まさか、お主が噂のBJなのであるか?」
この問にも黒き騎士は答えず、麟太郎にこう言っただけであった。
「子供よ、遊ぶのは日の出ているうちにしておけと言ったはずだ」
キリア男爵は、自分を無視したBJの挙動に、少しばかり苛ついたようだ。
「BJよ。お主はダークナイトでありながら、我等の邪魔をすると聞く。しかし、お主のような無頼の輩も、実に興味深いのである。今のうちに小生に帰順するのであれば、小生からピエール伯爵閣下に進言して、部下に加えてもらっても良いのである」
この男爵の提案にも、BJは完全無視であった。
「ギリオン」
BJが囁くように、守護獣を召喚した。月下に、BJにも劣らず黒く輝く巨大な猛犬が立ち上がった。そして、それは麟太郎の側に来ると、彼を守るように盾になったのである。
「他の二人も、俺の守護獣が守っている。安心しろ」
BJはそう言うと、キリア男爵に対峙した。腰の後ろから、巨大なジャックナイフを取り出すと、その黒い刃を引き出した。刃がロックされる音が「パチン」と静まった夜に木霊した。
「飽くまで、小生に立ち向かうというか? ならば、こちらも相応の手段を取るのである」
男爵がそう言うと、その両手の爪が鋭く長く伸びたのである。
一方のBJは、ナイフを左手に逆手に持ち、右手を眼前に伸ばして腰を深く落とした構えをとっていた。それは奇しくも先ほど麟太郎が取った構えとよく似ていた。
二体のダークナイト同士の戦いが始まろうとしていた。彼等を見つめるのは、麟太郎と、再び口を閉ざした月のみであった。