戦場の道化師(3)
リキュエール子爵は、その左腕の使い勝手を確かめるように、空を斬った。再生された子爵の左腕は、シオマネキのように大きなハサミのような形状をしていた。
「クククッ、BJよ。今度こそ我が手で葬ってやろう」
左腕の出来に満足してか、道化の仮面から覗く目は怪しい光を帯びていた。
そこへ、突然アラート音が鳴った。
「ここへはダークナイトしか入れぬ筈。どうしたのだ?」
リキュエール子爵が訝しんでいると、亜空間ゲートを通って何者かがここへ移動して来る気配があった。子爵がゲートに向かうと、そこには三人のダークナイトが立っていた。
「我輩はピエール伯爵。リキュエール子爵は何処に」
三人のうちの一人がそう言った。
「これはピエール閣下。リキュエールはここに」
「おお、お主がリキュエール卿か。いやいや、そうかしこまらなくともよろしい。我輩はブリアン侯爵閣下の命で、ジャポーンとかいう国の前線拠点に派遣されたのだ。この二人は、ガナード子爵とキリア男爵。我輩の助手をしてもらっておる」
威厳を持ってこう応えたピエール伯爵は、二人の部下をリキュエール子爵に紹介した。
「お初にお目にかかる。我がリキュエール子爵にございます」
「うむ。卿よ、ここの亜空間ゲートは、ちと不安定だのう。ここに至るのに少々難儀した」
「ここは辺境の国ゆえ。お手間を取らせ申した。閣下、ささ、こちらへ」
リキュエール卿は、ピエール伯爵を玉座の間に招いた。部下の二人のダークナイトも続いた。
「リキュエール卿よ、亜空間ゲートがこう不安定では、手下の『ポーン』を連れてくるのも一苦労でござるな」
部下の一人、ガナード子爵がそう訊いた。
「この国はエメーリカとかいう国ほど我等に友好的でもなく、技術に長けた者もおらず、難儀しております。先日もBJとか吐かす不審なダークナイトに、腹心の部下を倒されてしまい申した。辺境と舐めておりましたが、なかなか思う通りには行きませぬ」
リキュエール卿は、そう事情を語った。
『ポーン』とは、突撃型の単機能ドロイドである。ハインド男爵の生き人形を高性能にしたようなモノだ。それでも一個体で、一個中隊ほどの戦闘力を持つ。通常は、自動生産工場で半永久的に生産され、供給される。CERN跡地の亜空間ゲートも、まだ安定しておらず、質量の大きな生産工場の転送に手間取っている現状では、手駒が無いのは仕方がないと受け入れるしか無い。だが、それ以上にダークナイトは戦いを好む種族である。ポーンなど蹴散らして自分の方が戦いたい者達だ。ポーンの指揮などという厄介事など本来はやりたくないのである。
「リキュエール卿、本日よりここは我輩の指揮下に入ることになる。異存はないか?」
「いいえ、滅相もない」
リキュエール卿は主是した。
「そうか。しばらく後に、騎士侯クラスの部隊が来訪の予定だ。居城の準備をしておいてもらいたい。それはそうと謎のダークナイトか。人間相手では我等の力は強すぎて手応えがなさすぎる。リキュエール卿に手傷を追わせる程の輩か。ククク、楽しみだのう、卿よ」
ピエール伯爵は不気味な笑い声をたてていた。
その頃、麟太郎は道場で吾朗と組手をしていた。
(ダークナイトなんて物騒なモノが出てくるんだ。俺達が強くならなきゃ、鈴姉ぇ達を守れない。しっかりしなけりゃ)
麟太郎は、心の内でそう思っていた。先日のハインド男爵との邂逅で、彼の殺気で身動きさえ出来なくなった自分を、麟太郎は許せなかった。やつの肩書きが男爵なら相手は下っ端の筈。そんな相手にすら歯が立たなかった自分が情けない。いつもいつも、あの黒いダークナイトが来てくれる訳では無いのだ。それで、麟太郎はもっと強くなりたいと思うようになっていた。そのためには精神の鍛錬が必要なのであるが、麟太郎には未だその事が分かっていなかった。
「麟太郎、円の動きだ。直線的に攻撃をしたり受けたりするだけではなく、相手の力を利用して、受け流すのだ。もう一度」
弦柳の激がとぶ。対戦する相手の力を利用し、それを何倍もに増幅して送り返す。これが団式合気術の極意であった。
「麟太郎、相手は押すと押し返してくる。押し返されるタイミングで引くと容易に引き倒せるのだ。相手の動きをよく読め。もう一度だ」
「おおっ」
麟太郎は、もう一度吾朗に挑んだ。真正面から懐に飛び込むと、吾朗の襟首を掴んで投げに入る。吾朗は麟太郎の投げ技を敢えて喰らうと、投げの勢いを利用して逆に麟太郎を道場の床に叩きつけた。
「っててて」
麟太郎が悲鳴をあげた。
「麟ちゃん、大丈夫かい」
吾朗が心配そうな声をあげた。
「麟太郎、今の吾朗の動きだ。真っ直ぐな攻撃だけでは、返されるだけだ」
弦柳は、麟太郎と吾朗の実力は同等と見ていた。しかし麟太郎の動きは直線的過ぎて、すぐに返し技を喰らってしまう。円の動きを掴めば、麟太郎ももっと強くなれるはずなのだが。
「もう一度だ、ダンゴ。おおりゃぁ」
「よぉし、こい」
麟太郎達が組手を続けている時、道場をそおっとのぞく者がいた。弦柳がそれに気が付くと、二人に組手を止めさせた。
「やめっ。二人共一旦休憩だ」
麟太郎が「ふぅ」と言って、道場の床に座り込んだ。その時、二人の組手を見ていた者が、おずおずと声をかけた。
「あのぉー、すいません」
「何か」
弦柳は外の声に応えると、
「あ、ごめんなさい。お家の人に訊いたら、ダンゴくん達、道場だって言われたから」
と、おどおどと話しかけてきた。
「あ、君、恵ちゃんじゃないか。どうしたんだい?」
吾朗がそう応えた。道場にやって来たのは、昨日助けた石川恵だった。
「あ、あのう、……わたし、ダンゴくん達に差し入れを持って来たんです」
恵はそう言うと、手にしたバッグを胸元まで挙げた。
「ふむ、吾朗の知り合いか?」
弦柳が問い正した。
「ああ、ラブレターもらったんだよな」
麟太郎が余計な事を付け加える。
「ラブレターとな。……ふむん、若いということは良いことだな。さぁ、遠慮せずに入って来なさい」
弦柳は、恵に入るように促した。
「じゃぁ、お邪魔します」
恵はそう言うと、入り口で靴を脱いで、道場に入って来た。そのまま吾朗と麟太郎達のところまでやってくると、手提げ袋の中からタッパーのような物を取り出した。
「レモンのハチミツ漬けを作ってきたんだ。それからスポーツドリンクと。身体を動かした後はミネラルや水分を補給しなきといけないって聞いたから」
恵はそう言いながら、タッパーの蓋を開けた。甘ったるい匂いが道場の中に広がる。
「ほう、どれどれ」
早速、麟太郎がレモンの切れっ端を掴み上げると口に放り込んだ。
「麟ちゃん行儀悪いよ」
「おぅ、悪い悪い。……ん、なかなかいい味だぞ。甘酸っぱくておいしい」
麟太郎はつまみ食いの感想を述べた。恵は吾朗にもタッパーを差し出した。
「ダンゴくんもどうぞ」
「じゃぁ、お言葉に甘えて」
と、吾朗もレモンを摘んで口にした。
「あ、本当だ。美味しいよ。お祖父さんも味見してみて下さい」
吾朗は弦柳にも薦めた。
「では、わしも一つもらおうか。……ふむ、なかなかいける味じゃな。お譲ちゃん、名は何と言う?」
弦柳の問に、恵は少し緊張して答えた。
「あ、わたし石川恵といいます。ダンゴくん達と同じ学年です。クラスは海堂くんと一緒です」
「ふむ、なるほど。吾朗はおなごにようモテるのぉ。これも隔世遺伝のせいかのぉ」
「お爺さんも素敵ですよ」
恵は一言付け加えた。弦柳の目元が少し和らぐ。
「君、石川さんと行ったか。合気道をやってみんかい。この頃は物騒じゃからな。護身術を身につけることは悪くない。ダイエットにもなるしの」
「え? あ、はい」
「毎週日曜日の朝は近所の子供達が集まって練習をしておるのよ。初心者教室もあるぞ」
弦柳は早速勧誘を始めた。
「お祖父さん、だれかれ構わず勧誘するのはやめて下さい。恵ちゃんが困っちゃうでしょう」
「ああ、そうか。まぁ、興味があったら来なさい。歓迎するからの」
吾朗に諭されて、弦柳は斜め上を見ながらそう言った。段式合気術道場も、この頃は台所事情が厳しい。多くは、この広い敷地の固定資産税だ。子供達に教えることで、自治体から補助を貰っているが、それも雀の涙である。弦柳の娘達の働いた給料でやっとトントンである。もっと門弟を集めて月謝を多く集めたいというのが弦柳の本音である。
「でもダンゴくんって、本当は凄く強かったんだ。海堂くんを簡単に投げ飛ばしたりしてるし」
「いやぁ、そんなこと無いよ。麟ちゃんも相当強いから。大体互角くらいだよ」
吾朗は頭をかきながらそう答えた。
「そうなんだ」
と、恵は不思議そうに二人を見比べていた。
「簡単そうで、結構難しいんだぞ」
麟太郎は一言付け加えた。格好悪いところ見られて、ただの乱暴者と思われるのは癪だったからだ。
「麟ちゃんも、そうむくれない。恵ちゃん、今日はありがとうね。レモン美味しかったよ」
「あ、ありがとう」
恵は、少し赤くなって、そう返事をした。
皆、こんな時間がずっと続くものだと、その時は思っていた。