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(9) 離柵の羊1

 定例会議が終わったところだった。

 やはりこの羊は楽しい。アキュタントは、ぼそぼそと不安を口にするその男をながめながら、そう思った。先ほどまで、張りのある声で報告の指摘をしていたのと、同じ人間とは思えない。

「ベクリム。ここだとよくない。とにかく部屋へもどろう」

 アキュタントは立ちあがると、背中に手をまわし、ならんで議事堂を出た。

「ああ、そうだ。ここではよくないな。すまないアキュタント」

 強い羊。アキュタントは興奮をおさえられなかった。もがきつづけている。ここまで長くもがき、柵を出たりはいったりする羊は、はじめてだった。議会では、指導力のある長のままだ。そして、2人きりになると、不安そうに視線をゆらし、後悔を口にしながら、みずから、こうして柵のなかにもどってくる。アキュタントは、頭や体をなでてやりたくなる衝動をこらえ、いい子だ、と心のなかでつぶやいた。

 何度も、何度も、すり込むように、同じ話をする。はじめは話をじっくりと聞き、心の弱い場所をさがす。見つけても、強くは押さない。かすめるような言いまわしを、時間をかけて何度も、何度も繰りかえす。偶然で1つ。境遇の一致で1つ。札は、1つずつにする。そうすると、ずれがところどころに生まれ、それが真実味をつくる。この羊とはじめて会うとき、補佐官として着任したこと、加護なしの息子をもつこと、それ以外は、なにも決めていなかった。アキュタントの合理的な性格は元々のもので、それが、うまくぶつかった。

 いくつか角を曲がると、まわりには、人がいなくなった。羊は、こらえきれずに、口をひらく。

「わたしは」

「わかるよ。おまえの、その心の優しさ、柔らかさ、俺は好きだ。俺にはないものだ。為政者に必要なものだと思う。俺は、数をあつかうことしかできないからな。為政の指揮は、とてもじゃないがとれん」

 羊が、とまどったような表情をむけてくる。

「そんなことは」

「まあいい。部屋で話そう」

 職務室にもどると、事務官に人払いをさせた。羊を、窓際の職務机のイスに座らせる。

「奴隷商人の馬車の話が、気になったのだな」

 羊は、しきりに、あごや頬をさすった。

「ああ。加護なしの子供なのだろうと思うと」

 奴隷商人の馬車が、街中をとおる。それが目撃される数が増えているという報告だった。クーリッグでは、奴隷の売買は禁じられている。だが、国をぬける奴隷商人の馬車まで、とりしまることはない。論点は、国内に市場が生まれた可能性がある、というところだった。だが、奴隷の大半は、加護なしだった。教国デクシャフの手前、加護なしの権利にかかわってくる政策は、慎重になる必要がある。民や、巡察隊からの報告が多数あがり、議会での報告となったが、報告したものもふくめ、みな、対応には消極的だった。羊もそれはわかっていて、議会では、報告を受けるのみで、対応についての発言はしていない。

「俺も、加護なしの親だ。だが、加護なしでも、そうでもなくても、親なら、みんな同じ気持ちさ。よろこんで子供を売る親なんていない。ベクリム、俺も心に決めている。今、この街に、加護なしは1割もいない。だから、のこりの9割のいいように、街のしくみはできている。それを、必ず変える。いずれ、必ず、10割全部の民が生活しやすいように、街のしくみを変える。それを考えつづけている」

 息子の始末が終われば、いなくなる。先の話の決意など、なんとでも言えた。羊が、アキュタントを見つめてくる。

「本当に、いつもすまない。わたしの心が弱いからいけないのだな」

 アキュタントは笑顔をつくり、首をふった。

 えさ、とよんでいた。

 意見を言いあい、弱音を吐きあう。話をし、話をきく。波のように、やりとりは満ち引きを繰りかえす。波がくるときはしっかりと受けとめる。そして、もどっていくその波のなかに、そっと、えさをまぜる。心を弱くするえさ。そのえさは、羊のなかに入ったあと、羊自身の心によって、心に溶けこむ。アキュタントは、羊が、柵の外と内のはざまでもがく姿が好きだった。もうすぐ、この羊は、柵の外に出なくなる。楽しいのは、そうなるまえまでだ。

 羊は、うつろな目で宙を見つめている。息子が主導していた権利運動を鎮圧してから、この羊は、アキュタントのなぐさめなしでは生きられなくなった。議会では、長としての顔でいる。他の仕事もこなす。だが、加護なしについての報告があがるたび、この羊の心はゆれ、アキュタントの柵へもどってくる。

「だがな、ベクリム。忘れていないか。どんな事情だろうと、10人いれば、10分の1。1万人いれば1万分の1の事情だ。きいてるかベクリム。我々の仕事はなんだ」

 うつろな目が、アキュタントへむいた。

「俺はな、ベクリム。つらさを受けとめることではないかと思う」

「つらさ」

「そうだ。加護なしは、人口の何割だ」

「1割」

「そうだ。誰でもできる計算だ。誰でもできる。子供でもな」

 アキュタントは職務机に両手をついて、羊の顔をのぞきこんだ。。

「では、他のものと、我々と、背負っているものは、なにがちがう。我々は、なにを課せられている」

 しばらく考えさせる。アキュタントは机からはなれて、部屋のなかをゆっくりと歩いた。答えにくくした問いだった。答えられないことで、答えをもっているものに依存する。

「今言っただろう。ベクリム。つらさを受けとめることだ。愚かな為政者がいる。偶然不幸を目撃した、境遇が自分と似ていた、そういったことで、1割を2割、2割を3割と、心のなかで、勝手に重要さを変えてしまう愚かな為政者がいる」

 羊が、おびえた表情でアキュタントを目で追ってきた。愚かな為政者。そうだ。おまえのことだ。羊は、飼い主に、そう言われることにおびえている。そうだ。おまえの飼い主を、しっかりと目で追うのだ。アキュタントは、頬がゆるむのを必死でこらえた。

「だが、我々は、そうはならない。そうだなベクリム」

「そうだ、もちろんだ」

 一度目や二度目ではなかった。少しだけ論点をすりかえる。言い方や切り口を変え、毎日、この部屋で同じ話をしている。少しずつ、すりこむ。やがて羊は、すりこまれた価値観によって、根本的な原因にふたをされ、自分がなぜ苦しんでいるのか、わからなくなる。

「つらさをしっかり受けとめられる。そして、割合は割合で、正確にとらえる。それが正しい為政者だと、俺は思っている。つらさから逃げれば、目で見た問題だけを解決しようとして、いつの間にか割合を変えてしまうからな。そうだろベクリム」

 自分のことだと考えている。そして、つらさから逃げてはいけない、受けとめなくてはいけないと、考えはじめる。アキュタントを追う目が、すがるようなものになった。そうだ。つらさを吐きだすことが、今のおまえの、大切な仕事だ。羊の唇が、ふるえだした。今日もまた至福の時間だ、とアキュタント思った。

 アキュタント。

 羊が、かすれた声をしぼりだした。

「わかっているよ。さあ、また聞いてやろう。おまえが少しでも楽になるなら、何度でもきいてやるよ」

 アキュタントは、羊のうしろに立ち、両肩に手をおいた。

「わたしが、育てた」

 体がふるえはじめた。

「わたしが、魔法が使えなくても、胸を張って生きろと教え、育てた。おまえが、魔法が使えないものたちの、未来を作るのだと、言って、育てた」

 泣いている。羊の体が、がくがくとふるえている。アキュタントは、唇をかんだ。興奮からくるしびれが、アキュタントの体を駆けまわりはじめた。

「教師になり、活動家になった」

 誰の話をしているのだ、とアキュタントは心のなかで問いかけた。息子、と言わない。つらくて、この羊は、息子、という言葉を口にできない。そう思うと、興奮で、目の前が白くなった。

「わたしは間違っていた。未来をつくるのは、おまえではなく、為政者である私だ、そう、言わなければならなかった」

 体ががくがくとふるえている。

 なにをした、と、そっと問いかけた。呼吸がくるしいのか、顔がうえにむき、口がひらいたままになっている。もう一度、なにをした、と耳元でささやきかけた。

「一度で、終わらせるため。一度で、終わらせるために」

 そうだ。俺が、おまえにすりこんだ。はっきりとした行動をとれば、加護なしたちの傷も少ない。一度で終わらせるように、やるのだ。何度もそうささやいた。

「集会に、兵をやって、扇動と、反逆で」

「扇動と、逆で」

 息子を牢に。

 羊はそう言って、声をあげて泣きはじめた。アキュタントはこらえきれず、羊の頭をくりかえしなでた。

「よく言えた。つらかったなベクリム。よく話してくれた」

 あと何度、これをきくことができるだろうか、とアキュタントは思った。もう少しで終わってしまう。それが、残念だった。

「いいか。よくきけ。おまえは間違っていない。なにも間違っていない。おまえがたたかっている、為政というものが、民をおさめるということが、それだけ大きく、複雑なのだ。その涙が、おまえが、民をおさめているあかしだ。おまえは間違っていない」

 職務室を、うめき声が満たしている。このうめきを、自分がつくった。つくあげた。アキュタントはそれだけを考えていた。

 許してくれ。グリシャム。

 羊が、2つの言葉を何度もくりかえしはじめた。

「わたしは、最後までおまえといる。ベクリム」

 嘘ではない、とアキュタントは思った。息子の始末が終われば、死なせてやってもいい。そう考えていた。

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