(3) ライチの相対整列2
ライチはまだ菓子の家にいた。
ファターは誰かを待っているようだった。家主である白ひげの男は、たいてい出かけている。ライチは、うろうろと歩きまわり、菓子を食べ、考えるだけである。
もう何日もここにいる。そのため、何人もの人間と顔をあわせていた。だが、まだ誰も、ライチをなまけものと呼んだり、気味悪がったりしていなかった。菓子は、甘いものが切れかけたころにいつも出てきた。ライチはここが気に入りはじめていた。
家は丘のうえにあり、庭のはしからは街が見おろせる。今も、ライチはそこに座り、その景色をながめている。
割りこみは、ファターの持っている文書に書かれていたことだ。文書のなかでは解明にいたっておらず、多元的な問いは、ライチにとってはご馳走だった。
思考とは整列だ。
ライチは籠をかかえている。チョコクリームのクッキーを1つとって、口にいれた。
考えはじめは、たいてい境界条件があいまいなものだ。そういうときは、丁寧に、相対関係を整理してやらないといけない。
ライチはチョコクリームのついたクッキーを、かまず、口にほうばったまま、しばらく風にふかれてぼんやりする。耳のしたまでの、銀色の短い髪が、さらさらと頬をなでた。
クッキーにチョコレートをぬる。
ただそれだけの工夫が、この素晴らしさはどうだ。
「どうなのだ」
ライチは立ちあがった。
庭の柵にそって歩きだす。
まわっている。
まわっているものの周囲で、さらにちがうものがまわっている。
ライチはまわる。甘いものを食べ、考え、消費し、また甘いものを食べる。1つ目。
取りかこまれている。
ファター、白ひげの家主、ライチの頬をなでる風、ここから見える街、この柵。それぞれがまわりながら、ライチを取りかこんでいる。
1つ目は自分。2つ目は環境とよばれるものだ。
割りこむものと、かこっているもののちがいはなんだ、とライチは思った。
格闘の音がきこえてきた。
家の裏手である。
ライチはそのまま歩きつづけた。
裏手には、獣人が倒れていた。茶色の、熊系の獣人である。数歩はなれたところに、白ひげの家主が立っている。今日は、神父風ではなく、あせた茶色の服を着ている。
何日かまえに、家主は、この獣人をかかえて帰ってきた。それからは、出かけていないときは、たいていこの獣人を叩きのめしている。獣人が立ちあがり、家主にむかっていった。攻撃をしかけたが、いくつか揉みあって、結局また倒された。すぐにまた立ちあがる。ライチは、その光景を、しばらく眺めた。
ライチにとって、この家も、家主も、獣人も、割りこみといえるほどのものではない。ある日ライチの人生をかこいはじめたが、ただそれだけである。ここを発てば、かこいは解かれるだろう。
ただ、なにか、心の底のほうで、感じるものがあった。
多分、この獣人も、家主も、ファターももっているだろう。そして、ライチはもっていない。
結びつきだろう、とライチは思った。
今まで、気になることを考えつづけてきた。生きているなかで目にした事象のしくみ。ファターのもっている本や文書の、自分で理解できないところ。解明されていないとされているところ。その日、ライチをおおいつくすように大きく見えた問いも、整列にいたると、次の日にはライチの一部に溶けこみ、次の問いを整列させるもとになる。
考えはじめると、なにも手につかなくなった。
家の手伝いや、農作業の途中でも、考えはいつでもはじまった。
母親に、もう、なにもしないでいいと言われた。
ファターは役人で、家にいたり、登城したりをくりかえす仕事だった。ファターが家にいるときは、一緒に部屋ですごした。しかし、なにかの調査の仕事にかわり、しばしば家をあけるようになった。ライチには居場所がなくなった。
夜中、母親とファターが話しているのを見かけた。次の日、いつもより多い荷物をもって旅立とうとしているファターを見て、つれていってくれと頼んでいた。
獣人が立ちあがらなくなった。家主がちかより、なにかして、獣人はふたたび目をさました。家主はライチをみて、わずかに微笑むと、家のなかに入っていった。
「なに見てんだよ」
獣人が、唇の血を手のひらでぬぐっている。
「結びつきについて考えていました」
獣人は、手のひらについた血をしばらく見つめていた。
「そんなものは、俺にはないな。けど、あの男が、なにやら、きっかけをつくってくれるそうだ」
獣人が、ライチのほうをむいた。血だらけで、腫れあがった顔だった。しかし、笑っていた。